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08.あたしは、ユキ〜♪

 新学期明けの一週間が順調に過ぎり、再び月曜日がやってきた。


 いつも通りの時間に家を出て、いつも通りの速さで足を進め、いつも通りの時間に教室の扉を開いた柊の目に珍妙ちんみょうなものが飛び込んできた。この時間にはいつも空席であるはずの柊の前の席が埋まっていた。


 ぽつんと一人、祭が教室の中心に位置する席に座っている。


 いつも遅刻ぎりぎりに飛び込んでくるはずなのに、なにか理由がなければ自分より先に学校に着くことなどないのに、かりに早めに学校に来ていたとしても教室の席に着くのはホームルームのかねが鳴るぎりぎりのタイミングなのに。


 昼から大雨でも降りはしないだろうかと思いいたり、傘を持参じさんしていないことに柊はうれいを感じる。まばらにしか埋まっていない席と立ち話に花を咲かせるクラスメイトのあいだを通り抜け、柊は自分の席へと向かった。


「おはよ、珍しく早いな。今日も部活の集まりでもあるのか?」


 机の上の一点を見つめている祭に声をかけると、肩をビクッとさせてこちらに向かって顔をあげた。


 視線が合う。祭のくっきりとした二重ふたえまぶたの大きな瞳とかちあう。そしてすぐさま視線をらされた、

 

 ような気がした。


「お、おはよう。そ、その、たまたま、早く目が覚めて……」


 柊はその言葉に目を見開いた。どしゃぶりの雨が今にもおそいかかってきそうな気がして、先ほど感じた憂いが音を立てて迫ってくる。


 机の横のフックに通学鞄つうがくかばんげ、椅子を引き出して席に着く。


 目の前にある祭の背中が、なんだかやけに遠く感じられた。


 いつもは手を伸ばさなくても触れられる距離にある肩が、手を伸ばしても届きそうにない位置にある。椅子の後ろ脚を支えにこちらへ倒れてくれば、二つのおさげ髪が顔に触れる距離で柑橘系の香りを漂わせながら揺れるはずなのに、なにかの香りがすることすら判別もつかないほどの位置で揺れている。肩はなんだか少し気落ちしているように見えるし、心なしかいつもシャンとして二つのおさげ髪を縛り上げているリボンまでもがどこかぎこちなく元気のないようにも見える。なにより、いつも無防備むぼうびけているせいで柊には一週間の色のローテションが把握できてしまった(決して故意ではない)下着の色がその背中に浮かんでいない。今日は月曜だから淡いピンクが浮かんでいないといけないはずだ。


 柊が怪訝けげんな視線をその背中にぶつけていると、


「や、やっぱり、用事思い出した……」


 祭はぽつりとつぶやいて、慌てて教室を出て行く。


 この時間のいつもの光景こうけい通り、柊の前後の席が空っぽになった。


 グランド側の窓に目を向けると、かんかんりのかわいたグランドが広がっていて、今のところ雨が降りそうな様子は微塵みじんもない。視線をさらに旋回せんかいさせる。正面から視線がぶつからないように注意して、のぞき見るようにそちらをうかがった。


 視線を慎重しんちょうに向けた気遣きづかいが、かたかしを食らう。


 いると思った雪がそこにいない。


 席を立っているだけかとも思ったが、机に備え付けられた左右のフックはひまを持てあましていた。教壇きょうだんの上からこちらを見下ろしている尊大そんだいな時計に目を向ける。時刻は八時半を少し回っていた。ホームルームまではまだ少し余裕があるが、雪はこの時間には決まって学校に来ているはずなのに。


 細かい文字を読む時しかつけないメガネを掛けて、授業の予習をするか文庫ぶんこ本を読んで静かにこの時間を過ごしている華奢きゃしゃな女の子の存在する形跡が、そのすみの席のどこにもない。まさか事故にでもあったんじゃ、などと突飛とっぴ予感よかんが一瞬頭をよぎったあと欠席けっせきの可能性があるではないかと冷静に思い立ち、柊は机の引き出しに手を突っ込んで、週末にようやくクラス内を一周してきた先週号せんしゅうごう少年しょうねん雑誌ざっしを引っ張り出した。






 ホームルーム開始一分前になってもいまだにあるじ不在ふざいになっている窓際の最後尾さいこうびの席を見て、柊が雪の欠席を確信したその時、さらに珍事ちんじは起こった。


 まず巨漢の男が勢いよく教室の扉を開いて入ってきた。180センチ以上もあるでかい体を折り曲げて教室の入り口をくぐり、汗をひたいしたたらせ、息を切らせながら、体育会系丸出しの挨拶を暑苦しく周囲にばらまき、机の間を掻き分けるようにこちらに向かってくる。


 なんのことはない、いつもの光景である。


 そのあとを追うように、雪が息を切らせながら教室に飛び込んできた。教室ですれ違うクラスメイト達に元気良く挨拶をばらまく。「琴美、おはよー!」と快活に声をかけて、あまりものじしない琴美が面食らった表情で「お、おはよう……」と返していた。そのまま笑顔をたずさえて、人と机の間をすり抜けるように進みながら、こちらに近づいてくる。柊は雪の制服のスカートの丈がいつもよりも短くなっていることに気がついた。いつもはひざまであるはずのすそが、ももの中間よりも少し上の辺りでひらひらとれている。そのせいもあってか、いつもに増して活発かっぱつに雪の姿が映る。そして雪は柊のことを確認すると、


