6話~鎮火~
「「っだああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁァァァァァァァァァァァァッ!!!!!」」
紅蓮と紅蓮が稲妻のように疾走し、辺りの景色を舐め尽しながら生きてる物体のように衝突する。
紅が相殺されたのを確認した王と少女は、互いの刃を尖らせながら敵の五体を穿つように突貫した。
双方の五体に痺れるような多量の熱が駆け抜ける。全神経がスパークし、一瞬意識が飛びかけるのをなんとか堪え、双方一旦バックステップをし、身を退いた。
そしてすぐさま、間髪入れずに突貫。刹那という刻すらも殺意に塗り固め、ただ相手を屠るという絶対的な目的を胸に刻み、敵の心臓に己の刃を尖らせる。
少女は神の宿る聖剣を手に。王は己が血を手に。
ただただ、相手を殺すために――その殺意を本能のままに、敵に突き刺す。
「づおおおおおおおおおぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!」
バイスの鉄拳が大地を捉えた。瞬間、それをトリガーにしたかのように血で形成された針山が六花の足元より炸裂した。直撃しなくとも致命傷なり得る一撃だったが、神格化により反射神経も底上げされていたのが幸いしてか、鮮血の針山は六花の命を散らすことなくただ空を切るのみに留まった。
バイスははるか上空を見上げる。視線の先には業火の神を宿せし神へと昇華した少女、綾瀬六花。
六花は瞳と闘志に烈火を宿しながら、手にする聖剣に煌めく業火を纏わせる。
地を舐める焔すらも、炎の粒子へと変換させ、聖剣の力へと変える。そして上段の構えを取り、六花は超下降を開始した。狙いは眼下に映る、神殺しの吸血鬼の王。
彼をこの世から葬り去る。それが六花がこの場にいる存在理由。故、その存在理由を果たすため、炎の神を宿し少女は全身全霊の力を以ってしてバイスに神の鉄槌を下す――――!!
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁァァァァァァァァァァァァ――――――――ッ!!!!」
燃え上がる獄炎のような雄叫びを上げながら、六花はバイスへと迫る。最大限に焔を凝縮させたこの聖剣の一撃は、直撃せずとも致命傷なり得るであろう代物だ。仮に直撃しようものなら、絶命は不可避である。
しかし、バイスはそのような一撃を前にしても怯む動作を一切見せることなく、ただ掌上に自身の血を凝縮させるのみ。むしろ彼は微笑んでいる。まるでこのような強敵と巡り合えたことに感謝しているかのように――
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!!!」
スルトの必殺がバイスに炸裂する刹那、彼は凝縮させた血を自身の拳に纏わせながら、それを聖剣へと解き放った。
「なっ――――!?」
六花は驚愕する。当然だろう。焔を最大限に凝縮させた聖剣に対し自身の拳を突っ込ませるなど愚行以外の何物でもない。それが例え、どれほど強固な鎧を纏っていようと、だ。
スルトを宿し『煌焔を冠す聖剣』の焔は、例外なく総てを燃やしつくす極獄の魔物なのだ。
いくら人智を超越した力を有す吸血鬼の王、バイスの鉄拳といえどスルトの焔の前ではそれは無に等しい。
故に、バイスの拳は逆巻く焔に呑み込まれ、彼はその命すらも灼き尽くされる――はずだったが。
「犯せ、侵せぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!!」
「――――ッ……!!」
――バイスが獄炎に呑み込まれることはなかった。否、それどころかバイスの血液がスルトの焔を侵し始めている。総てを呑み込み、灼き尽くすとされているスルトの焔に灼かれることなく、バイスの血液が侵食し始めているというのだ。
ありえない。たかだか血液如きがスルトの焔に呑み込まれないわけがない。六花は凍結してしまった思考を再び回転させる。考えろ、考えろ。何かタネがあるはずだ。
六花は侵略をされ続けている己が聖剣に、まずは瞳を投げた。
「――――!! ……そういう、こと……かっ……!!」
タネを理解した六花はすぐさま更なる力を求め、炎の充電を開始する。
――そう。仕組み自体は簡単だったのだ。ただ濃密に血を重ね、蒸発されたさきから更なる血液を上乗せさせただけのこと。故に、バイスの血液は蒸発されていないかのように見え、スルトの焔を侵略していったという訳だ。つまり、今のままの火力では現状を打開できない。更なる火力を以ってして、上乗せが間に合わないほどの限界を超えた強烈な一撃にてバイスごと無に帰さなければ、レーヴァテインごと六花が血液に呑み込まれるのは明白だ。
「あぁぁぁっ……ぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ…………!!」
神経が焼きただれる様な激痛を噛みしめながら、六花はひたすらに炎を溜める。
浸食を断つための焔を。バイスを断つための焔を。
勝利へ導くための――――焔を!!
