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心の扉(2)

 一方的な見解から抜け出したルネットの目から見ると、ケアン=リール=ピアジェという少年は年齢にしては聡い事を除けば、ごく普通の子供だった。

 むしろ非常に内向的な性格のようで、どんな場面でも自己主張するような事はなく、よくぞ地方神殿の上位神官達の目に止まったものだと思う。こちらが心配になる位に世間慣れをしていないし、年の割りに純粋すぎる気さえした。

 神殿に上がるまでは、地元で『悪ガキ』の名を欲しいままにしてきた己の子供時代と比較するのがそもそも間違っているのだろうが──。

(ふむ……、それにしても疑問だな)

 険しい山を越える人達の為に、街道沿いに建てられている粗末な山小屋の中。幼い足に山歩きは辛いのだろう。食事を終えたと思うと部屋の隅で寝息を立て始めたケアンが風邪をひかないように毛布をかけながら、ルネットはしみじみ思った。

(この子の一体何処が『神童』なんだ?)

 これでも一応神官だ。世間一般の人間よりは神殿の事はわかっている。その自分から見ても、地方神殿にいるケアンと同世代の見習い神官と比べて、これと言って特出した能力があるようには見えなかった。

 物覚えがいいとか、知能が高いとか──そうした事ははっきり言えば、神官の世界にはあまり関係がない。『学』は神殿に入れば誰にでも必要にするだけ手に入れる事が出来る。もちろんあったに越した事はないが、神官の身分とも言える位階は学力で決まるものではない。

 信仰心の高さはもちろん必要条件だが、正神官よりも上の位階に上がるには、それぞれが持つ神力の高さと質が重要となる。

 基本的に呪術師とは違い、神官の持つ力は自分の内にある力をもって、世界そのものに干渉するものとされている。

 ここで示される『世界』とは自分自身を除いた全て。

 たとえば各地の主神殿にいる『聖女』と呼ばれる女性神官達は、その癒しの力によって『他者』という世界の一部に直接干渉する為に特別視され、敬意を払われている。

 ラーマナの教義の上でその存在は異端でもある為、正規の位階には入っていないが、特別に扱われるのはそれだけ神力──世界に対する干渉力が強いからなのだ。しかし、目の前であどけない寝顔を見せる、この少年は。

(神力は確かに少し高い気がしなくもないけども……)

 しかしそれは主神殿の主座神官をして、『神童』と言わしめるだけの物であるようには思えないのだった。それにもかかわらず、そう扱われる何がこの少年にあると言うのか。

(……気になるじゃないか)

 少しずつ、ぎこちないながらも心を開いてくれているケアンに対し、こんな好奇心を持つ事は少々不謹慎かもしれない。だが──。

「仕方ないね。……これも性分ってやつだ」

 苦笑混じりに呟き、ルネットもまた火の始末をしてごろりと横になる。『知らない事を知りたい』──好奇心の強さに関しては、他に負ける気がしないのだから。


+ + +


「え? 何でぼくが……『神童』って言われているか、ですか?」

 そして、翌日。

 考えてもわからないなら、直接本人に聞けばいいだろうと安直に考えたルネットは、早速ケアンに質問を振った。

 数多いたはずの神官の中、彼が『特別』になる理由は何なのか──。

 ケアンはその質問を過去に幾度もされたのだろう。最初こそ驚いた顔をしたものの、すぐにその顔に少し困ったようは表情を浮かべた。

「それが……。特別な事は、何も……」

「しかし何かがあったから、そんな若い身空で大神殿に行く事になったんだろう?」

「それは、そうだと、思うけど……」

 答える声が尻すぼみになり、合わせるようにその顔がうつむいてゆく。

(──やばい、泣かせたかも)

 いくら何でも当事者には理由くらい説明しているだろうと思ったのだが、まさか当人もよくわからないまま、大人でも辛い長旅をしているとは思わなかったのだ。別に苛めたい訳ではなかったルネットは、慌てて言葉を重ねた。

「いや、そのな! ……正直、ちょっと君が心配になったんだよ」

「……え?」

 苦し紛れの言葉だったものの、それはルネットの正直な気持ちだった。

 思いがけない言葉だったのか──ケアンが顔を上げる。少し鼻の頭や目が赤くはなっているものの、涙がなかった事に心底ほっとしてルネットは続けた。

「何と言うかだな……、言葉だけが独り歩きしている気がするんだよ。田舎暮らしの僕が知っているくらいだから、君の『神童』という評判は大神殿でもとっくに知れ渡っているだろう。それに対してケアン、君はその呼び名を誇りに思うのでもなく、何処か他人事のようにとらえている気がする」

「……」

「あいにくとそういう立場になった事はないから、これは想像するしかないんだが……。ケアン、今まで僕を含めていろんな神官と関わりを持ってわかっただろう? 誰もが君を『神童』として見る。『ケアン=リール=ピアジェ』という七歳の子供としては見ないんだ。君は──それに耐えられるのかい?」

 我ながららしくないとは思いつつも、ルネットは自分の思う所を真摯にケアンに伝えた。

 自分だったらとても耐えられない。上の決定に異論を唱えるのは神官としてはまずいとは思うが、言いなりになる位なら神官の座を返上する事になっても『僕は僕だ! 勝手に決め付けるんじゃない!』と大声で主張した事だろう。

