第三十六話 その先の世界
シャーラでの戦いを終えた上杉達が、川上達との合流を考えイスバールへ戻る事を決めてから一ヶ月。
上杉達はイスバールへ到着した。
久々に戻ったイスバールは以前と変わらぬ活気に溢れ、その中心にあるアイリス軍によって陥落したイスバール城は痛々しい風景を残していたが、その復興中である光景さえも、今は工業が中心であるイスバールを象徴するかのように誇らしげに作業をする職人達の表情は活き活きとしていた。
アイリスを抜けたとは言え、一度は敵として侵略したイスバールへ行く事を躊躇したリシタニアだったが、次に向かう目的地を決めるまでは一緒に居て欲しいと話す上杉の嘆願により、今日はアジトのある住民区へ向かいリシタニアを残し木村達の情報を知る為に向かう予定だったイスバール城へは明日向かう事にし、三人が商業区を歩きアジトへ向かう最中、上杉に心配そうな表情の鮫島が話しかける。
「・・・木村さん、大丈夫かしら」
「今の街の状況から見れば、木村は間違いなくイスバールを奪還出来たのは間違いないし、それにテネシーで聞いた話だと川上と小沢もイスバール奪還に参加してるから大丈夫だよ」
イスバールの商業区の近況を確認しながら木村の心配をする鮫島に、上杉はテネシーで話を聞いた川上の存在と彼が居れば問題ない事を話すと、三人は川上達の戻っているかも知れないサイレンスのアジトへ辿り着いたが、入口の前に座る一人の男に気付いた上杉とリシタニアは即座に妖魔刀とサーベルを抜き戦闘態勢を取る。
「お前、誰だ」
「え!お父さん!?」
「鮫島の父上か」
「・・・やあ、智子」
「お父さんって、鮫島 春樹!?」
「上杉君、とりあえずその物騒な刀をしまってくれないか」
華奢な体を隠すように纏う黒のロングコートを着た男は、自身の父親である鮫島 春樹だと鮫島は驚いた表情で話すとリシタニアは即座にサーベルを納めるが、目の前の男の事を考えた上杉の妖魔刀の刃先は鮫島 春樹を捉え続け、鮫島 春樹は妖魔刀を手で抑えながら、それをしまって欲しいと話す。
「お父さん、どうしてここへ・・・」
「川上達を探しに来たのだろう?彼らは木村と共にミリアへ行っている。ミリア城にいる『ゲームマスター』へ会いに行く為に」
「それは、お前が指示したのか?」
「ああ、上杉君が僕の事を敵対視する気持ちは分かる。智子に与えたIDや僕の失踪、君が僕を警戒する理由はそれだろ?」
「お前は俺達の敵なのか、・・・それとも味方なのか」
「それを僕の口から聞いて、君は本当に信じてくれるかい?なんなら、娘を人質に取って脅してみるかい?」
「どうやら鮫島 春樹とやら、上杉はそなたを完全に信用していないようだな」
鮫島の父親である鮫島 春樹の存在に、上杉は突き出した妖魔刀をそのままに質問すると、妖魔刀を目の前にしても怯む姿を一切見せない鮫島 春樹は、自身の発言の信憑性を挑発するように上杉へ質問し、そのやりとりを見たリシタニアは上杉がなぜ刀を納めなかった理由が理解していると、上杉と鮫島 春樹のやりとりに娘の鮫島が二人の間へ入る。
「お父さんやめて!今はいがみ合っている場合じゃないでしょ!」
「我々男子よりも、冷静な女子達の方がこの状況の判断力はいいみたいだね。君の聞きたい事はこの世界についてだろ?」
「信じるも信じないも、その話しを聞いてからだ」
「・・・今のリレイズの世界になった要因は、上空を飛ぶ衛星から放射された電波によって投影されている世界で、その装置は『ルシフェル』と名付けられ、ヘッドマウントディスプレイから脳へ送っていた従来の信号を電波に変える事で、現実世界をリレイズの世界に変えたのが今の世界だ」
「リレイズを直接感じれる世界・・・」
「この計画を知るのは、ハードを担当した僕とアステル社社長の『ミハエル』だけだ。このシステムはソフトではなくハードが重要部分を占めていたから、ミハエルと中国の企業間でリレイズの次のテコ入れとして密かに進めていた計画で、ヘッドマウントディスプレイを介さず直接リレイズの世界を体験出来るツールとして売り出す予定だったが、ルシフェルには重大なバグが二つあった。一つは、死が現実世界での消滅と直結する事で、それは初期のβ版でもあったバグだったが、今回はソフトではなくハードの仕様自体のバグだった為、それを直す術は見つかっていない」
「それは以前に木村から聞いた。この世界になってからの異常なまでのリアル感は、ソフト的ではなくハード的にもたらされた現象で、今までが意識だけで入っていたリレイズの世界が、逆にリレイズ自体が俺達の中に入って来て、以前の死は精神的苦痛だったのに対し、今は実際の死と繋がる肉体的苦痛に変わったと言う訳だな」
