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君との距離が近い。  作者: 朝日菜
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第七話 スイートピー




 次の日も、それがさも当然のように私は夏期講習を休んだ。「里見(さとみ)がいない夏期講習に価値なんてないし」私が朝ごはん中にそう言い張ると、お母さんは悲しそうな表情を見せた。

 無理矢理行かせようとはせず、温かく見守ってくれるお母さんを今日ほどありがたいと思った日はなかった。




「……ねぇ花夜(かや)、今日はいいの?」


「いいって何が?」


 昨日と同じように清楚(せいそ)な服を着た私は、玄関で靴を()く前に振り向いた。ここまで来てもう一度夏期講習の話を出されるのかと私は身構えたけれど、それは杞憂(きゆう)だった。


「梨よ。里見君、好きなんでしょ?」


「……あぁ、いいの。今日は花を持ってくから」


 食べ物を持ってきてしまったという羞恥心(しゅうちしん)は、昨日のことなのに未だに心の中にある。はつのは無駄じゃないと言ってくれたけれど、そんな励まし程度じゃ収まらなかった。


「そうね。"花夜"の花だものね」


 するとお母さんは、そう言って柔らかく微笑んだ。


「っな! ち、違うから! そういうの関係ないから!」


 よくよく考えたら、お母さんの言う通り私の名前の中には"花"がある。けれど、その言い方だと私がずっと里見の側にいるみたいで……。


「何を慌てているのよ。"彼氏"の側にいたいと思うのは当たり前でしょ?」


 脳内で一度、お母さんに言われた台詞を繰り返した。こんなやり取りはつい最近もしたような気がする。


「……だから、ちょっと待ってよ。私の彼氏は里見じゃないって言ってるでしょ?」


 声が震えているのが自分でもわかった。前とは違う雰囲気(ふんいき)のせいか、お母さんは戸惑ったような、不思議そうな表情で私を見下ろしている。


「嘘、本当に花夜の彼氏って里見君じゃないの?」


「ッ!」


 どうして。どうしてこんなにも心臓がドキドキしているんだろう。


「……違うよ。どうして?」


 絞り出そう、絞り出そう。そう思って声を精一杯振り絞り、お母さんに尋ねた。


「どうしてって、あんなに仲が良かったじゃない。私も向こうの奥さんも、二人がつき合ってると思ってたんだけど……。え、じゃあ、花夜の彼氏って誰なの?」


 私は両親に彼氏がいることは言っていたけれど、名前は言わなかった。それは多分、里見もそうだったんだろう。

 お母さんの質問は私たちの身から出たさびだった。答えようにも、自分でもよくわからない答えが喉につまって出てこない。

 結局、何も言わずに家を飛び出してしまった。

 私と里見は実の親に恋人同士だと勘違いされていた。

 その事実は私の心にのし掛かり、はつのと大地(だいち)というお互いの恋人を思い出しては、何故か押し潰されそうになる。そして同時に里見自身がこの事実を知っていたのかと考えると、不安になった。

 怖い。

 里見が目を覚ますことが怖い。

 里見の目が覚めてしまったら、私は里見に向き合わなければならない気がした。

 チクりと何かが胸を刺す。

 思い出が溢れだしてくる。

 私はこの時、ようやく生まれ始めた想いに気づきかけていた。いや、多分、最初から一番近くにあったんだと思う。


 ただ、君との距離が近すぎただけで、気づくのが遅れたんだ。




 うだるような猛暑の中、私は流れる汗を手で拭った。最寄り駅のすぐ側にある花屋『ミミズクの家』が視界に入る。花屋の隣の本屋『猫のあしあと』には里見とよく来ていたけれど、花屋の方に行くのは初めてだった。

 私はそれ以上里見とのことを考えるのを止め、恐る恐る店内を覗く。店外に並べられた溢れんばかりの花が私の身を隠していて、観察するのに向いていた。

 私は必要以上に緊張しながら店内を観察する。外の花にも負けないほど多くの種類と数がところ狭しと並べられてあって、花独特の匂いが私の鼻孔(びこう)をくすぐった。

 もう少し視線を巡らせると、中にいた女性店員が私に気づいて目が合ってしまった。


「あ、いらっしゃいませ〜!」


 逃げられないと悟った私は、ぎこちなく笑顔を作って中に入る。花を扱っているというのもあって、冷房が効いた私好みの涼しい店内だった。

 大学生みたいに若い店員さんは、周囲を癒すかのような自然な微笑みを浮かべる。それだけで緊張というものがほぐれてしまった。

 視線を下に向けると、『道重(みちしげ)』という名札が水玉柄のエプロンについてある。


「どんな花をお探しですか?」


 道重さんに聞かれて私は言葉に詰まった。花を持っていくとは言ったけれど、どんな花にするかは決めていない。ニコニコと私の言葉を待つ道重さんはどこか里見みたいで、私は言葉を選びつつ答えた。


