領主夫人は見習い中(1)
南領に来て一月──その間、一度として姿を見せない(未来の)領主夫人とは?
ミルファ十三歳、南領の生活篇その2。
ミルファと後に小包(?)を送ってくる事になるジュールの婚約者・コーディアの始まりの物語です。
「おはようございます、ミルファ様!」
帝都を離れ、ザルームの手を借りながら辿り着いた南領に身を寄せてから一月近く。
その間にすっかり馴染んだ、朝の清々しい空気に負けない明るい声でミルファは目を開いた。
「……おはよう、サティン……」
寝ぼけ眼で挨拶すれば、声の持ち主はにっこりと笑う。
「ほら見て下さい、今日も良いお天気です。何か良い事がありそうですね!」
声に負けぬ明るい笑顔で閉じてあったカーテンを開けて回るのは、ミルファ付となった南の領館の女官で、名をサティンという。
聞くところによると、幼い頃に両親を失った為に正確な年はわからないが二十代中頃という話である。だが、一見しただけではとてもそうは見えない。せいぜい、十代後半といった感じだ。
童顔という事なのだろうが、今まで同世代の人間とほとんど接点のなかったミルファには久方振りに接する年の近い(ように見える)人物である。
南領の生まれにしては、少々色素の薄い栗色の髪に焦げ茶の瞳。顔立ちは目を惹く美人ではないものの、柔和な女性らしい丸みを帯びた優しい顔立ちは愛嬌があり、その笑顔は見る者の心を和ませた。
性格は天真爛漫を絵に描いたような裏表のない無邪気さ。いつも楽しげに仕事をしていて、些細な事も前向きに受け止めるので、側にいると釣られて気持ちが上向きになる。
南領へ来た当初は慣れない場所と知らない人ばかりに囲まれ、何かしらと気を張る事が多かったミルファだが、サティンが側に付くようになってからは目に見えて肩から力が抜けていた。
女官としての仕事振りは、手際が良いとも言えず、どちらかというと不器用な部類に入るのかもしれない。だが一年近くも逃亡生活を送ったミルファは自分の身の回りは自分で出来たし、少なくともその人選はミルファにとっては適していると言えた。
「今朝もコリム様とジュール様が御一緒に朝食をとの事ですが、よろしいですか?」
身支度を整えるのを手伝いながら、サティンがいつものように尋ねて来る。
元より断る必要もないし、帝宮にいた頃は広い食堂に一人きりで食べるのが嫌で無理矢理女官に付き合わせた事もある位だ。食事はやはり、一人よりは誰かと食べた方が美味しい。それが家族ならなおの事。
多忙な祖父や叔父が、わざわざ時間を調整して合わせてくれている事にもミルファはとっくに気付いていた。その気持ちを申し訳なく思う反面、嬉しく思う。
だが──。
「もちろんよ。それで良いのだけど……」
答えつつもその言葉の後半は隠しようのない陰りが宿る。その原因に心当たりがあるサティンは、申し訳なさそうに俯いた。
「やっぱり、今日も……叔母上は同席なさらないのですね?」
「は、はい……」
ミルファの声が沈む。それに釣られるように、サティンも身を縮めるように小さく頷いた。
この一月に満たない時間の間に、ミルファも南の領館内のあれこれを知る所となった。今は亡き母、サーマはあまり嫁ぐ以前の事や実家の事を話さなかったので知らない事の方が多い。
たとえば、母の上には母違いの兄が二人いて、それぞれが現在は地方で生活しているということ。あるいは祖父であるコリムがかつては帝宮に勤める兵士で、現皇帝と知己の間柄であったこと。
そして──叔父であるジュールの婚約者、すなわち未来の領主夫人となる人物についてもそうだった。
すでにコリムの妻は亡くなっており、ミルファから見ると義理の叔母となる予定のその人が実質的にこの領館の女主人と言える。
いかなる理由か、まだ婚姻の期日こそ未定だそうだが、とっくに会って挨拶の一つはしていても不思議ではない人である。
──だが、しかし。
もう一月にもなろうと言うのに、ミルファは未だにその人物と顔を合わせるはおろか、姿自体を見た事がないのだった。
「……やはり私は、叔母上に避けられているんでは……」
まったく身に覚えがないが、ここまで来るとそう思えてくる。落ち込むミルファにサティンが慌てたように首を振って否定した。
「ま、まさかそんな! そんな事ありませんよ!!」
「ですが……、もうここに来て一月になろうとしているのですよ? 聞けば、叔母上となる方はこの館にいると言うではありませんか。同じ館にいて一度も顔を合わせないなんて不自然でしょう?」
「うっ、そ、それはそうですけど~……」
正論を突きつけられ、サティンも言葉に詰まる。
皇女と言えども、ミルファとて礼儀は弁えているつもりだ。いかに非常事態でだったとは言え、匿えと言わんばかりに急に押しかけてきた事は今も反省している。
逆を言えば、縁のある皇女に対して挨拶の一つもないというのは十分に不敬に当たる行為だ。将来、この南領をジュールと共に治めて行くであろう人がそれをわからないはずがない。
実際、ジュールは幾度も顔を出すように言っているとの事だが、流石に強要出来ずにいるようだ。
「確かに私がここに来たのは歓迎すべき事ではなかったと思います。南領には迷惑をかけてしまうと思いますし……」
「ミルファ様……。あの、えっとですね。コーディア様はそういうつもりではないと思いますよ?」
「じゃあ、サティン。どういうつもりだと言うの?」
切り返すとサティンは一瞬ぐ、と言葉に詰まった。しかしすぐに気を取り直し、想像ですけど、と前置きをしてから口を開いた。
