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九 特別なひと

                     §


 「なあ、ビールないのビール」

「はぁ~?何贅沢言ってんの?ナポレオン様に文句でもあるっての?」

「いや何かもう……俺、所詮シトワイヤンだし皇帝陛下なんて畏れ多くて」

……何を言っているんだこいつは。酔っ払ってるのか。

「シトワイヤンって何よ」

「市民」

「んな事わかってるわよ。シトワイヤン、いこー!でしょ」

「何だよそれ」

「タカラヅカ。知らないの?」

「……おまえ相当酔ってんのな」

「貴方に言われたくないんですけどぉ」


 ガーデンズからどうやって家まで帰ってきたのか、実はよく覚えていない。

カクテル三杯で酔った?まさかね。

で、気が付いたら目の前のレミーマルタンが半分減っていた。

私も美矢も結構飲んだんだなぁ。


 ……あれ?

私、何で美矢をここに呼んだんだっけ?飲み足りないから飲むためだけ?

こんなくだらないやり取りをするため?

何か違う気がするんだけれど……。


 「んー、眠い……」

横で飲んでいた美矢の頭が傾いた。

そのまま私の膝めがけて倒れかかってくる。


 ……えーと。

これは……いわゆる『膝枕』っていう、ものよねえ。


 アルコールが程よく回った頭でぼんやりと考えた私、

「……なあに、甘えてんのよ」

美矢の頭を抱え込むようにして、柔らかな髪をくしゃくしゃっとかき回す。

「……うにゃ」

猫みたいに膝の上で甘えた声を出す美矢が、妙に可愛く思えて、私はくすくす笑った。

変なの。

いくら従兄妹同士だからって、じゃれ合って遊んだ長年の実績があるからって、二十四にもなった男と女のやる事じゃないわよねえ、これ。

まるで、恋人同士みたい。

そこまで考えて、私、何となく口を開いていた。

「ねえ、最近何かあったの?」

「なあにかってえ?」

とろんとした声が返って来る。

「だって……」


 今日の美矢、最初から何か変だよ。

ガーデンズで飲んでいた時もずっと、何か言いたげだったし。

それに、お互いいい年になってから、ここまでダイレクトに甘えてくるなんて事なかったのに。

先日の晩の事は……まあノーカウントだ。あれは甘えとはちょっと……いやかなり、違う。

でも、今日のこれは、明らかに『従兄のよっちゃん』の甘えモードだ。

こういう場合は、長年の経験上、何かあったとしか思えない。

だから……。


 だけど私、『だって』の後に続けるつもりだった言葉を全部飲み込んでいた。

それを言ったら、この状況を崩してしまいそうで。

何だか、崩したくなくて。


 ああ。

今日の私も、何か変だ。

いつもの私だったら絶対、こんな風に考えたり、しないのに。


 と、美矢は不意に頭を動かして、私の膝の上に顔を伏せた。

「俺……やっぱり居酒屋のオトコ、なのかな」

「はい?」

そう言えばさっき、ラウンジでもそんな事を言っていた、美矢。

「ホテルのトップラウンジには相応しくない男なんだなぁ……」

「……」

「やっぱ、ああいう所で喧嘩腰の口論なんかする男とは付き合いたくないだろ、女って」

私に聞いているのか、独り言なのか、よくわからない口調で呟く。

……うーん。

ミストガーデンズの『百万ドルの夜景』を前にして喧嘩をふっかけられた彼女の気持ちは物凄くよく解るんだ、けれど。

今の美矢の前でそれをそのまま肯定するのも何だかな、と思って、どう反応したものかと黙っていたら

「大人じゃない、オコチャマだって決め付けられて、当然だよな」

美矢は自嘲気味に呟いた。

「……彼女にそう、言われたの?居酒屋のオトコとか、オコチャマとか」

「んー、そう……いや違うか」

頷きかけた後頭部が、微かに横にぶれて。

「今となっては、前カノ、だな」

何だか投げやりな、どうでもいいと言いたげな返事が、聞こえた。


 うわ。

別れたってことか、つまり。

「……そっ、か」


 別れたの?って。

改めてきちんと突っ込むのが、こういう場合礼儀に適っているのかもしれない。

礼儀って言うのは、変か。

もしかして、さっきから美矢が彼女の話になると何か言いたげだったのは、この事?

だったらなおさらこちらから改めて聞くべきなのかしら?

