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00 歯車、今はまだ嵌らず

 複数の靴音。

 空気を揺るがし、私の安穏を妨げる気配が三つ。気を緩ませて寝ている時間さえ、与えては貰えないのか。それとも私が命を断てば、見逃して貰えるのだろうか――。

(………疲れているみたいですね、私は。今更何を考えているのでしょう)

 一度や二度ではない、回数を重ねればうんざりするというもの。初日から始まりもう六日になるが、事態の終息が見えないとなれば、うんざりもしてくる。勿論、一部は自身のせいであるとは理解しているのだが、どうにもならない不満というものは積み重なっていく。

 だから、と不貞腐れて眠り続けているわけにもいかない。上体を起こしては、瞼を細めて窓の先を見る。今はカーテンが閉ざされていて、僅かに見える路地と、挟むように立ち並んだ住宅の一つが見える。

足音はまだ聞こえているが、視界には未だ現れない。


 ―――いや。


(三つに分かれた。この建物を取り囲むように歩いている………分かり易いですね)

 音を立てないように両手を床に着き、両足を折り曲げた姿勢で動きを止める。

何が分かり易いかと言えば、それぞれの靴音に混じって、金属が擦れる音が聞こえているのだ。明らかに、金属系の武器を携えている。そして引き抜く音が二つと共に左右の窓際付近で停止したのも判った。室内に私が居る事を、或いは別の何かが存在する事を予測しているのだろう。

 首を左右へと交互に向けた。その際に視線を外へと向けるも、恐らくは隠れているであろう者達の姿は視認出来ない。建屋の窓は床よりもずっと高い位置にあるので、伏せていたら当然見えはしないのだが、周囲に小さな庭がある。人が隠れ潜むくらいには丁度良い広さの場所だから、姿が見えずとも予想は出来る。

 そんな周囲への注意を散らそうとするかのように、態とらしく正面から一つの足音。私が居座っている民家の先にあるのは玄関だ。扉を開けて入ってくるのか、正面で身構えるのかまではわからないが、


――ピンポーン。


 そんな高い電子音が建物内部に響き渡る。

インターホンを押したのだと理解する、一体何の真似だろうかと首を傾げていると、

「すみません! どなたかいらっしゃいませんか!」

 嗚呼、なんと態とらしい。

 声を挙げて、出てきた人物が人間ならただの杞憂だったと、彼らは離れていくつもりなのだろう。然し、出てこなければ留守か、或いは、と中へ踏み込むつもりだろうか。まあ、今回の場合はその或いは――侵入者の存在が、正しいのだが。


――ピンポーン。


 二度目の電子音が鳴り響く。

最後の警告のようなものだ、と認識する。次に何の反応も無ければ、左右に潜む存在と共に、動き始めるだろう。もし物音が響けば、すぐに左右に潜む気配が飛び込んで来るに違いない。


 足に力を込めた、床が軋む音がするが、周囲に響く程ではないと確認する。

後は、

「すみませ―――」


―――ドッ


 外からの声が最後まで言い切るよりも早く、風圧と、地を蹴り跳躍する衝撃が体に響く。

一秒にも満たない速度で、木目の模様が刻まれた扉が眼前に迫り、右腕を突き出した。

「―――ぐっ!?」

 ひしゃげ、一直線に跳んでいく扉。その後方に立っていた人物の短い悲鳴が聞こえる。

シュウさん!?」「畜生、やっぱり居やがった!」

 後方から悲痛な叫びと、怒りの声が聞こえてくる。足音は二つから増えていない、想像通りのようだ。

振りかぶった腕を引き戻し、私は後ろから来る二名に、目もくれずに駆け出した。

(足の速さなら此方の方が上ですし、逃げられますね)

 素足が、砕けたコンクリートの地面を踏みしめ、腕を大きく振るって駆けていく。追い付かれては面倒だし、扉の直撃を受けても呻き声が聞こえている辺り、先程のインターホンを鳴らした、柊と呼ばれた人物も生きている事だろう。ならば良い、これで後は逃れさえすれば、



「―――本当に、一定範囲の音しか探知出来ないみたいだね、アナタ」


 ――――ガガガガッ!


