あなたに光があるように(1)
──あなたに光があるように。
それだけが、光を見つめる事しか出来ない影の願い。
過去に行ったキャラ別人気投票で第一位になったザルームの外伝。
第二章ラスト直前、セイリェンの街での一幕です。
ただ祈る。
ただ、願う。
──あなたに光があるように。
+ + +
微かに聞こえる水音に、人々の喧騒が重なる。
南領の都市の一つ──貿易都市セイリェン。
先程まで絶える事のなかった叫び声や剣戟の音はなく、代わりに何処か和やかな談笑の声すら混じり、張り詰めていた大気は穏やかさを取り戻していた。
「──血の匂いがする」
不意に聞こえてきた声に、彼はびくっとその肩を震わせた。
人目につかぬ物陰の、更にその暗い影に身を溶け込ませるようにして蹲っていた彼は、ゆっくりと伏せていたその頭を持ち上げ、気配すらも感じさせずに目の前に立つ人影に目を向けた。
……たった、それだけの行為なのに、身体はギシギシとまるで錆びついたようにぎこちない。
その重い身体を持て余しながら、朦朧としつつある頭の中に浮かんだのは、やはり来た、という確信だけだった。
「……ゥ、ア……ァ……」
何かを言おうと──名を呼びかけようとしたのかもしれない──口を開いたものの、そこから出てきたのは掠れてまともな音にならない声だけだった。
まるで、傷付きながらも威嚇する獣のような。
そんな彼を哀れむような目で見つめ、その人物は一方的に話しかけてくる。
「ばかか、お前は。……忠告はしておいたはずだぞ」
月を背後に夕闇に浮かび上がるのは一人の青年。
見た所十七、八歳といった所だが、逆光になったその顔はまだ幼さが残り、正確な年を掴めなくしている。
青年と表現するよりは、少年と表現した方がまだ近い──そんな曖昧な容姿である。青年はそのままスタスタと彼の目前にまで歩み寄ると、見下ろす体勢で冷ややかに問いかけた。
「──どうして欲しい?」
そこには先程まであった憐憫の欠片もない。
鈍く輝く金色の双眸は、未だ微動だにしないローブ姿の男を断罪するように見つめている。その瞳を、彼もまた魅入られたように見つめ返す。
やがて男──ザルームは震える手を伸ばし、まるで縋るように青年の手を掴もうとした。否、実際縋ろうと思ったのかもしれない。
だが触れるか触れないかという位置で、弾かれたようにザルームの手が引き戻されたかと思うと、その骨のような手がすぐさま掴みかかるように別の方向へと伸びた。
──向かったのは、青年の心臓の位置。
そのまま抉らんとばかりに伸ばされた手を青年はすかさず避けるが、ザルームは先程までの様子が嘘だったかのような素早さで次の行動に移っている。
布の内で小さく何事かが呟かれ、その骨ばった掌が青年に向けられた。
「シネ……!!」
次の瞬間、彼等の姿はそこから消え失せ、激しい火花と共にそこにあった古い木箱が全て瞬時に炎も上げずに黒々とした墨と化していた。
「ったく、手のかかる……!!」
一気に上空に上昇しする事で攻撃を交わした青年は舌打ちをしながら、やはり上空へと移動している赤黒いローブ姿の呪術師の姿を捉える。
「──フィッツ・ディスティーザ・ラーナ・エイム……」
風伝えで届いたその口が紡ぐ言葉に軽く目を見開き、すぐさまそれに対抗する呪術を発動させる準備をする。
(《紅蓮の翼》!? ──こんな所でそんな呪術を使う気か!)
呪術をある程度の水準で修めた者なら、正気を疑う暴挙である。
急速に集まってくるのは火の要素。眼下に広がるのは、セイリェンの街並み。
つい先程、戦闘が終わったばかりで、港の火の気もようやく落ち着いたばかりの状況だ。人もこの場に存在する要素も浮き足立っている。
にもかかわらず、目の前の男は普段なら自らは決して使おうとはしない攻撃呪術を行使しようとしているのだ。
ただでさえ火の要素は互いに連鎖し合い、威力を増幅しやすい傾向がある。そこに火種になる物──呪術を与えれば、一気に他の要素を駆逐してしまうだろう。
《紅蓮の翼》と名付けられたその呪術は、攻撃型呪術としては中級程の術だが、シンプルな術であるが故に使い手の能力がそのまま反映される。
すなわち、発動した瞬間にこの港町はそこにいる人間諸共炎の洗礼を受ける事になるし──安定を欠いた場所でそんな力技をすれば、術者も無事では済まない。下手すれば命を落とす。
(──間に合え……!)
