3話~希望の顕現~
時は遡りて1時間前。ここはとある研究施設の一角。
この場所に一つ、否、二つの、希望という名の奇跡が舞い降りてきた。
「ぐ、づぅぅっ……!! はぁっ……はぁっ……!!」
肩で息をしながら、まるで長距離走を終えた後の疲労感に包まれるようにして、1人の少年は二挺の拳銃を手にしながら、膝を折り、地に跪いた。
「くっ……ようやく、身体に慣れやがったか……この暴れ馬め」
自身の手にする二挺拳銃を忌々しげに睨みつける。視線はあからさまな殺意が籠ってるのが判るが、同時に歓喜の色も窺えるのが判る。口元を微かに緩ませながら、生まれたての小鹿のように頼りない足取りで立ち上がると、少年にパタパタと駆け寄ってくる1人の少女の姿があった。
「お兄ちゃん! 大丈夫!?」
心配げに、少年の顔を覗き込む、活発そうな黒髪ショートカットの少女。
彼女の名は、綾瀬六花。少年、綾瀬 煉人の妹だ。
六花の姿を煉人が確認すると、先までの疲労や物騒な顔つきはどこへやら、柔らかい表情をつくりながら立花の頭の上に自身の掌をポン、と置いた。
「あぁ、大丈夫だ。……悪いな、使いこなすのが、お前より遅れちまって」
「ううん、そんなことないよ。私も使いこなせ始めたの、2日前だったし」
照れるように言いながら、右手から『聖剣』を召喚してみせる六花。
その聖剣は、業火の如く煌々と、しかし、どこか優しく温かな輝きを放ちながら、六花の右手に落ちてきた。
六花は聖剣の柄を握り、その場で一回逆袈裟の斬撃を放ってみせた。
そのような、到底女子とは思えない勇ましい妹の姿を瞳に焼き付けた煉人の胸中は、頼もしいような、寂しいような、そんな複雑な感情に支配されていた。
六花の手にする聖剣の名は『煌焔を冠す聖剣』。
対して、煉人の手にする二挺拳銃の名は、『夜を運ぶ者』と『朝を運ぶ者』。
共に、対吸血鬼用の最強の武器にして、人類の最後の切り札……『神器』だ。
『神器』は通常、常人には使いこなせないほどの神力を秘めているため、まっとうに平和に暮らしていた人間が触ろうものなら、一瞬にしてこの世との繋がりを断ってしまうだろう。
『神器』とはその名の通り、神のみに使用を許された武器。たかだが人間如きが、神の使用する武器を使用できるわけがないのだ。
――――しかし、どのような事象に対しても“イレギュラー”というものは存在する。
『神器』然りだ。
ある時、神の波長に近い負顎の兄妹が、何の奇跡か、この世に産み落とされた。
神の波長に近い――――。それすなわち、神に遠からず近しい存在であるということ。
――人類は、この兄妹に希望を見出した。人類が吸血鬼に対抗し得る最後の希望……それが、この2人だった。
政府はすぐさま、2人の両親から承諾を得て、煉人と立花を保護。
同時に、この研究施設で『神器』を扱えし人間を生み出す計画――『神人顕現計画』が始まったのだった。
そして……16年の時を経て、『神』という名の2人の兄妹が再誕したのだ。
「これで俺達は……人類の役に立てるんだな」
「うん。もう吸血鬼におびえて暮らすことなんか――――」
2人が新たな堅い決意を胸に刻もうとした、まさにその刹那――それは起こった。
ジリリリ……と、けたたましく鳴り響く警報と、地面を爆砕させたかのような轟音が大気を震わせた。
瞬時に2人は、この研究施設内に異常が起こったことを悟る。
2人はすぐさま、起こった以上を確認しようと、訓練用シェルターを出ていこうとしたが、その行動を阻むように、訓練用シェルターの透明な強化ガラス越しに、訓練観察室に誰かが入ってくるのが判った。
入ってきた者の表情は非常に切迫し、顔面にこれでもかというほどの冷や汗を浮かべている。
その表情によって、2人は現在起こっている異常がどれほど深刻なものかを一瞬で理解した。
「二武谷さん!? どうしたんですか、一体……今、何が起こっているんですか?」
ガラス越しに煉人が叫ぶ。
二武谷拓人――。『神人顕現計画』の最高責任者にして、2人のもう1人の父のような存在の男だ。
彼は張りつくように強化ガラスに額をつけながら、必死の形相で2人に言葉を発し始めた。
「煉人君、六花君!! 緊急事態だ……! どうか、気を確かに……落ち着いて、聞いてほしい」
「っ……?」
「――吸血鬼達が、人間界への侵略に踏み切った」
「――――!!!」
2人は、脳天を殴られたかのような衝撃が、身体中を駆け巡るのを強く感じた。
視界が激しく歪み、世界が歪に変質していく。しかし2人は、何とか正気を持ちこたえ、まず気にすべき疑問を拓人にぶつけた。
「民間人は大丈夫なんですか!? 父さんと……母さんも!」
「あぁ……民間人は今、核シェルターの方に避難しているよ。君達の父さんと母さんも、無事避難を終えた」
「そう……ですか」
煉人と六花はホッと胸をなで下ろす。しかし、拓人は「……だが」と言葉をつづけた。
「……事態は、深刻だ。もはや人間が吸血鬼達に根絶やしにされるのは時間の問題だろう……」
立ちはだかる絶望と理不尽に、拓人は嘆くように奥歯をギリ、と強く噛みしめる。
どのように足掻こうが、どのように立ち向かおうが、待ちうける運命は非情にして残忍なるものだ。
今さらどうこう奮闘したところで、運命は変わらない。
運命はそんなに、世界とはそんなに……人間達にとって、優しくできていないのだ。
故に、人間界の滅亡は確定した――はずだった。
たった1つの希望を除けば――。
「煉人君……六花君……。今や世界を救えるのは『神器』を扱える君達だけだ……。……すまない。
君達に総てを押しつけることになってしまって。すまない……無力な我々を許してくれ……」
「そんな……二武谷さんは悪くありません! むしろ俺達は二武谷さんに感謝しているんです!
