第二十話 人としての境界線
2015/12/22 文構成を修正実施
ここはカシミール城下にある商業区。
リレイズ最大の産業国であるここは城の規模も大きいがそれ以上に商業区の規模が広大で、その面積はリレイズ最大の国と言われたイスバール城と同じサイズになる。
その商業区の一角にその店があり、産業地域には珍しく護衛や用心棒などを主にする人材紹介屋がある。
作業用の机と応接用のソファーが整然と並ぶ、まるでオフィスのような店内に、その巨大な体型に似合わない事務作業を黙々とこなす男はリレイズ最強と謡われるパーティー『エスターク』の総帥村雨で、彼は紹介屋の代表でもあり依頼内容の精査や帳簿付けなど事務的な仕事も引き受けている。
この世界になり、アイリスがその混乱に乗じて戦争を仕掛ける気配は最近の依頼内容を見ても明らかで、ここ数日は要人警護の依頼が圧倒的に増え、それはリレイズの世界情勢が不安定なっている証拠でもあり、争い事とはその先の延長線上にあると村雨は考えている。
村雨が作業をしている机にある携帯の呼び鈴が、静まり返っていた部屋にけたたましく鳴り響く。
村雨はその発信先を確認すると、液晶に書かれていた名前はエスタークの情報担当である『下山』からだった。
「下山か、どうした」
「村雨、アイリスがカシミールへ向けて動き出したぞ。詳しい情報はまだだが、ラムダ経由で数万の軍を率いて向っている情報をカシミールの諜報機関が嗅ぎ付けた」
「・・・ついに来たか」
その話を聞くと携帯を片手に持ちながら帳簿を付けていた村雨の手が止まり、電話越しで慌てた様子で現状を報告する下山に対し村雨は、この事をあたかも予想していたかのような冷静な表情で答える。
「この戦略に気付けなかったのは戦略防止のクエストが配布されなかったからで、それはプレイヤーが主導して戦略を行なっているからだろうな。そうなればアイリスの側近の菊池は、アイリスについている可能性が高い」
「・・・多分、そうだろうな。菊池は、リレイズにアイリス教を布教する為に居るんだからな。ましてや今の世界になっちゃぁ、あれだけの勢力を使わないのは勿体無いだろう」
「でもよ、いくらアイリスの兵を集めたって所詮はキャラクターだろ?プレイヤーの力を持ってすれば、数千の兵士も一人で対抗出来る力の差はある。なのに菊池は、俺達を裏切ってまでアイリスにつくってのが理解出来ない」
エスタークはリレイズの世界では最強クラスのパーティーで、カシミールとは提携を結ぶ関係でもある。
メンバー六人の力はアイリスの数万の兵士と同等の力を持つ為、下山はエスタークを裏切りアイリスにつく菊池の考えが理解できなかったが、村雨はその事もおおよそ検討がついている。
エスタークを裏切ってでもカシミールへ戦争を仕掛けられる自信の理由は、この世界になってから即座に行動を起こしたアイリス教徒は不安がるプレイヤーを言葉巧み勧誘しこの数ヶ月で成員を増強している事と、一度陥落したイスバールがサイレンスのメンバーを含む数人に奪還された際に、対峙したアイリス側の魔法使いが居た情報を村雨は入手していて、その魔法使いが所属するパーティーの強力なバックアップも、アイリスをここまで強大な力を持つ理由の一つだと村雨は考える。
「やっぱり、イスバールで現れたって話の魔法使いが率いる『ネクロマンサー』がアイリスについたって事だからか」
「リーダーの江はアイリス教徒でリレイザーでもあるから、この世界になってアイリス教徒では一番危険な人物ではあるからな」
二人が話している部屋の入り口をノックする音が聞こえる。
村雨は一旦通話を中断し入室の許可を伝えると、ドアが開いた先には赤い鎧を纏う兵士が立っていて、その鎧はカシミール兵が装着する物になる。
「村雨殿、カシミール王より伝言を預かっております。『村雨殿、先日アイリスが我がカシミールを目指し出陣したとの情報を得た。これより戦の準備を行なう為、召集願いたい。』との事です」
「・・・確かに承った。国王にはそう伝えてくれ」
「はい!それではお待ち申しております」
村雨は少し虚ろな表情をしたままカシミール兵の伝言に答え、再び伝言を預かった兵士は村雨に敬礼をし部屋を出て行き、電話越の声だけだったが下山はおおよその事を理解し、再び通話を始めた村雨に話す。
「村雨、本当にいいのか?確かに、菊池はアイリスの信者なのは俺達全員が知っている事で、菊池の実力を買ってその点は目を瞑っていたけど、実際に戦争となればアイツの召喚は間違いなく脅威だぞ」
