09話 月の女神
日が暮れて、ようやくフィニーが泣き止んだ。
目を赤くしたフィニーは、ずずっと鼻をすする。
「うさぎみたいだな」
「か、かわいいですか……?」
「寝言は寝て言え」
「い、いきなり厳しくなりました!? さっきはあんなに優しかったのに!?」
「俺はスパルタなんだ」
「はぅ……スパルタはイヤです、甘いのがいいです……」
泣いたことで、ある程度心が落ち着いたのだろう。
フィニーは、いつものフィニーに戻っていた。
「で、これからどうするんだ? もう様子を見るのは終わったんだろ?」
「あ、はい。お、お家に帰ります。今日は、その、金曜日なので、明日と明後日はおやすみですよ」
「そういうところ、サラリーマンみたいだよな……まあ、休みがあるのはうれしいけどさ。ところで、どうやって帰るんだ?」
「帰りは、魔法で……すぐに帰れますよ」
フィニーが手を差し出したので、悠は手を繋いだ。
それを確認して、フィニーが魔法を唱えた。
目の前の景色がぐにゃりと歪む。
やがて、白い波に包まれて……
数秒の後、二人は教会に戻っていた。
「こ、これで完了……です」
「便利だな、魔法って。今度教えてくれよ」
「は、はい。私でよければ」
「空を飛ぶ魔法は必須で……あと、透視魔法とかないか?」
「うぅ……み、身の危険が……」
「誰が、フィニーみたいなちんちくりん女神に使うか。俺の好みは、グラマーなお姉さんなんだ」
「また新しい称号が……!? あと、無意味にディスられました!?」
いつものやり取りを交わしながら、二人は住居に移動した。
「あれ? 電気が……」
なぜか、住居の明かりが点いていた。
それだけではない。
奥の方から良い匂いがする。
リビングに移動すると……
「あっ、おかえりなさーい! もぐもぐ」
見知らぬ女の子がご飯を食べていた。
「ぱくぱく、もぐもぐ」
「あっ、それ、作りおきしておいたグラタンじゃねえか!」
「ちょっと味が薄いな―。ボクは、もうちょっと濃い方が好みだよ」
「勝手に入り込んでその言い草、何様だお前は」
「神さまだよん」
「よし。フィニー、警察を呼べ。あと、救急車だ。こいつ、頭がおかしいぞ」
「ボクは正常だよ! おかしくなんかないもんっ」
「異常者は決まってそう言う。あと、胸がないヤツは信用できん」
「胸は関係ないよね!? どんな判断基準してるのさっ、君の方がおかしいよ!」
「なんだとこら」
「がるるるるるっ」
睨み合う二人。
……と、フィニーが悠の服をくいくいと引っ張った。
「あ、あの……アリアちゃんは、あ、怪しくないですよ……」
「何を言う。こんな怪しい……ん? アリア? なんで名前を……もしかして、フィニーも異常者なのか?」
「どんな思考回路です!?」
「冗談だ。知り合いなのか?」
「は、はい……私と同じ、神さま……です。他の異世界を担当してる、月の女神で……」
「なるほど……俺は、最初から神さまだと思っていたぞ」
「うわー、この人、すっごく殴りたいよ。ぐーぱんしていい?」
「しかし、他の異世界を担当する神さま……か」
悠は、じっとアリアと名乗る月の女神を見た。
フィニーと比べると、背は高い。
髪はショートカットにまとめていて、おしゃれっ気は特にない。
ただ、魅力的じゃないということはなくて、ボーイッシュな感じがして、人の視線を惹きつける良さがある。
月の女神を名乗る割に、明るく活発な印象を受けた。
「俺は悠、東雲悠だ。つい先日、フィニーの使徒になった。悠さま、って呼ばせてやってもいいぞ」
「うわー、ちょー上から目線。こんなに偉そうな使徒、初めて見たよ」
「そんなに褒めるな」
「褒めてないし……えっと、ボクはアリア。月の女神で、フィニーちゃんとは違う異世界を担当してるんだ」
さらりと言うアリア。
その台詞に、ふと気になるものを覚えた悠は、そのまま疑問を口にする。
「さっきもこの駄女神が言ってたが、異世界って他にもあるのか?」
「あ、あの、いちいち駄女神って言うのやめてほしいんですけど……」
「うん。世界は、全部で12、存在するんだ。それぞれに世界を管理する女神がいて、ボクはそのうちの一人、っていうわけ」
「なるほど……多世界解釈、みたいなもんか。まあ、数え切れないほど無数に、っていうわけじゃなくて、12限定みたいだが」
「あ、あの……無視しないでほしくて……い、いえ、なんでもありません……ぐすん」
フィニーが部屋の隅で『の』の字を書き始めたが、色々と気になることがあるので、今は気にしないでおく。
「で、その月の女神さまが何の用だ? 趣味は泥棒で、盗み食いが特技なのか?」