俺達に……世界を救う力を与えてくれて……。もう一人の……父さんができたみたいで……」
「そうです! 悪いのは全部吸血鬼なんです! 大丈夫です、二武谷さん! 私達が、吸血鬼なんて全部、ぜーんぶ、斃しちゃいますから!!」
「……煉人君。……六花君」
温かい言葉をかけられ、年甲斐もなく思わず涙腺を緩めてしまう拓人。自分がいつも我が子のように可愛がっていた2人が、何故かこの瞬間だけ、とても頼もしく見えた。
2人なら……きっと――――。
拓人が口元を柔らかく緩ませた――その刹那。
グジュッ、と……肉を裂くような嫌な音と共に、拓人の心臓から真紅が吹き出た。
「「…………え?」」
煉人と六花は同時に驚愕の声を上げる。何故だ。何故、拓人さんの胸から――真っ赤な腕が生えてるんだ?
おかしい、おかしいだろう。腕はそんな所から生えるものじゃない。
じゃぁ、拓人さん。貴方は……何で――――?
「ごっぶっ……グ……グ、くゥッ……!!」
口から滝のように、止めどなく鮮血を溢れ返させる拓人。心臓を何者かの手で穿たれている。
端から見ても判る、どう考えても致命傷だ。
そして――――
「がっ……あ、あ、ぅおぁぁぁァァァァァァァァァァッ……!!!!」
拓人が――枯れていく。吸血が開始されたのだ。つまり、拓人の命を穿ったのは誰でもない、吸血鬼だ。
「っ……!! 二武谷さああああああああああああぁぁぁぁぁぁん!!」
放たれた絶叫は、しかし、何の意味も成さずに、拓人は当たり前のように枯渇してゆく。
憤怒の表情を浮かべた煉人は、激情に駆られるままに『夜を運ぶ者』と『朝を運ぶ者』を召喚し、吸血鬼に突貫しようとするが――――
「お兄ちゃん、駄目っ!!」
「っ……!! う、ぐおおおぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
『夜を運ぶ者』と『朝を運ぶ者』のグリップを手にした瞬間、煉人の全身に、膨大な熱の塊が疾走した。
そして思わず、煉人は地に二挺の拳銃を落としてしまった。
「ぐ、ぅっ……しまっ、た……神力の……暴走か……」
――神力の暴走。前述したとおり、本来『神器』とは神のみが扱うことが許された、神々の武器だ。
それを人間が使用せんとすれば即、死に至る。
それが例え――『神』となった『人』であろうとだ。
煉人と六花は確かに神と波長が近く、人類で最も神に近い存在だ。しかし、彼らは『本物の神』ではない。
所詮彼らは、『偽りの神』に過ぎない。つまり、『神器』に自らを『神』と思いこませなければ、『神器』に拒絶されてしまい、使用するどころか手にすることすら不可能となるのだ。
煉人は今しがた憤怒に駆られ、その手に『神器』を握った。
『神器』は、その煉人の姿を『神ではない』と判断したのだ。
――そう。『神器』とは、心を透明にし、自分を絶対的な神だと信じ込ませ、膨大な集中力を要さなければ、使用できないというのだ。
「くっ……!! ハァァァァァァッ!!」
六花は焦燥の表情を浮かべながらも、気丈に『煌焔を冠す聖剣』 を召喚し、斬撃波を放つ。
強化ガラスを粉々に砕き、斬撃波は吸血鬼へと直進するが、しかし、六花の内心の焦燥が仇となり、斬撃波は吸血鬼に届く前に、水が水蒸気になるように蒸発してしまった。
「ふっ……たり共っ……!! 心を乱しては……『神器』は、ア、扱えない……心を落ち、つ、け……」
「お喋りしてる場合か?」
吸血鬼は下卑た笑みを浮かべながら、手持無沙汰だった左手を更に拓人のどてっ腹にぶち込んだ。
「ボッ……クあぁァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!!!」
「……!! 二武谷さぁぁぁぁぁぁんっ!!」
――――あぁ、これが“死”か。
拓人は内心で静かに悟った。これから自分の命は終わる。死ぬのだ。抗えぬ運命。変えられない運命。
煉人と六花の声が遠く聴こえる。おい、何で泣いているんだ。2人とも、美男美女が台無しだぞ。
