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八 ツーショット

                     §



 宝石のようにきらめく街の灯りの向こうに、空と海が黒々と横たわっている。

端の方だけ僅かに茜色に染まっているのは、ついさっきまでの夕景の名残。


 遠景をぼんやり眺めながらグラスに唇をつけていたら、窓ガラスの向こうに見慣れた顔が一瞬映った。

格好は見慣れないスーツ姿だけど……間違いない、美矢だ。

振り返って軽く手を挙げると、私に気付いたらしくまっすぐこちらに向かってきた。


 「早いな。定時で上がってももう少しかかると思ったのに」

すぐ隣に腰を下ろしながら美矢が言った。

「フレックス使って三時に上がっちゃった」

「おいおい社会人!飲みに行くのにフレックスかよぉ」

少し呆れたように言われて

「普段は残業休出当然だもの。こんな時くらいはね」

軽くいなしついでに付け加えて

「朝からいい天気だし、多分夕焼けも綺麗だろうと思って早めにきたんだ」

「へ?」

「ここ、夜景だけじゃなくて夕方の眺めもいいのよ」

「……って、まさか、三時に上がってここ直行で……真っ昼間から飲んでたってか?」

にっこり頷くと、今度こそ美矢は、少しどころか思いっきり呆れた表情を私に向けてきた。


 美矢が誘ってくれたのは、市内最高層のミストガーデンズホテルのトップラウンジ。

山の手の高台に立つ超高層ホテルの最上階だけあって、ここから見る港町の夜景は凄く綺麗で

『百万ドルをふたりじめ』

っていうのが売り文句のオトナの雰囲気満点の人気デートスポットだ。

今時、百万ドルって表現はどうかと思わないでもないけれど、豪華さの程は十分伝わるからいいのかな。


 美矢の事だからカジュアルなレストランで夕食か、居酒屋でナベをつつくあたりを想像していたのだけれど、まさかラウンジに誘われるとは思ってもみなかった。

西の空がラズベリー色からラベンダー色へと染め変えられて、無機質なビルの群れがきらきら光る宝石に変わる様を眺めながら。

ゆっくりと一杯のカクテルを傾けて、私は美矢が来るのを待っていた。

仕事帰りにこんな時間を持つなんて、凄い贅沢な気分。

それにしても。

「フレンチフルコースは期待するなって言ったけれど、ここだって結構物入りじゃない?いいのかしら学生さん?」

「フルコースに比べれば大したことないって」

丁度オーダーを取りに来たので、美矢はジントニックと軽めのつまみとサラダを頼んだ。

「弓佳は二杯目いくだろ?」

「ああ、ええ……じゃ、ファジーネーブル」

美矢に促されて追加オーダーしたのはいいけれど……本当にいいのかしら。

ここって、地上からの高さに比例してチャージも結構なお値段なんだよね。

美矢は知っているのかなあ。でもそんな事をわざわざ確認するのも何だし。

当の美矢は眼下の夜景に目をやりながら

「入るとき、連れが後から来るって言ったんだ?」

「うん。男性が一人後から来ますって」

ここの窓際席は、夜景に向かって半円形のテーブルに二人でやや斜めに向かい合わせに座れるように出来ている。無論並んで座る事も可能だ。

自然、窓際には男女ふたり連れの客が優先で通される事になる。

それを知っていたから、私は敢えて男女二人を予告して通してもらったんだけどね。

美矢は少し笑って、言った。

「だよなあ。ツーショットでなければ大抵窓際席には案内しないらしいから、ここ」

「あら?何だか慣れている風だけど、来たことあるの?」

「修論出した日にな」


 うっ……。

一瞬、返す言葉に詰まった。

それってもしかして、彼女と……だよね。

『ゴージャスな祝杯デート』って、ここの事、だったのか。


 あの日……美矢は『彼女と喧嘩した』って、ぐでんぐでんに酔っ払って真夜中に家に転がり込んで来たんだった。

そして。

そして……

……うわあああ~!