「あとの一つは、ルシフェルが放射する電波の周波数帯域は『死の領域』と言われていて、まだ解明されていない部分の多い電波だったが、『黒い雨』とも言われる500GHz帯の電波は、ヘッドマウントディスプレイから脳に送る信号と同調出来る唯一の周波数帯域で、それを使う事でリレイズを脳へ直接投影する事に成功したんだが、その『黒い雨』の影響で投影した世界の前にあった現実世界は『上書き』されてしまい、投影されたリレイズの世界と今までの現実世界が入れ替わってしまうバグだ」
「私達がこの世界に転移される前に起きたあの現象、あれが『黒い雨』だったのね・・・」
「・・・そう、あの時ルシフェルから放射された500GHz帯域の『黒い雨』により、この世界はリレイズの世界と入れ替わってしまったんだ」
「お前!そこまで知っていて、どうしてその実験を止める事をしなかったんだ!」
鮫島 春樹の話すリレイズの正体に、上杉は激怒し鮫島 春樹に詰め寄るが、その行動にも今までと変わらず哀愁漂う表情の鮫島 春樹は話しを続ける。
「僕は別の仕事を抱えていた為、ミハエルと中国の企業間でこの話しを進めていたけど、それと平行して彼らは密かに別の計画も進めていた。ミハエル達は、二つのバグの事実を知っていたにも関わらず衛星を打ち上げ『黒い雨』を降らせる事で、現実世界をリレイズの世界へ『上書き』し、この世界を乗っ取る事を企んだ。そして、その中国企業の人物はアイリス教徒であり、リレイズではリレイザーとして活動しているネクロマンサーで、ミハエルと共に作戦を実施している筈だ」
「それは、ネクロマンサーのメンバーとは戦った、張って男か」
「張はリレイズでのメンバーであって、ルシフェルを動かしているのは劉と言う男で、そいつは多分、ラムダでプログラムを作っている筈だ」
「ちょっと待て、プログラムを作るにはPCが必要だろう。確かにこの世界には電気は来ているが電子部品を作るのは事実上不可能な筈だ」
「この世界に転移した時、君達は今までリレイズの世界へ持ってこれなかった物を持って来ていないか?」
「あ!?携帯!」
「そう、転移する時に手に持っていた物はリレイズのアイテムと認識され、この世界へ持ってくる事が可能だ。手に持てないといけないが、この転移を知っていればこの世界へ好きな物を持ち込む事は可能だ」
「劉って男は、ルシフェルを操作するプログラムを作る人間で、この転移を知る事で直前にPCを持ちこの世界へやって来ている。アダプタ程度なら商業区で作成は可能だからね」
話しを終えたとばかりに、入口で座っていた鮫島 春樹はおもむろに立ち上がり、二人の間を通り住民区を後にしようとするのを見た鮫島は、歩き出した鮫島 春樹に声を掛ける。
「どうして私だけなの!お母さんや、他の皆を助ける事は出来なかったの!?」
鮫島の叫びに、鮫島 春樹は歩みを止め背中を向けたまま話す。
「智子には辛い思いをさせてしまった。こんな父親で申し訳ない・・・。こうなってしまった以上、残された手段はこの世界を止める事しかなかった。智子が覚醒すれば全ての『ムフタール』が揃う。そしてムフタール達は集り、いずれこの世界を自分達が望む道へ導く筈だ。上杉君、既に君にはその資格は存在する。後は君が考える道を進んでくれれば決して間違った結末にはならない筈だから」
「お前の言いたい事は大体分かった。だけど、ムフタールを集める事で一体何が起きるんだ」
「500GHz帯の周波数と反共振する周波数を放射出来る可能性があるこの世に存在する物は、『リレイズ』が持つ魔法『アングレア』だ。アングレアは超音波を出し全ての物体を消す魔法で、その音波は上空から放射されるルシフェルの周波数と反共すれば、放射される電波を相殺する事が出来るかも知れない」
「リレイズ・・・」
「それって、このゲームの最終目的の魔法の事なの?」
「このキャラだけは、リレイズの原案者だった僕が既に設定して作ったキャラクターで、リレイズの詳細は木村やもう一人のプログラマーである『瀧見』や、もちろんミハエルも知らない。この世界になる以前にリレイズの世界へ潜入したのはその為で、僕はリレイズの居る『ダークゲート』へ行き、リレイズ討伐に必要な要素を確認していた。リレイズの例に漏れず『バウンダリー(境界)の破壊』の影響を受け、現代の世界に合わせて進化されていて、僕が設定していた当初のムフタールでは通用しない事が分かった。だから君達に覚醒するきっかけを作り、素質を開花した者にこの事を伝え回っていたけど、上杉君と智子へ伝えた事で、全てのムフタールになり得る人間に僕の思いを伝える事が出来た」