「違うよー。ボクとフィニーちゃんはマブダチでね」
マブダチなんていう女の子、初めて見た。
こいつ、実はかなり歳いってるのかもしれない。
密かに失礼なことを考える悠だった。
「たまに遊びに来てるんだ。あと、異世界管理のアドバイスなんかをちょちょいと」
「アドバイス? アリアにそんなことができるのか?」
「うわー、もう呼び捨て。しかも、失礼なこと言ってるし。ボク、12の女神の中でも、かなり優秀な方なんだよ?」
「なるほど。一番下はフィニーか」
「ど、どうしてそうなるんですか!?」
「違うのか?」
「う……ち、違わないですけど……」
「面倒だから、当たり前のことにツッコミを入れるな。そこで、黙っていじけてろ」
「き、キミは、なかなかアグレッシブな使徒なんだね……」
なぜか、アリアがたらりと汗を流していた。
「勝手に入ったわけじゃなくて、合鍵もらってるんだよ」
「フィニー。なんでこんなロリに合鍵を?」
「キミは毒を吐かないと生きていけないのかな? マグロの親戚かな?」
「え、えっと……アリアちゃんは友達ですし、家族みたいなものですから……」
「ボクとフィニーちゃんは、幼馴染なんだ」
「まあ、そういうことなら……でも、人の食事を勝手に食べる理由はないぞ?」
「気にしない気にしない。また作ればいいじゃん」
「よし。お前を三枚におろしてやろうか?」
「冗談だから、本気の目をしないでほしいかな……」
サーッと、アリアの顔が青くなった。
悠の本気度が伝わったのだろう。
「ご飯を食べちゃったのは謝るよ。代わりに……ボクをどうぞ」
「よし、もらおうか」
「あれ!? ここは、顔を赤くして恥ずかしがる場面じゃないの!?」
「悠さんは、そ、そんな純情な人ではないですよ……ぱっくりと、い、いっちゃうタイプです……」
ひどい言われようだった。
とはいえ、あながち間違ってはいないのだが。
据え膳食わぬは男の恥。
悠は、いい格言だ、と思っている。
「えっと、冗談はここまでにして……ちょっと真面目な話があるんだ」
「飯、勝手な食った罰は後で与えるからな」
「……真面目な話があるんだ」
ちょっと涙目になりながら、アリアは何事もなかったかのように続けた。
女神は、みんなぽんこつなんだろうか?
悠は、わりと真剣に考えた。
「翠の世界のルーテシア、覚えてる?」
「は、はい……とても優秀で、わ、私なんかじゃ足元にも……ううん、つま先の爪の欠片にも及ばない女神ですよね?」
「フィニーは、いちいち自分を卑下しないと気がすまないのか? っていうか、世界毎に名前が付いてるのか?」
「そりゃ、もちろん。フィニーちゃんの世界は、太陽の世界。ボクのところは、月の世界。ちなみに、使徒くんの前世の世界は、蒼の世界だよ。って、話が逸れちゃった。もう、邪魔しないでよ」
ぷくー、と頬をフグのように膨らませるアリア。
こうしてみていると、とても神さまとは思えない。
……しかし、それを言うのならば、フィニーの方がもっと神さまに見えない。
神さまも千差万別か。
悠はそう納得した。
「ルーテシアの翠の世界なんだけど、今、ひどいことになってるんだ」
「え? ど、どういうことですか?」
「転生者が暴走して、世界を支配しようとして、世界大戦でも起きたような大惨事に。あれ、復興に100年単位の時間がかかるんじゃないかな?」
「そんなこと、起きるのか? 暴走っていうけど、ルーテシアとやらはどうしてたんだ?」
「すぐに対処に出たらしいよ? でも、転生者が神さまの力を上回る、っていうありえない事態が起きて……収拾に時間がかかっちゃったんだ」
「そ、そんなことが……?」
「フィニーちゃんは仕事だったから呼ばなかったけど、ボクを含めて、何人か応援に向かったんだ。で、転生者と神さま連合による大戦争。なんとか転生者は討伐したけど、戦いの余波で世界がとんでもなく荒れちゃった、っていうわけ」
話を聞いたフィニーは、顔を青くした。
まさか、自分がいない間にそんなことが起きていたなんて……
同時に、ありえないと、すぐにアリアの話を信じることができないでいた。
転生者が女神の力を上回るなんて考えられない。
転生時に最大級の能力を与えても、女神の力の十分の一にも満たないはずだ。
それに、女神を圧倒するほどの能力を得る転生者は、前世で相当の善行を積んでいるはずだ。
つまり、仏のような人格者のはずだ。
そんな人物が、どうして暴走を……?
ありえないことが二つも起きた。
果たして、これは偶然か?
それとも……
フィニーは、ゾクリと背中が震えた。