私なら大丈夫だから。家族なんていないし、死んだところで哀しむ者など誰もいるまい。
だから私ごときが死んだところで、どうということはない。
だから……大丈夫……あれ?おかしい。何故――――私は――――涙を――――。
……あぁ、そうか。家族なら……目の前にいるじゃないか。泣いてくれる家族が……いるじゃないか。
彼らが私のことを家族と思ってくれているかどうかは判らないが……少なくとも――――私は――――
「煉人……くん。りっ……か、くん」
「っ……!!」
今にも消え入りそうな声で、しかし、清々しいほどに透き通った声で、拓人が言葉を発した。
「君達は……私にとって……息子と娘のような存在だった。君達に出会ってから……毎日、楽しくて……輝いていて。私の人生が……君達のおかげで……ようやく輝いたんだ。ありがとう。本当……に。君達には与えられてばかりだったな……。私は……」
……そう。私は――――――――。
「私は……君達に何か……与える事が出来ただろうか――――?」
「っ……!! ……当たり前です。二武谷さんは、俺達に戦う力を与えてくれました!!」
煉人が、言う。
「それに……溢れんばかりの愛情を与えてくれました!! 私達の両親に負けないくらい……!!
いっぱい……いっぱいっ!!!!」
六花が、言う。
……あぁ――――
「……それは、良かった」
そして幸せそうに、拓人が言った――――。
「煉人君、六花君っ!! 必ず、必ず人類を救ってくれ!! 私に輝きを与えてくれたように……その輝きで、人類の未来を照らしてくれ!! 君達にならできる!! 私の愛した……この世界を、守ってくれぇぇぇぇぇぇぇっ!!!!」
その切なる願いの咆哮を最期に――――二武谷拓人は、その命を桜のように散らせた。
「…………」
「…………」
煉人の心が、六花の心が、熱く、冷たく、激しく、静かに、“神”へと昇華していく。
先ほどまでの動揺が嘘のように散華し、驚くほどに『神器』が身体に馴染んでいる。
二武谷さんが与えてくれたものを――――
二武谷さんが託してくれた想いを――――
二武谷さんのあの願いを――――
「「無駄になんか――――しないっ!!!!」」
故に我々は今、神々の武器を手に、戦うことを選択する―――――!!!
「祓え――――『煌焔を冠す聖剣』――――!!!」
先に行動を起こしたのは六花だった。聖剣を後方に隠すように持っていったかと思うと、次の瞬間それを抜刀し、紅蓮色の斬撃波を吸血鬼に再び放った。
「ハッ!! そんなもんが今更――――」
拓人の死体を地に放り捨て、奔ってきた斬撃波を自身の拳により撃ち落とそうとする吸血鬼だったが――
「え――――?」
それはかなわなかった。何故なら斬撃波に触れた吸血鬼の腕は無様にも切断され、弾け飛び、更には全身が火で焼いたかのように黒焦げになっていたのだから。
「ぎゃがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぅ……!!!!」
かろうじて命を拾った吸血鬼だったが、六花が放った第二撃により、その命をあっけなく散らせた。
「なっ……!! てめぇら、よくもぉぉぉっ!!」
仲間の死を目の当たりにした、丁度良く部屋に入ってきた四体の吸血鬼は、怒りにその瞳を血走らせながら、弾丸の如く六花に襲いかかってきた。
「俺を忘れてんじゃねぇぞ!!」
六花を守るように、吸血鬼達の眼前へと煉人が躍り出る。そして、目にもとまらぬ速さで吸血鬼の心の臓に狙いをつけ――――
「吼えろ―――――『朝を運ぶ者』、『夜を運ぶ者』―――――!!!」
煉人がトリガーを引くや否や、白色と黒色の弾丸が各2発ずつ、獣が疾走するが如く吸血鬼の心臓へと迸る。
日光のように煌々と輝く白弾と、宵闇の如く鈍く輝く黒弾は、的確に吸血鬼達の心臓を抉った。
吸血鬼達は絶叫する暇すら与えられず、心臓から鮮血の雨を降らせながら、この世との繋がりを絶った。
――これが、『神器』。
判りやすいまでの、圧倒的な破壊力。『神器』、その一撃一撃が致死レベルの威力だ。
