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領主夫人は見習い中(2)

 家族水入らずの和やかな朝食を終えた後、自室に戻ったミルファを連れてサティンが向かったのは領館の敷地内にある離れだった。

 南向きに大きな窓を切り取られた居心地の良い部屋には、老若男女幅広い年代の人々が思い思いに寛いでいる。一見平和そのものだが、よく見れば身体の何処かに白い包帯が巻かれていたり、顔色が良くない者で占められている事がわかる。

 そう、ここは病や怪我を癒す人達の為の場所──医療院だった。

 話には聞いていたもののミルファがここに足を踏み入れるのは初めてだ。ここには基本的に身寄りのない者が入っているという話だが、このような施設を領主が自らの館に作っているのは南領だけだろう。

 物珍しさとコリムの仕事を確かめたいという気持ちで周囲を見回していると、いつの間にか側を離れていたサティンが一人の女性を引っ張って来るのが見えた。見るからに来るのを嫌がっているのに、無理矢理に引っ張ってきている様子である。

 女性にしては背が高く女性らしい丸みに欠けた身体を白い服で包んだその人物は、サティンに何かしら文句を言っていたようだが、ミルファの姿を見ると僅かに目を丸くして口を閉じた。

「お待たせしました、ミルファ様!」

 女性の仏頂面とは対照的にサティンの顔は明るい。

 逃がすまいとばかりにがっちりと抱え込んだ腕に何となく罪悪感を感じつつ、ミルファは女性に目を向けた。

「……こちらは?」

「はい、コーディア様とは姉妹のように育った人です。話を聞くなら、まずこの人が最初かなと思いまして!」

 本人が口を開く前にサティンが上機嫌に紹介する。女性はその様子に抗うのを諦めたのか、小さくため息を漏らすと、軽く一礼した。

「初めまして、ミルファ様。私はリヴァーナ・シアル・トリーク。こちらで医師として働いております」

 紡がれる少し低めの声音は淡々としていて、表情同様に感情が乏しい。不機嫌なのか元々そうなのか計りかねたが、仕事中に無理矢理引っ張って来られた感は否めない。ミルファもすぐに頭を下げた。

「忙しい所ごめんなさい。私が叔母上となる方がどんな方か知りたいと言って……」

 まさか仮にも皇女が下々の人間に対して簡単に頭を下げると思わなかったのか、その様子に少し呆気に取られたような表情を見せ、リヴァーナは頭を振る。

「ミルファ様が謝る必要はありません。これから簡単な事情は聞きました」

 横目でサティンに視線を投げつつ頷くリヴァーナの様子から、この物言いは本来の性格からのようだと判断し、ミルファはにこにこと笑うサティンに目を向けた。

「姉妹のようにって事は、もしかして叔母上も医師を?」

「いいえ、違います。コーディア様は元々この館で女官として働いていたんですよ。その辺りの事もこちらのリヴァーナの方が詳しいと思います」

 ね、とサティンに視線で促されたリヴァーナは同意するように頷いた。

「第一……、あれが医師などになったらこの世の終わりです」

「それはちょっとひどくない、リヴァーナ……」

「事実でしょう。あれの不器用さと学習能力のなさは一種の才能ですからね」

「そ、そう……」

 無表情に語られる言葉のひどさに、ミルファも何と言っていいのかわからなかった。

 歯に衣着せない言い様は姉妹のように育った者故の率直さなのか、それとも性格なのか──おそらく両方なのだろう。まさか最初からここまで否定的な言葉が出るとは思わなかったのか、サティンの顔も強張っている。

「で、でも……! いい所もあるわよね?」

 自分でこの状況を作ってしまった負い目からか、サティンは涙ぐましい努力を見せた。そんなサティンを一瞥し、次にちらりとミルファに視線を流すとリヴァーナはしばし考え込むように沈黙する。

(考え込まないと出て来ないの……?)

 あの叔父が選んだ人ならば、おそらく誰もが認める女性なのだろうと漠然と想像していたミルファは、心の中で少し後悔していた。

 もしかして自分は、踏み込んではならない部分に踏み込んでいるのではなかろうか──。

 ミルファとて、もう知っている。世の中には『知らない方が幸せ』だったり、『気付かない方が良い』事があるのだと。

 やがてサティンとミルファが沈黙に耐え切れなくなりかけた頃、ようやくリヴァーナは口を開いた。

「……私から見れば、コーディアは欠点だらけです」

 それは言外に救いようがないと言わんばかりの言葉だ。だが──何故かリヴァーナの口調は何処となく柔らかなものになっていた。

「コーディアと言えば、ミルファ様。『亀』という生き物をご存知ですか」

「かめ……?」

「はい。南領の端、南海に生息する生き物なのですが。機会があれば一度ご覧になるといい。コーディアはあれにそっくりですから」

 そっくりと言われても、それがどんな生き物なのかミルファにはさっぱりだったし、きっぱりと言い切る言葉にサティンの顔が若干強張った所から、どうやらそのたとえはあまり良いものではないらしいと判断するばかりだ。

 だがこの流れでそれを追求しない訳にも行かないだろう。おそるおそるミルファは会話を進める事にした。

「一体、それはどんな……?」

「それはもう、非常に行動が遅い動物なんです。海に棲むだけに泳ぐのは達者らしいんですが、陸地に上がると人の何倍も遅くしか動けない」

「な、なるほど」

 つまりそれだけ鈍臭いと言いたいのだろうか──いい所を考えていたはずなのに、結局欠点が出て来るのはあまりに救いがない気がする。

 そんな考えを見透かしたのか、リヴァーナはけれど、と言葉を繋いだ。

「けれど……、どんなに障害があろうとも、どんなに時間がかかっても、彼等は目的に向かって進みます。健気なほどにね。……コーディアもそうです。何度失敗しようとも、最後まで諦めない。見た目によらず根性があります。その点だけは私も評価していますよ。今すぐには無理でしょうが、先はひょっとしたらひょっとするかもですね」