「えっと、お見舞い用の花を探しているんですけど……どんな花がいいんですか?」


 質問を質問で返してしまい、申し訳なくて私は首を縮めた。


「そうですねぇ……。スイートピーはどうですか?」


「スイートピー?」


 道重さんは、私のすぐ右隣に置いてあるピンク色の花を手で示した。名前は聞いたことがあるが、実物を目にするのは初めてだった。

 一本の(くき)にうろこのような花びらが数枚ついている。優しいピンク色のスイートピーは私好みだった。


「夏のお見舞いにピッタリなんですよ。ちなみに花言葉は、"優しい思い出"です」


「…………優しい、思い出……」


 道重さんを見ると、彼女は微笑んでいた。まるで私の事情を知っているかのような微笑みだ。


「じゃあ、これ、ください」


「はい、ありがとうございます」


 ただの客と店員の会話は終わった、と私は思っていた。


「誰のお見舞いなんですか?」


 道重さんがそう尋ねるまでは。


「…………幼馴染みです」


「幼馴染みなんですか。いいですね、とっても羨ましいです」


「羨ましいですか?」


 道重さんは数本のスイートピーを花束にしながら頷く。


「えぇ。幼馴染みがいない人って、一度は憧れるんですよ?」


「そういうものなんですか」


 羨ましい、とか。

 憧れる、とか。

 そういうの、一度も考えたことはなかった。


「そういうものなんです。大切にしてくださいね、その幼馴染みさんを」


「はい」


 道重さんの真剣な雰囲気に、私は思わずはっきりと答えた。自分でも驚きながら口に手をやると


「っあ、と、透也(とうや)さん?!」


 道重さんが手を止めて、私の後ろの方にいるらしい誰かを凝視(ぎょうし)した。続いて足音がして、その"透也さん"という人が花屋に入ってくる。


陽鞠(ひまり)、客の前だぞ。手を止めるな」


「は、はい! すみません!」


 名前だけでは判断できなかったけれど、透也さんとは『猫のあしあと』の店長の高坂(こうさか)さんのことだった。

 ゆるやかなウェーブの女子らしい髪型をした天然そうな道重さんとは違い、黒い毛先がツンツンとしたしっかり者のような高坂さんは私を一瞥(いちべつ)する。


「今日は里見と一緒じゃないのか。珍しいな」


「ッ!」


 二十代の(なか)ばで本屋の店長を任されている高坂さんは、共通の趣味と年齢の近さで里見とは仲が良かった。里見が『猫のあしあと』に行く日は必ず私が同伴していたから、一応私とも顔見知りではある。


「透也さんのお知り合いなんですか?」


「うちの常連の幼馴染みだ」


「……っえ」


 道重さんは目を限界まで見開いて、また手を止めた。高坂さんは道重さんと、道重さんから視線を()らす私から違和感を感じとり「どうした」と尋ねた。


「…………えっと、あの、なんて言うか……」


 しどろもどろになりながら、私はさっき以上に言葉を探した。道重さんも高坂さんも私を見て黙っている。言葉を探し終わって決心をつけた私は、顔を上げて二人を見据(みす)えた。


「数日前に里見が交通事故に()って、今は意識不明のまま入院しているんです」


 一瞬の間があった。


「あの里見が?」


 感情をあまり表に出さない高坂さんでさえ絶句(ぜっく)した。道重さんは口を半分ほど開けて上手く言えない感情を探すように固まっている。


「……はい」


「じゃあ、この花は里見にやるのか」


「そうです」


 道重さんはハッとして、手を動かしスイートピーの花束を作る。その瞳にも表情にも一段と真剣さが増し、上手く言えない代わりに花だけはそれに相応しくなるようにという道重さんなりの一生懸命さが嬉しかった。