 こんな状況で一番思い出したくなかった記憶が、鮮やかに脳裏に蘇り。

内心めちゃくちゃ焦りまくった私は慌ててそれを打ち消そうとして、思わず


 「じゃ、何?まさかここでやっちゃったの?喧嘩」


それこそ思い出すべきでない、物凄く馬鹿な質問を口にしてしまった。

言った直後、しまった!と思ったが、時既に遅し。

一瞬、目を丸くして私をまじまじと見た美矢は

「……直球のツッコミだな」

苦笑しながら、そうだよ、と頷いた。

「あーあ……チャージ四千円と百万ドル、まとめて捨てたようなものね」

取りあえず平静を装ってそう返す。

「ミもフタもない言い方するなよぉ……その通りだけど」

言いかけてふと、何か引っかかったのか

「さっきから気になってたんだけど……弓佳も、何か、ここ詳しいじゃん?」

「……前に来た事あるもん」

「誰と?」

聞くだけヤボでしょ。

と、普段ならこの手のツッコミはあっさりとかわすのが常の私だけど

「前カレ」

何故かすらっと、馬鹿正直に返答してしまった。

「前カレって、四年の頃付き合ってた奴?」

珍しい反応を返してしまったからか、すかさず美矢が突っ込んで来る。

「いつの話してるのよ?そんなの卒業前に終わってるって」

「は?じゃあもしかして去年付き合い始めたばっかりの方かよ?もう別れたってか?」

「そうよ」

……何でこんな話になるのよぉ!私の彼氏遍歴なんかばらしたくないのに!

呆れたような顔をして私を見ながら、美矢はふっと溜息をついた。

「おまえさぁ……付き合うスパン短くない?」

「貴方がそれ言う?」

流石に美矢にだけは言われたくないと、すかさず反撃すると

「ああ、まあ、そうだよな」

呟いて。

そのまま、しばらく美矢はじっと黙って、何事か考えていた風だった。


 何だか、どんどん雰囲気が気まずくなっている気がする。

そう思いながらもこの流れから飛び出すきっかけがつかめない。


 気を落ち着かせようと、窓越しの夜景に目をやりながら

「ねえ、何が原因か知らないけれど、ここで喧嘩はまずいでしょう。彼女相当怒っていたんじゃないの?」

心に浮かんだ事をそのまま口にした結果、中途半端に変な所に話を戻してしまった。

あああ~私ってばもう、大馬鹿!

と、美矢は何か言いたげな顔を私に向けて……やっぱりいいや、という風に視線を逸らした。

うわ、もしかして落ち込ませちゃった?

「あ、ごめん!余計な事だよね」

「いや、いいんだけど」


 更にドツボにはまってしまった私達の間に、白々とした空気が流れていく。

折角のゴージャスなトップラウンジ、それも美矢の奢りなのに!

眼下に展開するネオンのキラキラが暗く萎んでいくような気がする。

これじゃ喧嘩で雰囲気を台無しにするのと大差ないよ……とほほ。


 と、

「原因……修論なんだよな」

ぽつりと美矢が呟いた。


 一瞬、『原因』が何を指すのか読めなかった。

話の流れからするとそれは無論

「……って、喧嘩の原因?」

なんだろうけれど。

美矢はちいさく頷いた。


 何故、修論?

美矢の彼女ってもう社会人だし、美矢より四つ五つ年上だから大学卒業して結構たっているし、そもそも専攻が違う。彼女は西洋史だったって聞いている。

だから内容的な事が問題なんじゃない、多分。

修論で忙しくて構ってもらえなかったから怒っている、とか?……いい年してまさかね。

 

 美矢は内心の私の疑問をきちんと読み取ったらしい。

「俺が、おまえの家で徹夜で修論を仕上げた事が気に入らなかったらしいんだ」

「……はい?」

何時の間にか始まったジャズの生演奏をBGMに、運ばれてきたジントニックを傾けながら、美矢は窓ごしに遠くを見ていた。

「あの日、彼女が俺に連絡を取ろうとしたらしいんだけれど、ケータイ家に忘れててさ」

「……」

「家電にかけてもケータイにかけても出ないから随分心配したらしいんだ。締切前日にどこかへ行くはずもないし。メールを入れても留守電にメッセージを残しても折り返してこないし変だって」

