第十九話 覚醒の予感
2015/12/21 文構成を修正実施
額に落ちた雫が、やがてその先にある鼻先を辿り口元へ流れて行く。
その数滴ではあるが、その水分はそこに倒れる人間の命を繋ぎ止めていた。
一本に結んだブロンドの髪を露で濡らしその場に倒れこむ女性の背中には、その華奢な体に似合わない長剣が背負われている。
その女性は、サイレンスの女性戦士である清水だ。
清水は『黒い雨』の影響を受けた時は夜勤明けであったが急病対応の為残業をし帰る時は既に昼を回っていて、夜勤明けの体には眩しき過ぎる日中の光を浴びながら疲れた体に甘い物と考え途中のスイーツの店に寄ろうとした時転移に会い、それ以来意識が戻らずこの辺鄙の地で目を閉じたままでいた。
あれからどのくらい経ったのだろうか。
意識の戻らない清水にはそんな事は分かる筈も無く、まるで死人のように眠り続ける。
その時、一人の老人が清水の存在に気付き即座に自身の家に運び入れる。
母屋に運び入れた老人は、自身の手の平を清水の腹部に触れ詠唱を始めるとその直後、永い眠りについていた清水がまるで何事も無かったかのように閉じていた瞳を開き意識が戻ると、横たわっていたベッドから起き上がる。
「ここは・・・?」
「気がついたか。お前さんはウチの裏山で気絶しておったのじゃよ。あそこは私有地だからなかなか人が通らんかったから、何時頃から居たかはわからんがな」
清水は横にいる老人の存在に気付くと、老人はここまでの経緯と現状の説明をする為話を続ける。
「ここは『カサードの街』じゃよ」
「カサードって・・・。ここはリレイズの世界って事!?だって私、確か夜勤明けで町を歩いていた筈で、リレイズにログインなんてしてないよ」
「夜勤じゃと?」
「・・・あ、それはこっちの話」
老人の話した街の名に清水は一瞬考え込んだが、その街名からこの場所がリレイズの世界だと理解すると、現実世界でのこれまでの行動を思い出し、ログイン出来る環境ではない事に気付く。
「あ、紹介が遅れてごめんなさいね。助けてくれてありがとうございます。私は清水って言うの」
「ワシは『カーン』と言って、この道場の師範代をしておる」
「カーン?どこかで聞いた事のあるようなないような・・・。あ!あなたもしかして『カーン道場』師範代のカーン氏!?」
「お、ワシの名を知っておるのか」
「それはもちろんです!三大高級職業を数多く育てた有名人ですから。でも、よく私ここへ来れたなぁ。私じゃまだ条件は満たしていないもんね」
「ほほほ、なぜそこに居たかは知らんが、お前さんが居た場所はこの道場の敷地内だからじゃろうな」
清水の横にいた老人はカサードで三大高級職業を数多く育てた有名な人物で、カーン道場へ入門する為には幾つかの条件を満たさなければならず、清水はその門下へ入る条件を満たしていないのを知っていたので、カーンの名前と場所を聞くと驚きを見せたが今回の転移の影響もあり、清水が気絶していた場所が偶然にも道場だった為カーンはそれが原因だと話す。
カーンの話を聞き清水は、自身の身に起きている今の出来事の整理を始める。
まずは考えたのが、なぜ今カサードへの転移させられているかの謎で、リレイズではログインする場所は前回ログアウトした場所で、清水の前回のログアウト先はイスバールにあるサイレンスのアジトであって、転職の街と言われるカサードへは清水自身今まで来た事は無い場所だ。
次に気になったのが自身の体の変調で、長時間眠っていたせいなのか鈍った体が重力を受けダルさを感じる。
その感触は脳へ直接送られる従来のシステムのそれと違い、重みや痛みなどが現実世界同様な体に直接的な痛みや内臓から不快を感じる。
自身でログインした記憶のない事と体に直接感じる感触。
思い当たる部分を組合わせ導き出した清水の答えは、ここは現実世界でありリレイズの世界であると言う事で、自身の体自体がリレイズの世界へ直接転移したと清水は考える。
ある程度考えがまとまった清水は外の現状も知りたいとも考え、この場を離れる為カーンへその事を話そうと体をカーンへ向ける。
