第五十一話 現実世界の終焉と新たなる世界への始まり
地平線の彼方まで遮る物が無く、この先にある筈の海が見えないのは、この大地が広大である事を示している。
ここはリレイズの世界では中央大陸と呼ばれ、東西でアイリスとイスバールがそれぞれ領地を支配する大陸で、以前に川上が最初に『ルシフェル』の存在を発見した場所でもあり、この場所が地上と『ルシフェル』との距離が一番近い場所である。
その場所で上杉達は、リレイズ討伐で手に入れた『アングレア』を詠唱し『バウンダリー(境界)の破壊』を止める事で、川上の『永遠の眠り』が解ける可能性に賭ける為に詠唱の準備をする瀧見の横で正面を向いたままの小沢が静かな声で上杉に話す。
「・・・お前、本当に後悔しないな。」
「正直、俺達だけで決めていい事ではないのは知っている。だが、それが『家族』を救える可能性であるのであれば、俺は世界中を敵に回そうが助ける方を選択する。」
「・・・それは私も同じだ。『バウンダリー(境界)の破壊』を止められる唯一の方法が、同時に現実世界の終焉なのであっても、私も仲間を助ける事を選ぶ。」
『ルシフェル』に向け『アングレア』を放つ事は、『バウンダリー(境界)の破壊』を止めるのと同時に元の世界へ戻れなくなる可能性を持つ危険な行為であり、それは消息が分からないリレイズのIDの無い人間との再会が叶わない事になる。
それが例え数十万のプレイヤーにしか影響が無い事であっても、それを僅か数人のプレイヤーだけで決める事への上杉の覚悟を確認したかった小沢の言葉に、上杉はこれから行う事が例えプレイヤーにとって現実世界への帰還方法を失くす事であっても仲間を助ける事を選択したいと話し、その言葉に小沢は同調すると、後ろに居たリシタニアと清水、そして詠唱を始めようとしている瀧見も続けて口を開く。
「私は元々この世界の住人であり、そなた達も以前から居る冒険者であり『家族』だ。それは、これからも変わらない。」
「元に戻る方法が完全に断たれた訳じゃないし、とりあえずはいいんじゃないのぉ?まずは、川上を戻す方が先でしょ。」
「あたしは『リレイザー』だし、元の世界には肉親は居ない。ならばあたしはこの世界で生きる事を選ぶよ。」
「そうだよな、皆ありがとう。・・・それじゃ、瀧見頼むよ。」
「ああ、分かったよ。」
清水と瀧見もこれから行う事の結果に対しての後悔はないと話し、このリレイズの世界の住民であるリシタニアも上杉達を『家族』と呼び、それはこれからも変わらないと話す。
それが例え数人のプレイヤーとキャラクターの意見であっても、皆の考えを聞けた事で胸の痞えが取れたかのように安堵の表情を見せる上杉は、皆に礼を言った後、少し緊張した表情で瀧見に『アングレア』の詠唱準備を話すと、瀧見は静かに両目を閉じ呟くように魔法の詠唱を始める。
リレイズ最強の魔法とされる『アングレア』の詠唱の情報量は手に入れてか数日しか経たない現状で覚えるには難しい程の量であったが、それを既に『アングレアの書』を見ずに詠唱する瀧見の記憶力驚く上杉の視線を気にもせず、瀧見は『アングレア』発動までの道のりを黙々と進み続ける。
詠唱を初めて既に分単位になりそうになって来た頃、瀧見を中心とした上空に先程までの晴天とは違う灰色の雲が立ち込み始め、その雲はやがて渦となり耳を突き刺すような甲高い音を放ちながら高速で回り、その姿は竜巻のような姿に変化すると、それと同時に詠唱を終えた瀧見が両手を上げたまま叫ぶように話し始める。
「これで『アングレア』は完了したよ。今からコイツを『ルシフェル』へ向けて放つけど、これが『ルシフェル』にぶつかる事でこの世界がどうなるかは『ゲームマスター』のわたしにも分からない。・・・でも、いい方には行かない可能性の方が、あたしは気になってしょうがないよ。」
明らかに戦闘用には向かない程の長い詠唱時間を経て現れたガラスを刻むような高音を放つ灰色の雲を見ながら『アングレア』を放つ準備が出来た事を報告する瀧見は、これから行う事の結末は良い方向へ行かない予感が離れない瀧見が全員に再度確認すると、そばに居た上杉がその問いに答える。
「僅かな可能性かも知れないけど、時間の無い川上を救える可能性のあるこの『アングレア』に俺達は賭けるしか無いんだ。万が一、これが世界にとって最悪な状況になったとしても、それは『ゲームマスター』である瀧見が責任を負う事じゃ無いし、だからと言ってこのまま手を拱いていても、この世界は想像も出来ない方向へ進み続けるのは確かな事実だ。だから、いずれ俺達は『バウンダリー(境界)の破壊』止めなければならない。」