でも。


 そこまで考えた後で私が口にのぼせた言葉は

「……そう、かあ」

やっぱり、その一言だけだった。


 と、

「俺ってさ、何でもかんでも中途半端でいい加減だから……やっぱ、そういう所で愛想尽かされたのかな」

しみじみと。

実にしみじみとした口調で、美矢は言った。

「偉そうな事並べてみても、結局大人になりきれてなくて、社会人やってる奴らからすればオコチャマで、遊び慣れているつもりでも全然で、だからあんなゴージャスなラウンジで、雰囲気ぶち壊して彼女を怒らせるような真似なんかして……振られても、仕方ないよなあ」


 ……うっわあ。

美矢らしくない。

こんな事、シリアスモードで延々と語る美矢って、美矢らしくない、全然。

つまりはそれ位……傷ついている、って事?


 私は美矢の後頭部に、そうっと右手を乗せた。

「……いい加減じゃ、ないよ」


 うん。

美矢は、いい加減じゃ、ない。

こんな事言う私も、私らしくない?

いつもの私なら、美矢のアタマをぺしっとはたいて

『そうよ、貴方あまりにもアバウトなのよ!ちょっとは真面目に自分のやっている事を反省しなさい、反省!』

って位の事、言っちゃうのにね。

でも。


 いい加減じゃないもの、美矢は。


 美矢が本当に、全てにアバウトな人間だったら、少なくとも私、修士論文の打ち込みなんて引き受けなかった。

それ以前に、卒業論文だって、絶対に手伝わなかったと思う。

卒論の時も、読んで解った。まとめ終わって後は清書だけって所で納得がいかない所が出てきて、文章を足したり引いたり直したりしていたら、間に合わなくなりかけたんだ、って。

