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悪役令嬢ですが、バッドエンドを全員生存ルートに改変します  作者: 蜜柑くらげ
第2章 救いは、正しくなくてもいい
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第6話 正しさは、近すぎると見えなくなる

 お茶会翌日も噂は広がり、エルネアとリリアの距離は学園中に注目されていた。そんな中、カイエルはエルネアの変化を鋭く見抜き、彼女自身もまた否定しきれない感情のズレを自覚する。さらにリリアが囲まれる場面で反射的に助けに入ったことで、計画に感情が混じり始めた現実はもう見過ごせなくなっていた。

 昼下がりの学園は、だいたい退屈にできている。


 午前の授業が終わり、昼休みを挟んで午後の最初は座学。窓から差し込む光は柔らかく、教師の声は単調で、板書は綺麗すぎる。眠気を誘う条件としては満点だ。


 ――本来なら。


「ねえ、エルネア様」

 小さな声が横から来る。

「これ、どこまで書けばいいですか?」


 私は視線を落とす。リリアのノートは、最初の二行だけがやたら丁寧で、その下が急に雑になっていた。途中で分からなくなったのが丸分かりだ。


「そのまま最後まで写せばいいわ」

「最後まで、って」

「板書は途中で止まらないものよ」

「確かに」


 納得するのが早い。だが手は止まったままだ。


「……分からないところがあるなら聞きなさい」

「聞いていいんですか?」

「聞かない方が後で面倒でしょう」

「それはそうですね」


 素直に頷き、リリアはペンを持ち直した。ほんの少しだけ、彼女の体がこちらへ寄る。距離が近い。昨日より、さらに近い。


 私は一瞬だけ息を止める。


 やめてほしい。

 そういうのは、本当にやめてほしい。


 だがここで席をずらすと、それはそれで目立つ。周囲の視線は、相変わらず薄くこちらへ向いている。完全に無視できるほどではないが、露骨でもない。だからこそ厄介だ。


「ここ、なんでこの式になるんですか?」

 リリアがノートを指差す。

「前の段階と繋がってるように見えなくて」

「繋がっているわよ。変形しているだけ」

「変形」

「この部分、共通項をくくっているでしょう」

「……あ、本当だ」


 彼女の声が少しだけ明るくなる。理解した時の顔だ。


 その顔を見て、私はほんの一瞬だけ思う。


 ――分かると、嬉しいのね。


 当たり前のことだ。誰だってそうだ。けれどそれをこんなに素直に出せるものかと、少しだけ意外に思った。


「ありがとうございます、エルネア様」

「授業中よ」

「小声です」

「そういう問題ではないのだけれど」


 それでも彼女は笑う。やはり距離が近い。思考より先に、感情が前に出るタイプだ。私とは真逆だ。


 だから、やりづらい。


 授業が終わると同時に、教室の空気が一気に軽くなる。椅子の音、会話のざわめき、移動する気配。その中で、リリアがすぐにこちらを見た。


「さっきの、助かりました」

「授業だから当然よ」

「でも、教えてくれる人とくれない人がいるので」

「あなたの場合、聞き方に問題があるのでは?」

「そうですか?」

「だいぶ」


 即答すると、彼女はまた笑った。否定しないあたり、自覚はあるらしい。


「じゃあ、エルネア様の聞き方を真似します」

「やめなさい。混乱するわ」

「混乱するんですか?」

「あなたと私では前提が違うもの」

「前提?」


 言葉を選ぶ。ここで雑に答えると、余計に距離が詰まる。


「私は、相手にどう見られるかを先に考える」

「私はあんまり考えてないです」

「知っているわ」

「でも、それってそんなに大事ですか?」


 その問いに、私は一瞬だけ答えを探した。


 大事だ。大事に決まっている。貴族社会では、見え方がすべてと言ってもいい。どれだけ正しくても、どう見られるかで評価は変わる。だから私は、常にそこを管理してきた。


 前世でも同じだ。評価されるために、どう見えるかを計算して動いた。結果を出し、隙を見せず、正しい選択を重ねる。それが“完成”に近づく方法だと信じていた。


 だから――


「大事よ」

 私は言う。

「少なくとも、ここでは」

「でも」

 リリアは少しだけ首を傾げた。

「そればっかり考えてたら、自分がどうしたいか分からなくなりませんか?」


 言葉が、少しだけ引っかかった。


「……分からなくなる、とは?」

「だって、相手にどう見られるかって、相手のことじゃないですか」

「そうね」

「でも、自分がどうしたいかは、自分のことですよね」