「充炎……完了ッ!! これで――――灼け朽ちろォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!」
刹那、六花の轟咆が合図となり、レーヴァテインが花火のように煌々と爆裂した。連鎖するように、レーヴァテインが纏わりつていたバイスの血液が灼きただれ、見る見るうちに蒸発していく。
限界を超えた力を有したスルトの焔は、何一つ障害にすることなく、ただ目標へと向けて迸る。
まさにこの一撃こそ、火を司りし最高神の真髄。
バイスはさすがに捌き切れないと悟ったのか、未だに流出を続ける血液を断ちきり、横っ跳びで六花の一撃をかわそうとするが――
「ッ、チィィッ……!!」
炎の規模が如何せん大きすぎる。いくら肉体強化を施しているバイスとはいえ、光線の如く奔る超速の焔を近距離でかわせるはずもなく――――
「ぐぅぅぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!!」
バイスは、神の獄炎に呑み込まれた。
直撃さえしなかったが間違いなく半身は吹き飛ばすことに成功した。半身さえ吹き飛ばしてしまえば、もはや活動することは不可能であろう。仮に活動できたとしても半身が吹き飛んだ者など、いくら吸血鬼の王とはいえ恐るるに足らない。
六花は全身を駆け巡る激痛に僅かに涙を滲ませながら、必焔にて嬲られたその景色を見守る。
いつバイスが出現しても対応できるようにレーヴァテインを構え、炎の力を充電しようとするが――
「――――効いたぞ、今のは。直撃していれば間違いなく俺の命は散っていただろうな」
「…………は…………?」
眼前の馬鹿げた光景に、六花は戦場にふさわしくない間抜けな声を洩らした。
だが、それも仕方のないことだろう。バイスは左半身を丸々焔で焼き尽くされたにも関わらず、涼しい顔でその足を大地に突き刺しているのだから。
最悪の予想はしていたがまさか本当に動けようとは。
六花は泣き叫びたい気持ちを抑え込み、再び眼前の現実を受け入れ、その刃をバイスに向ける。
予想していたことだろう。ならばうろたえるな。バイスは生命活動を維持できているとはいえ、虫の息も同然だ。ならば可及的速やかにその刃で奴を屠れ。次に奴が何かし出す前に――――!
「うわぁぁぁぁぁァァァァァァァァァ――――――――ッ!!!!」
叫び、大地を強く蹴り込み、爆走を開始した。六花は弾丸の如くバイスに突撃する。
だがバイスは怯むことなく、六花の雄々しいその姿を見つめただ微笑み、右足で地を蹴り浮遊したかと思うと、球状の血の塊を形成し、投擲した。
「こざ――――かしいッ!!」
六花は一旦その足を止め、鬱陶しげに表情を歪めながら、烈火煌めく聖剣の横薙ぎを放った。
斬撃が的確にバイスの投擲した血の球を捉える。しかし、六花の予想とは反し、次の瞬間それは起こった。
「っ……!?」
血の球が弾けた途端、六花の視界を遮断するかのように真紅が世界を染め上げた。
まるで、鮮血の世界に招き入れられてしまったかのように視界を埋め尽くす、紅、朱、赤、血――――
六花は一瞬、眼球の血管でも断たれてしまったのか、と考えたが、いやそんなことはないだろうとすぐにかぶりを振り、先のバイスの投擲した血の球に原因があるのだと悟った。
恐らく先にバイスの放った血の球の役割は敵にダメージを与える事に非ず、敵の視界を潰す――いわゆる閃光弾の役割を担っていたのだ。
「くっ……!」
六花は歯噛みしながら、辺りの気配を敏感に探り、後方へと過剰なほどに大きく後退した。
本来であれば、視界を奪われたならばあまり大きく動き回らない方が吉なのであるが、六花の本能がそうさせたのであろう。
「…………」
六花は先よりも意識を集中させ、全身から熱を発す。
視界を潰している鮮血を蒸発させたのち、間髪入れずにバイスに突貫する算段なのであろう。
しかし、そうする前にバイスが何かしらのアクションを起こしてくるかもしれない。いや、間違いなく『何か』を起こすだろう。
敵の視界を奪い行うことなど、攻撃を加えるか逃走を図るぐらいしか選択肢など存在しない。
だが後者はあり得ない。何故ならすぐそこにバイスの確かな殺気を感じる事が出来るからだ。
ならば今すぐにでも攻撃を仕掛ければよいではないかと思う者もいるかもしれないが、それでは『確実』ではないのだ。視界を殺されている今、無暗に敵に突っ込むのは愚行以外の何物でもない。
確実に勝てる、と確信できる作戦があるのであれば話は別だが、相手は吸血鬼の王。慎重に動かなければいつこちらの命を狩り取られるか判ったものではない。
バイスは現在虫の息。だからこそ焦らず、乱さず、確実にバイスに打ち勝ち、勝利を掴み取るための自身がすべきことを取捨選択しなければならない。
「…………」
六花の視界が徐々に晴れていく。未だにバイスは動き出す素振りすら見せない。先と少し変わったことといえば、精々殺気の色が少々濃くなった程度であろう。だが、それだけ。それ以外は何も変化していない。