「おはよー、シュウ!」


 投げかけられた何気なにげない一言ひとことに柊は度肝どぎもを抜かれた。思わず開いていた少年雑誌のページを縦に引きいてしまう。大ゴマでヒロインが読者に泣き顔を向けていた感動のいちページが無残むざんにもぷたつになっていた。


 『柊』と言った。


 母親でも、父親でも、姉でも、祭でも、清隆でもなく、友人Aでもない。


 あの小松原こまつばらゆきがである。


 恥ずかしがり屋で『上本くん』と呼ぶことにすら、どこかかりを覚えているような感じだったのに。


 唖然あぜんとする柊を尻目に、雪はなぜか祭の席の机にかばんを置くと、椅子を引いてどかっともの顔で腰を下ろした。


「……こ、小松原?」


 雪は振り向かない。


 聞きたいことがいくつかあった。


「……こ、小松原!」


 先ほどよりも少し強めの口調で雪の小さな背中にぶつける。もちろん肩を叩くなどといったおろかな行為はしない。


「え? ああ、なになに?」


 セミロングの髪をふわりと揺らし、雪がようやくこちらを振り返る。


 視線がぶつかった。


 雪のつぶらな黒目がちの瞳が、そっぽを向くことなくこちらを真っ直ぐに見つめている。


「い……な、なんかいいことでもあった?」


 今、俺のこと柊って呼んだ? 


 喉元のどもとまで出かかっていた言葉が気恥きはずかしさに負けて、すんでのところで迂回うかいした言葉が口をついて出た。


「え? とくにないけど?」

 

 目をらさずに、実に淡々(たんたん)とした調子で雪は答える。


 ホームルームの始まりを告げる鐘が鳴り響いた。


 鐘が鳴るなか教室の入り口をくぐるいつも通りの祭の姿が、視界の片隅に映る。席を立っていた奴らが後ろがみを引かれる思いで自分の席へと着きはじめる。鐘がゆっくりと終わりに向かうなか、戻ってきた祭が行き場を失った子犬のようにおどおどとした調子で、こちらの様子をうかがいながら話にってはいった。


「ゆ、雪、おはよ」


「あ、ユっーーじゃなくて、祭ちゃん、おはよ!」


「ど、どしたの? わ、私の席に座って……」


 祭がやんわりと、その場は自分の席であることを主張しゅちょうすると、雪はなにかを思い出したような表情をつくり、


「あー、そうだそうだ! えへへー、ごめん、間違えちゃった」


 舌をぺろっと出して立ち上がる。そのまま謎のメロディラインにそって、


「ユキ~! ユキよ~! ユキユキ~! あたしは、ユキ~♪」


 まるで生まれて初めて雪の降る現場を目撃した子供のように『ユキ』を連呼れんこしながら、舞うような動きで教室のすみの自分の席へと進んで行く。授業中に校内の敷地しきちへと迷い込んだ野良のらいぬでも見るかのように、クラス中の人間が雪に奇異きいの視線を集めた。


「……小松原、どしたんだろな?」


 祭は答えない。


 視線を向けると、なぜか祭がほおしゅに染めあげて立ちくしていた。


「祭? お前、顔赤いけど、大丈夫か?」


「……え?」


 にぶい反応を示す。


「全然っ! 平気!」


 どこか慣れない調子で声を荒げ、


「あ、あれじゃないかな? き、昨日、し、し、し、しゅ、しゅ、ゅ、うの家に行けたの、す、すごい喜んでたよ! だ、だからちょっと浮かれてるんじゃないかな?」


 めちゃくちゃにどもった。


「そ、そうなのか? てか、どもりすぎだろ!」


「さ、最近、なんだか滑舌かつぜつが悪くて……あ、あはははは……」


 祭は取りつくろうように不自然な笑顔をつくった。


「……まぁいいけど。それにしても浮かれてるからって、間違えるような席の位置じゃねぇと思うんだけどなぁ」 


「そ、れは…………そ、そう! じょ、女子じょしあいだ流行はやってるのよ、仲のい子が席にいないあいだに机の中にイタズラするっていう遊び……」


「へー、女子の間でそんなことが……意外だな」


 男子だんしあいだでしか流行はやりそうにないようなくだらないことのように思えるし、そんなくだらない流行りに乗る雪も意外に思えた。


「あ、愛情あいじょう表現らしいよ! イタズラのいが相手への愛情の大きさのしるしになるとかなんとか。だ、だから、雪も悪気わるぎがあるとかじゃなくて、私のことをおもってしてくれたことだから、全然気にしないし、むしろ嬉しいくらいだし!」


 言い訳するように言葉をつむいで、祭は席に着いた。そういう風に言われてみると、なんだか女子がこのみそうなネタのような気もするなと柊は思う。


 教室に着いてからの一連いちれんの出来事の中で、言い知れぬ違和感いわかんのようなものを柊は度々感じたのだが、その正体がなんなのかはつかめない。


 一つだけ確かなことが言えるとすれば、目の前に座る祭の背中が、やはりいつもより遠くに感じられる、ということだけである。

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