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君との距離が近い。  作者: 朝日菜
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第六話 初恋太陽




 はじまりは高校一年生の春だった。

 同じクラスで、同じ委員会に所属するちょっぴり世話好きで強気な女子。それでいて笑顔が可愛くて、その女子と一緒にいると何故か元気をもらえた。

 俺――古城大地(こじょうだいち)――は、その女子、有賀花夜(ありがかや)にいつの間にか()れていた。




 向日葵(ひまわり)が太陽を追いかける。

 肌が日にやけ始めた季節になると、花夜への想いは増していくばかりだと気づいた。

 放課後になり、サッカー部の部室に向かって駆け出しながら教室を出る。すると隣の教室から花夜の――好きな人のそれは何故かよく聞こえる――声が聞こえた。


里見(さとみ)! もう放課後になったのに何寝てんのよ!」


 思いきり足を止めて教室を覗くと、花夜は腰に手を当てていた。花夜は目の前で机につっぷして寝ている一条里見(いちじょうさとみ)を見下ろしている。


「ほーら、帰るよー」


 花夜はゆさゆさと里見の肩を揺さぶった。蒸し暑い廊下から冷房の効いた教室を眺めるという今の状況は、無性(むしょう)に俺に切ないという思いを与える。


「……あと少し~……」


「そう言ってどうせ一時間くらい寝るんでしょ?」


「んん……じゃあ花夜も寝ればいいじゃん」


「そういう問題じゃないっ!」


 怒った花夜の表情も可愛いと思うのは、末期(まっき)なのか。

 その表情は俺に向けられたものではないけれど、見れただけでもちょっぴり幸せな気分になれた。

 サッカー部の練習は厳しく辛い。猛暑ともなればいくら好きでも嫌になる。それでも花夜を見ると、頑張ろうと素直に思えた。それってすごいことだ。

 言葉にならないくらいにテンションが上がった俺は、外にある部室棟へと全速力で走った。花夜が里見と一緒にいようがこの気持ちは曇らない。

 やっぱり男は単純ってことなのか。俺は不思議なことにいつの間にか笑っていた。

 サッカー部の部室に到着した俺は、既に来ていた部員の間を()って空いているスペースを確保した。本当は一番乗りをするはずだったが、この際それでも良かった。

 花夜を見ていたせいで時間もあまりなかった俺は、さっさと部活着に着替える。他の部員の練習に対する愚痴(ぐち)が耳に届いても、俺のテンションはまったく下がらなかった。


「大地、行こうぜ」


「おう!」


 部活仲間と一緒に部室から出ると風が吹いた。

 冷房のついていない男だらけの部室に比べたら、こっちの方がまだマシだ。それでもグラウンドへはなるべく日陰(ひかげ)を選んで歩く。すると木の陰になる場所に誰かが立っていた。


「……あの、好きです! もし良かったら私とおつき合いしてください!」


 その台詞が聞こえた途端(とたん)、俺たちは無意識に顔を見合わせた。


「今のって……」


「こ、告白ってヤツだよな」


 声をひそめて、互いを(ひじ)で無意味につつきあう。他人のこういうのでもなんだか照れくさい。


「もっと近くまで見に行こうぜ」


「木を利用すればいける……よな」


 提案を飲んだ俺も、先に忍び寄る仲間の後をつける。すると当人たちの顔もよく見えた。


「うわー、コクられてんの知り合いかよ」


 告白されている男子は、同じサッカー部の一年だった。俺が思うに顔もそこそこでサッカーの上手さもそこそこな奴だが、あの女子はあいつの何が良かったんだろう。

 俺たちが聞き耳をたてていると、ようやく男子が口を開いた。


「ごめん。君とはつき合えない」


 最初は他に誰か好きな人がいたんだと想像していた。それ以外に断る理由が、俺には見当たらなかったからだ。


「……うん、断られるかなぁって思ってたけど、やっぱりかぁ」


「あ、いや……。君はすごく素敵な子だと思う」


「本当に? じゃ、じゃあ、どうして私をフったの?」


「俺、部活(サッカー)に集中したいんだ」


 その返答は女子だけでなく俺たちも驚かせた。

 そんな理由で断るのか、もったいない、って。


「俺はサッカーが好きだからさ。練習はちょー辛いけど、だんだん上手くなってるってわかったらすげー楽しい。だからもっとサッカーが好きになる。多分、彼女をほったらかしにするくらいサッカーの練習に打ち込むと思う。それは君に対してすごく申し訳ないことで、絶対君を悲しませることなんだ」