「きっと、単純に気後れしてるんですよ!」
「気後れ……? 私が、皇女だからですか?」
予想外の言葉にミルファは目を丸くした。話を聞く限りでは、ジュールの婚約者──名をコーディアと言う──はサティン同様、市井の生まれで特に身よりもないらしく、皇族に対して過剰に恐れ敬う気持ちを持っている可能性は確かにありそうだ。
それでも、流石に一月である。ミルファがそうした過度の敬意を喜ばない事くらいはジュール辺りから伝わっていても良さそうなものである。
──これがミルファに対する、遠回しな拒絶でなければ、だが。
「サティンだって今はこうして普通に話してくれているでしょう。気後れなんて……」
「お言葉ですけど、わたしだって最初はすっっごく緊張しましたよ? 粗相があっちゃならないって」
「そうなの?」
顔を最初に合わせた時の事をぼんやりと思い返すが、多少言葉遣いこそ丁寧だったものの、言動は今とさして変わらなかった気がする。
不思議そうなミルファにその時を思い出したのか、サティンはくすぐったそうに笑いを漏らす。
「ええ。……結局、最初からやらかしてしまいましたけど」
「最初? 何かあったかしら……」
言われたミルファは、サティンの言う『粗相』が何かさっぱりわからなかった。
「ほら。わたし、最初から『ミルファ様』って呼んでしまったでしょう。本来なら『殿下』って尊称で呼ぶべきでしたのに。……ジュール様みたいに血縁がある訳でもないのに直接名を呼ぶなんて、本当なら本人から許しを貰ってからでなければいけないのでしょう?」
「ああ……」
言われてみて、確かにそんな決まりがあった事を思い出す。
元々南の離宮ではサーマの方針もあり、そうした堅苦しい決まりごとから比較的自由な場所だった事もあって、言われるまでまったく意識の端にも上らなかったが。
ようやく納得するミルファに、サティンは苦笑する。
皇女であるという自覚はあるのに、それが特別であるという認識が薄いと言わんばかりの言動。他の皇族を知らないが、ミルファが変わっているであろう事は確かだった。ミルファの身分なら、すぐにでも顔を出せと命じる事も出来るというのに。
「ミルファ様は恐れ多くも皇帝陛下の血を引いていて、更にコリム様の息女であられたサーマ様の血を引く御方です。皇女殿下なんて一生お顔を見る事も、言葉を交わす事だってないはずの方。……一般庶民にとっては、やっぱり雲の上の存在ですよ」
「そういうものなの……」
呆然と呟くミルファの姿を見るに、やはりそうした認識がないのは明らかだった。
「ですから、もしかするとコーディア様はミルファ様にどう接したらよいのかわからないんじゃないでしょうか。しかも皇女様から『叔母上』なんて呼ばれたら、恐れ多過ぎて倒れてしまっても不思議ではありません」
きっぱりと言われた言葉に、ミルファはさらに途方に暮れた。
(やっぱりいきなり叔母上と呼ぶのは、あまりにも図々しかったかしら……?)
まだ婚姻も済んでいないのだし、時期尚早だったのかもしれない。単純に身内意識で呼んでいたのだが、まさかそれが原因だったのだろうか──そんな事を考えつつ、ふとミルファは気付いた。
「サティン」
「はい?」
「そこまで言い切るという事は、サティンは叔母上に会った事があるのね?」
随分と説得力のある言葉にそんな推測を抱いたのだが、サティンはその質問にひどく狼狽した。
「う、あ、……そ、そりゃあ……知ってます、けど。だって、毎日顔を合わせますし……」
答える言葉は歯切れが悪い。心なしか、目が泳いでいる気さえする。
何なのだろうと訝しんでいると、ミルファが口を開く前にサティンは音を立てて手を合わせた。
「お願いですから、引き合わせろって言うのは止めて下さい! 後生ですから!!」
一体何事かと思うほどの嫌がりように、ミルファは眉を顰めた。
「……? 叔父上ですら出来ない事をサティンに押し付けたりはしないけれど……。ただ教えて欲しいだけ。どんな方なの?」
「どんなって……うーん、難しいですね……」
ミルファの願いに困ったように考え込み──しばらくして、サティンはそうだとばかりに手を打った。
「それなら他の女官とか使用人に聞いてみてはどうでしょう。わたしだけより人となりがわかるんじゃないでしょうか」
「他の? でもそれは……。自分の知らない場所でそんな事を聞き回られたら、叔母上もいい気がしないのではないかしら」
「大丈夫です、その当たりは根回ししておきますから!」
「ね、根回し……?」
「そうと決まればまずはお食事です! さ、コリム様とジュール様がお待ちですよ。お二人ともミルファ様との時間を本当に楽しみにされてるんですから! その間にわたしはお部屋を片付けて、みんなに話をつけておきますね♪」
「え、あの、サティン、話って」
「はい、出来た! 今日のお召物もよくお似合いで、何処からどう見ても完璧ですよ♪ ゆっくり家族水入らずの朝食を楽しまれてきて下さいね。いってらっしゃいませ♪」
思いがけない押しの強さに流され、身支度が終わるやそのまま部屋の外へと送り出されてしまったミルファは、言われた通りに食堂へ向かいつつ首を傾げた。
ただ単に、将来の女主人としてコーディアが女官のサティンから見てどんな人物か知れればそれで良かったのだが。
(何でこんな事に……?)
おそらくその疑問には、ミルファに仕える博識な某呪術師ですら答えられないに違いなかった。