まともに『神器』の一撃を受ければ、五体無事ではいられまい。
それが神の領域なのだ。手を伸ばしても、水面に映る月を掴むが如く、届かぬ至高の存在――――。
そんな神の領域に――彼ら兄妹は届いたのだ。
故に彼らは――――この世界を救う救世主となるだろう。
「往くぞ、六花。吸血鬼共をまとめてぶっ殺して――――この世界を救うんだ!!」
「うんっ!!」
正義の味方を気取るつもりはない。
ただ、愛するこの世界のために――――彼らは戦場へと疾走していった。
…
……
………
「な……。こ、れは……あまりにも……」
煉人と六花が施設内に侵入していた吸血鬼をまとめて屠り、外に脱出すると――――そこには地獄があった。
辺り一面は極獄の焔になぶり尽くされ、建物は大震災にでもあったかのように崩壊している。
そして何より、最も見るに堪えないのは――――人々の死体。
その人々総てが、枯れてしまった植物のように枯渇している。
吸血鬼の仕業に他ならない。全身から一滴残らず血液を取り出すなどという芸当、鉄の処女と吸血鬼くらいにしか不可能だろう。
「うっ……お兄ちゃん……」
六花は口元を押さえながら煉人の袖をギュッと、強く握りしめる。鉄の匂いや死臭が鼻孔を突き刺したのだろう。
僅かに目元を潤ませている。
「……大丈夫だ、六花。大丈夫」
煉人は不器用ながらも、六花を落ち着かせるため頭を優しく撫でながら励ましの言葉をかけた。
「……うん」
涙を飲み込み、顔を上げ、キッ、と引き締まった表情を作る六花。それを見た煉人はくすっ、と小さな笑みを洩らすと再び六花に言葉をかけた。
「なぁ、六花。ここからは二手に分かれないか? その方が効率よく吸血鬼達を殺せる」
「……うん。判った」
「……よし。じゃぁ、六花……死なないでくれよ」
「お兄ちゃんこそっ」
冗談混じりの言葉を互いに投げながら、それぞれの戦場へと向かうために背を向ける。
しかし、瞬間――。
「六花!」
「!! ……何?お兄ちゃん」
煉人の声に、不思議そうに振り向く六花。対して、声をかけた当の本人である煉人は頬を軽く紅潮させながら「あー」だの「うー」だの、訳のわからないことを言いながら、首をひねらせている。
そして、煉人は覚悟を決めたように顔を上げ――――
「六花……その。この戦いが終わって……平和になったらさ! 2人で、デートしよう! 兄妹水入らずで……さ。駄目……か?」
「――――――」
煉人の言葉に一瞬あぜんとする六花。しかし、すぐに頬を苺のように真っ赤に染めたかと思うと六花は――――
「お兄ちゃん、それ死亡フラグだよっ!!」
照れたように、そう答えた。
「!? おま、そんな言葉どこで覚えた!? つか、死亡フラグ言うな!! 実の兄にそんなこと言うか普通!?」
「だ、だって!! やばいよお兄ちゃん! それ、確実に死ぬよ!! 絶対デート出来ないパターンだよ!! 死ぬ直前に『約束守れなくてごめん……六花』とか言いながら死んじゃうよ!!」
「そこまで具体的に状況補足せんでいいわ!! ……あー、もうくっそ!! 恥を忍んで言ったのによぉぉ……」
襲いかかる羞恥に、成す術なく身悶えてしまう煉人。そんな兄の姿を見て六花はくすっ、と悪戯げに微笑みながら、大声で煉人に言葉をぶつけた。
「いいよーー!! デート、しよっ!! お兄ちゃん!!」
「……六花」
煉人が顔を上げた先にあったのは――――最愛の妹の笑顔だった。
瞬間、煉人の心に新たなる決意が芽生えた。
――――絶対に、生き残ってやる……と。
「あ、デート代は全部お兄ちゃん持ちねー!! お兄ちゃんシスコンだからそれぐらいいいでしょー?」
「…………。判ったよ、わーった!! 全部俺が持ってやるよ、このブラコン!!」
「ありがとー!! このドシスコン!!」
「あ゛ぁ゛ん!!?」
「きゃー!!」
嬉しそうな叫び声を上げながら、今度こそ六花は煉人に背を向けて、戦場へと飛び込んでいった。
煉人も、それを最期まで見届けると、瞳を狩人のそれへと変換させ、戦場へと駆け抜けていった。