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野ばら(4)

「……殿下」

 その言葉と所作にただならぬものを感じ取り、ジュールは慌てた。まるで──別れの挨拶のようではないか。

「まさか……、ここから立ち去る気ではないでしょうね」

 だが、心の中ではその憶測が間違っていない事を確信していた。そうでなければ、今のこの時に席を立つのはあまりに不自然だ。

 その問いかけにミルファは答えなかった。ただ、少し不思議そうな目を向けてくるだけで──。

 それが彼の問いかけに対する何よりの答えだった。ジュールは思わず皇女の面前である事を忘れてため息をつく。 

「……殿下。我々を見くびらないで頂きたい。初対面の相手を警戒するのはお命を狙われている今、当然の事でしょう。それしきの事で掌を返したような対応などいたしませんよ」

「……」

 肉親だからと言って、皇女だからと言って──父も自分も、言われるままに従うような人間ではないと自負している。南の地を長く預かる誇りがそれを許さない。

 だからこそ現皇帝とかつてはそれなりに交流関係があった父は、皇帝が乱心してからは一切帝都との関わりを断っている。今の皇帝の行いが、間違っていると思っているからだ。

「先程私が言った言葉は、嘘偽りのない本心です。あなたが陛下に会う為には──皇帝となるには、我々の手が必要なのではないですか?」

 確かにザルームという名の呪術師はこちらの預かり知れない能力を秘めてはいるようだ。だが、ミルファ自身が考えたように、皇帝となる上でそれだけでは足りないとジュールもみなした。

 遥か東の地に身を寄せ、一早く動きを起こした第一皇子ソーロンのような実績もなければ、そもそもその名も知名度があるとはとても言えない。その足りない部分を補えるものが、この南領の地にはある。

「……ならば使えばいい。遠慮などする必要などない。それが理にかなっているなら、誰もがあなたに従うはずです」

 ジュールの言葉に驚いたように目を見開いたものの、ミルファはすぐにゆるく頭を振った。

「ですが、叔父上……。それでは、この南領を必要のない争い事に巻き込んでしまいます」

「それではこれからどうするおつもりですか。そこに控えている呪術師は確かに普通ではない力を持っているようですが、たった二人で何が出来ると?」

 挑発するように突き付けられた現実に答える言葉もなく、再び沈黙したミルファを見つめ、ジュールは言葉を和らげた。

「……私個人の意見を言わせて頂ければ、出来ればここでおとなしく守られて欲しいのですが」

 だが、そんな事はこの皇女は求めてはいないのだ。

 最初から保護ではなく、協力を求めてここまでやって来た位なのだから。

「助力いたしますよ。父も心配はすると思いますが、表立って反対はしないでしょう。……言い出したら聞かない頑固さは、うちの家系ですので」

 そう言って肩を竦めて見せると、ミルファは信じがたいという顔でぽつりと呟く。

「……叔父上……」

 『家系』という言葉には、当然ミルファも含まれている。

 平常時であれば無礼にも取られかねない言葉だ。しかし母を失い、父から命を狙われるミルファには、何にも代えがたい表現だった。

「さあ、そろそろ夕餉の時刻です。父も先程十分に話せなかった分、心待ちにしていると思いますよ。……そちらの呪術師──ザルーム殿でしたか。そちらも御一緒に。……来て、頂けますね?」

 あえて有無を言わさない口調で同行を求めると、ミルファはちらりと背後の呪術師に視線を向け──やがて諦めたように小さく頷いた。


+ + +


 それから数月が過ぎる頃。

 ミルファはすっかり南領に馴染み、コリムやジュール、南の領館に仕える人々も驚く程に、貪欲に勉学に励んでいた。

 その姿はいつしか南領の人々の目に、かつて同じように父の後については様々な事を吸収しようとしていた少女の姿を思い出させ、皇女という身分に関係なく、ミルファは彼等に受け入れられいった。

「本当はお勉強って好きではなかったんです」

 帝宮で暮らしていた頃にも必要最小限の学問は修めていたはずだが、一年の逃亡生活でそれに対する価値観が大きく変わったのだと、ある時にミルファはジュールに語った。

「でも、算術が出来ないと物の価値や相場は理解出来ないし、文字を知らなければ有益な情報も見逃してしまう。歴史を知らなければ、過去の間違いを繰り返す。……確かに使われる事無く、無駄で終わる部分はあります。けれど、何事にも学ぶだけの意味があって、何より目的がある学習はとても楽しい物だとわかったんです」

 その頃になると、相変わらず多忙なコリムより同じ時間を過ごす事の多いジュールとミルファの間は、一般的な叔父と姪の関係に近くなっていた。

 流石に公には皇女に対する礼を尽くすが、気がつくとコリムもジュールも私的な会話では敬語を使わなくなっていた。

 良い意味で遠慮がなくなったのだろう。そうなるとミルファも自分から話しかけて来るようになった。それを姪・孫ばかを自覚している二人が内心喜んだのは言うまでもない。

 今日も今日とて、朝食後に話があると呼び止められたジュールは、特に深く考えずに話を切り出した。

「それで? 折り入って話があるというのは?」

 対するミルファは至極真面目な顔で、きっぱりと答える。

「──剣を」

「は? 剣、だって……?」

 言っている事はわかったものの、それが何を意味するのか理解するのに時間がかかった。

「剣の使い方を、教えてください」

 その目は真剣そのもので、思いつきや何かで決めた訳ではない事が伝わって来る。それを知る事で、その手が血で汚れる可能性が生まれる事ですら覚悟の上なのだろう。

「……必要なのかい?」

 半ば諦めた気持ちで問いかける。

 それが一体何の為に必要なのか──主語が抜けていても通じると理解している自分が恨めしい。

「この先、何があるかわかりません。少なくとも自分の身くらい、自分で守れるようになりたいんです。……無理でしょうか」

「……」

 どうしてこの少女は、守られる立場に甘んじる事を良しとしないのか。己の手が無力だと自覚するのは決して恥ずべき事ではないと思うのだが。

 世の中には『適材適所』という言葉があり、ミルファの為にその力や剣を捧げようと望む人間はこの先いくらだって出て来るに違いないのだ。

 そんな人間を旗頭として、あるいは象徴として取り纏める事こそ、ミルファの本来の仕事だろう。

 ──頑固者の家系だから仕方がないと、一体どの口がいったやら。

「……後で泣き言を言っても知らないよ?」

「はい、覚悟の上です」

 一度これと心を決めたら簡単には折れない。

 それを頑固者と言うのは簡単だ。けれど踏まれてもまた立ち上がる野生の草花のようなしなやかな強さがなければ、おそらくこの先生き抜く事は厳しいだろう。

 非力で華奢で、ふとした弾みで簡単に傷付き倒れそうなこの少女は、内に不屈の魂を宿している。今まで彼女を影で守り続けたという呪術師の苦労を想像しながら、彼は苦く笑った。


 そして──幼いその手は、自らを守る『棘』を手に入れた。

ミルファ十三歳、南領の生活篇その1でした。その2もありますが、それは第四章完結後辺りに(相当先ですね)。本篇でミルファが剣を使える描写が出て来るので、それの補完話でした。ジュールとミルファは叔父と姪というよりは、年の離れた兄と妹という感じに近いです。

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