要するに、この間の私が美矢にさせたような事を、彼女にさせちゃった訳だ。

「で、会った時最初にどこにいたのか聞かれて、おまえの家にいた事を話したら、怒っちゃって」

……ああ、そういう事か。


 『他の女があれこれ彼氏の世話を焼いているって、あんまりいい気しないんじゃないか?』

『普通、いとこって結婚OKなんだぞ?一般的には十分、他の女なんだって』


 この間、美道に言われた事を思い出す。

やっぱりそういう風に受け取られてしまうのね、従妹って立場は。


 「……まあ、解らないでもないわね」

私の呟きに

「何で?」

美矢はそこで、心底不思議そうな顔を私に向けてきた。

大事な日に所在が全くつかめず、一晩中心配して翌日会った時に訊ねたら、他の女性の家にいて、しかもケータイを家に忘れていました……なんてけろりと言われたら。

彼女の立場の人からすれば、結構気分悪いかも。

と……美矢に説明してはみたのだけれど、今ひとつ理解出来ないらしい。

「大体、他の女ったって、従妹の家だぞ。それに遊びに行った訳じゃないのに」

私が美道に言ったのと同じような事を、美矢は口にした。

「それはそうなんだけどねぇ」

美道に指摘されるまで認識が甘かったのは私も同じだから、あまり偉そうな事は言えないんだけれど。


 「で、何?その正論、その言葉の通りに彼女にぶつけた訳?」

「うん」

悪びれもせず頷く美矢の顔を見ながら、私はほうっと溜息をついた。

「……そりゃ、喧嘩になるわね、当然」

「何でだよ?」

「あのね、従姉妹って結構微妙な存在なんだよ?姉妹と違って、恋人にもなれるし結婚だって出来るんだから」

どこからどう説明しようと思いつつ、とりあえず美道の受け売りで解説を試みてみる。

「俺とおまえの場合、そういうのアウトだろう」

「一般論。彼女、ウチの事情までは知らないんでしょ?」

「……ああ、まあ、そうだけど」

「だから、彼女にしてみれば従妹だって十分『他の女』なんだって」

美矢、まだ納得がいかないという表情をしている。


 ああ、もう。

これだけは出したくなかったんだけれど、仕方がない。


 「中学の時の……菜香なかちんの事、覚えてる?」

美矢が覚えているかどうか怪しい位昔の、元カノの名前を口にすると、美矢がすっと真顔になった。

「……上村菜香うえむらなか?」


 うっ。

もしかしたら……地雷踏んだ?

もう何年も前の、ほんの一時期付き合っただけの子の事なのに、フルネームで即答、しかもマジ顔で。

一瞬どうしようかと迷ったが、口にしてしまった以上、もう話すしかない。


 「あのね、あの時私、黙っていたんだけれど、引っ越した後に菜香ちんから手紙をもらったの」

「何時頃?」

「ええと……三学期が始まる前、だったかな」


 上村菜香さん――菜香ちんは、中学二年の始めに転入してきて、また転校していった子。

私は最初から結構ウマが合って、大の仲良しになった。

美矢と付き合っていたんだけれど、美矢の元服式を直前に控えた、中二の二学期の終わりに彼女が引っ越して宮江を離れて、何となくそれっきりになった。

……というのは、表向きの話。

実は菜香ちんとしては『身を引いた』位の気持ちだったらしい。


 中二のお正月の……美矢の元服式の日、美矢は菜香ちんから電話をもらっている。

これはその場にいた私が取り次いだからよく覚えている。

その時は本家で祝いの宴会の真っ最中だったから。

そこでどういうやり取りがあったのかは知らないけれど……そのすぐ後に、私は菜香ちんから手紙をもらった。

それは、ハガキで済ませられそうな程の短い文面で。

多分、内容的にハガキではまずいと思って手紙にしたんだろう。

タロー君とゆんちゃん――同級生うちでの私達のあだ名――の間には誰も入れないと思う。自分はもう出来ないけれど、どうかタロー君を大切にしてあげて欲しい……大体そんな内容だった。

……読んだ時、私は本気でどうしようか悩んだ。

菜香ちん、完全に私と美矢の仲を誤解して、身を引く気になってしまったらしい。

学校で直にやり取りしていた手紙はいつも、便箋を何枚も使って他愛のない事を書き連ね合っていたのに……たった一枚の便箋に数行、簡潔にまとめられていた文面に、彼女の思いの複雑さを痛い程感じた。