上杉の話に無言で頷く周りを見て、瀧見は悩みが吹っ切れたかのように口もとを緩ませ自身の両手を天高く振り上げ叫ぶ。
「それじゃ、行くよ!」
掛け声をかけた瀧見の振り上げた両手が大地に向かって振り下ろされたと同時に、上空に現れていた灰色の雲の渦は、その遥か上空で不気味な電波を放出している『ルシフェル』目がけて放たれる。
消滅魔法『アングレア』がプットアウトと同じ物体を消す消滅魔法なのにも関わらずリレイズ最強の魔法と言われている理由は、その魔法の威力では無く『アングレア』の属性で、同じ消去魔法であるプットアウトは、属性の組み合わせにより発生した閃光を放つ魔法で属性が存在する。
その為、プットアウトは『ムフタール』の資格を持った魔法剣士の小沢が使う『属性吸収』であれば相殺可能であるが、『アングレア』は瀧見が開発したメテオスラッシュや重力操作魔法同様にオリジナル魔法の部類に入るので属性が存在しないので、小沢であっても『アングレア』を止める事が出来ない為、防御する事は不可能に近い。
物理的原理が入る無属性の『アングレア』が放つその独特な高音は高周波の電波であり、その振動により全てを消滅させる攻撃は範囲も広く、威力も範囲もリレイズ最強の名に恥じない魔法である。
まるで落雷が起きたかのような轟音と全てを切り裂きそうな鋭利な音を同時に奏でながら『アングレア』は『ルシフェル』目がけ向かって行き、やがて大気圏と遭遇した事を示すように大気を震わす巨大な爆発音が遠く聞こえた頃、上空は夕方の様な茜色一色に一瞬で染まる。
それは『アングレア』が大気圏を抜け『ルシフェル』へ到達した事を示したのだろうか、それとも『アングレア』が大気圏を抜け宇宙へと抜けて行ったのかは不明であったが、上空を支配していた茜色の光はやがてゆっくりと消えて行くと、上空は以前と変わらない透き通った青空へと戻り、耳が痛い程の甲高い高音は姿を消し、同時に転移させられた時から感じていた『何か』が無い事に上杉達は気付く。
それは、『バウンダリー(境界)の破壊』を起こす原因であった上空を飛んでいた『ルシフェル』から放たれていた電波と、今まで己の体に感じていたゲームの世界と現実世界の違いを唯一感じる事の出来た『違和感』で、現実世界がリレイズの世界へ『上書き』された時、多くのプレイヤーはその僅かに感じた『違和感』のお陰で、この世界がリレイズであってリレイズで無い事を感じる事が出来た唯一の感覚だった。
だが、その『違和感』が消えた事以外にリレイズの世界に大きな変化を感じられなかったのが上杉達の率直な感想で、『ルシフェル』から放射されていた電波も肉眼では確認出来ない物である為、リレイズを討伐した後のリレイズの世界同様、ゲームとしてのリレイズの目的を達成した筈のこの世界は終焉を迎えた事を実感する事が出来ずにいるが、逆に違和感が無い事でこの幻想の世界は確実に自身の体とシンクロして来ていると考えているのが率直な感覚で、リレイズ討伐と『バウンダリー(境界)の破壊』を止めた事は、リレイズの世界の終焉と同時に新しい世界の始まりを告げているかのようだった。
「・・・本当に、これで良かったんだろうか。」
鮫島 春樹の予想通り、『アングレア』を放つ事で『ルシフェル』から放射されていた電波が反共振の影響で相殺され『バウンダリー(境界)の破壊』の影響を止める事は出来たが、それまで『上書き』された現実世界やIDを持たないプレイヤーが戻った訳ではない現状を見た上杉は、それを理解しての今回の実施であったにも関わらず、二度と戻らない可能性の現実世界との決別に一抹の不安を覚え呟くように話すが、同様に感じているプレイヤーである瀧見・清水・小沢と違いその世界に住むリシタニアが口を開く。
「そなた達の選択は、今までも間違っていなかった事は確かだ。そなた達がシャーラで戦争を止めなければアイリスは間違った世界を作っていた。そして、今回も私はそなた達に、この世界の住人として感謝を述べなければならないと思っている。
「・・・俺達に?」
この世界の変化を目の前で感じられた上杉達は、その『違和感』が無くなったと事に一早く気付いた存在であり、それが『バウンダリー(境界)の破壊』の進行を止めたと同時に現実世界からの決別だと言う事を実感し、この世界を変えた事に不安を覚える上杉にリシタニアは、上杉達がこのリレイズの世界を正しい方向へ進ませている人物だと話し、そして今回の行動に感謝の言葉を述べる。
