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01 その日を境に

 六日前の事。

 十一月九日 午前十一時五分 日本国内東京都港区 侵食青霧前。


 その霧は、一言称するならば、壁のようだった。

 見上げても終端が見えない。上空から見れば、ドーム状の蒼い霧が街を覆いつくしている事が分かるらしいのだが、地上からでは空まで届いているかのよう。

「相も変わらず、外からでは内部の状況が見えないな。数年経ったというのにこうも変わらんと、気が滅入る」

 忌々し気に呟くのは、黒いライダースーツのような衣服を身に纏った屈強な男性。

頭部を覆い隠したヘルメット故に、顔を目視する事は出来ないが、どういう人成りであるのかは認識している。やや強面で、目付きの鋭い――簡潔に言うと、どこかの役人のような顔付きだ。髪型も黒いオールバックであるからか、サングラスまでつけたらまさにそれっぽくなる。本人の前で言うと怒られるらしいのだが。そんな彼のことを、私はこう呼んでいる。

「―――グラナート隊長」

 声に気付いた様子で、私を見下ろした。見下ろしたという通り、私はあまり背丈が高くない。三十センチメートルも差があれば、必然的にそうなるわけだが。

――身長の話はともかくとして、続けて私は彼にこう問い掛けた。

「本作戦について、どうお考えですか。人員は私達を含めて僅か十名…全世界規模で言うならば、軍隊規模の人員が行方不明となっている霧の世界に、我々だけで踏み込むという件について、です」


 私達は、日本のとある特殊部隊に属するメンバーである。その内の分隊、鉱石隊はそんな特殊部隊でもさらに特殊な、独特な能力を保有している。基本的に地味な物ばかりだが、特殊能力や技能と称して申し分のないものが大多数だ。勿論、私やグラナート隊長も例外無くそういった力を持っている。けれど、別に戦況を覆せるだけの切り札だとか、大量破壊能力だとか、そんなものは誰一人持っていない。

 つまり、特殊な力を持つという面では確かに、普通の隊よりも少し優位に立てるだろうが、それでも人間の枠組みから大きく越えられる程のものではない。


「言いたいことはわかる。正直、分隊の殆どは『捨て駒にされた』と思っているようだし、俺も否定しきれない」

 首を左右に振るグラナート隊長は私から顔を逸らし、聳え立つと称しても過言ではない霧の壁を見上げた。

「かつて、偵察隊として送り込まれた男が言っていた。狂ったように、『あそこは地獄だ』と言い続けた。…精神が病んでしまっていたそうだ。今尚、回復の見込みも無いらしい」

 私も霧の壁へと視線を向ける。

凝視しても、物は試し、と石を蹴り入れたとしても、中からは何も返ってこないし、見える事も、音さえも聞こえない。それこそ、目の前にあるのは異空間か何かであるように。

「上の連中方も、俺達で『最後』にするようだ。俺達が何の功績も持ち帰れず、生きて戻って来られない――そんな事があれば、もう霧は立ち入り禁止区域として封鎖をするのだと、言っていた」

 何の成果も得られない、ただ贄を捧げるだけ――人類からすればそれは無駄であり、損失だ。そもそも、そんな世界で無事に生きていられる人間など居るはずがない。ならばもう、侵入禁止区域にして隔離してしまえば、勝手に飛び込む愚者を覗き、平和は保たれるだろう。勿論、いつか何らかの方法で解決を図ろうとはするだろうが、どうにもできない今は、放置せざるを得ないのだから。


 グラナート隊長は、『そんな事があれば』と言葉を濁したが、今まで殆どの人間が帰って来られず、辛うじて戻ってきた人物は精神を壊されてしまった――そんな世界で無事に生還できる可能性が、例えほんの少しばかり特殊な私達にどれだけ、可能性があるというのだろう。

 きっとこれで本当に『最後になる』と、どこかで考えているのかもしれない。私も、それは同じ気持ちだった。

「――しんみりしてるなあ、隊長もスマちゃんも。逆に俺達が、そんな中から情報を持ち帰ったら、英雄扱いが保証されてるようなもんじゃん」

 霧を淡々と見上げていたグラナート隊長と私、とは別の声。振り返ると、黒いライダースーツとヘルメットを被った二名が立っていた。

 今、軽薄な声を挙げて右腕を振り上げているのは細身で長身の男性、名をアメテゥストと呼んでいる。そして、

「ふッ、我々が全てを解明する最後の切り札となったのだ。素晴らしい、これは我が英雄譚に刻むべき第一歩となりうる、物語ッ!」

 意味不明な言動をしながら大袈裟に両腕を広げて天を仰いでいる、少し小柄の青年らしき人物はザントシュタイン。個人的にはあまり認めたくは無いが、彼らも分隊に属するメンバーである。