大好きな友達、離れてもずっと繋がっていたいと……思っていた子だけに、そんな思いをさせてしまった事が辛かった。

ただ……同時にその頃の美矢の様子が変だったのも、気懸りだったのよね。



 美矢がノー天気にけろりとしているんだったら、菜香ちんの手紙の話をぶつけて、元服式の時の電話の内容を聞き出し、何とかしろって迫る所だったんだけれど。

あの時の美矢には、とてもそんな事は出来なかった。

彼女をとっかえひっかえしていた美矢にしては珍しいって位、傍目にもひどい落ち込みようで。

……本気で好きだったのかな、菜香ちんの事。


 美矢は多分、自分が菜香ちんに振られた、という認識だったんだと思う。

ふたりの間でどんな話が交わされたのかは判らないけれど、ふたりが話した結果がそれなんだとしたら、外野の私が口を挟む余地はない。

おまけに、所詮は中学生の恋愛。物理的な距離が出来てしまってはもうどうにもならない。

美矢には何も聞けず、菜香ちんにどう返事を書いたらよいのか考えあぐねているうちに、いたずらに時が過ぎて。

彼女からもそれ以降、便りはないまま……私は大切な友達をひとり、失った。


 今だったら何となく想像がつくんだ。美矢が菜香ちんに何を言ったか。

多分、今回と同じような事を何も考えずに言っちゃったんじゃないかな。

だったら、同じ間違いを美矢に繰り返して欲しくはない。


 手紙の内容を美矢に話すと、美矢は腕組みをして何やら考え込んでしまった。

「知ってた?」

美矢は黙ったまま首を横に振った。でも、何かあんまり意外そうでもない。

「黙っていてごめん。女子同士の話だし、あの頃美矢も相当落ち込んでいたようだし……何となく言いにくかったんだ」

今更ながらそう言うと、美矢はふっと顔を上げて。


 「弓佳、もしかしてあの時俺に気を遣ってた?」

「え?」

「あの頃二人で毎日一緒に下校していただろ」

「あ、うんそうだったね」

「気を遣われているのかな、とは思っていたんだけどな……やっぱりそうだったんだ」


 ………大当たり。


 授業中でも、休み時間でも、ふと気が抜けると半端ない落ち込みっぷりを見せる美矢が心配で。

菜香ちんが転校するまで美矢と一緒に下校していたように、一時期私が美矢と一緒に下校するようにしていたんだ。

従妹を相手に馬鹿な話でもしていれば、ちょっとは気が紛れないかと思ったりなんかして。

それでいて、菜香ちんには手紙の返事ひとつ書かなかったんだから。

遠くの菜香ちんよりも目の前の美矢のアフターフォローを優先してしまった私が、彼女に友達として愛想を尽かされたのは、当然の結果だったんだろう。


 「……ああ、もしかしたら私が悪いのかな」

ふっと、気付いた。

「何が?」

美矢が不思議そうに私を見る。


 「美矢が昔からあんまり私に頼ってくるから、そんな風に誤解されるのかなと思ったんだけれど、私ががっつり期待に応えちゃうのも問題なんだよね、きっと」

「……」

「まあだからさ、私達って昔からそういう誤解を招く要素満載だったって事で、これから気をつけない?」

「気をつけるって、何を?」

「お互いいとこ離れしようよって事。やっぱり、従妹よりは彼女を大事にしなくちゃね」

半ばおどけてそう言うと。


 「俺はそうは思わない」

妙に真面目な口調で、美矢がそう返してきた。


 「え?だって、普通そういうものじゃないの?」

あまりにも意外な反応が返ってきたので、私は心底驚いた。

美矢はジントニックを一口二口飲みながら

「いくら彼女だって、いとこ付き合いとかまでとやかく言われたくないよ」

「いやまあそれはそうだけど」

私が言いかけたのを遮るように

「大体、俺にやましい所は全くない」

美矢はすぱっと言ってのけた。

いやまあそれはそうだけど……と二回言うのも何なので、私は黙るしかなかった。


 美矢の言う所は確かに正論だ。だけどそんな事で彼女と喧嘩なんかする?