 なんとなく、その言葉は俺にも理解できた。花夜という好きな人がいるからこそ、余計に自分の胸に刺さる物がある。


「……優しいよね。優しすぎるよね。私、貴方のそんなところが好きだから」


 風が吹いた。


「優しくフってくれて、ありがとう」


 風がその言葉を俺たちにも運ぶ。

 興味本意で盗み聞きしてしまったことが、すごく申し訳なく思えてきた。好奇心でこの場所を(けが)してはいけないとさえ思う。

 それは隣のあいつもそう思ったのか、俺たちは視線で会話してその場を静かに去った。


「なんか今、罪悪感がすっげぇ込み上げてきて()んだけど……」


「俺もだよ」


 日陰の中の木漏(こも)れ日がいつも以上に眩しく見えた。花夜によって上がっていたテンションは、すっかり下がっている。


「俺さぁ、"可愛い"女の子がコクってきたら即オッケーする自信あったんだけど、今はそんなのねぇーや」


 俺だって、もしも百億分の一の確率で花夜の方から告白してくれたら即オッケーだ。


「大地、お前は?」


「俺だってサッカーは好きだ」


「んなのは俺だってそうだ」


「けど、サッカーと同じくらい、サッカーよりも好きな人が"いたら"俺は断らない。絶対サッカーを楽しみながら好きな人を幸せにする」


 好きな人がいると知られるのが恥ずかしくて、"いたら"という表現でぼかした。


「おー。カッケー……」


「別に将来の夢がサッカー選手ってわけじゃないからな。将来その彼女と結婚するかもしれないだろ?」


 花夜と家庭を持ったら楽しいだろうな。……あ、やべ。妄想したら止まんなくなる。


「俺はどうかな。恋愛と結婚は別だ」


「俺は一緒なんだよ」


「大地って意外と一途(いちず)で真面目だよな。サッカー部では珍しいタイプだぜ」


「さっきのあいつだってそうだろ」


 顔を上げると、直射日光が当たるグラウンドが視界に入った。気づけば俺は俯いていたらしい。


「それもそうだ」


 風鈴があれば少しでも涼しくなるのか。

 向日葵のような太陽が、まっすぐに輝きを放っていた。




 夏は日が長い。

 なんとか熱中症にならずにすんだ俺は、茜色の夕日を背に部室に戻った。


「……あ、やべ」


「どうした? 大地」


「弁当箱がない」


 探しても探しても弁当箱だけが見つからない。思い返せば教室に忘れてきたような気がする。


「教室に忘れてきたかも」


「うっわ、それマジでやばいじゃん。早く取りに行けよ」


「おう。じゃあ、先に行くな」


「またなー」


 部員に一通り挨拶をして、俺は来た時と同じように駆け出した。校舎の中に入って、教室への階段を一段ずつ飛ばす。

 一年の教室がそろう廊下は静かだった。

 花夜は里見と一緒に随分(ずいぶん)前に帰ったのだろうか。俺はここでも花夜のことを考えていた。いないとわかっているのに、何気(なにげ)なく隣の里見の教室を覗くと、俺は信じられない光景を目にした。

