8話~あなたを想い、私は生きる/戦う~
「終幕……か」
殺えたという確かな感触を拳で握り締めながら、バイスは玩具を失った子供のようなさびしい表情を作った。
もう少し芯のある小娘かと思っていたが、どうやら買いかぶり過ぎていたらしい。
やはり人間とは、脆弱で下らない生き物なのだな、とバイスはそう思わずにはいられなかった。
「何にしても、これで仇は一人討った、か。……あと一人」
妹の方は討った。故、残るは兄の方だけだ。
恐らく兄の方も妹のように手を焼く相手には違いない。
――しかし、自分が勝利することもまた、違いない。
揺るぎない確信を抱き、僅かに口元を歪めながらバイスは更なる標的を探すためこの場から去ろうとするが――
「ま、だ……終わってないッ…………!!!」
「――――――ッ!!!」
裂帛の気合が含まれた熱い声に鼓膜を焼かれ、バイスは瞬時に声の聴こえた方向に振り向く。
そこには確かに先に討ったはずの綾瀬六花が、全身から血を流出させながら『煌焔を冠す聖剣』を手に、大地に足を着けていた。
――ありえない。確かに先の一撃で心臓を穿ち、生命活動を停止させたはずだ。
いや、はずではない。停止させたのだ。
だのに、何故奴は立てているのだ?
心臓に深刻なダメージを負ったというのに何故――――?
「――――ッ……!! な、に……ィ……!?」
バイスの脳内から先まで浮かんでいた疑問が一気に昇華され、同時に眼前で繰り広げられているあり得ない光景に目を見張った。
――そう。六花の身体から炎が噴き出しているのだ。
鮮血の聖槍にて穿ったはずの胸部から、その箇所の活動を補うかのように焔が溢れ返っている。
その光景はまるで、命そのものを燃やしているかのように見えた。
これがスルトの言葉、『貴様を生かしてやる』の真意。
失った組織を無理矢理彼の強力な炎で補うことによって、一時的にだが六花の生命活動を維持させているのだ。つまり現在噴き出している炎は六花の命でもありスルト自身の炎でもある。スルトの炎が、文字通り、六花の命となっているのだ。
しかし、このような付け焼刃の生命維持など、持って3分や4分が限界だろう。
いずれ、このまま時間が過ぎれば、スルトの命は当たり前のように散ってしまう。すなわちそれは六花の二度目の『死』を意味する。
人間とは『命』という炎が消えてしまえば、生きる事が不可能になり、死という概念に歓迎される。
それは不可避であり、絶対の理。
『生』とは有限であり、『死』とは刹那によって与えられる無限である。
六花の有限はあと3分。刹那の無限の開始まであと3分。
故に――――綾瀬六花は――――
「オォォォォォォォォォォォォォォォ―――――――――――――――ッッ!!!!」
与えられた有限を『生き続ける』ため、疾走を開始した。
「くっ……そ……!!」
ギリ、と奥歯を砕かんばかりに噛みしめ、バイスは聖槍の形成を始めた。
そして、形成が完了した先から、聖槍が六花へと矢のように飛んでいく。
先の六花を殺した聖槍に比べれば威力は見劣りするものの、直撃すれば十分致命傷成り得る一撃だった。
『甘いわァッ、小童がァァッ!!』
六花ではない、何者かの鉛のように鈍い声を合図にしたかのように、煌々と煌めく炎が、六花を抱き寄せるように包み込み始めた。
『――――『焔逆巻く世界・焦熱虹』――――ッ!!!』
言霊と共に、六花を包んでいた焔が更なる輝きを放ち始め、炎の粒子が集い、バイスの視界を埋め尽くした。
されど、構わず聖槍は六花へと直進してゆく。
そして遂に、計4本の聖槍が的確に六花の五体を殴りつける――――はずだったが。
「――――――ッ!!?」
奔る紅の一閃は、しかし六花の五体へと到達すことなく、六花を包んでいた障壁に触れた瞬間、瞬く間に蒸発した。
『無駄だ若造。焦熱虹に触れし物は如何なるものでも例外なく、刹那に昇華させる。故に貴様は綾瀬六花に届くことは不可能だ』
「ッ……チ、ィッ……!!」
バイスは舌打ちを飛ばし、忌々しげに表情を歪めながらも聖槍の連射を止めない。
流星群の如く降り注ぐそれは、しかし1本たりとも六花を傷つける事は叶わない。
彼女に触れる前に、膨大な熱量を有す炎の障壁にて跡形も残らず溶解させられてしまうのだ。
バイスの猛攻が続く最中、六花は一心不乱にその足を走らせる。
纏わりつく風をも灼きながら。踏みしめる大地をも焦がしながら。
「ぐっ……ぶ、っくぅぅっ……!!」
身体にのしかかる予想以上の負荷に、六花は吐血を繰り返す。吐き出した血でさえ、自身が発している炎により瞬時に蒸発していく。
それでも六花は疾走を止めない。生き続けている限り――彼女の疾走は止まらない。
「ならば――――その障壁で灼く尽くせないほどの“力”をぶつけてやるだけだ!!」
バイスの言葉を合図に、宙空で形成された鮮血の聖槍が次々と融合されていく。ありったけの聖槍を総て融合させ、最大限に凝縮させた聖槍を焦熱虹へ奔らせるつもりなのだろう。
『急げ綾瀬六花!! もっと速く、もっと――――命を燃やせぇぇぇッ!!!!』
「ッ……!! ハァァァァァァァァァァァァァァァ―――――――――――ッ!!!!!」
「……!? な……馬鹿な――――」
バイスは驚愕に瞳を見開く。
バイスの眼前で繰り広げられたのはにわかには信じられない光景であった。