「カーンさん、ありがとうございました。とりあえず体も大丈夫そうなのでこれで失礼します」
「そんな急に行かなくてもよろしいじゃろうが。どうじゃ、せっかく来たのだからこれも何かの縁じゃ、少し道場で修行して行ってはみないか?」
「私が、ですか?」
「お前さんの背負っているその剣、それを使いこなしているのであればワシはここへの条件を満たしていると思っておる。別に転職を勧める訳ではないが、ここで会えた縁にお前さんの才能を感じておる。なら、このまま帰せば戻れない可能性があるのであれば、ワシはこの場で修行の誘いをしようと思っただけじゃよ」
リレイズの世界では圧倒的少数である三大高級職業を送り出したカーンであるからこそ清水の見えない潜在能力を感じ、条件で戻れなくなってしまうのであればと思い、去ろうとした清水をカーンは呼び止めるように修行の誘いを話す。
リレイズのプレイヤーであればカーンの道場で修行が出来る事は名誉な事で、村雨や木村もこの道場から高級職業へ転職していて、普通のプレイヤーであればその誘いを二つ返事で受けるのだが、そこまで技術に関して関心の無かった清水はこの世界の状態を知りたいと思い、最初はその誘いに戸惑いを見せていたがカーンの瞳から感じる真剣さと、未知の世界になっている可能性の高いこの世界で力はあったほうが言いと考え、見習いとしてカーンの道場で修行をする事を了承した。
カーン道場には現在、一人のプレイヤーが修行に励んでいる。
高級職業取得希望者のみが集まるエリート校となれば妥当な人数であり、その人物の名は『辰巳』と言い、パラディンを目指す元戦士で、魔法を使える最強の剣士を目指しカーン道場の門戸を叩いた。
リレイザーに近い程のゲーム依存度が高かった彼はこの世界の転移に関する情報や他の幾つか知っていた為、そのお陰でわざわざ郊外に出ずともある程度の情報を仕入れる事は出来た。
「そう言えばお前さんは、『竜派』は何ぞな?」
修行を始めてから数週間が経ち清水も道場の修業や生活に慣れ始めた頃、門下生である二人はカーンの座学を行なっていた際、清水はカーンから質問をされる。
「私の剣術は元々自己流でしたので、竜派の型は持っていません」
「え!清水さん、竜派出身じゃないのですか!?」
「辰巳君はえりーとだからねぇ。私みたいな凡人とは違うって事よ」
「と言っても、あなたの突きの力はとても女性とは思えない威力を感じますがね」
「あー!私を女と思ってないな!」
「いや、そうではないのですが・・・」
「ほぉーれ、話を戻すぞ。清水よ、多分お前さんがここへ入れない理由はそれだと思うぞ。聞くところの経歴からして入門条件は満たしておるのじゃが、やはり剣士は何処かの竜派を辿らないと認めてもらえないらしいのぉ」
「面倒臭いですねぇ」
既に幾つもの組み手を行い清水の実力を知っている辰巳は、清水の剣の型が自己流と言う事に驚きを見せる。
辰巳はここでパラディンになる為元戦士になっているが、それでも辰巳の力は風竜派の『師』の称号を持ち、実力はリレイズで上位である自分よりも勝る清水のパワーと剣捌きに、今まで四竜派の師範クラスの実力者だと思っていた。
カーンの話を聞き清水は少し面倒臭そうに返事をするが、そのままカーンは話を続ける。
「だが、竜派を持つ事は悪い事ではない。己の属性を知る事も出来るし、何よりまだ強くなれる可能性があるからじゃ」
「確かに、清水さんなら『師』の称号を貰える実力ですよ」
「んー、でもそれだと一旦竜派を学んでって事でしょ。それも面倒臭いですねぇ」
「まぁ、慌てるな。ちと待ってろ」
カーンは話を終えると建屋の奥へ消え、暫くして一枚の紙を持って戻って来る。
「それは、『属性の印』ですか」
「まずはこれでお前さんの属性を確認する。この紙に手を当ててみん」
「紙に、ですか?」
清水はカーンの言われた通りにその紙に手を置く、紙のサイズはB5程のサイズで、その紙は清水の手を包み込むと、やがてその紙から煙が発せられその後紙から火柱が上がる。
「なるほど、お前さんは炎竜派じゃな」