「『知らない事を知りたい』──それは、別に他人や周囲に対するものだけじゃない。自分自身にだって向けていいものなんだ。君は、今自分が置かれている立場をちゃんと理解したいと思わないのか?」

 ルネットの言葉は恐らく、子供にとっては難しい事も含まれていただろう。だが、言わんとする所は伝わったのか、ケアンはじっとルネットの言葉に耳を傾け──少し考え込んだ後にぽつりと呟いた。

「本を……だけ……」

「ケアン? 今、何て……」

 うまく聞き取れずに聞き返すと、ケアンは意を決したように顔を上げ、それまでの敬語ではなく年相応の口調でルネットに答えた。

「本を、読んでいただけだよ。じ、じいさまが持ってた本と似た本が、図書室にあって、それで……」

 言葉の後半になるに従い若干口早になるのは、こうして自ら考えた事を誰かに伝える事に慣れていないせいだろうか。所々つかえながらも、一生懸命話そうとするケアンを、ルネットは黙って見守った。

 緊張の為かそれともそれ以外の理由からか、ケアンが何かに耐えるようにぎゅっと両手を握り締めている事に気付いていたけれど。

「それで……、嬉しくて。本当は勝手に読んじゃいけないって知ってたけど、でも……」

 家族の中で、ただ一人の味方だった祖父。死んでしまった時、世界に一人きりになったような気がした。

 いつかはそんな日が来る事を知っていた。けれど、眠る前までは暖かくて笑っていたのに、目を覚ましたら冷たく動かなくなっているなんて、夢にも思っていなくて──。

 淋しさと懐かしさが、少年に禁を破らせた。

「そしたら、司書神官様が来て……」

 内容は世界に満ちるあらゆる『力』やそれに属する森羅万象の現象について。古い言葉の為に難解な文書として扱われていたが、実際は導入書のような物だった。

 夢中で文章を追いかけていて、部屋の扉が開いた事に気付かなかった。ふと背後に人の気配を感じて振り返ったそこにあったのは、特に厳しい事で知られる蔵書室の長の姿。

 てっきり叱られるのだと思った。

 神殿の蔵書の多くは古く、保存状態には気を使われてはいても、ちょっとした事で破損する事もあり得る。ケアンが見つけた本も手書きでところどころ文字が掠れ、落としでもしたらバラバラになってしまいそうなほど古かった。

 その為、特に分別がまだついているとは言いがたい幼い見習い達は、蔵書室への立ち入りはもちろん、閲覧する事も禁じられている。それは神殿に入った当初に固く言い含められた事だ。

 もっとも多くが遊び盛りの子供達である。本よりも遊びに興味を持つ年頃である為、わざわざ言われなくとも、好き好んで陽射しを避ける為に薄暗く、少々黴臭いその部屋に近寄る者などいなかったのだが──。

 いつの間にか背後にいた司書神官は、謝る事も忘れて固まるケアンを一瞥したものの、予想に反して叱りつける代わりに一言尋ねてきた。

「『その本の内容がわかるのですか?』って聞かれたから、だから……」

 叱られる事への恐怖で硬直した身体では、はいと言葉で答える事ができなかったので、ただ頷いた。するとその神官は軽く目を見張り、では、と本の中の一文に骨ばった指を走らせたのだった。

 ──この文は何と書かれているかわかりますか?

 尋ねられた質問は、その時よりもっと幼い頃──言葉を覚え始めた自分に祖父がよくしていたものと同じで、ほとんど無意識の内に硬く強張っていたケアンの口はその文章を読み上げていた。

 その答えを聞いた司書神官は、しばらく黙り込み──やがて『もし、他にも読みたい本があるのなら今後はちゃんと私を通しなさい』と言い、禁を破った事は責めなかった。

 たった、それだけ。

 ケアンにとってはそれだけの事だ。なのに何故かそんな些細な事が、その後のケアンの生活を一変させてしまったのだ。

 今までは誰にも話せなかった。それ以外に切っ掛けという切っ掛けは思いつけないが、そんな事でと否定されるのが怖くて出来なかったのだ。

 それをようやく吐き出せた事で、少しだけ心が軽くなる。そしてルネットも、そんなケアンの告白を一笑に付したりはしなかった。

「本を読めたから、神童扱いになった……?」

 難解な書を読めたからという理由だけではないだろう。仮にそうだとしても、この幼さで大神殿に入る理由には不十分過ぎる。そう、それが──普通の本ならば。

 閃いたのは一つの可能性。しかし、それは同時に別の謎を深めかねないものでルネットはケアンに確かめるか否かしばし悩んだ。

(まさか……。でも……)

 悩みつつ、視線を向けた先。ケアンが何処か思い詰めた顔でこちらを見つめていた。その顔でようやく気付く。『神童』の名を他人事のように思っている訳ではない。そうではなくて、むしろ──。

「……そうだよなあ」

 やがてルネットの口から零れた言葉はそんなものだった。

「ケアン、君は……人が怖いんだね」

 内向的な性格なのは持って生まれたものだろうが、この年齢にしては聞き分けが良すぎると思っていたのだ。おそらくそうする事で自分を守っているのだろう。

 図星だったのか、それとも自覚がなかった事を指摘された為か、ケアンは目を反らし視線を地面に向ける。

 無意識にだろう、今度はぎゅっと服の裾を握り締める姿に、ルネットはケアンの抱える不安の大きさの一端を見たような気がした。

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