しかもこんなに、贅沢な雰囲気のトップラウンジで。

私達は今、別に喧嘩腰で話し合っている訳ではないけれど……それでもこんな不毛なやり取りは、この場には明らかにふさわしくない。


 「まあ、正直もうどうでもいいんだけれどな、そんな事」

美矢が投げやりな声でそう言ったのに、私は慌てた。

「ちょ、ちょっと何言ってるのよ。どうでもよくないわよ?まだ仲直りしていないんでしょ?」

と、美矢は何か言おうと口を開きかけて……また口を閉じた。


 さっきから何か言いたそうなんだけど、これなんだよね。何なんだろう。


 何だか中途半端に酔いが覚めてしまったので、とりあえず目の前のファジーネーブルを飲み干して、私はカルーアミルクを追加注文した。

美矢はジントニック二杯目をオーダー。殆ど待つ間もなくグラスが運ばれてきた。

甘い香りを楽しみながら、遠くの海を行く客船と思しき明かりに目をやって……ふと思った。

「……彼女に説明したら?うちのタブーの事」

私と美矢の間では付き合うとか結婚とか有り得ない、って。それを話したら誤解は解けるんじゃないかな。

美矢は何も言わずにジントニックを飲んでいた。

「あ~!今更だけど菜香ちんにもそれ言えば良かった。私、何で気がつかなかったんだろう!」

本当に今更過ぎてどうしようもない……と。


 「上村は知ってたよ」

グラスを傾けながら、美矢がぼそりと言った。

「……え?」

知ってた、って?


 「付き合い始めた頃に話したから。それこそおまえの事を何か勘違いしていたらしくて。だから俺達はそんなんじゃないって、その時に話した」


 ……ちょっと、待ってよ。

じゃあどうして、あんな手紙が来るの?


 『ゆんちゃんはタロー君にとっては特別な子なんだよ』

『多分、誰もゆんちゃんの代わりにはなれないと思う。私も無理だった』

『彼女とかじゃなくても、タロー君を大事にしてあげてね』


 手紙の正確な言い回しを、不意に思い返した。


 そう、確かそんな文面。

『特別な子』って、『代わりにはなれない』って……あまりにも重々しい言い回しで。

当時の私には意味不明過ぎて、自分の中で単純化して消化してしまった。

菜香ちんは、私と美矢の間には誰も入れないと思っている……そんな程度に。


 『彼女とかじゃなくても』って……そっか。

菜香ちん、事情を知っていたからそういう表現を使ったんだ。


 で、『特別』って何なのよ、一体。

私と美矢の関係を知っていて、何でそんな言葉が出てくるわけ?

誤解からじゃないとすれば……余計に意味が解らない。


 あ~、頭が微妙にくらくらしてきた。

思わずカルーアミルクをがぶ飲みしてしまう。

「おい……そんな飲み方して大丈夫か?」

心配そうに私を見る美矢の顔が、微妙に上気している。

「酔ってるでしょ?」

「は?」

「よっちゃんが、よっちゃったぁ」

「……酔ってるのはおまえだろうが」

呆れ顔で美矢は、ジントニックを一気に飲み干した。

グラスを置くと

「ここ、出るか」

「え~何でぇ?」

「がぶ飲みとか一気飲みするような場所じゃないだろ」

「自分で一気飲みして何言ってんのよ」

「俺はいいの。どうせ居酒屋のオトコだから」

「……意味不明」

「わかんなくてもいいよ別に。とりあえず、出よう」


 居酒屋のオトコ、って、何なんだ一体?

ちゃんと考えようとするんだけれど、どうにもアタマが回らない。

ああ、何か酔ってるな私。

でも、さっきの話だけはちゃんと続けたい。

こんなチャンスでもないと話せない気がする。もう絶対。


 「じゃあ、まだ時間早いし、ウチで飲み直さない?」

……酔っている割にはしっかりした口調で言えた。私、上出来。

と、美矢はちょっと考えて

「酒あるんならいいけど」

と言った。

「まっかせなさーい!この間実家からレミーマルタンくすねてきたから」

えへん、と胸を張った私に、美矢はほぅ、と溜息をついて

「……次郎叔父さん、今頃泣いてるぞ」

ウチの父に心底同情する、という口調で呟いた。


 美矢が支払いをしている後ろで、微妙に危うい足元を気にしながら立っていて。

ふと、問題の晩の事を思い出した。

あれ?私さらっと美矢を部屋に誘っちゃったんだけど?

あんなに気にしていたのに何なんだ私。


 ……ま、いっか。


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