 数時間前と同じように机につっぷしている里見は、やっぱり寝ていた。それよりも俺を驚かせたのは、里見の目の前の椅子に座って寝息をたてている花夜だった。

 花夜、と名前を呼びそうになるのを堪える。

 花夜は口を半分くらい開けて、気持ち良さそうに眠っていた。

 いつまでもその寝顔を見ていたい。

 寝顔をこの目に焼きつけていたい。が、時は残酷(ざんこく)で、この瞬間窓の外の色は茜色から紫色に変化した。

 俺は慌てて自分の教室から弁当箱を見つけ、隣の教室に戻る。変わらず眠りつづける二人はまるで別世界の住民のようだった。

 一歩ずつ教室に足を踏み入れる俺は、二人の世界を壊している。そう思っていることに気づき、暗くてよく見えなかったからと言い訳をして電気を()けた。


「ん……」


 急に明るくなったことに気づいたのは、顔を上げていた花夜だった。花夜はゆっくりと目を開けてまばたきをする。


「……あ、大地」


 目があってすぐさま名前を呼ばれた俺は、(なか)ば緊張しながら「おはよう」と笑った。


「おはよう? ……って、もうこんな時間なの?!」


 花夜は目を丸くさせて、時計と窓の外を見比べた。


「随分長い間寝てたみたいだな」


「う……っ、わ、私はそんなに寝てない! ほら里見、あんたの方が寝過ぎなの! もう起きなさいよ!」


 頬が真っ赤に染まった花夜は、遠慮なく里見を叩く。だいぶ威力はありそうなのに、体が頑丈(がんじょう)なのか里見はもそもそと体を起こした。


「ふぁ、ふぁあ~………………あれ、花夜? どうして俺の部屋にいるの?」


「あんたの部屋じゃないわよ、よく見なさい!」


 里見の頭を掴んで、花夜はぐいっと窓の外を向かせた。


「ここは学校なの! わかる?!」


「あ、ほんとだ……。すごいね花夜、俺たちこんな遅くまで学校にいたんだ」


「全然すごくないー!」


 俺もいるのに二人の世界に戻るの早すぎるだろ。

 ちょっぴり理不尽(りふじん)なことを思ったかもしれないが、それが俺の一番の本音だった。


「帰ろうぜ。最終下校時間だ」


 けど、そう言うことしか今の俺はできなかった。


「そうね。帰るわよ、里見!」


「はーい」


 花夜はのそのそと起き上がる里見の腕を引く。その光景は俺の心に優しくなかった。二人の仲が良すぎて、二人が何をしても俺の胸は苦しいくらいに痛む。


「ところで君、誰?」


 里見が俺を指差して尋ねた。花夜ほどではないが、花夜の側にいるからという理由で里見のことは知っているつもりだ。だから里見が俺を知らなくても無理はない。俺が一方的に知っているだけだからな。


「隣のクラスの古城大地だ。花夜と同じ委員会をしてる」


「そう。で、帰宅部の私たちとは違ってサッカー部のエース的な人なの」


「まだエースじゃねぇよ」


「そうなの? でもさっきの練習を見てる限り、大地が一番上手いと思ったけどな」


「……ッ!」


 なんでそんなことを言うんだよ。……ずるいだろ、花夜。

 花夜から里見に視線を移すと、里見はあからさまに面白くないという表情を張りつけて俺を見ていた。

 これを見てもわかる 。

 気づいてないのはこの学年で花夜だけかもしれない。


「へぇ、古城君ね。じゃ、俺たちはもう帰るから」


 里見はさっさと終わらせたつもりになって花夜の手を引くが、花夜は里見の手を引き返した。


「大地も一緒に帰ろうよ」


 俺を見て微笑む花夜は眩しく、そして可愛い。


「おう」


 そんな花夜の俺に向けた気遣いが嬉しかった。

 花夜を挟むような形で、俺と里見が花夜の両隣を歩く。花夜より頭が一つ分高い俺たちは互いによく見えて、里見と目が合うと里見がぷいっと先にそっぽを向いた。


(……俺、嫌われたなぁ)


 里見も俺の花夜に対する想いを感じとったんだろう。

 三人の中で気づいてないのは、これも花夜だけだ。俺の場合、里見以外にはまだ気づかれていないから仕方ないが。


(里見のはあからさまだし)


