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野ばら(3)

「約束?」

 呟いた時の顔があまりに真剣だったので、ジュールも思わず神妙な顔になった。

 一体どのような約束ならば、命を狙われる身の上でその当の狙っている人物に会うという危険を冒せると言うのか──命をかけるだけの約束など、彼には全く検討もつかなかった。

 そんな彼に、ミルファは小さく頷く。

「お母さまと……、子供の頃に交わしたのです」

 言いながらもその宝石のような瞳が暗く沈み、苦痛を宿す。

 ミルファの様子にジュールは内心では狼狽ろうばいしたが、必死に押さえ込む事で何とか表情には出さずに済んだ。

 一体、その『約束』にどんな重さがあるのだろう。

 彼の記憶にある限りでは、ミルファの母であるサーマが、そこまで思い詰めさせるような事を約束させたとはとても思えなかったのだが──。

 しかし、それを追求する事はジュールには出来なかった。

 見るからにそれはミルファにとって思い出すだけでも精神的な苦痛(あるいは悲しみ)を与えるものだと物語っており、無造作に触れる事は躊躇ためらわれたのだ。

 沈黙するジュールの反応をどう思ったのか、ミルファはさらに言葉を重ねる。

「──皇帝……お父様が乱心した時の事を、私はよく覚えていないのですが……。たった一つだけ、覚えている事があるのです」

「その事がその……『約束』と、どう関わりが?」

「……お母様との約束は、お父様よりも先にお母様が亡くなる事があったら、お父様にある言葉を伝える事なのです」

 それを聞いて、僅かながらに納得する。

 皇帝が乱心した時の惨事はすぐに地方へと広まらなかった事もあり、夜の帝宮で具体的に何が起きたのか、その詳細は未だ謎に包まれている。

 だからこそ、ジュールはサーマの訃報を聞いてもすぐには信じる事が出来なかったし、ましてやそれが皇帝が乱心した結果などだとは到底信じる事が出来なかった。

 ジュールは所詮、第三者でしかない。だが、ミルファは数少ない当事者の生き残りだ。余人の知らない出来事を目の当たりにしていても、なんら不思議ではない。

 そう──たとえば、父が母を殺すその場面を目撃していたとしても……。

「人伝えには、出来ない言葉なのですか」

 まだ幼さすら残す顔を暗くかげらせて言葉を紡ぐミルファが痛々しく、そんな事を思わず口走っていた。その言葉に、少し驚いたようにミルファが顔を上げた。

「それ以前に今の陛下がその言葉に耳を傾けるかどうか怪しいものです。……悪い事は言いません、諦めた方が宜しいのでは……」

 差し出がましいとは思いながらもそう付け加えると、ミルファはようやくその表情を微かに和らげた。

「──確かに、叔父上の仰る通りです。今のお父様が何処まで私の言葉に耳を貸して下さるか……その保障は何処にもありません。でも、これだけは譲れないのです」

 そしてその宝石の瞳は、輝きを取り戻す。

「叔父上。私は……皇帝の御座を目指すつもりです」

「……!!」

 つまり、それは。

 ミルファが何を言わんとしているのかを理解し、ジュールはぎょっと目を見開いた。

「皇帝陛下を……弑逆しいぎゃくなさるおつもりか……!?」

「ええ」

 ミルファは決意を秘めた瞳で頷くと、ポツリと一言呟いた。

「──ザルーム、いますね」

 その言葉が消えるか消えないかの僅かな時間に生じた変化に、ジュールは更に驚く事になった。

 ──先程までは何もなかったはずのミルファの背後に、気配一つ感じさせずに一人の人物が佇んでいたからだ。

「……はい、我が君。こちらに」

(何者……!?)