「へぇー、これで分かるんだ」
「属性の印は、その人の属性が分かる紙で火が出れば『炎竜』で紙が濡れれば『水竜』ボロボロになれば『土竜』で紙吹雪のように舞えば『風竜』と分かるのですよ。てか、清水さん知らなかったのですか?」
「ええ、そう言うのはあんましね。細かい事は気にしないで突っ走って来たからねぇ」
「でも、これでその実力はある意味恐怖ですけどね・・・」
リレイズのプレイ暦で見れば清水は古参の部類に入る人物だったが、面倒見の良い姉御肌で知識も深いがとりあえずやってみよう精神な性格故にリレイズでも基礎的な事は最小限しか行なわず戦闘に参加していた為、通常の戦士であれば実力を上げるのに最も近道である四大竜派の門戸を叩かず自己流でここまで来ていた清水には属性を確認する儀式をするのは初めてで、その姿に辰巳は清水の実力を知るからこその意外だった無知な所に驚く。
辰巳に属性の話を聞く清水のを見るカーンは、辰巳同様に驚きを心に覚える。
この世界には珍しい、他の意見を貪欲に取り込もうとする清水の姿勢に一つの確信と覚悟を覚える。
「清水よ。先日は見学程度の修行と話したが、どうじゃろ?期間はお前さん次第じゃが、この道場で炎竜派を極める気はないか?」
「私がここで?だって私は、まだこの門戸へ入れる資格は足りないと思いますよ」
「いや、その辺はお前さんのパーティーの功績で推薦すれば大丈夫じゃろ。そこは何とかする、どうかな?これは、ワシからお前さんへ推薦としてお願いしたいのじゃ」
「師範、清水さんに対してそこまでしても・・・」
高級職業を目指す人間は自身の功績を売りに道場へ入門希望で入るのが殆どで、それでも高級職業になれるのは極わずかなプレイヤーのみだが、稀に師範から見込みのある人物を推薦者として入門を願いに来る場合もあり、多くの高級職業者を出すカーンの道場ではそれ程の人物は極稀で、確認されている人物はエスタークの村雨のみである。
カーンは同時期の村雨に比べれば清水の実力はそれ程で無いが、それ以上にその無知と貪欲さに惚れ込み、通常であれば高級職業以外の弟子は取らないカーンだったが炎竜派を教える為、特例で清水を弟子として推薦して来た。
「ま、ワシでも炎竜派を教える事は出来るが、せっかくだから炎竜派の師範の所で基礎を学んで来なさい。その後はワシが直接面倒を見る、これでどうじゃな?」
「じゃあ、師匠の属性は炎竜派なのですか?」
「いや、ワシは『無属性』と言ってな。世は特質系みたいな物で、どの竜派の属性にも変化出来るのじゃよ」
「む、無属性って!?噂程度でしか聞いた事はありませんでしたが、まさか師範が!」
「ま、お前さん達冒険者ではなれないがのぉ。どうじゃ?やって見るかい?お前さんが無事炎竜派の『師』の称号を持って帰ってくれば、ワシが直々に炎竜派の極意を伝授するぞ」
カーンは、清水に炎竜派の基礎を学んだ後に自ら修行を行なうと話す。
カーン自身は無属性と言われるどの竜派の属性にも変化出来る得意質系で、それは冒険者であるプレイヤーではなれない属性だとも話し、その謎に考え込む辰巳の横でいつもになく真剣な表情をする清水だったが、その表情は即座に解かれいつもの陽気な彼女の表情に戻る。
「いいんじゃないですか。今の所は何もする事ないし、この転移の原因が分からないのであればこの世界で生き抜く力は付けなきゃね。師匠、その話受けます!」
「わかった。では道場への推薦手続きと炎竜派の師範には連絡を入れるから、出発の準備をしなされ」
翌日、清水はカサードから西にある炎竜派の師範の居る村へ出発する。
それはアイリスがイスバールを侵略した直後で、その後上杉達がカサードへ訪れた時は既に清水は炎竜派の門戸を叩き修行に励み始めていた。
そして清水は炎竜派の門下生としては異例のスピードで出世し、師範代としての称号である『師』の称号を得て再びカーンの道場へ戻り本格的な炎竜派の秘技を学ぶ事になる。
それは、後に炎竜派最強と謡われ『炎神』の二つ名を持つ、リレイズ史上最強の戦士の誕生へと繋がる。