 それでも気づかない花夜は鈍感だ。絶対言葉にして伝えないと伝わらない。さっき見た告白のシーンが、自然と脳内で再生された。


「……あれ、一条くん」


 俺たちが一斉(いっせい)に声のした方を見ると、階段のところに女子が立っていた。女子はこれから下りようとしていた足を止めて里見を見ている。

 里見という苗字のような名前のせいか、一瞬だけ一条が誰かを忘れていた。


「あ、水戸部(みとべ)さん。図書室以外で会うの初めてだね~」


「う、うん、そうだね。人違いかと思っちゃったもの」


「あははっ、ほんとに?」


 花夜は水戸部さんという人を知らないのか、俺に曖昧(あいまい)な笑顔を浮かべた。里見は俺を嫌ったが、花夜は水戸部さんとどうつき合っていいかわからないという感じだった。


「ねぇ一条君。……私も途中まで一緒に帰っていいかな?」


「うんいいよ。ねぇ、二人とも」


「俺はいいぜ」


「私もよ」


 花夜とは百八十度タイプが違う水戸部さんは「ありがとう」と微笑んだ。

 それからは少し異常な光景ができた。

 花夜は俺と話し、花夜にべったりだった里見は水戸部さんと話すという光景だ。四人で行動しているはずなのに、二人ずつで行動しているようで。……けれど俺にとってはそれが幸せだった。

