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四 夢

                      §



 青い海原を、はるか向こうに望んで。

私は岩場に立っていた。

白い衣の女の人達に囲まれて、かしずかれて。

そのうちのひとりが、私の前にしずしずと進み出て来た。

『キコエオオキミオセヂ』


 ……きこえおおきみおせぢ?


 「何言ってるんだよ弓佳っ!」

はっと気が付いて、机から顔を上げた。

すぐ横で、美矢が床に座り込んで、背中を丸めて……笑っている。


 「何?何かあった?……やだごめん私、寝ちゃってた!」

自分の置かれている状況が一瞬把握出来なくて、私は辺りをきょろきょろ見回した。


 美矢の原稿に目を通して、大体の入力量のメドがたったので、予想よりも少しでも所要時間を縮めようと入力速度をかなり上げた。

思ったよりもかなり早く、出来上がっている分の草稿を全部入力し終えてしまい。

次の草稿が上がるまで時間がかかりそうだったので、確認のためにそれまで入力した分を原稿用紙のページ設定で全てプリントアウトした。

そして美矢が草稿を数枚書き溜めるまで、机に突っ伏して休憩のつもりが……すっかり寝入ってしまったらしい。


 それにしても……何でお腹を抱えて笑い転げてるんだろう、美矢。

「何?どうかしたの?」

「いや、おまえ……どんな夢見てたんだよ?……ぶくくっ……」

まだ笑い足りないらしい。

「夢?夢って…あー、何か白い服着た人達に囲まれて何か言われて…よくわかんないけど?」

美矢はそれを聞くと、少し離れた所にあるベッドまで、お腹を押さえながら歩いて行って。

そこに突っ伏すなり布団をばしばし叩いて、また笑い始めた。

「何よ?何がそんなに可笑しいのっ!」

「きっ……きこえおおきみおせぢってっ……おまえどんだけ影響受けやすいんだっ!」


 布団に顔を埋めて笑い声を殺しながらもひーひー言って転げ回っていた美矢が、何とか笑いを収めた後、それでも口許を引きつらせながら話してくれた。

私、美矢が起こす声に反応して

聞得大君きこえおおきみオセヂ』

と呟いたんだそうな。

「え、何だっけそれ?聞得大君って……琉球の神女ノロ組織のトップにいる人、だよね?」


 それは、先に預かった草稿を入力していた時に書かれていた言葉。まだ意味を考えながら入力する余裕があった頃に読んだ所だ。

確か、琉球国王の『オナリ神』で、王国の最高権力者である国王と王国そのものを霊的に守護する存在とされ、原則として終身制で、王の姉妹や王女等の王族から任命されたとか。

その就任儀礼は、現在世界文化遺産に指定されている、斎場御嶽せーふぁうたきという神聖な岩場で行われていた。神女によって『聞得大君オセヂ』と命名される事によって、新しい聞得大君が誕生する、のだと。


 「もしかして俺の論文の読み過ぎで、聞得大君になった夢でも見たのか?」

まだ笑いを顔全面に張り付かせたままの美矢の問いに、思わず頷きそうになって……でも。

「え、ううん、何か、綺麗な女の人に聞得大君なんとか」

「聞得大君オセヂ?」

「ああそれ。そう声をかけたの。そしたら美矢の声がして、目が覚めた」


 頷く代わりに、何故か夢の中の立場を逆にして、私は答えていた。

そして。

「今、何時?うわ四時過ぎてる!草稿少しは貯まった?」

話を目の前の切羽詰った現実に戻した。

「おまえが寝てる間に三枚は書けたよ」

「やだ!そんなに寝てたの私!起こしてくれれば良かったのに」

「おまえなら三枚位、あっと言う間に入力出来るだろ?だから全部書き上げるまで起こさなくてもいっかと思っていたんだけどな……あんな面白い寝言言うから」

そう言って……また思い出したようにくすくす笑う、美矢。

「笑い過ぎ!大体、誰のせいよ?間違いなく貴方の論文の影響でしょ、あんな訳わかんない夢見るなんて……」

ちょっとむっとしながら、そこまで言いかけて。


 「……ねえ?今、全部書き上げるまで起こさなくても、って言ったよね?メドついたの?」

二、三時間前とは全然違う、余裕を感じさせるような穏やかな美矢の笑顔と、ついさらりと聞き流しかけた重要な発言に、今更ながら気付いた。

美矢はにっこり笑いながら、頷いた。

「後二枚位で、仕上がるよ」

「ホント!凄い!思ったより早く仕上がったね!」

「ああ、弓佳が超・過酷な環境を整えてくれたおかげで睡魔を克服出来たからな」

「何よそれ!」

「感謝してんの。本当に、有難うな」


 笑顔で真正面から、改まった御礼を言われて。

何だか照れてしまって、どういたしましてと返す代わりに

「まだ礼は早いわよ、全部終わってないんだから。出来ている分入力するから、ちょうだい」

私はほんの少し美矢の顔から視線を逸らしながら、催促の手を差し出した。


                     §

 

 入力を再開する前に、プリントアウトした入力済分の原稿の順番を整えて、美矢に渡した。

草稿が全部上がり次第、私が残りの草稿を打ち込み終わるまでの間に、原稿に全部目を通してもらって、誤字脱字のチェックの他、全体の構成をどうするのか指示を書き込んでもらう。