娘に謝罪をする鮫島 春樹に、上杉はムフタールの必要性を問いただすと、ルシフェルが放射する500GHz帯の電波を相殺出来る可能性がゲームのタイトルにもなる最後の敵『リレイズ』が持つ超音波魔法で、リレイズと戦う為にはムフタールが必要だと説明し、それは自然にリレイズの居る『ダークゲート』に集まると話す。
「お前は、これから何処へ行こうとするんだ!」
「僕は、この世界になってしまった責任を取らなければならない。その為にもミハエルを止める。それが、君達をこの世界へ連れて来てしまった『ゲームマスター』としての責務だから。それに、放射する電波を遮断する事で得られる事は『バウンダリー(境界)の破壊』を止めるだけであって、『上書き』された元の世界が戻る可能性は今の所はゼロに近い。僕は僕なりに元の世界へ戻す努力をする」
上杉に対し鮫島 春樹はこの世界になった責任を取る為、ミハエルと戦う事を宣言するとおもむろにサイレンスのアジトから出て行くその時、後ろから鮫島は悲痛な声で叫ぶ。
「私は、父を捜す為にこの世界に来たのよ!私も一緒に・・・、この世界になったからこそ家族で一緒に居たいの!・・・お願い、私も一緒に連れてってよ」
「鮫島・・・」
瞳から流れる大粒の涙を抑える事無く流し続け、父親である鮫島 春樹の背中を見つめる鮫島の姿に上杉は、この世界になり唯一の肉親である人間が話す一語一語が、自身に伝える遺言のようにも聞こえれば、おそらく自分も同じ行動を起こすに違いないと感じる。
鮫島 春樹は、この世界に誘ってしまったプレイヤー達に対しての責任として、現実世界に戻れる可能性を示唆する事と、己自身の責務を全うする事が己の使命と捉え、勝利の見えない戦いへ身を委ねようとしている。
娘である鮫島の悲壮な叫びを聞いた鮫島 春樹は歩みを止め話し始める。
「元の世界へ戻る可能性は、今の世界の技術では不可能だ。・・・もう僕達の家族は戻らない。今度は智子が新しい世界を自ら作って行く番だ。・・・もう、僕の勝手につきあって家族が崩壊するのを見たくない。智子だけでもこの世界で生き残り、僕が生きていた証を残してくれ」
話し終えた鮫島 春樹が歩く先には、腕組みをし今までの話を聞いていたリシタニアが神妙な表情で立つ。
「リシタニア姫・・・」
「私はもうアイリスの姫ではない。一人の冒険者リシタニア=アイリスだ」
「そうですか・・・。あなたのその思想も、僕が考えるムフタールの資質を持つ者です。この世界の為に力を貸して欲しい」
「そなたが私を作った神なのか?それとも、こうして殺し合う事を笑いながら鑑賞する事を楽しむ悪魔なのか?そなたが話した事が事実であれば、私達はなぜこの世に生まれ争いをしなければならない。この世界は・・・この世は全てゲームの世界なのか」
鮫島 春樹から語れたこの世の真実はリシタニアにとって残酷な事実で、自身が命を賭け守ってきた自国の平和はプレイヤー達のお遊びの中の一つであった事に、言葉静かに語るリシタニアの表情は恨みや憤怒の感情ではなく悲しみ溢れる悲壮感が漂い、その表情に鮫島 春樹はリシタニアに向かい深く頭を下げる。
「これが、あなたの生きるリレイズの全てです。全ては冒険者の為に作られ、冒険者の社交の場として提供されていたツールでしかございません。この世界はその社交場から現実の世界へ変わった今、あなたや冒険者と力を合わせ新しい世界を築いて頂きたい。今は、そうお答えする事しか出来ません。・・・これは都合の良い話しでしかありませんが、この世界になった今、必要なのは世界を変えられる力を持つ者『ムフタール』の存在なのです」
リシタニアに対し深く頭を下げる鮫島 春樹に、リシタニアは先程と違い冷静に戻った表情であったが、俯き落ち込んだ様子で話す。
「・・・いや、これでアイリスとネクロマンサーが考えていた本当の狙いが分かった。私は、あやつらの不穏な動きを感じアイリスを抜けた。だがそれは確信の無い只の謀反に過ぎないと心の中では思っていたが、そなたの話が真実であれば、確かにこの世界は私の想像を超える未知の世界と言う絶望な事実ではあるが、アイリスや菊池達の行動を考えればそれはまた真実であり、私の取った行動は間違ってなかったと安心できる事でもあった」