「テス・ニスト・エリル・メイ・シェルク・フォルン・ナ・メシエ!」
「メイ・カリェン・レイディア・フェレム……!」
ザルームが呪術を完成させるのと、青年が防御呪術を行使するのはほぼ同時だった。
ピシィイイイイン!
まるで鞭が大気を鋭く切り裂くような音がし、その刹那、全ての音が消える。
──勝負は呆気なく着いた。
この場の大気が術が発動する瞬間のみ強制的に失われた結果、地上を一瞬にして焼き尽くす炎は生み出されず、不完全な術は術者へ跳ね返る。
ぐらり、と体勢を崩したのはザルームだった。意識でも失ったのか、そのまま重力に従い地上へと落下する。
「……テス・ガルス・ペルセム・ナ・フリエ、メイ・エナージェ・テア・ハール」
疲れた声音で更なる呪術を展開すると、ふわりと何かに受け止められたようにザルームの落下が止まった。
それは本来落下を緩和し、衝撃を和らげる程度の効果しかない初級呪術だったが、青年が使うと落下を止めるだけの威力に変化している。しかし、その効果は青年の予想を超えていたらしい。
驚いたように一瞬目を見開いた後、その理由に思い当たったのか忌々しげに天上の月を睨むと、青年は空中に縫いとめられたザルームを回収し、再び地上へと舞い降りていった。
+ + +
それはまるで、溶岩のような憎悪。
炎のように燃え上がるのではなく、じりじりと胸の奥底を溶かし、深く深く沈む熱の固まり。
触れれば、終わり。
取り込まれ、溶けて……いつしか自分もその憎しみそのものに──。
「……目が覚めたか?」
すぐ目の前に金色の瞳。
只人に在らざるその色をぼんやりと見つめ、ザルームは掠れた声で呟いた。
「──王……?」
その反応に青年はほっとしたように身を離した。代わりに目に飛び込むのは、満天の星空。そして、月。布越しに伝わる固い感触に、石畳に直接横たえられているのだと理解する。
(一体、何が……)
記憶が曖昧になっていた。
禁を犯し、呪術を──呪法を使い、反乱軍を助力した事までは覚えているが、そこから先はまるで何かに食い散らかされたかのように断片ばかりが浮かび上がる。
だが、すぐに何が起こったのかを理解した。
『王』がここにいる。しかも、実体を伴って。──それで答えは十分だった。
「──申し訳ありません……」
思い出したように復活した全身を襲う苦痛を無視して、無理に身体を起こそうとすると、横から手がそれを押し留める。
「寝てろ」
短く命じた言葉には、呆れと同時に僅かな労わりもあり。
その事に少し驚きながらも、ザルームはおとなしくその言葉に従い、再び身を横たえた。
「……。わざわざ、こちらにいらっしゃったのですか」
ただでさえ暗い声音が、苦痛により更に掠れて聞き取り難いものになる。それでも青年はしっかりとその言葉を理解し、鷹揚な態度で頷いた。
「理由をわかっていてそれを聞くか? ……何処かの誰かがあれだけ言っていたにも関わらず、契約を守らずに術を使ってくれたからな。まさか、私が気付かないとは思ってなかったよな? 様子を見に来てみれば、案の定、死にかけている上に暴走までしかける様だ。──少し説教をする権利はあると思うが?」
「……」
返って来た言葉は少々予想していたものと異なり、ザルームはどう返して良いものかわからずに沈黙してしまう。だが、青年はそんな彼を無視して、さらに続けた。
「これでも結構忙しい身なんだからな。……今日が偶然『蝕』だったからいいが、普通なら来る事だって難しいんだぞ? だから少し位、耳に痛くても聞いてもらう」
言いながらその手を持ち上げ、掌を苦しげに上下するザルームの胸に乗せる。
何をするつもりなのかと視線で問いかけるザルームに、青年は苦虫を噛み潰したような顔でぼそりと答えた。
「……怪我人に説教して悪化されるのは性に合わない。少々乱暴な手を使うが、まずは回復してもらう。──耐えろよ?」
「──ッ!?」
言われた側から全身に電流が流れるような衝撃が走り、一瞬呼吸が止まった。
痛みこそ感じなかったものの、内側から突き破ってきそうな力の圧力に身体と精神が悲鳴をあげる。ザルームは歯を食いしばり、その衝撃に耐えた。