 やはりあまり誉めているようには聞こえなかったが、遠慮のない言葉の端々に感じられる親愛の情に、ミルファはこの人は確かにコーディアをよく知る人だと思った。

 誉めるだけなら相手を知らなくても出来る。だが先に欠点を上げた上で相手を誉める事は、余程親密でもなければ出来ない事だろう。

 リヴァーナは言う事は言ったとばかりに、すぐに医療院の奥へと戻ってしまったが、流石にサティンはそれ以上引き止めなかった。

 こういう人なんです、と苦笑しつつ、ミルファを次に連れて行ったのは女官の詰め所だった。

「コーディア様の元同僚達ですからいろいろ聞けると思いますよ!」

 そう言ったサティンは、しかし自分は中には入ろうとしなかった。

「ミルファ様が話を聞きたいって事はもう話してあります。本当はご一緒したいんですけど……その、わたしも少し別件で仕事があるので、ちょっとだけ失礼していいですか?」

 確かにサティンはミルファ付きの女官ではあるが、本来はこの南の領館で別の仕事をしていたはずなのだ。普段はミルファも四六時中付き従って貰う必要性を感じておらず、身支度や多忙な祖父や叔父との取次ぎを頼む以外は好きなように仕事をして貰っている。

「ええ、構わないわ。一通り聞いたら自分で部屋に戻るからサティンは気にせず自分の仕事をして頂戴」

「ありがとうございます、それじゃ行って来ますね!」

 ミルファの言葉にぱあっとサティンの表情が明るくなった。心なしか嬉しそうな様子を不思議に思いつつ、サティンを見送る事にする。軽く一礼してサティンが立ち去ると、何だか急に静かになった気がした。

 いるだけで明るい空気を醸し出すサティンに、皇帝や帝都の状況に心を悩ませるミルファもかなり救われたものだ。先程のリヴァーナの言葉を借りると、これがサティンの才能なのかもしれない。

 そんな事を思いながら、ミルファは詰め所の扉を叩いた。


+ + +


 コーディアのかつての同僚達から一通りの話を聞き、自室に引き上げつつミルファは軽い疲労を感じていた。

 ミルファが来るとわかっていたからか、女官達はお茶やらお菓子やらを大量に用意しており、さながら盛大なお茶会の様相となったのだ。

 それはかつて過ごした南の離宮の頃を思い出させて、少しだけ懐かしい思いも感じたが──女が三人いればかしましいと言う。女達が五人も六人もいれば、当然賑やかどころではなくなるのが道理である。

 彼女達も暇ではないから、話をしてくれる女官達は入れ替わり立ち代わりと顔触れが変わる。その全てから話を聞かされれば、流石のミルファも最後の方では精気を抜かれるような気分になった。

 サティンの言葉を借りるなら『雲の上の存在』であるミルファが気さくに接してくる事に浮足立ってか、彼女達はコーディア以外の様々な事までミルファに話してくれたが、コーディアについて不思議なくらいに一致するのは、最初に会ったリヴァーナが言った『不器用で学習能力がない』という事だった。

 更に付け加えられた事と言えば『鈍感』という言葉だろうか。何でも、コーディアはジュールに求婚された時、まったく気付いてなかったらしい。周囲からそれはどう考えても求婚だと言われるまで、本気でわかっていなかったと言う……。

 けれど欠点に思われるそれ等も、彼等は『あれはどうかと思いますよ』などと言いつつも、顔は和やかに笑っているのだった。総括すると、欠点だらけだが人望はある、という事になるのだろうか。

 ある年嵩の女官は最後にこう言って締め括った。


『ミルファ様、コーディア様が会おうとしないのをどうか悪く思わないでやって下さい。あれはもう、性格なんです。決してミルファ様に会いたくないとか、ましてや嫌っているなんて事は有り得ません。これは断言出来ます』


 有り得ないと言い切る言葉に誤魔化しや偽りは感じられず、実際そうなのだろうと信じられた。

 それと彼等がコーディアとジュールの婚約を喜び、応援している事を感じられた事も収穫だ。ミルファが想像していたような誰もが認める完璧な女性とは違うようだが、叔父が選んだ女性が多くの人に愛される人物であった事が素直に嬉しかった。

 そんな人だからこそ、サティンもこんな滅茶苦茶な手段を講じてでも必死に誤解を解こうとしたのだろう。

(……そうだわ、叔父上には叔母上の話を聞いた事を話しておいた方がいいかしれない)

 サティンの独断に任せてしまったが、そもそもコーディアの事を知りたいと思ったのはミルファだ。

 様々な人々の話を聞き、最初にサティンが推測したように単に気後れや気恥ずかしさからミルファの前に出て来れないと言うのなら、本人が心を決めるまで待とうという気持ちになっていた。

 コーディアがなかなかミルファの前に姿を見せない事を申し訳なく思っているようだし、その心配はいらないと伝えればジュールの気も楽になるような気がした。

 ジュールの執務室はここからさほど離れていない。我ながら良い考えのような気がして、ミルファは自室に向かっていた足をそちらに向けた。

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