先に聴こえた鈍重な声が再び響いたのを合図に、六花が更に加速し、燃え上がった。
その力、先の比などではない。もはやどのような力をぶつけようが、六花に届くことは不可能なのではないのか――――そう思わせるほどに、今の六花が流出している力は凄まじい。
そう。例えるならばこれは、紛れもない――――神の力。
何人たりとも超越することを、到達することさえ許さぬ領域。それこそが神。絶対不可侵。超越不可能。そのような存在に、今の六花は間違いなくなっていた。
「くっ……おぉぉぉぉぉぉォォォォォォォ――――――――ッ!!!!」
激情を露わにし、バイスは融合させた膨大な力を内包した聖槍を六花へと迸らせた。
その一撃、五体に直撃どころか薄皮一枚を切り裂いただけでも、致命傷成り得る力を秘めた代物だ。
事実、聖槍が奔り抜けた跡の大地には、余さずクレーターのような物が穿たれている。それだけ内包した力が凄まじいということだ。
「――――――」
しかし六花はそんな一撃にも臆することなく、冷静に聖槍の軌道を見極めながらその足を停止させた。
深く息を吸い込み、深く息を吐き出す。
そして、聖槍が六花の目と鼻の先まで迫り切った刹那――――
「――――――ッツァァイ!!!」
気合一閃――――
放った獄炎の袈裟斬りは、聖槍をバターのように溶かし、切り裂き無へ還した。
「――――――」
バイスは言葉を失う。
馬鹿な。こんなことがあってたまるか。俺が負けるだと? 脆弱な人間風情に? もはや風前の灯のあのような女娘に? 馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な――――――!!
「こんなことがッ…………!!」
バイスの激昂は、しかし次の瞬間それは驚愕へと変わっていた。
「――――――貴方の力では、私の炎は殺せない」
『――――――貴様の力では、私の炎は殺せない』
言葉は同時に響き、バイスの眼前に少女と神が躍り出た。
瞬間、聖剣が今まで以上の輝きを放つ。
まるで、六花とスルトの命を燃やすように――――
2人の勝利という名の希望を――――照らすように――――――!!
『「私達の――――勝ちだぁぁぁぁぁぁぁァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ――――――――――――――ッッッ!!!!!!」』
獄炎が煌めき、2人の命を乗せた斬撃がバイスの首元まで伸びるように奔った。
確かに『煌焔を冠す聖剣』の切っ先はバイスの首を捉え、呆気ないほどに肉を断ち切りそれを空中へと弾き飛ばした。
バイスの胴体は聖剣の纏っていた烈火に余すことなく組織を灼き尽くされ、瞬時に灰塵へと化した。
先までそこにいたはずの吸血鬼の王、バイスは六花達に敗れ、この世との繋がりを乖離させられたのだ。
――つまり。六花達は勝った。バイスに、理不尽に、『死』に。
紛うことなき、『勝利』を収めたのだ。
「……やっ…………た……」
バイスを殺ったことを確認した六花は、瞬間力が抜けてしまったかのように前のめりに地面に倒れてしまった。その刹那。六花の失った機関の役割を果たしていた炎が徐々に小さくなっていく。
限界が訪れたのだ。すなわち、これより六花の『死』が始まる。六花の『生』が、終わる。
「……おに……ぃ、ちゃん……」
呟くのは、六花が約束を交わした『大事な人』、綾瀬煉人。
六花は約束の為に、その命を燃やし続けた。しかし、六花はこれより死に逝く。
つまり煉人と約束を果たすことが出来ないのだ。
「……ごめ、んね……っく……う……デート……でき、なくて……っく……」
六花の命が流れ出すように、瞳から雫が溢れだす。
死ぬということは感じられなくなるということ。大切な人と会えなくなるということ。
それが何より、六花にとって残酷で哀しい現実だった。
「っ……う……うぅぅぅっ……!! くぅぅぁぁっ……ぁ、あぅ……ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ……!!!! うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!」
咆哮するように、六花は嗚咽を洩らし続ける。
死にたくない、と。離れたくない、と。
しかし、どうにもならない。結末は変わらない。
今の六花に出来るのは、ただひたすらに涙を流し続ける事だけ。
――――否。それだけに留まらない。
「……お兄ちゃん……うっく……ありがとう……デート……ふっ、ぅ……嬉しかったよ……っく……ふぁっ……あぁっ……うぅ……!!」
想いを吐き出すことだって……出来る。感謝の想いを。
「お兄ちゃん……大好き……」
家族としての想いを。
「お兄ちゃん……バイバイ……」
最期の――――想いを。
……やがて、六花の嗚咽がピタリと止む。
それは、吸血鬼の王と勇敢に戦い見事勝利を収めた、神を宿した少女の物語の終わりを、何よりも明確に示していた。
更新が遅くなり申し訳ありません。すっかり更新を忘れておりました。これでひとまず、ひとつの局面の戦いが終わりました。さて、次回からは煉人VSソフィアです。はたして、最後に微笑むのは人間か吸血鬼か……次回更新を今しばらくお待ちを。