 正門をまたぐと、俺たちはメンバーを変えてまた二人ずつになり、別れることになった。

 花夜と里見、俺と水戸部さんだ。


「またね~」


 里見が花夜と一緒に俺たちに手を振る。さっきほどあからさまではないが、ホッとした表情だった。


「また明日な」


 俺も水戸部さんも二人に手を振る。

 花夜と帰り道が違うのは仕方ないとして、別れた直後、接点のない水戸部さんとどう帰ろうかと思考を巡らせた。

 歩き出す俺たちは無言のまま自然に離れるとさえ思っていたが、水戸部さんは俺の想像とは違った。


「すみません、貴方のお名前は……」


 おずおずと俺の名前を聞いてくる。意外と積極的な子なのかもしれない。


「っあ、古城大地……です。そっちは水戸部何さん?」


「はつのです。平仮名ではつの」


「へぇ~」


 適当にっていうのは失礼だが、俺は相槌(あいづち)を打った。水戸部さんは俺の相槌(あいづち)を求めていたわけではなさそうで、静かに夜の道を歩く。

 そんな水戸部さんは夏の夜にすごく合っていた。


「古城君、有賀さんのこと好きでしょう?」


「っえ」


 水戸部さんは「いきなりでごめんなさい」と謝った。でも……そうか。里見に見破られたんだから、水戸部さんに見破られてもおかしくはない。


「あぁ、いや。いきなりで驚いただけだから」


「そうよね。私も同じことをされたら驚くし、嫌悪(けんお)だってするもの。そういう意味でも、ごめんなさい」


「そんなに気にするなよ。そりゃ、多くの人に知られたいとは思ってないけど、水戸部さんは言わなさそうだし」


「言わないわ」


 水戸部さんはそこで言葉を切った。水戸部さんを見るとキレイな黒髪が彼女の表情を俺から隠している。


「あのね、古城君。私は一条君が好きなの」


「里見が?」


 言われてから納得した。

 水戸部さんは頷いて顔を上げる。青白い肌に、きゅっと結んだ唇は彼女が怖がっている証拠だった。それでも俺の方を見つめるその瞳には確かな意志がある。


「そうなの。私たち、お互いに報われない恋をしているのよ」


「……確かに。あの二人は突然つき合い出してもおかしくはないしな」


「…………うん」


 水戸部さんが俺に話しかけてきた理由はだいたいわかった。舐め合う傷とは少し違うけど、似た者同士なのか何かを感じる。


「古城君は有賀さんとイチャイチャしたい?」


「いっ……?!」


 水戸部さん、大人しそうな外見とは裏腹(うらはら)に結構聞いてくるな……。


「男の人ってそんなイメージなんだけど、偏見(へんけん)かしら」


「いや……まぁ、そうだな。イチャイチャしてみたいな」


「…………じゃあ、余計苦しいよね」


 主語が無くても伝わった。


「苦しいな」


 苦しくて切ない。


「私たちはずっとこの想いのまま……」


 水戸部さんの声は風鈴の音に消えた。

 どこかの家がつけているんだろう。今鳴っても太陽が沈んだ今はたいした効果もない。


「またね、古城君」


 風鈴を探していた俺が次に水戸部さんを見た時、後ろ姿の彼女は目を擦りながら駆けていった。その背中は、同じ想いを持つ俺に何かを(うった)えかけていた。









 水戸部(みとべ)はつのという女子に出逢って数日が経った。数日というだけあって、過ごしている日々は何も変わっていない。()いて言うならあと数日で夏休みだ。

 俺はサッカー部の友達に委員会で遅れると伝えた後、学校中を走り回った。同じ委員会の花夜(かや)の姿を探すためだ。

 放課後になって三十分が過ぎた頃だからか、花夜の姿はなかなか見つからない。自分で自分を諦めの悪い男だと思いながら、同じ委員会だからというよりも会いたいという理由で俺は花夜を探していた。

 玄関を確認すると、花夜の靴はあった。当然、里見(さとみ)のもある。校内を全部探した後でこれを見ると、ぐしゃ、と胸が潰されるような感覚を覚えた。


「……どこにいるんだよ……」


 声を振り絞る。

 こんな想いを味わうくらいなら、早く花夜を自分のものにしたい。

 俺は必死に考えて、気づいた。まだ探していない場所がある。

 俺は全速力で階段を駆け上がり、一年の教室がある三階の一番奥、図書室の扉を開いた。すぐ視界に入るカウンター席に、水戸部さんと向かい合うようにして座っている花夜と目が合う。