最初の状態で出しても多分通ったはず。でも美矢にはそれが出来なかった。


 どれだけおちゃらけても、どれだけ遊び惚けていても。

肝心な所では馬鹿がつく位生真面目だって事を、私は知っているから。

誤魔化しが効かなくて、不器用で、一所懸命だって事、物心ついた頃からよく知っているから。

だからいつも、ぶつぶつ言いながらも、つい手助けしてしまうの。

だから。


 「いい加減じゃ、ないよ、美矢は」

私は再び、同じ言葉を口にしていた。

「美矢はいつだって一所懸命だから」

「……」

「今は学生なんだもん、オコチャマ上等よ」

「……」

「ガーデンズの夜景、物凄く綺麗だったよね?」

「……凄すぎて、圧倒されて……むかむかした」

「貴方はいつか、あれが似合う男になるわ」

「え?」

「バックに百万ドルの夜景がむかむかする位ハマる、ゴージャスな男になるわよ、絶対」

我ながら何を言っているんだと思いながらも、アルコールですっかり饒舌になった私は更に

「私が保証する」

きっぱり断言までしてしまった。

膝の上の美矢の頭が、かすかに動いたように、思えた。


 突然。

美矢がくるりと向きを変えた。

それまで美矢の後頭部を見ていた私の目に、視線がまともにぶつかって来る。


 「――いつきひめ」


 酔っているにしてはひどくしっかりした声で、美矢が言った。

「……は?」

私は一瞬、美矢が何と言ったのか考えてしまった。


 『イツキヒメ』

その言葉にあてはまる漢字は、一組しか思い当たらない……けど、でも。


 と。

「いつきひめ、だよ」

美矢はもう一度同じ言葉を口にした。

「忘れたのか?昔、自分で言ったんだろ?」

……やっぱり、あれの事か。

「覚えていたの?」

「……おまえ俺を馬鹿だと思ってるだろ」

半ば呆れた様な、半ば拗ねた様な声音は、私の反応があまりにも『意外だ』という響きを含んでいたせいかも、しれない。

「そんな事思ってないよ。でも……覚えててくれたんだ、美矢」



 いつきひめ――斎姫。

その言葉を美矢の前で口にしたのは、もう十年以上前。

氏神様の神社の、御神木の楠の下で。

『一族の一の姫君は、一族と総領を護る力を氏神様から授かるんだって。ばば様が言ってた』

『ふうん?』

『それで、昔だったら、一族を護る斎姫として氏神様にお仕えしていたんだって』


 私の記憶が正しければ、美矢との会話で『斎姫』という言葉を使ったのは、あの時一度きりだ。

この間、系図の話をした時も、敢えて私と同じ字の名を持つ斎姫の事――『弓』という名の、多分伝説の悲劇の姫――は口にしなかった。美矢もそこには触れなかった。


 美矢の元服式で舞を奉納した時、『斎姫』なんて言い方をしたのは祖母やかなり年配の人だけ。

若い世代にとっては意味不明だもんね。『巫女さん』の方が解りやすい。

同じクラスの子達には「ゆんちゃん、巫女さんになって踊るんだ?」って言われていたし、両親や伯父達も、氏神様の神主様も皆『巫女さん』って言い方をしていた。

美矢も……そして私も。


 私自身、『斎姫』が本来持つ役割に込められた意味を考えると、何となく照れてしまって、口にしにくかったというのもある。

初めてその言葉を美矢に教えた頃はまだ幼くて

『私がよっちゃんを護る』

なんて赤面モノの科白を、意味も考えずに堂々と口にしてのけたけれど。

流石にある程度成長してくると、あの時、自分が言った事が物凄く恥ずかしくて。

それを美矢に思い出されるのが怖くて、『斎姫』という言葉自体、口に出来なかった。

……覚えていてくれたらいいな、って思っていなかったと言えば、嘘になる。

でも、子どもの頃にたった一度だけ話した事だもの、忘れていてもおかしくないと思っていた。

忘れられていたら……それも何となく、淋しくて。

だから余計に、口にするのが怖かった。

その位、私は『斎姫』っていう言葉を、心の中で大切に思ってきたんだ。


 美矢の口から、その言葉を聞けるなんて。

……何だか、嬉しい。でも。

今でも私が『斎姫』のつもりでいる、なんて知ったら……流石に笑い転げるだろうな、美矢。

と。


 「弓佳は、俺の、斎姫なんだよな……やっぱり」

凄く、物凄く意外な事を、美矢は大真面目な調子で言ってのけた。


 「……美矢?」

思わず膝の上の、美矢の顔をまじまじと覗き込む。

「弓佳の側に居ると、昔から凄くほっとする。どれだけ落ち込む事があっても……今だって」

そこで一息おくと、美矢は目を瞑った。

「こうしていて、弓佳に『いい加減じゃない』って言われただけで、救われる気がする」

「……そう?」

「おまえが保証するって言ったら、絶対、本当にそうなるって……御神託みたいに聞こえる」

「御神託?」

「こういうの、どう言ったらいいのか分からない。従妹だからじゃ説明がつかない」

「……」

「美奈や理沙にはそんな事全然感じないから」

「そうなの?」

「あいつらは昔から『従妹』だったよ。他にどう言えっていうんだって位」

「……そっか」

「さっき、いとこ付き合いを彼女にとやかく言われたくない、俺にやましい所はない、って言ったけれど」

「うん」

「俺、我ながら説得力のない事言ってるって解ってたんだ。その辺の曖昧さを彼女に見抜かれたのかな……何か、痛い所を突かれたみたいになって、ムキになって、喧嘩になって」

「……」


 「……あの時、さ」

言いながら瞼を上げた美矢は、私の顔をちらっと見て、心もち視線を外した。

「酔っ払って俺、夜中にここへ駆け込んだ、だろ」

「……うん」

私も、少し美矢から視線をそらす。

「あれ、むちゃくちゃ酔ってたけど……記憶ない訳、じゃ、ない」

つっかえつっかえ出る、言葉。

「弓佳も、だろ?俺が彼女と喧嘩したって話……しっかり覚えてたんだから」

「……うん」

私もひどく酔っていた事にして、後で覚えていないふりをしてしまったんだった、あの夜の事は。

「俺あの時、どうかしてた」

「……」

「友達の所でヤケ酒しても全然酔えなくて、何か無性におまえの顔が見たくなって、押しかけてきて、で……」

流石に後が続かない。

酔いに任せて何でもしゃべれるという所までは理性を失っていないのね。

「今更だけど……悪かった。ごめん」

「やだ、全然気にしてないわよ。だいたい改めて謝られる程の事してないでしょ」

実はあの後かなり動揺した……という事は、黙っていよう、この際。

「……あれ、さ」

「……何?」

「酔っていて、理性ぐちゃぐちゃで、でも……頭のどこかで、凄いブレーキがかかっていたんだ」

「へえ……?」

あれが未遂で終わったのって、とどのつまり酔いが完全に回っていて、色気よりも強烈な眠気が勝ったから……じゃなかったの?


