【三十一話 アクマの森の仔〜暁〜⑦】
別タイ:緑柱石の不幸は続く
───長い前髪から見えた怪しい光を帯びた艷やかな橙色の瞳。
あの色を見て兄はゾクリと身体を震わす。
同時に莫大なある不安が彼を襲った。
「(───まさか、この作戦を聞かれていたのでは?)」
世話係の二人曰く、メルリヌスはウーサーが近くにいる間は、精神の奥深い所に潜ってしまっていて唯一会話ができるマーリンでも声が届かないと言っていた。それは同時に現実の世界の様子を見る事は出来なくなるとも。
もし、仮にメルリヌスが出てきても近くにいるウーサーとエムリスが気づいてその場で動く筈だが、彼等は何の反応を見せなかった。
「(....気の所為、だったか)」
そう結論付け、兄は不安を払うように頭を軽く振る。
そんな兄の様子に気付かないエムリスの方は突然ニッコリと笑い、
「ところで殿下。かなり悪い知らせと、とてつもなく最高に悪い知らせがあるのじゃが...どちらを先に聞きますかのぅ?」
「どっちも断る」
「まずはかなり悪い知らせなのですじゃがな───」
「話聞け難聴ジジィ」
「先刻、ヴォーティガン様の仰っとった通り、メルリヌスの坊やは極限の飢餓状態になっておりますですじゃ」
「聞いたが、危険な状態なのは知っている。今更それがどうしたんだ?」
メルリヌスではないが、逸れ夢魔や悪魔の飢餓状態は兄も何度か見たことがある。
あれはもうタガの外れた獣のようで、何度見てもいい気はしない。寧ろ哀れとすら思うこともある。
あの幼い子供もそんな醜態を晒す事になるのかと思うと、複雑な気持ちになるが、今はそんな甘いことを考えている余裕はない。
「今更と他人事に言っている内は殿下に勝機はありませぬぞ。儂等が知っておるのは夢魔と悪魔の飢餓状態。【アクマ】の飢餓状態はどれ程の力を発揮されるのか誰も予測がつかぬのです。
ここでかなり悪い知らせになるのですじゃ。儂の予測ですが、おそらくメルリヌスの坊やの強力な魅了の魔術に抵抗出来るのは、“教えの継承者”である殿下の母君とウーサー様と何故か“教え”に耐性があるヴォーティガン様、そして王のような超弩級の妻LOVE又は夫LOVEの男女、あと恋に一途な儂、そして性欲が完全に死んでる者とごく限られた者達だけでしょう。
それ以外の普通の精神の者では例え真面目な者でも、あっちゅう間に、魅了に掛かり理性もナニもかもがぶっ飛び即発情コースに突っ込むことになるですじゃ!」
「..........」
兄は考えた。今の自分を───。
年齢十八。思春期真っ只中。まだ童貞。婚約者、彼女無し。(気になる女性はいる)
精神·胆力:普通より上。
今の装備:ウーサーの三枚の“護符”、エムリス特性の魅了耐性を上げる水晶のペンダント、護身用の短剣、以上。
「(何か...駄目な気がする.....)」
家族の中でまだ普通の部類に入る年若い兄では、どう足掻いてもメルリヌスの誘惑に自分の意思に関わらず、跳ね除けられる気がしない心許ないものだった。
これだと本当にメルリヌスに、秒で守りを突破され、秒で美味しくいただかれる未来が来てしまう!
「最っっっっっ悪だ!!!」
と、腹の底から血を吐くように兄は叫んだ。
「殿下...ウーサーの“護符”の力を信じましょう.....」
「“護符”.....はっ!ウーサーはっ!?まだウーサーがいるだろう!?私の部屋の何処かに隠れて待ち伏せしてくれれば───」
「殿下。それは駄目ですとヴォーティガン様も仰っていたでしょう。ここは我慢してウーサー様抜きで作戦を決行しますと」
「ぐぅ...だが、エムリス.....」
まだ諦めきれないのか、兄は何か言おうとするがエムリスはそれを遮るように言う。
「ここは貴方様の明日の平穏と貞操の為に耐え忍んで下さいですじゃ」
「.....分かった」
と、言いつつも兄の目は落ち着きなくあちこち彷徨わせていた。
「まぁ、こんなジジィの言うことでは殿下の心は落ち着かぬでしょうな。そんな殿下にとてつもなく最高に悪い知らせを言っちゃいますぞ!」
「止めろ!俺の精神はもう限界だっ!!」
「まずは話す前に見てもらった方が早いですな」
「お前、本当にいい加減にしろよ!?」
またも兄の制止の言葉を無視して話を続けながらエムリスは歩き出し部屋を出て行く。
兄はエムリスを殴りたい気持ちを抑えて、黙ってついて行った。
そして、二人がたどり着いた先は───
「ここは、ウーサーの部屋か?」
「はいですじゃ」
「.....」
兄はこの時とてつもない嫌な予感がした。心臓の音がバクバクと忙しなく鳴っているのを感じる。
そんな兄の様子に気付いているのかいないのか、エムリスは扉をコンコンと軽く二回ノックする。
「どうぞ」
「え?」
と、ウーサーの声ではなく何故か叔父のヴォーティガンの声が返ってきた。
何でヴォーティガンが弟の部屋にいるのか?この嫌な予感の原因が扉の向こうにあると直感し、混乱した兄の心はグチャグチャだ。
───ガチャリ.....
ドアノブに手を掛けようとしない兄に痺れを切らしたのか、扉は無慈悲に内側から開き、部屋の中の残酷な光景が兄の目に映つり、そこには─────。
「........にゅ.....」
ベッドの上には死人のように青白い顔をしたウーサーが力無く横たわっていた。
「ウーサーちゃん、今こんなだから作戦には参加出来ないわよ」
扉を空けた張本人、ヴォーティガンはいつもの調子で朗らかに言ってきた。
「.....────」
かわり果てた弟の姿を見て、兄は絶望し目の前が真っ暗になった.....。
いつまで続くか分からないおまけ
〜とある過去の事件〜
「所で殿下、覚えていますかのぅ?
1年前、他国の間者がウーサー様を拐かそうと夜眠っている所に侵入し、逆に返り討ちにされ、汚物撒き散らしながら、咽び泣いてのたうち回る姿を・・・」
あの時の間者を見下ろすウーサーの表情は薄い笑顔で、死んだ魚の目をしていた。
エムリスと一緒に駆けつけた複数の騎士達は、あの光景が頭から暫く頭から離れなかった。
「あ、ああ。相当悲惨な事件だったらしいな」
兄は幸いそれは見ていなかった。
事件の本の一部を聞いたのみなので、詳しくも知らない。
「一番恐ろしかったのは、その時ウーサー様は寝惚けてブラックモード全開で返り討ちにした事ですじゃ」
「え、ブラックモード全開って・・・完全に相手積んでるな」
「寝惚けて意識が無かったせいか、リミッターが完全に外れておりましたのじゃ。
更にまだ寝惚けていたようで、儂らにもその牙が向きましたのぅ・・・」
「寝惚けて味方にも攻撃するってヤバイだろ」
「届く前に、彼の方が〆技で眠らせて貰ったので事なきを得ましたぞ。あの時は本気で死を覚悟したのですじゃ・・・」
「ほっ・・・そうか彼女が止めてくれたのか。・・・・・んん?〆技??」
「なので殿下、もしウーサー様が寝惚けた状態で参戦してしまったら、メルリヌス坊やも殿下も、ただでは済みませぬぞ」
寧ろそれ以上に悲惨な地獄に叩き堕とされるだろうな、コレ。