「花夜!」


 花夜は俺に「どうしたの、大地(だいち)」と目を見開いて返した。

 俺は息を整えて、さっきまでの感覚を拭う。図書室の効いた冷房も手伝って、俺はパァンッと手を合わせた。


「マジごめん! 俺、今日委員会で残んなきゃいけないの花夜に伝え忘れてさ!」


「えー! 何それ!」


「だから悪いって」


 いつもの調子で言えたよな。

 今の表情を見られたくないという思いもあって頭を下げる俺に「アイス一本」と花夜は言った。


「おう、いいぜ!」


 俺が返事をするのと同時に、花夜は鞄を持った。


「私、そういうことだから行くね。里見に言っておいて」


「うん」


 水戸部さんは花夜から俺に視線を移して「頑張って」と口パクで言ったような気がした。俺は花夜にバレない程度に頷いて、花夜と一緒に図書室から出た。




「あっつぅーい!」


 そう言って花夜は机に突っ伏した。今日も照りつける太陽が眩しく、この教室に冷房がないせいだ。


「花夜、大丈夫か?」


「水ぅ……、なんでもいいから私に飲み物を……!」


 ちょっと大げさじゃないか、と思うくらいに花夜は水を求めた。運動部に所属している俺は喉が(かわ)いた辛さを知っている。

 が、そんな理由ではなく俺は鞄の中からスポドリを取り出した。花夜のためなら、部活のために用意した貴重なスポドリだって無償(むしょう)で差し出せる。


「ほら。スポドリでいいか?」


「いいの?! ありがとう!」


 ()からびかけていた花夜は俺の手からペットボトルを受け取って、ニコッと笑った。ちょっとクサイが、花夜は俺の太陽みたいだ。

 花夜は新しいペットボトルのふたを開けて、ごきゅっごきゅっと気が済むまで飲んだ。スポドリの残りは自販機に売ってあるペットボトルの半分くらいしかない。


「美味し~……生き返る~」


 椅子の背もたれにもたれかかって、花夜は幸せそうな表情を浮かべた。そんな花夜を眺めながら、俺は遠足の冊子を作るために手を動かす。

 一冊一冊丁寧に、なるべく花夜と一緒にいられる時間を伸ばすために。


「花夜~」


 そう思った矢先(やさき)、里見が教室に入ってきた。


「まだ終わらないの?」


「見てわかんないの? まだよ、まだ。あんたは図書室で待ってなさい」


「えぇー……」


「ほら、早く」


 犬にするように、花夜は里見をシッシッと手で追い払う。すると今度は俺のサッカー部の友達が入ってきた。


「大地、まだ終わらないのか?」


「終わらないな。何かあったのか?」


「これから部員全員で試合するんだよ。けど人数が足りなくてさ。お前がいればぴったりなんだけど……」


「あ、じゃあ俺がそれやるよ」


 そう提案したのは里見だった。

 里見は俺の目の前にある紙の山に一瞬視線を向ける。


「やるって、お前が?」


「里見、ありがとな! 里見が試合に出てくれたら助かる!」


 里見がやると言い出したのはサッカーの方じゃない。そんなことはわかっていても、今だけはこの場所を譲れなかった。

 いつも里見が花夜といた時に俺がサッカーをしていた分、俺の貴重な花夜との時間を里見やサッカーに邪魔をされたくない。

 ここまで来てようやくわかった。

 俺は花夜とサッカーを天秤(てんびん)にかけたら、花夜との時間の方が大事なんだ。


「っえ、ちが……」


「任せたぜ!」


 俺は里見の背中を無理矢理押して、友達と一緒に教室から追い出した。名残惜しそうに俺たちを見ていた里見が教室を出た後、花夜はグラウンドの方に視線を向ける。


「あそこでやるのよね?」


「あぁ」


「ふぅん。……大丈夫かな、あいつ」


「大丈夫だって」


 花夜は立ち上がって窓を開けた。風が入ってきて涼しくなるが、花夜が窓を開けた理由はそんなんじゃないはずだ。


「早く終わらせよっか、大地」


 花夜はグラウンドを見ながら言った。俺はすぐに返事を出来なくて、妙な間を作ってしまう。花夜が振り向くと目が合って、俺は「だな」ととっさに短く返した。

 水戸部さんに頑張るとか言っておいて、情けない。俺にとってサッカーが大事であることに変わりはないけど、花夜はサッカーよりも大事だった。

 今日一日でこんなに多くのことに気づけたのに、俺はいったい何がしたいんだ。


「大地? なんか元気ないけど、どうしたの?」


「いや、別に何でもねぇよ」


 なるべく普通を(よそお)って言う。花夜は納得してくれたのか、変な方向に察したのか


「わかった。これを早く終わらせればいいのよね!」


 と、丁寧でありつつ素早く手を動かした。まぁ、花夜がそう勘違いしても仕方ない。俺も覚悟を決め、作業に没頭(ぼっとう)した。




 委員会の仕事を終わらせて、俺たちはグラウンドへと向かう。そこにはサッカー部と里見が試合をしていた。


「えっと……あれ、里見?」


 俺が指を差したのは、軽快(けいかい)な身のこなしでサッカーをする一条里見(いちじょうさとみ)のような人だった。


「そう……みたい」


 隣の花夜もあんな里見を初めて見たのか、茫然(ぼうぜん)と沈みかけている太陽に照らされる里見を見ている。


「あいつ、あんなに動けたのか」


「……わかんない」


 花夜は首を横に振った。俺は、何年も幼馴染みとして隣にいる花夜から、まだ見せたことのない自分を引き出せる里見を(うらや)む。


「すごい」


 俺たちに気づいた里見は、ニコッと笑って手を振った。花夜も手を振って俺に目配せをする。

 見る限り、試合が終わりかけているのに今さら俺が入ってもチームの雰囲気(ふんいき)を乱すような気がした。里見の入っているチームは冷静で、純粋にサッカーを楽しんでいるように見えた。