 「……変な事、聞いていい?」

一瞬ためらったけれど、私は美矢に問いかけた。

「何だ?」

「美矢って……それなりに場数踏んでるよねぇ、いろんな女性と」

「あ?……ああ、まあな」

相変わらず視線を私から外したまま、美矢は微かに苦笑したようだった。

「それで……私、女だからよく分からないけど……あの、ああいう状況で……ブレーキなんて、効くものなの?」

……酔っているからこそ出来る質問だわ。シラフでなんてとても出来ない。

それでも流石に際どかったかなあ、と思っていると、

「……それなんだよな」

妙に真面目な返事が返ってきた。

「そりゃまあ、結果的には最低な事しなくて済んで良かったんだけど……あの状況であの言葉がブレーキになるなんて、な」

「言葉?」

「前に弓佳に言われた言葉が何度も頭の中で回って……子守歌みたいで、気持ち良くて、何だか眠くなって……気がついたら朝だった」

「私が、って、『斎姫』じゃなくて?他に何か言った?」

「『弓佳がよっちゃん護ってあげるんだから』」


 歌うようにそう、美矢は言った。


 ……覚えていたんだ。

私はこの瞬間、美矢を見直した。心の底から見直した。

それまでほんの少しだけどこかで見くびっていた事を、幾重にも幾重にもお詫びしたくなる位。


 「系図、な」

瞬間、胸がどくっ……と音を立てた。

「弓佳も、見たんなら、判ったんだろう?」

「……太郎美矢って総領と……弓って名前の……斎姫の事?」

恐る恐るそう返すと、美矢はこくりと頷いた。

「あれ多分、例の……総領と斎姫の伝説のふたりだ」

「そうなの?やっぱり?」

「室町末期に書かれたらしい宮江の家伝が残っていて、その中にあの伝説の話が載っているんだ。何代目の誰とまでは書いていないけれど、どういう戦の時に討死して、っていう説明があって、それが二十八代目の総領の事績の記述と一致してる。それで、斎姫が従妹で没年が同じだからな。間違いなくあのふたりの事だと思う」

美矢の事だから、おそらくきっちり調べた上で言っているのだろう。

だから、多分、その通りなんだろう。

「興味半分で調べたけれど……正直、怖くなったよ、俺」

「言ってたよね、美矢って人が二十四で討死しているって事」

「それもある、けど……それがあの伝説の片割れで、もう一方が弓って名前だって事も、だよ」


 美矢が何を言いたいのか。何を言おうとしているのか。

聞きたいと思う。

だけど、聞くのが……少し怖い。


 「同い年で、いとこで、総領と斎姫で、おまけに同じ名前なんて、出来過ぎ、って?」

美矢に言われる前にさらりと言ってみたら

「もうひとつ。『絶対に』一緒になれない、ってのもな」

私がわざと外した『同じ事』を、美矢はあっさりと付け足した。

「あれ見た時本当に、判らなくなった。マジでしばらく考え込んだんだ。俺とおまえって、何なんだろう、って」


 ……どうしよう。

美矢は、一番恐れていた核心に触れようとしている。


 これ以上もう踏み込むのが怖くて

「前世の因縁とか、なあんてね?」

酔いにまかせて茶化したつもりが

「……かもな」

びっくりするくらい真面目な声が、そう返してきた。

「略系図は前から見ていたから、俺と同じ名前の総領がいるって事は知ってたけど、叔父さん達でも名前が被っていたりするし、別にどうとも思わなかったんだ。むしろ同じ名前の総領がいるんだって、嬉しくなった位で」

「……」

「でも総系図を初めて見た時、物凄く動揺して、系図見るのが怖くなって……ゼミの初めての課題、まとめきれずに危うく落とす所だった。おまえのおかげで助かったけど」

「それって……私が清書したリポートの事?」

私の問いに、美矢はうん、と頷いて。

「何でそこまで動揺するんだ、って……自分の気持ちも判らなくなったりして、結構悩んだよ」

「美矢の……気持ち?」

「例えば、それが」

そこで言葉を切って、一息ついて。

 