 当たり前のことを言っている。


 当たり前なのに、その言い方が妙に残る。


「両方大事だとは思うんですけど」

 リリアは続ける。

「エルネア様は、どっちが先ですか?」


 どっちが先か。


 そんなもの、決まっている。


 私は迷わず答えようとして――ほんの一瞬だけ、言葉が止まった。


 昨日、私はリリアの手首を取った。

 あの時、どう見られるかを先に考えたかと言われれば、違う。

 まず動いて、その後に“まずい”と思った。


 順番が、逆だった。


「……状況によるわ」

 結局、私は曖昧に答えた。

「常にどちらか一方というわけではないもの」

「そうなんですね」

 リリアはあっさり頷いた。

「じゃあ、昨日はどっちでした?」

「昨日?」


 分かっていて聞いているのか、無意識なのか。判断に困る。


「お茶会の時」

 彼女は言う。

「私の手、引いてくれたじゃないですか」


 やめてほしい。

 その話題を、こんな場所で持ち出さないでほしい。


 私は一瞬だけ周囲を見る。幸い、すぐ近くに聞き耳を立てている気配はない。だがゼロではない。ゼロではないからこそ、余計に面倒だ。


「……場を収めるためよ」

 私は短く答える。

「あなた一人の問題ではなかったもの」

「そっか」


 リリアは少しだけ考えるような顔をした。


「でも、あの時」

 彼女は続ける。

「エルネア様、ちょっと焦ってませんでした?」


 心臓が、ひとつ大きく鳴る。


 なぜそこを見るのか。


「焦っていないわ」

「そうですか?」

「そうよ」

「……うーん」


 納得していない顔だ。だが、それ以上は追及してこない。代わりに、少しだけ笑った。


「でも、焦ってるエルネア様も、ちょっと見てみたいかも」

「見せるつもりはないわ」

「残念です」


 軽い。あまりにも軽い。


 なのに、そのやりとりの後に残る感覚は、軽くない。


 私は机の上のノートを閉じる。


「次の授業、移動よ」

「はい」


 リリアも立ち上がる。相変わらず自然に隣へ並ぶ。距離が近い。だが、さっきほど強く拒絶する気にはならなかった。


 それが一番、厄介だ。


 廊下へ出ると、向こう側からルーカスが歩いてきた。こちらを見つけた瞬間、分かりやすくにやりと笑う。


「いい感じに距離詰まってるね」

「第一声がそれなの、やめなさい」

「事実じゃない?」

「事実かどうかの問題ではないわ」

「じゃあ何の問題?」

「あなたが楽しそうに言っていることよ」


 ルーカスは肩をすくめる。否定する気はないらしい。


「でもさ」

 彼は少しだけ声を落とした。

「エルネア嬢、前より分かりやすくなったよね」

「何が」

「リリアに対して」


 その言葉に、私はほんの一瞬だけ足を止める。


「意味が分からないわ」

「分かるでしょ」

 ルーカスは笑う。

「前は全部計算で動いてた。でも今は、ちょっとだけ違う」


 似たようなことを、今日二回聞いた。


 カイエルと、ルーカス。

 観察者と、直感型。


 アプローチは違うのに、言っていることは同じだ。


 それが、嫌に引っかかる。


「あなたまでそんなことを言うの」

「そんなこと?」

「変わったとか、分かりやすいとか」

「だって変わってるし」

 あっさりと言う。

「それ、悪いこと?」

「……」

「僕はいいと思うけどね」


 軽い言葉だった。


 軽いのに、否定しきれなかった。


 そのまま三人で歩き出す。会話は途切れ、足音だけが続く。私は前を見ながら、頭の中で同じ言葉を繰り返していた。


 変わった。


 分かりやすい。


 予定外。


 それらは全部、私が避けてきたものだ。管理できない要素。完成を遠ざけるノイズ。


 なのに今、そのノイズが少しだけ、邪魔に思えなくなっている。


 ――それが、一番まずい。


 次の授業の教室へ入る直前、私はふと自分のケースへ視線を落とした。


 黒薔薇のひびは、昨日よりほんの僅かに進んでいる。


 変化としては微小だ。

 だが、その進み方が、以前とは少し違って見えた。


 ただ壊れていくのではなく、何かに引っ張られるように、ひびが伸びている。


 理由は分からない。


 分からないのに、目を逸らせなかった。


 私は黒薔薇から視線を外し、教室の中へ入る。


 正しさを優先してきたはずの思考が、少しだけ鈍っている気がした。


 そしてその鈍りを、私はまだ、完全には否定できなかった。


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