「俺はこうなる事を薄々感じていたのかも知れない。菊池の異常過ぎる殺気を見たあの時とこの世界に転移した時から。いや、この世界でプレイヤーが平気で人を殺せるようになってから、既にプレイヤー達の現実世界とのバウンダリーは崩壊していた。俺達は気付くのが遅すぎたんだよ。後は如何にしてこの状況を打破するかに、既に事は移行している」
「現実世界との『バウンダリー(境界)の破壊』か。だがそれはリレイザーが現れてから既にその傾向はあった筈で、その流れに耐えられなくなり崩壊したってのが実際だろう?今回の転移騒ぎがこの戦争の引き金になっているなら、今までクエストが配布されなかったのに、なぜここに来てクエストが配布されたんだ?」
「それは分からない、この世界に来た事でゲーム内のキャラクターがそれぞれに自分の意思を持ち始めていると考えるのが妥当だろう」
「まぁ、とりあえず『東』達には話をしておく」
「ああ、頼む。各自戦闘の準備を整えて三日後に集合してくれと伝えておいてくれ」
下山にメンバー召集を話し通話を終えた村雨は座っていた椅子の背もたれに己の全体重を投げ出し、事務所の天井に吊るされる空調用に設置したファンの回る羽根を無意識に見つめながら暫く動かなくなる。
現実世界では小さいながらプログラムの会社を起こしている村雨は、エスタークの総帥として起業で培ったノウハウをゲーム内に取り込み、ゲーム内での交渉事などを一挙に引き受ける業務を行いカシミール内や他方の内政の統率にも多大な影響与えた事で、村雨や菊池など実力者が揃っている部分以外のこういった部分もエスタークがリレイズで名の知れた要因の一つでもある。
村雨がリレイズを始めた切っ掛けは自身の身内を探す為で、二十代と若くして結婚し一人の娘をもうけていたが、その娘がリレイズ内に入り帰って来ていない事が分かり村雨はIDを取得し潜入したが、それから四年以上が過ぎた今も、娘の消息はつかめていない。
捜索規模を広げる為、パーティー『エスターク』を立ち上げカシミールとの関係を持ち、狙い通り捜索規模を大きくする事は出来たがその分多忙になった為、逆に娘を探す時間が無くなっていた。
村雨のそう言った一点に集中する能力は異常であり、それが三大高級職業である『パラディン』になれる程の実力を持てたが、逆に一点に集中してしまうが為に周りを顧みない性格が重要な事に気付くのに遅れ、それが短い結婚生活だった原因でもあり、当時幼かった娘はその時に母親側へ引き取られ現在は名前も変わっている状態である。
村雨はリレイズのIDを持たない人間の所在を気にいていて、死が直結するなどこの世界は己の生身がそのまま転移させられたと感じ、リレイズに居ると思われる娘はその点については問題なかったが、現実世界に帰れる術などが今だに見付からない現状では村雨の肉親や別れた妻などは五体満足ではいられていないと考えている。
しかし、自身がこれ程までにのめり込んだ世界に転移させられた感動はゲーム時間以外にあった現実世界の葛藤が無くなった事で、不謹慎ではあるが充実した毎日を送っているのが村雨の正直な所で、娘の安否は気になるがIDを持っている事で他の人間に比べ存在する事で多少の安心感があり、危機感をそれ程感じないでいた。
アイリスとの戦争はついに現実を帯びて来ていて、ケルベロス討伐の時に見たサイレンスの魔法剣士を見る菊池の表情から今の現状を少なからず予想していたが、これ程までに早くその事実が訪れる事に村雨はあの時感じた危機感を思い出し、今回の戦争は現実世界同様に殺す事に躊躇していれば己が殺される、まさにゲームの世界で実際の殺戮が行われ、それは『バウンダリー(境界)の破壊』が確実に訪れると村雨は恐怖を覚える。
「俺はカシミールとの提携があるから、アイリスが来れば戦うだろう。しかしこの世界になった今、俺は仲間を、菊池と戦う事は出来るのか。ここはゲーム世界であって現実世界でもある。この世界での殺し合いは人間としての何か、人としての境界線を越えてしまいそうな気がする・・・」
天井に吊られるファンの羽を見つめながら、村雨は自身がエスタークへ勧誘し、この戦争では敵同士になる菊池を思い出す。
菊池をエスタークへ勧誘した時からそれは想定できた事であり、彼女がアイリス教徒だから戦争になればアイリスに付くのは当然だが、この世界になるまで戦闘での死はログアウト程度の事で、村雨も最強の召喚士と言われる菊池と戦ってみたいと思っていたが、死が直接的になった今、その興味的な戦闘は確実に殺戮となる。
結局村雨はその答えを導き出せないまま戦闘の当日を迎える。