「・・・そうよ、リシタニアが生きているこの世界だって本物よ。私達が生きていた世界と同じように・・・」
「そうだな・・・、鮫島の言う通りだ。この世界が例え偽物であっても、ここで生きる証を残す我々は、確かに生きているのだからな・・・」
いつもと違う落ち込んだ口調で鮫島 春樹に話すリシタニアは、シャーラでの戦いで上杉を助ける為にネクロマンサーの張を殺しアイリスを脱退した自身の行動は間違がって無かった事に、微かな希望と安心感を感じ、リシタニアの存在はプレイヤー達と同等だと話す鮫島に、リシタニアは安堵の表情を見せる。
「智子、やっぱり君はこの世界に必要な人間だったんだね。君のその心はプレイヤーとキャラクターの垣根を越えられる。その『目』がある限り・・・」
鮫島 春樹が最後に娘に語りかけた後、その体は光りに包まれ瞬間移動のように上空へ舞い、泣き崩れる自身の身内を残し消えて行った。
「・・・お父さん」
この世界になり、リレイズなどしない親や親戚などを亡くしている人間が殆どの為、鮫島のように現在も肉親が生きているケースは奇跡に近いのは間違いないが、だからこそ大事にしたい唯一の身内の行動を止める事の出来なかった、自身のやるせない気持ちは上杉の心にも否が応にも感じる。
「・・・鮫島、鮫島 春樹の言った通りで俺達はやらなくちゃならない事がある。それこそが鮫島の肉親を救える唯一の方法なのかも知れない」
「・・・うん」
うな垂れるように返事をする鮫島を連れてアジトの中へ入ると、数日以内に人がいた形跡は残っていなかったが、上杉達宛の手紙が一枚リビングのテーブルにおいてある。
書いた主は川上で、今から約二ヶ月前に木村と小沢、清水と共に鮫島 春樹から届いた手紙の場所であるネロの洞窟へ向かうと書かれてあり、そこで鮫島 春樹から話されたであろう内容は、先程鮫島 春樹から聞いた内容と同じ事だろうと推測する。
ここからネロの洞窟はそれ程距離も無く、ムーブポイントを使わないで最下階まで攻略しケクロプスを倒したとすれば恐らく一ヶ月は掛かる。
それでも戻ってきた形跡がないと言う事は、ネロの洞窟からイスバールのある南以外の地域に行ったと言う事になり、そうなると、その先にある大国はアイリスかミリアになるとなれば、鮫島 春樹が話す木村達の行動の辻褄が合い、現在川上達はミリアを目指している筈だ。
「この手紙の内容からすると、鮫島 春樹の話していた事は嘘じゃないみたいだし、川上達が無事なのが分かったのが何よりの収穫だね」
「じゃぁ、私達もミリア向かうの?それとも、リレイズのいる『ダークゲート』を探すの?」
「実は、リレイズの居る『ダークゲート』の場所はリレイズをプレイする人間は大体知っているくらい有名なんだ」
「え、そうなの?」
「私もリレイズの噂は聞いた事はあるが、確か噂では『倒してはいけない人物』と聞いていたが・・・」
「リレイズを倒す事で、リレイズそのものが終わってしまう噂が流れてプレイヤー達の間ではリレイズ討伐は長い間禁句の領域だったんだ。俺もクエストや探索であれば行った事はあるが、全地下10階の迷宮の地下3階層以降の世界は俺でも行った事がない未知の領域なんだ。そして、その場所はカシミール最北端だけど、カシミールはL状の形をした地形だから、ラムダを経由するよりアイリスから行く方が早いんだ。だから、俺達もミリアへ行って川上達と合流してからダークゲートへ向かおうと思う。ダークゲートは川上の知識が無いと攻略は不可能だ」
リレイズの居るダークゲートはリレイズをプレイする殆どのプレイヤーが知る場所だが、攻略には川上の知識が必要と話す上杉は、ダークゲートの場所はアイリスから向かうのが近いので、川上達の居るミリアへ向かいそこからダークゲートへ向かう計画を話す。
「みんな無事だといいんだけど・・・」
「鮫島、お前は大丈夫なのか?」
「ええ、父もこの世界を止める為に動き出している。私も鮫島 春樹の娘として、この責務を果たす必要があるわ」
「うん、いつも通りの鮫島に戻ったみたいだな」
「・・・えっ、そ、そう?」
父親である鮫島 春樹の話した責務と己の託された使命を感じた鮫島は、引き続きこの旅続ける決意を話すと、上杉はいつもの冷静沈着な鮫島に戻った事を伝えると、頬を赤くし恥ずかしそうに返事をする。
翌朝、三人はミリアへ向かいイスバールより出発する。
一方、鮫島 春樹は、ミハエルの居る可能性のあるルシフェルからの電波を受けない唯一の地域があるラムダ島へ向かい、己の命を掛けた戦いへ赴いていた。