「そうか。有賀(ありが)、少しだけここで待ってろ」


「え、高坂さん?」


 高坂さんは振り返りもせずに店から出ていった。一瞬だけ外の熱さが店内に侵入する。


「お待たせしました」


 道重さんができ上がったスイートピーの花束を私に見せた。ピンク色のスイートピーが主役のそれは、鈴蘭(すずらん)や緑の葉がアクセントとして使われている。


「ありがとうございます、道重さん」


 私に花束を手渡した道重さんは、じぃっと私を不思議そうな表情で見つめた。対してピンク色の花束が鮮やかに私を見つめている。


「どうして私の名前を?」


 なるほど、そういうことか。


「名札です」


 指を差すと「あ、本当ですね!」と道重さんははにかんだ。その姿は女子から見ても可愛らしい。


「私のことは陽鞠でいいですよ」


「ひまり?」


「はい。私、道重陽鞠です」


「っあ、名前だったんですか! すみません!」


 そういえば何故か隣の花屋に来た高坂さんが、道重さんのことを"陽鞠"と呼んでいたような。


「いいんですよ」


「……じゃ、じゃあ、陽鞠さんで」


 陽鞠さんはパァッと表情を(はじ)けさせて微笑んだ。まるでお菓子をもらった子供みたいだ。実際陽鞠さんは童顔で、高校生だと言われてもわからないだろう。


「私は有賀花夜です」


「花夜ちゃんですね。可愛らしい名前です」


「陽鞠さんも充分可愛らしいですよ」


「ふふっ。ありがとうございます」


 ふわふわした雰囲気(ふんいき)の陽鞠さんは、一緒にいると嫌なこともすぐに忘れさせてくれるような不思議な人だった。


「有賀」


 高坂さんは戻ってくるなり私に紙袋を差し出した。中を見てみると文庫がびっしりと入っている。


「こ、高坂さん、これは?」


「俺の本だ。里見にやる」


「透也さん、でも……」


「あいつのことだ。どうせすぐに目が覚める」


 私は高坂さんの台詞に恥ずかしくなり、自分に腹が立った。あの高坂さんも、里見の目覚めを信じている。

 幼馴染みが羨ましいと陽鞠さんは言ったけれど、早速(さっそく)里見の幼馴染みとしての自信みたいな物が崩れた。幼馴染みが恋人や近所の仲良いお兄さんに気持ちで負けたことが悔しい。


「……ありがとうございます。陽鞠さん、代金はいくらですか?」


「無料でいいですよ、花夜ちゃん」


 私の中にいる負の感情を知ってか知らずか陽鞠さんはそれでも微笑んだ。


「えっ? そ、そんなわけには……」


「ただし、次に来たときは退院祝いの花束を買ってくださいね」


 陽鞠さんは人差し指を立てて、その手で小指を私に差し出した。小さな小指は何かを待っているようだ。


「約束です」


 自然と動いた小指は陽鞠さんの小指といつの間にか(から)んだ。

 じんわりと陽鞠さんの小指から体温が移る。

 高坂さんは遠巻きに私たちを見ていただけだったけれど、高坂さんの本の重さは忘れはしない。高坂さんの本の重さは里見への一種の愛情で、陽鞠さんの花の香りは私への励ましだと思う。


「陽鞠さん、高坂さん。ありがとうございます。……行ってきます」


 私は『ミミズクの家』を出て直射日光に当たった。もうこんな熱さに負けたりはしない。

 里見が目を覚ますのは、確かにまだ少し恐い。

 けれど、やっぱり会いたい気持ちが強かった。









 目立つ花束を持ちながら、電車に揺られて。

 少し荷物になる紙袋を持ちながら、病院まで歩く。

 里見(さとみ)の病室への道は昨日一度だけ来ただけなのにハッキリと覚えていた。

 扉を開けるとカーテンが今日も里見を隠している。だけど、昨日と違ったのは誰も見舞いに来ていないことだった。


「……里見、入るよ?」


 囁いて、一歩一歩踏みしめるように前進する。カーテンを思いきって横にスライドさせると、何一つ変わらない、一条里見(いちじょうさとみ)の寝顔がそこにはあった。

 こいつが、私の幼馴染みだ。

 こいつが、私の幼馴染みなんだ。

 里見との距離が近すぎて、気づけなかった。

 何度後悔しても、それはあまりにも遅すぎて。私はただ、ベッドに横たわる里見を一歩後ろで見守ることしかできなかった。


 ――バカ。


 唇だけを動かして無音の言葉を落とす。

 お願いだから届いて、気づいてほしい。……私のこの、小さな気持ちに。


「里見、私たち、羨ましいんだって」


 返ってこないと知っていながら、つい言ってしまった。

 私は目立つ花束をはつのが持ってきていた花の横に置く。梨はなかった。荷物になる本も同じ机に置いてキレイに咲き誇る花を眺めながら逡巡(しゅんじゅん)した後、はつのが持ってきた花の水を変える。

 腰を下ろした椅子は昨日私が座っていた椅子で、愛着みたいなものが早くも()いていた。

 私は鞄を覗いて、高坂(こうさか)さんにもらった本とはまた別の一冊の本を取り出した。それは里見が図書室から借りた本を私が又借(またが)りした本だった。ページをめくり、里見が入れっぱなしにしていた(しおり)を取る。

 その栞をどうするか迷った挙げ句、私は里見本人の手に握らせた。握らせている間にも里見が動くことはなく、私はまた不安になる。


「里見。私、この本読むから約束守りなさいよ?」


 けれど信じた。みんなと同じように里見は目を覚ますと信じた。

 いつもより少しキツい言い方をしたのはそのせいで、私は活字に視線を落とした。今の私にできることは、それ以外にこの本を読破することだと信じて疑わなかった。

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