「『バウンダリー(境界)の破壊』をあのまま放置して置けば、この世界にどういった影響を及ぼしていたか分からなかった。川上がああいった状態でなくても、いずれかこの答えに辿り着いていた筈であろうし、元の世界へ戻れなくなるリスクを背負ってまでこの世界を守ってくれたそなた達にいくら礼を述べても足りないと思っている。」
「だけど、この世界を混乱に陥れているのは間違いなく俺達プレイヤーでもあるし、この世界ではリシタニア達が主役であって俺達は後から来た新参者に過ぎない。この世界での主役はリシタニア達であり、俺達はその世界の破壊を止める事を第一に考えなきゃならなかった。俺達はその事にもっと早く気付くべきで、もっと早く『バウンダリー(境界)の破壊』を止めていれば、世界はここまで混乱せずに済んだかも知れない。」
「上杉・・・。」
「こうした状態にした俺達がお願い出来る立場では無いのは分かっている、・・・だけど。・・・リシタニア、俺達に力を貸してくれないか。この世界を平和にする為に・・・。」
現実世界へ戻れる可能性の一つを失くす行為であった今回の行動は、上杉達が悩んだ末での選択であった事を知っているリシタニアは謝罪する上杉に対し感謝を述べると、上杉達は『ルシフェル』への攻撃は川上が『永遠の眠り』に至らなくてもいずれ辿り着いた答えであり、この世界での主役はリシタニア達だと話した上杉は、この世界を変えてしまった自分達が平和な世界を実現する為にも、キャラクターであるリシタニア達と力を合わせるべきだと考え、リシタニアに力を貸して欲しいと話す。
『美しき暴君』と恐れられアイリスからは毛嫌いされていたリシタニアに、ここまでの知恵と思想を与えてくれたのは『バウンダリー(境界)の破壊』の影響もあったが、それ以上にリシタニアがその後に出会った清水が自身と同じ境遇から立ち上がる術を語り、小沢と会う事で新たなる思想を手に入れる事で、江の策略に一早く気付く事が出来たと感じている。
だが上杉は、この世界での主役はリシタニア達であり『ルシフェル』を使い世界の均衡を崩したのは冒険者であるプレイヤーである事は事実だと話す上杉に、リシタニアは上杉から差し出された手に己の手を差し出す。
「私は既に追われの身。そなた達の望む働きは出来ないかも知れないが、良いのか・・・。」
「俺達の欲しいのはリシタニアの力だけじゃない、貴方の思想とこの地で生きる人の理解だ。」
「・・・そうか。だが、そのような申し入れが無くても私は既にサイレンスのメンバーだ。私は、そなた達とはこれからも一緒に旅をするつもりだ。」
「ありがとう、リシタニア。」
「まずは、川上の様態を確認しないとな。」
「そうですね。急いでイスバールへ向かいましょう!」
上杉とリシタニア。
ゲームの世界でのリレイズであれば決して交わる事は無かったプレイヤーとキャラクターは、一つのチームとして、そして『家族』としてこれからも旅をする事を話し、二人は固い握手を交わした。
上杉達は即座にその場を離れイスバールへ向かい、今回の行動で変化を期待する川上の様態を確認する為イスバールへ戻る。
『アングレア』が放たれた事は中央大陸から全世界へ伝わるまでにはそう時間は掛からず、元々リレイズの世界を好むディープなプレイヤーが殆どであった事もあり世界中で大きな混乱は起きなかったが、その行為が消えた現実世界へ戻れない事は大多数のプレイヤーが気付きつつあり、プレイヤー達はその事に絶望する者と、これからの生き方を考える人間で徐々に別れ始める。
アイリスでは、この現象を察知していた菊池達がアイリス三世と共にシャングリラ(理想)を築く為に再び世界征服を目論み、絶望に暮れ不安定なプレイヤー達をアイリス教へ入団させ戦力増強を図り始め、『バウンダリー(境界)の破壊』により変わった世界を冒険者であるプレイヤーと、この世界の主役であるキャラクターとで作り直す事を誓い合い、上杉達はこの世界を平和に導く為に新たなる行動を起こす。
そして、最強の召喚士となる為に『雄鶏の杖』を探しに出掛けた鮫島と辰巳は、その変化が訪れる寸前にカサードのある中央大陸から北のミリア大陸にある『北洋の底』へ潜入してい為、その変化に気付く事はなかった。