 ひょろりと背の高いその人影は、全身を赤黒い布で覆い隠し、一見した所では男か女かも、老人か若者かもわからない姿をしていた。一言で表すならば、『得体が知れない』に尽きる。

 これでもジュールはそれなりの護身術の類を習得している。人の気配には敏感な方だ。にも関わらずたった今まで存在に気付けなかった事、そして人とは思えぬ出現の仕方──それらを総合すると、一つしか答えが出て来なかった。

(もしや……呪術師、か……?)

 唯一、納得の出来る答えを見つけたものの、今のように何もない場所に姿を現す呪術があるなど耳にした事はなく、呪術師というもの詳しくはないジュールにとっては、得体の知れなさは大して変わらない。

 結局、この場で唯一その正体を知っているであろうミルファに視線で問いかけると、ミルファは困ったような表情を浮かべた。

「申し訳ありません、驚かせてしまいましたね」

「い、いや……。それは良いのですが……、この者は一体?」

 すると、その問いかけに対しては当の人物が返事を返してきた。

「──お初にお目にかかります。私はザルーム。ミルファ様にお仕えする呪術師でございます」

 そしてゆっくりと一礼する。

 その様子はいかにも従属らしい雰囲気だったが、その声は何処までも暗く、陰鬱なものだった。聞いていて不快とまでは行かないが、気持ちの良い声ではない。

 自ら明かした正体に、やはり呪術師だったのかと納得しつつも、同時に疑問は募る。

 これでミルファが単身でここまで来た訳ではない事はわかったが、何故、今までこの呪術師の存在を隠し、そして今この時に呼び出す必要があったのか──。

 するとジュールの考えを見透かしたように、ミルファが口を開いた。

「南領に対する無礼とも取られかねない行い、心から詫びます。南領に受け入れられるかどうかわからなかったので……、彼には身を潜めて貰っていたのです」

「……どういう意味です」

「先程尋ねた事を覚えておいでですか?」

 その問いかけに思い出したのは、助けると言った自分に対してミルファが尋ねた言葉だった。


 ──私をかくまえば、この南の地にも火の粉が降りかかるかもしれません。それでも、助けて下さるのですか?


「……つまり、我々を試されたという事ですか」

 思わず声が硬くなる。しかしミルファはひるむ事なく、真っ直ぐにジュールの目を見返した。

「はっきり言えば、そうなります。……失礼な事だというのは承知の上です。南領は私のとっては未知の場所。皇帝に対してどんな意識を持っているのかも定かではありません。ですから……」

 だから、単身乗り込んだ。

 一見した所、とても皇女には見えない姿で供もつけていない自分を、果たして彼等は受け入れるだろうか?

 その疑問に対する答えで、この地を治めるコリム達、そしてこの南領という場所を推し量ろうとしたのだ。

 もし南領が皇帝に従い自分を差し出すような気配を見せれば、ザルームの手引きですぐに脱出する心積もりだった。

 しかし、コリムもジュールも暖かく自分を迎えてくれた。ジュールに至っては、まだこちらが何も言っていないのに『助ける』とまで言ってくれたのだ。

 無関係な人間を巻きこむ事は本意ではない。

 しかしそれを望んではいなくても、皇帝の御座を目指すには誰から見てもわかりやすい『力』が必要だった。

 ただ皇帝に会うだけなら、単身忍び込むなり、危険は高くてもいろいろ方法があっただろう。けれど、皇帝になるにはそれでは不十分なのだ。人一人従えた位では、『皇帝』の名は名乗れない。

 だからこそ、この南の地まで下ったのだけれど──。

「……先程の叔父上の言葉は、本当に予想外でした」

 今まで会った事など一度もなかったのに、コリムからもジュールからも、肉親だけが持つ温もりを感じた。一年前に失った母に通じる、懐かしい温もりを。

 まだ心の奥はあの時のまま凍りついていて、今でもまだ思うように笑う事も出来ないけれど。それでもミルファは今出来る、精一杯の笑顔をその顔に浮かべた。

「ありがとう、叔父上。あの言葉だけで十分です。……会えて良かった」

 そして今まで座っていた椅子から立ち上がると、ミルファは優雅に一礼した。

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