 不意に自分の周囲が翳り、無数の、風を切り裂く音が頭上から殺到した。

圧倒的な程の黒い槍の雨は、コンクリートを貫き、建物を切り裂いて私の行く手を遮る。察した、この手の攻撃が出来るのは、私が最も会いたくない人物だ。


 見上げる。

そこには、背中から無数の黒い蜘蛛の足のような物を生やした、赤い目を持つ黒髪と、漆黒のセーター、漆黒のスカート、漆黒のソックスに漆黒の運動靴を履き、赤いマフラーを風に靡かせている少女の姿だ。怒りを宿した紅の瞳と、揺れ動くマフラーはまるで彼女の怒りを示す焔のようにさえ思える。

(本当にしつこい方ですね、貴女は戦いづらくて嫌いなんですよ…)

 一歩後退するが、遠くから足音が二つ聞こえてくる。このままではすぐに取り囲まれてしまう事だろう。

見上げ、私は彼女に、『いい加減にしろ』と、

「――グアァッ!!」

 吠えた。だけどやはり『人の言葉』にはならず、響き渡るは、耳に届くは獣の戦慄き。

「今更、威嚇のつもり? 魔獣の癖に、僕を追い払おうとでも考えたのかな。ねえ―――エメラルドリザード」

 細められ、威圧する紅の瞳が私を捉える。

そこに映るのは、まさしく『化物』だった。


 緑色の鱗を全身に纏い、長く尖った顔は爬虫類の其れ。瞳は金色で、縦に割れた瞳。口にはびっしりと尖った細かい牙があり、爬虫類特有の長い舌が揺れ動く。長い尻尾は地面を叩き、両腕は長く、鋭い爪を併せれば足首まで届く程になるだろうか。

 エメラルドリザード―――、それこそが、今の私の姿。即ち私は今、魔獣なのだ。


「なっ、黒崎黑江くろさき くろえ!? てめぇ、ここで何してんだ!」

 後方の足音が私に追い付いて、私に同じく上空を見上げて怒りの声を挙げる男性の声。

どうにも感情的になりやすい人物のようだ。

 対し、黒崎黑江と呼ばれた少女は、私に対してとは違う柔らかい笑顔を声の主へと向けている。

「柊さんに教えて貰ってたの。この辺りに一筋縄ではいかない魔獣が居るって。………まぁさか本当に当たりだとは思わなかったけど」

 笑みが消え、敵意が再び私へと向けられた。

「――巻き込みたくないから、下がって貰える? 命より報酬を優先したいっていうなら、止めないけど」

 黑江はゆっくりと、黒い足を使って地上へと降りてくる。

どうやら、足の一本ずつを建物へと突き立てて自重を支えているらしい。

 後方で息を呑む声と、離れていく足音が聞こえた。

「………『集会』に伝えるからな。覚えとけクソガキ」

 聞き覚えのある単語と、捨て台詞のようなものと共に、後方への気配は無くなった。

今なら、戦う振りをして後退する事も出来そうだが、


「安心して。ちょっとでも逃げようとしたら…この周辺丸ごと、切り刻んでやるから」

 殺気と共に九つの爪を私へ向けた黑江。そんなものは脅しだと、普通は思うだろうか。

 残念ながら彼女の場合、脅しでは済まされない。黒爪は間違いなく、私を逃がさないために全てを切り裂いてでも撃破するつもりなのだろう。

(碌でもない女ですね、この人。もはや言ってる事が立派なテロリストですよ。………こんな場所でもなかったら、ですケド)

 周囲へと今一度視線を流した。

 薄い青色の霧に包まれた町並み。所々の建物はかつて何度も戦いがあったかのように痛み、切り裂かれ、コンクリート片、硝子片が飛び散っている。

人の気配は現状正面に立つ彼女と、少し離れた場所に転々ト感じるが遠すぎて詳細には感じ取れない。確実に判るのは、先程声を荒げていた男と、もう二人の仲間らしき存在くらいだろうか。

 こんな場所が元々、東京タワーに少し近い町並みと、どれだけの人間が信じられるだろう。

「逃げ場の思慮? 相変わらず人間みたいな行動をするのね、魔獣なら魔獣らしくしたらどうなの?」

 此方が注意を逸らし、思考を傾けた事に気付いたらしい黑江。どこか不満げな声なのは、相変わらず逃げようと目論んでいると取られたのだろうか、いや間違ってはいないのだけど。

だが同時に、彼女も仕掛けてこない。理解はしているのだ、私が『ただの魔獣ではない』という事に。


(――――まあ、どとらでも構いませんが)

 口を閉じる。瞼を細め、姿勢を落とし、『人間のような構え』を取る。

 それに対し黑江は眉を顰め、歯を剥き出しにした。

「あの人と同じ構えを、」


 瞬間、黒い閃光のように其れは放たれた。


 反射的に横へと飛び退いた。元いた場所には黒い爪が叩き付けられ、コンクリート片を撒き散らしながら地面を抉っていく。

「―――するなっ!!」

(ちいっ!)