 試合が終わり、笑う花夜に俺は尋ねる。


「なぁ、花夜。ちょっといいか?」


「え? ……うん、いいけど」


 俺は花夜を体育館裏に連れていき、ずっと言いたかったこと。今日、言いたいと強く思ったことを告げた。


「俺、花夜が好きだ」


 花夜は数回まばたきをした。


「え、え? 私? なんで?」


 だいぶ花夜らしい返し方で、俺は少し笑う。


「同じ委員会で仕事してくうちに、好きになっちまったんだよ。だから、俺とつき合ってほしい」


 これが俺の本心だ。花夜は「きゅ、急にそんなことを言われても……」と戸惑っている。確かに花夜からすれば急な話だ。


「じゃあ、俺のこと嫌いか?」


「そんなわけないじゃん! 大地は……その、いい友達だと思ってたから」


 嫌いじゃないのがせめてもの救いだった。いい友達でもクラスメイトじゃないだけマシかもしれない。


「…………いい友達は恋人にはなれないか?」


「……わ、わかんないよ」


 俺も花夜も何も言えなくなった。

 茜色に染まる世界で、花夜は表情をコロコロと変える。


「時間をちょうだい」


「花夜が必要だって言うなら、そうするよ」


 俺たちは無言のまま体育館裏から出た。

 茜色のグラウンドを背に、アスファルトの上に立っている人影を見る。それは里見と水戸部さんだった。

 不安そうな表情の水戸部さんと目が合って、俺は笑った。今の俺にできる精一杯の笑顔を見せた。

 やるだけやったという思いを伝えた。









 夏休みに入っても部活に休みはあまりなく、俺は部室の扉を開ける。するとそこには何故か里見(さとみ)がいた。


「里見?!」


 俺があいつの名前を呼ぶと、里見はニコッと笑って手を上げた。


「やぁ、大地(だいち)


「やぁって……お前、なんでここに?!」


「ん? 誰かから聞いてない? 俺、今日からサッカー部の助っ人になったんだぁ~」


 里見が力こぶを作ると、半袖だからか意外とある筋肉がよく見えた。


「助っ人って……」


「今日はその挨拶みたいなものをしにね。だから、これからよろしく。大地」


 困惑する俺を他所(よそ)に、里見は何を考えているのかずっとニコニコと笑ったままだった。最初は不気味に思えたその笑顔も、しばらくすると穏やかなそれに見えてくる。

 里見が去って、練習を始めようと部室から出ると花夜(かや)木陰(こかげ)から俺を見ていることに気づいた。慌てて駆け寄ると、花夜は俺を見据(みす)える。


「……花夜」


「私も大地(だいち)が好き」


 花夜は真剣な表情でそう言った。


「だから、大地とつき合いたい」


 その瞬間、体の芯から熱くなるような感覚を覚えた。

 好きな人に好きと言ってくれることは、こんなにも嬉しいことなのか。俺はまったく知らなかった。


「花夜!」


 とっさに花夜を抱きしめた。

 止まらなかった。

 叶わないと思っていた分、叶った瞬間どうしようもなく思いが溢れだしてくる。


「好きだ」


「私も好き」


 ぎゅっと花夜が俺の腰に手を回した。

 それだけで花夜の体温が熱く伝わる。

 木葉(このは)で太陽が(さえぎ)られても、俺の太陽は有賀花夜(ありがかや)だ。

 誰がなんと言おうと、俺の太陽は花夜だった。

 花夜を腕の中に抱いて幸せを噛みしめる。今この瞬間、世界で一番の幸せ者は俺だ。


「……花夜、ありがとう」


「な、何よ急に!」


 照れているのか、花夜は顔を真っ赤にさせて俺を見上げていた。俺は里見ではなく俺を選んでくれた花夜に、俺の今の気持ちを伝える。


「お前のこと、ぜってー幸せにするから」


「……きょ、今日の大地なんか変! 絶対変だよ!」


「変にもなるっての」


 だってお前は、俺の初恋太陽なんだからな。

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