 一応言っておくが、この期に及んでテンションが高いのはこの二名だけであり、他の六名はまともな性格である、と、思う。


 嗚呼、それはそれとして。

「アメテゥスト、コードネームは略さないでください。スマラクトです、ちっぽけな頭では覚えられないのですか?」

 と、訂正を入れながら振り返る。


 この中で私は唯一の女性なのだが、同時に背丈も尤も低い。気にしているが伸びないものは仕方が無い。

服装は彼らと同じ、黒いヘルメットと黒いライダースーツ姿だ。特に、自己紹介する事柄も少ないが、強いて言えば日本人には珍しい緑髪である。地毛であるが故に指摘されるまで気付かなかったが――その経緯は、またいずれ。


「スマちゃん生意気ぃ…また勝負するかぁ?」

 どこかの愚者が、挑発を始めてしまったので。

「いじめっ子みたいな言動ありがとうございます。ですが、今まで一度も私に勝つどころか、一本すら取れたことが無いのをお忘れですか?」

「はあぁ? 違うし、手加減してるだけだしいぃ。本気でやったらお前なんか」

 そんな売り言葉買い言葉に地面を強く踏むグラナート隊長。私も思わず息を呑み、姿勢を正した。アメトゥストもさすがに口をつぐんだようである。

「次やってみろ、二人共武器も持たせず霧の中に放り込むからな」

 振り返りもせず溜息を溢すグラナート隊長。私とアメトゥストは「了解です」としか答えられなかった。


 そこへ、何かが振動する音が聞こえてくる。

 所謂携帯のバイブレーションのような音、それはグラナート隊長の肩から聞こえてきて、彼は徐に、肩に取り付けていた真っ黒な端末を手に取った。

「―――時間だ。各位、当初の予定通り武装して集合。準備が整い次第、旧東京都港区、霧の世界への突入を開始する」

 空気が、変容する。

 先程までの雑談ムードは初めからなかったかのように、各自その場から身を翻して、武装を運んできた車両へと向かう。

戦う為の銃器、サバイバル行動を行う為に必要となる物を詰め込んだ鞄、手榴弾をベルトに取り付ける。準備に時間は掛からない。


 各自は無言で準備を終え、隊長の横に並び霧の前へと相対した。


「後戻りは出来ない。これは日本最後の、霧に対する抵抗と心に刻み、必ず生還せよ…以上。突入開始」


 コンクリートの床を蹴る。

微かに布が擦れる音と、足音を響かせながら、立ち塞がる霧の中へと、全員ほぼ同時に飛び込んでいった。

周囲へ視線を向けると、既に回りには霧が立ち篭めて、仲間の姿さえ目視する事も叶わない。

「全員まだ生きているな? 今は兎に角進め、足は絶対に止めるな。各自、何か見え次第随時報告せよ」

 方向感覚を見失いかねない程の濃霧。足下さえもはや見えないと来た。これでは今自分がどこにいるのかさえはっきりとしない。

だけれど、指示の通り足は止めない。足を前へ、前へ、只管前へ―――。


―――ズン。


 不意に、重苦しい、何かの足音のようなものが聞こえた。

「――――グガァァッ!!」

 直後、すぐ近くから人の声ではない、獣の鳴き声のようなものが聞こえる。咄嗟に首を声の方向に向けるが、何も見えない。

グラナート隊長の声は既に聞こえないが、とにかく今は足を止めてはだめだ、何も見えない中で得体の知れない何かと相対などするわけにはいかない。

「クルルルルルルルッ」「ヒグ、ギグググググ!!」

 複数の鳴き声。まさか此方の気配に気付いて寄ってきているのだろうか。

(地獄とは、まさかこれの事なのですか? 何も見えない…でも、あちらは此方を認識している!?)

 歩く速度が走りへと変わり、さらには走る足音が大きくなる。

一刻も早く何か、身を隠して凌げる場所を見付けなければ。このまま霧の外に出ようものなら、その直後に襲われかねない程の距離に居る、気配でわかってしまう。

 無我夢中で走った、走って、走って、走り続けて。


 不意に、眼前の世界が、開けた。

(―――街!?)