 直後眼前に迫った三つの黒爪を、両腕を盾に受け止める。

鋭い刃が鱗を裂いて緑色の血が飛び散り、痛みが腕から走るが、それでも。


 それでも致命傷には程遠い、であるならば、

「くっ!?」

 その目障りな黒爪を、掴む事が出来る。

足を踏み締め腕の力で押し返し無防備になった黒爪の一本を掴み勢い良く引っ張れば彼女の華奢な体が大きく前方へと揺らぎ、引き寄せられた。


 そこへ踏み込み、穿つは右膝。


鈍い打撃音と共に黑江の目は見開かれて無防備に体が浮いた。

 空かさず左腕で彼女の頭を掴み、身を大きく捻って側面へと投げ放つ。


―――ドンッ


 硬質であるコンクリートの壁に黑江の無防備な体が叩き付けられ、威力に耐えきれず壁がひび割れたのを見た。

(終わりです、終わりにします。そうすれば少しは―――)

 右腕の爪を伸ばし、指を合わせて突きの姿勢へと変えた。

動きの止まった黑江の体を穿つのはきっと容易い。どれだけ強化されようとも彼女の体は肉と骨で構築されているのだから、心の臓を破壊してしまえば――――


 踏み込み、突き出したはずの腕は。

 風を切りながらも、速度を落としてしまった。


(――――)


 それが隙になる。

眼光を取り戻した黑江は鋭い殺気を瞳に宿して、音に成らない叫びと共に左腕を振るったのが見えた。


 私の体が宙を舞った、背中を突き刺す三本の爪と共に。


(………すみません、隊長。やはり、私に人殺しなんて)


 爪が引き抜かれ、口から緑色の液体が飛び散った。

直後上空に舞い上がった黒い影。狂気的で野性的で、獰猛な紅の瞳が閃光のように線を描く。

 上空より殺到する六本の爪。咄嗟に両腕を構えるが、突き立てるそれを防ぐ術などあるはずもない。


 肉を裂き、骨を砕く、激痛と鈍痛、その二つに呑まれて私は意識を手放した。




―――――霧の都 東京都港区 人類地区


「世界は呑まれた。とある哀れな青年と、とある悪意に塗れた幼子の呪いによって、混沌へと」

 語る様に、謳う様に、白髪の少女は青霧に包まれた街を、建物の屋上にて見渡しながら呟いた。

その言葉を聞く者は誰も居ない。それでも、彼女は言葉を止める事をしない。

「二つの世界。現実の世界と、霧の世界。終わるのは人類か…果たして、我々か」

 瞼を伏せ、大気を吸い込み、味わうように噛み締めて、少女は言葉を続ける。

そして両手を、空へと向けた。祈るように、願うように。

「どうか人の手で、人の世を終わらせないで欲しい。それはきっと君達が望むものではないはずだ………だから」

 願うように語った後、少女は表情を消して、両手を降ろした。


 数秒の沈黙の後。首を左右に振って少女は瞼を閉ざす。

そして再び口を開く。

「……………そうだね、君達はそうやって自分の望みを叶えた。彼らに、その報酬が与えられなかっただけで」

 瞼を開き、少女は身を建物の屋上から乗り出す。手摺に触れていた手から、徐々に力を抜きは成って、

「―――ならば私も、望みを叶えるとしよう。例え其れが君達の望みに反する事だとしても」

 手を、離す。

少女の体は重力に引かれてゆっくりと地上へと落下していく。

速度を増して、増して、コンクリートの地面に激突する寸前まで―――。

「だって、その為に私は居るのだから。そうだろう? 我が友よ」

 停止し、緩やかな速度で地上へと降り立った。

何事も無かったかのように歩き始める。言葉の一つも、今まで動いていた口が嘘のように結ばれて、ゆっくりとゆっくりと。


 白い少女は、青の霧の中へと、消えていった。



 世界の一部は、青の霧に呑まれた。

或いは住宅の一つを媒体に、或いは大きな塔を中心に。

 霧の中にあるのは現世ではなく、異世界と化した現世。

ただしその世界では、人間が超能力を得て行使出来、同時に魔獣と呼ばれる怪物達が蔓延る世界。

 数年の時を経て、外界から途絶されたはずの、世界。その一つで、物語は始まった。

 二つの、本来ならば何の関連性もない存在の邂逅によって、止まり掛けていた世界は再び、鼓動を始める。


 これは、そんな世界に呑まれた二人の少女と、異界より来たる者達の、物語―――。


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