さすがに六花はおかしい、といぶかしんだのか、警戒するように後方へとバックステップした。
何故? 何故奴は動き出さない? ここまで来てしまえばもはや不気味だ。嵐の前の静けさ、というのはまさにこういうことを言うのではないか、と六花は考えた。
六花は思考を切り替える。視界が晴れたら、まずは状況を確認すべきだ。
奴が何を行っているか判らない以上、無暗やたらに突撃するのは利口ではない。故に、現状を把握した上で、改めて攻め方を考えよう。
六花の視界のモヤが払拭され、世界があるべき色を取り戻した。そして、六花の眼前に飛び込んできたのは――
「…………え…………?」
間抜けな声が、残酷なほどに響き渡る。
何故、何故なんだと。おかしい。おかしいではないかと。
六花の世界が再び色を失くし、絶望色に染められた。それが意味するところ。すなわち――――
「どうした。何を呆けた顔をしている?」
バイスが五体満足に、地に足を着けていたということ――――
「な、んで…………どうして……どうしてェッ……!!」
六花は憤激し、眼前に映る理不尽を否定するようにヒステリックに叫び散らす。彼女の瞳には、こらえきれなくなったのか大粒の涙が浮かんでいる。
唐突に吹いた血生臭く生温い風が、悪戯にその涙を攫っていった。
「どうしてだと? ハッ。もう忘れたのか? 俺の能力は血液操作。血液であらゆる物を創造する能力……ならば、血液で肉体を創造できない道理など存在しないだろう?」
「――――――」
当然のように告げられたその一言で、六花を包んでいた闘志と言う名の烈火が、水をかけられてしまったかのように鎮火した。
強く握りしめていた『煌焔を冠す聖剣』は手から滑り落ち。
確固とした信念を宿していた瞳は死に腐り。
大切な人との約束を秘めた焔は――――今、ここに砕け散った。
今この場に立っているのは、灼熱の神でもなければ、神ですらない。
ただの、何の力も有さない『綾瀬六花』という名の無力な少女。それ以上でもなければ、それ以下でもない。
戦場という名にふさわしくない無力な少女――それが、今の綾瀬六花の姿だった。
「……心が折れたか。仮にもスルトを宿していた小娘が、情けない。
貴様の決意とは、そんなにも弱く、脆いものだったのか」
バイスの鋭い言葉にも、もはや六花はうんともすんとも言わない。
その姿、神はもちろんのこと、人の姿にすら見えない。まるで電池の切れてしまった玩具の人形だ。
人形は動けない。動けなければ、戦うこともできない。ましてや意思など、心など存在するはずもない。今の六花は、その領域にまで成り下がっているのだ。
「……もういい。興醒めだ。
神の名を借り、その神の名を穢した罪――悔いながら冥府に墜ちろ」
バイスの怒りに世界が震え、彼の側近の空間を穿ち、鮮血に染められし聖槍が出現する。
その聖槍の威力、言わずもがな、まともにその身に受ければ致命傷ないし、即死を免れる事は不可能だ。
このような危機的状況に陥ったにも関わらず、やはり六花は石化したように微動だにもしない。
当然と言えば当然のことだろう。いくら『神器』を扱えし、内に神を宿せし少女とはいえ、六花は本来であれば戦場に立っているはずのない、年端もいかない少女なのだ。むしろ、よくぞここまで心を折らず奮闘してくれた、と褒めて然るべきだ。並の少女の心であれば、そもそも吸血鬼と戦うということすらままならず、その現実味のない現実を受け入れられず発狂し、心を砕かれていたことだろう。
しかし、六花は違った。どの人の子よりも強い心を持ち、先の瞬間まで悪夢という現実と戦い続けていたのだ。
そして遂に限界を迎え、六花の心は打ち砕かれた。立ちはだかる壁に……越えられない現実に、完膚なきまでに淘汰され、六花の炎は死に絶えたのだ。
心の死は、現実の死を意味する。人という生き物は、心が死ねば生きていないも同義だ。
空っぽとは死であり、虚であり無なのだ。
故に綾瀬六花の命は、ここで散る。
大気を殴りつけたかのような爆音が肌を撫でつけたと同時に、六花の心臓に狙いを定め、紅の一閃が放たれた。
一切の慈悲なき、神すらも穿つ必殺の一撃。
現在の六花では、無論避ける事も迎撃することも叶わない。ただ迫る“死”を待つことしか、今の彼女にはできない。
そして遂に、当然のように、“死”と六花の距離は零に還り――――
「…………ぅ、ァ……っ…………ッ」
聖槍(死)は、六花の燃え尽きた空っぽの心を確かに殺えた。
六花の小さな口から、バケツいっぱいの水をひっくり返したかのように血が溢れ返り、彼女の唇を紅く穢す。
どの角度からどう見ても完全無欠の致命傷。もはや助かる見込みなど塵一つも存在しないだろう。
故に、神を宿せし少女(綾瀬六花)と吸血鬼の王の血闘はこれにて終幕。
バイスが勝者であり、六花が敗者であるという絶対的な現実が、今この場にて刻み込まれたのだ。
そして、その敗者である六花は、まるで咎で与えられるかのようにして、虚ろなる瞳を閉じ、意識を深淵へと沈めていった。