 霧から飛び出し、見たのは―――街、だった。

立ち並ぶコンクリート製の大きな建物。恐らく、かつてはデパートか何かだったもの。機能していない信号機、乗り捨てられたらしき車が無数に点在した十字路――。

(ここは……港区の、芝三丁目?)

 動作していない信号の上に記された看板を目視した。間違いなく、港区に入ったらしい。

霧は何故か薄くなっていて、周囲を見渡すのも、そう難しくは無い。

(………グラナート隊長達は?)

 見渡した最中、仲間達の姿を探したがどこにも見当たらなかった。同時に、近くに居たであろう、謎の生物も。

結局鳴き声だけで、襲っては来なかったのだろうか。

 そう思い、一歩踏み出して、


―――ドッ


「っ?」

 明らかに自分の足音ではない物音に息を殺して周囲を見渡す。

近くで、それも真横だとかそういう近さで、音が聞こえた。――。

(居ません…すぐ近くにいるはずなのに。では、一体間何の音だというのですか…)

 ゆっくりと、摺り足を踏むように足を動かす。すると、砂利が擦れる音が聞こえてきて、周囲に視線を向ける。

何も見当たらないし、コンクリート片が何やら足に直接当たっているような感覚がある。走っている最中に靴でも破損しただろうか。

しかしそれでも、近くに気配を感じるのに、存在を目視できない。一体この違和感の正体は―――。



 答えは、放置車両のサイドミラーに映し出されていた。


「グァ…ッ!?」

(―――な、んです…この生き物はっ!?)

 咄嗟に身構える。手に持って居るはずの銃器を。

しかし、その感触は手にない、どころか―――。

「……、…グァ?」

(え………、これは、私の、腕が? 違、違う。いいえ、これは)

 思考が追い付かない。

 ミラーに映る、両腕を、銃器を構えるような形で突き出した怪物が、目を見開いて口を開き、硬直している。

それは今まさに私が行っている行動全てで、自分の手元に視線を落とすと、そこには。


 緑色の鱗で覆われた、元々の私の手とは程遠い、屈強な異形の腕と、鋭い爪。

ミラーに映るそれは、全身が緑色に輝く鱗で覆われ、金色の瞳でミラーを凝視し、長い舌が口の奥で動いている、成人男性よりも少し大きな二足立ちの怪物。私の動作、その一つ、一つが正確に、ミラーの中に居る怪物に転写されている。

 ―――否だ。

これは、そんな生易しいものではない。つまり、これは。


(――――霧の中に入った、事で。私が別の何かと、入れ替わった、という…事、ですか?)

 蜥蜴とかげのような顔をした、『私』は、確かめるように、ゆっくりとミラー越しではなく自身の体に視線を落とす。そういえば、視界もどこか普段と異なっている。やたらと、左右に広い気がするが、これは頭が蜥蜴の其れになっているからだろうか。


 非現実的だ。受け入れられようはずがない。

 けれど、現にそれが起きてしまっている。持っていたはずの装備も、衣服さえも一切無くなって、私は――怪物に、成り果てた。


(先程からの声も、言葉を発そうとして鳴き声に変わってしまっています。言葉を発する事が出来ない、なんてこれではまるで本当に………言葉を発する事が出来ない

?)


 嫌な予感が、背を走った。

 もし、だとすると。


 先程、霧の中に飛び込んで、聞こえてきた今の自分とも異なる鳴き声は――――。

 振り返った先には、誰の姿も続かない。霧の中ではぐれてしまったのか、或いは。

然しこのまま立ち往生しているわけにはいかない、どうにかして分隊に合流し、状況を伝えなければ。


 そう思って身を一度来た方向へと向けた、瞬間。

「―――助けてぇぇッ!!」

 はっきりと、人の声が聞こえてきた。

霧とは反対の方向。街の奥へと続く道の先。然し、聞き覚えのない声からして分隊の誰かでは無い事は明白。

 ならば、ならば――可能性はかなり、絞られる。

(もし、そうなら。行かなければッ!)

 地面を蹴りつけた。

怪物の足音が響き、違和感が体中に鳥肌を立たせるような悪寒を伝えるが、止まれない。生き残り、居るのであれば、何よりも優先して、救い出さなければならないのだから。


 霧に包まれた都市を、怪物と化した少女は一人、駆け抜ける。

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