エスタークのメンバーは既に前日には集まっていて、『戦士』の『東』・『ヴィショップ』の『入口』・『魔術士』の『出口』・『盗賊』の『下山』が集まるが、やはり菊池はこの当日になっても事務所には現れなかった。
「ま、お前達も大方想像はしていたと思うが、下山の情報じゃ菊池はアイリスについているの確実らしい。もし、アイツも見つけたら迷わず戦ってくれ。人道的に厳しければ逃げろ、俺は無理にとは言わねぇ」
「なんだよ、総帥らしくもないな。アタイらもそれは分かっていたから大丈夫だよ。菊池を見たら迷わず戦うよ」
先日の迷いのまま村雨の導き出した答えは戦闘の指令であり、また人間的に考えての判断とした矛盾した命令で、それは村雨としても逃げの一手であり戦闘前に見せるリーダーとしては失格であったが、悩み抜いた答えだと理解してなのか、その話を聞いた後メンバーの東ははっぱを掛けつつ村雨の迷いを振り払うように自身の考えを話し、その答えに村雨も少し荷が降りたような気持ちになり、いつものようにその体型と同様な自信に満ちた表情に戻る。
「ああ、構わずやってくれよ。あと、菊池の秘術『解放』には気を付けろ。菊池は従者の契約を切る事で召喚獣を出現させた状態を維持する事が出来る。その時は、東と俺で押さえ込む。他の兵士やプレイヤーの相手は出口に任せる、入口と下山は後方支援を頼む。下山、アイリスの状況は?」
「ラムダからカシミールへ入って、今シャーラ軍と交戦中らしい」
「って事は、ここから二日くらい先か。まずは、俺と下山で先行隊としてシャーラへ向う。一日置いて出口と東が出発し翌日に合流し、その状況次第で戦闘へ入り、それ次第で入口もシャーラへ向ってくれ」
アイリス軍はカシミールから東にあるシャーラ城で交戦中との事で、村雨は状況を確認する為まずは下山と二人で偵察隊としてシャーラへ向い、翌日出発する東と出口と翌日合流が出来る所まで進み、その状況次第で入口に連絡を入れる事を指示し、翌日先行隊の村雨と下山がカシミールを出発する。
「らしくねえな、お前にしては随分後ろ向きな作戦だな」
「そんな事はねえが、テック社とアステル社のクエストの件もあるしあの時のような間違いは今回は致命傷だからな。この世界になっちゃぁ、誰でも慎重にならざるを得ないよ」
「そんなもんかね。ま、それならいいが・・・よ」
四方を広大な草原が広がる地を歩きながら、今回の村雨の作戦がいつもと違う事を下山は正面を向いたまま呟くように話すが、それは前回のクエストの失敗を糧にした作戦だと村雨は返す。
リレイズで重要なクエストであった二つをサイレンスに持って行かれたあの時、最初は先行した余裕からまさかの迷路のショートカットで先を越され、次はサイレンスとの差に焦り重要な情報を落としてしまった。
あの二つのクエストは逆の行動を行なえば最低でも一つは取れたクエストだったが、それは村雨にとって都合の良い言い訳の材料なだけでしかなく、実際はまだこれから戦場に赴くに当たっての己の覚悟が出来ていないだけだった。
もしこの戦争で人を殺める事になったら、ましてや仲間である菊池を殺す事があったら、菊池はそれに対してはどうとも思っていない可能性は高いが、いくら生きる為とは言え、人を殺める事によって変わった歪んだ心で探している娘に会えた時、果たして自分は以前の自分でいられるだろうか。
向こうはその事を知る筈もないが、実際に人を殺す事で人間は変わってしまうとよく言われている。
そのような状況で自分は、今までのような平常心で娘と会えるのか。
それ以前に、もしかしたら既に他の誰かの手によって娘が殺されているかも知れない。
もしそれを知ったら自分は自分でいられなくなり、自身は侠気となりその人間を探し出し平然と殺す事が出来るだろう。
だが、その後に何が残るのか。
結局それは、人殺しとなった後で娘と再会した場合と変わらないのでないか。
しかし、この世界になって唯一生き残っている可能性のある肉親でもあり自分が最も愛する人間でもある。
村雨はその事を考えると、別れて十年以上経ち今なら十六になるこの世界に転移させられているかも知れない娘の姿を想像し、暫くし正面を向きながら鋭い眼光で己の心に誓う。
娘の為なら、鬼にでもなる。
それを遮るどんな事でもあろうと。
それが、人間や共に戦った仲間であろうと。
その時の村雨の表情は修羅の如く鋭く尖っていて、何者をも寄せ付けない殺気を漂わせている。
だがそれは人間として誰にでもある筈の一つのリミッターが外れた時でもあり、まさにそれが村雨の人間的思想の『バウンダリー(境界)の破壊』を起こした瞬間でもあった。