私が全部入力し終わったら、残りの分もプリントアウトして同様に美矢がチェックし、その間に私は美矢の指示に従って原稿の構成をパソコン上で整える。

そして残りの分を反映すれば、完成だ。

「あと二時間もあれば何とかなりそうね」

「ああ」

「コーヒー入れようか?」

「ありがと、頼む」

かちかちに固まった両肩を回しながら、私は席を立った。


 コーヒーが出来上がるのを待ちながら。

キッチンのカウンター越しに、黙々とテーブルに向かって執筆作業をしている、紺色の半纏の背中をぼんやりと眺めていて。

ふと、さっきの夢の事を、思い出していた。


 『聞得大君になった夢でも見たのか?』

図星だった。けれど、何故か咄嗟に誤魔化してしまった。

『聞得大君オセヂ』と……私が誰かに言ったんじゃない。

私が誰かに、言われていたんだ。


 琉球王国の最高位にある国王と王国そのものを霊的に守護する、聞得大君。

それは……宮江一族の総領の護り神として、同時に一族の戦勝と安寧をも守護していた、宮江の斎姫とあまりにもよく似ている。



 『一族の一の姫君は、一族と総領を護る力を氏神様から授かるんだって。ばば様が言ってた』

『ふうん?』

『それで、昔だったら、一族を護る斎姫として氏神様にお仕えしていたんだって』

『いつきひめ?それって偉いのか?』

『そりゃ偉いよお。一族の護り神だよ。総領より偉いの。だからよっちゃんより偉いんだよ、だ』

『何だよそれ!』

『怒んないでよ。だから弓佳が、よっちゃん護ってあげるんだから』

『ゆんちゃんが?』

『うん、だって今は弓佳が、宮江の一の姫だもん!』



 昔……『おまえが宮江の一の姫なんだよ』と、母方祖母に教えられたその日。

遊ぶ約束をして氏神様の御神木の楠の下で待ち合わせていた美矢に、会うなり祖母から聞いたばかりの話を披露した。

その頃既に歴史が好きだった美矢なら、興味を持って聞いてくれそうな話だと思って。


 今にして思えば。

いくら幼かったとは言え『弓佳がよっちゃん護ってあげる』なんて物凄い科白を、よくも美矢に面と向かってきっぱりと言えたものだ。

後になればなる程、思い出すだけでも恥ずかしいと思うようになり。

……あの時の話の内容を、再び美矢と話題にした事は、以降一度もない。


 『総領より偉い』って所に激しく反応して怒っていた『次期総領』の美矢が、あの時たった一度だけ話した『斎姫本来の役割』を覚えているかどうかは判らないけれど。

もし覚えていたら……美矢の事だ。私同様、聞得大君との共通点に気付いて、興味を持つはず。

『宮江の斎姫』の私が、夢で聞得大君になってたなんて言おうものなら、美矢はすかさずその共通点を挙げて話題にするんじゃなかろうか。

……それが、怖くて。


 でも、もしかしたらあの時の話の内容なんか、美矢の記憶には全く残っていないかもしれない。

もし美矢から、何の反応もなかったら……そうだと思い知らされる事になる。

……それも、怖くて。


 何でそう思ったのか、自分でもわからない、けれど。

どちらの反応が返って来るのも怖くて、あの時私は即座に逃げを打っていた。

見た夢の内容を、咄嗟に誤魔化して。



 日本古来の神様に仕える女性の場合、巫女とか斎宮とか、未婚の乙女に限られるものだけれど、琉球地方の神職の女性はそうではないらしい。

美矢の論文の中で、少しだけその事に触れられていた。

おや、と思ってネットで少し調べてみたら、神女の頂点に位置する聞得大君の殆どが既婚だったらしいと、解った。

そんな風についつい首を突っ込んでしまったせいで、あんな夢を見たんだろうか。


 出来上がったコーヒーをマグカップに注ぐ。

私の分には砂糖とたっぷりのミルク。美矢はブラックのまま。


 執筆に没頭している美矢の邪魔にならないように、少し離れた場所にコーヒーを置くと、小声でありがと、と言われた。

その時、ほんの一瞬

『聞得大君みたいに、宮江の斎姫も結婚OKだったら、伝説みたいな悲劇は起きなかったのにね』

そう、言いたくなって。


 ……だけどやっぱり、言えなかった。



 全ての草稿を入力し終えるのと前後して、新聞配達のバイクの音が窓越しに聞こえて。

どこかから鳥のさえずりが聞こえ始めた頃、全文の構成の整理が終わった。

原稿用紙にプリントアウトして、チェックして訂正分を再度印刷して。


 「出来たあ!」

「良かったね!これで就職出来るよっ!」

「いやまだこれ通るか判らないし、口頭試問とかもあるし……」

「何言ってるの!通るよ絶対!美矢なら大丈夫だって!」

「ありがと!本当に助かった!有難う弓佳!」

徹夜明けのハイになった頭で、美矢と私ははしゃぎながら、お互いに両手を握ってぶんぶん振り合った。


 時に、金曜日、午前六時二十分。

カーテン越しの窓の外は、大分明るくなっていた。


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