 「……それが恋愛感情……だったとしても、それで……例えばだけど」

ややためらいがちに、美矢は続けた。

「もしも弓佳も俺の事、そう想ってくれた……としても、どのみちどうにもならない事だろう」


 ――ああ。

言われてしまった。


 言葉にすると、何だか自分の中の迷いが確定しそうで怖かった。

だから敢えて、自分の気持ちが何であるのか、言葉でカタチを与えないようにしてきたのに。

カタチを与えた所で……どうにもならない、気持ち。


 「……うん、そう……どうにもならない、よね」

美矢の言葉をおうむ返しにしながら……心の中で私、思い切り、頷く。

「そういう事、あれこれ考えるうちに、怖くなったんだ。先祖の事にこれ以上突っ込むのが。何だか、事実を知れば知る程、考えてもどうにもならない事を突きつけられそうで」

「……うん」

「だから、研究テーマを変えた」

「……うん」

「俺にとっておまえが何なのか……考えても仕方がないから、他の女を見るようずっと努力してきた」

「……」

「考えたくないから、敢えて目を逸らしたんだ。先祖の事からも、おまえからも」

何と返したらいいのか、判らなくて。

黙ったまま、私はただ頷いた。


 「でもな、弓佳」

「何?」

「俺、自分の気持ちの事では色々迷ったり悩んだりふらついたりしたけれど……弓佳は俺の斎姫だと思ってる、って事は……それだけは、昔から全然変わってない」

「昔から……って、美矢?」

思わず、膝の上の美矢の顔をまじまじと覗き込む。


 「俺の元服式の時な」

「うん」

「弓佳が氏神様で舞を奉納しただろう」

「中二の、お正月ね」

「弓佳はあの時から俺にとって、特別な女だったよ」

「……特別?」

「そう。特別」


 さっき思い出した、菜香ちんの手紙の言葉が、頭の中をよぎる。

『ゆんちゃんはタロー君にとっては特別な子なんだよ』

……もしかしたら。

元服式の日の電話で、美矢が菜香ちんに言ったのは、この事?


 「唯の従妹じゃなくて、だけど彼女でもなくて、他の女達とも全然違って、でも、側に居て当然で……こんなの、特別としか他に、言い様がないよ」


 何だか。

凄い告白を聞いているような、気がする。

『好きだ』って言われるのより、もっと重くて、もっと……甘やかな。


 「一の姫に、本当に一族を護る霊力があるかどうかなんて、実際俺にはわからない。宮江の総領息子としては、非科学的だとかなんて頭から否定するつもりはないけどな」

「……うん」

「でも、そんな事を別にしても、少なくとも俺にとっては、弓佳は斎姫なんだ」

「そう……なの?」

美矢は大きく頷いた。

「弓佳が俺の為に舞ってくれたあの日から、ずっと」


 膝の上から、真摯な眼差しで見上げてくる美矢に

「美矢」

私は、目を細めてしっかり頷き返した。

「私もね。あの日からずっと、そのつもりだった」

「え?」

「斎姫にとっても、総領は特別なのよ」

「弓佳……」

「私は、美矢を、護りたかったの。ずっと」


 そうなの、美矢。

私も同じ。


 恋はいくつかした。付き合った人もいた。だけど。

そういうのと、全然別のところに、いつだって、美矢が居た。

居るって事に普段気がつかない位……まるで空気みたいに、だけど。

私の心の中に、美矢は確かに存在していた。

いつも、ずっと。


 幼い頃、ばば様に「おまえが宮江の一の姫なんだよ」と聞かされて。

美矢の元服式で『斎姫』になる為に、何年も髪を伸ばして。

そして美矢の為に……美矢ひとりの為に、氏神様に舞を奉納して。


 私の人生の中で。

美矢はいつだって『総領』だったんだ。

そう思っている限り、そして私が『斎姫』である……ありたく思う限り。

美矢は私にとって、特別な男であり続けるんだ。


 それが今、やっと、解った。

今になって、やっと。



 もしも。

人に輪廻というものがあるのなら。


 昔。

遠い、遠い昔。

美矢は荒ぶる海に君臨した一族の総領だったのかも、しれない。

私は一族の護りとして、総領の護りとして、神に祈り仕えた斎巫女だったのかも、しれない。

だったらいいな、って、思ってしまう。

それがもしもあの伝説の悲恋のふたりであったとしても。


 ――美矢。

貴方と、だったなら。

そして運命の巡り合わせで、今私がここに居て、貴方がここに居るのなら。


 「……もう、斎姫でも、悲恋でも、結婚できなくても、いいわ」


 うっとりと。

誰に言うともなく口をついたその言葉を、どう取ったのか、

「俺は討死はしないから、そこの所だけは安心していいよ」

そう言って、美矢は私の顔を見上げた。


 「討死出来るもんならやってごらんなさいよぉ、止めないからぁ」

何だかとっても気持ちよくて、へらへらと笑えてくる。

「酔ってるだろ~ゆんちゃん」

「よっちゃんよっちゃった!」

美矢も私の膝の上で、ふやけた顔をしている。

その頭をふわりと両腕に抱え込んで。

私は美矢と二人、訳もなく唯、あはあはと笑い続けていた。


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