第4話 お茶会は、噂とひび割れを連れてくる
中庭での昼食中、エルネアはリリアに礼儀を教えつつ距離を保とうとするが、会話は予想外に続く。そんな中、リリアの赤薔薇のひびが増え、状況はさらに悪化。マルティナの牽制も退けるが、計画外の変化と感情が積み重なり、エルネアは予定どおりに切り捨てられない違和感を自覚し始める。
中庭の昼食会から二日後、私は招待状を見た瞬間に目を閉じた。
淡いクリーム色の上質な紙に、整った筆跡。差出人はマルティナ・エーヴェル。件名は「親睦のお茶会へのお誘い」。文面は終始やわらかく、学園生活に不安のある新入生同士で交流を深めましょう、という趣旨でまとめられている。
読む価値はそこまでで十分だった。
「見事なまでに、面倒な香りしかしませんね」
向かいでミナが静かに言う。
「あなた、最近ちょっと遠慮がなくなっていない?」
「お嬢様の周囲が最近ちょっと遠慮をなくしておられますので、釣られました」
「嫌な連鎖ね」
私はもう一度招待状を見る。断る選択肢はある。あるのだが、断れば断ったで別の噂が立つ。黒薔薇の令嬢は平民を見下している。あるいは、特例入学者を避けている。もっと悪ければ、入学早々ヒロインと距離を取ったという事実が、孤立の追い風になる。
それは困る。
私はリリアを助けたいわけではない。少なくとも、そういう綺麗な言葉で整理したくはない。ただ、彼女が誰とも結ばれず死ぬルートに入るのは困る。盤面が崩れる。全員を生かしたまま、自分だけが悪役令嬢として散る。そのための最適解が鈍る。
それだけだ。
……たぶん。
「行きます」
「やはり」
「ええ。分かっていて行く方が、分からないまま噂を育てるよりはましでしょう」
「リリア様もいらっしゃるでしょうね」
「ええ。だからなおさら」
私がそう言うと、ミナは一瞬だけ、なんとも言えない顔をした。言いたいことがあるのだろうが、あえて口にはしないらしい。その配慮はありがたい。今、侍女にまで“お優しくなりましたね”などと言われたら、普通に傷つく。
学園内のサロンは、こういう時のために存在しているような場所だった。花を飾るための花瓶、品のいい茶器、窓から差し込む午後の光。どこを切り取っても絵にはなるし、どこで誰が笑っていても裏があるように見える。要するに、疲れる。
私が到着した時点で、既に何人かの令嬢が席についていた。マルティナとその取り巻きたち、それから噂好きで知られる上級生が二人ほど。予想より少し広く集めている。なるほど、身内だけで囲う気ではないらしい。人目の多さを“正しさ”の盾に使うつもりなのだろう。
「エルネア様、お越しいただけて嬉しいですわ」
マルティナが立ち上がって微笑む。
「お誘いを断る理由もありませんでしたので」
「まあ。そう言っていただけるなんて光栄ですわ」
「ええ、本当に」
棘はやわらかく包むに限る。あからさまに刺すと向こうも構えるが、この程度なら笑顔で飲み込みながら苛立てる。
席につき、周囲を見る。まだリリアは来ていない。少し遅い。嫌な予感がした。こういう場で遅れて入るのは、本人にその気がなくても“招かれた側の不手際”として処理されやすい。
「本日は親睦が目的ですの」
マルティナがにこやかに言う。
「新しく始まった学園生活を、皆さまで穏やかに楽しめたらと思って」
「穏やかに、ね」
私は紅茶の香りを確かめながら返す。
「それは結構なことですわ」
その時、扉が控えめに開いた。
「すみません、遅れました」
リリアだった。淡い金髪が少しだけ乱れている。走ってきたのかもしれない。けれど顔色はそこまで悪くない。遅刻を自覚しているぶん、多少硬い表情をしている程度だ。
「大丈夫ですわ、フローレンスさん」
マルティナがやわらかく手招きする。
「始まったばかりですもの」
「ありがとうございます」
リリアはそう言って、空いている席を見た。よりにもよって、私の隣だった。
いや、正確には“空いているように見える席”がそこだけだったのだろう。他はさりげなく荷物やティーカップで埋められている。分かりやすい。雑なやり方だが、こういう場ではむしろ効果的だ。
リリアもそれに気づいたらしい。ほんの一瞬だけ目を細めた。けれどすぐに、何事もない顔で私の隣へ座る。
「失礼します、エルネア様」
「どうぞ」
「今日は断られないんですね」
「公の場でその確認を取るの、やめてくださる?」
「じゃあ後で聞きます」
「後でもやめなさい」
小さく交わしたやりとりに、向かい側の令嬢たちが微妙な顔をする。よし。少なくとも、“私は嫌っているが一応話はする”という空気は出せた。これなら露骨な庇護には見えない。
お茶会は、最初の十分ほどは信じられないくらい穏やかに進んだ。最近の授業の話、寮の話、好きな焼き菓子の話。誰もが礼儀正しく、誰もが微笑んでいる。ここまで来ると、逆に気味が悪い。
だから、私は始まる瞬間を待っていた。
「そういえば」
案の定、上級生の一人がふと思い出したように言った。
「今年は随分と話題の多い新入生がいらっしゃるのね。黒薔薇に、ひび割れた赤薔薇」
来た。
空気が少しだけ薄くなる。マルティナは止めるふりもせず、ただ困ったような笑顔を浮かべた。やはりこれが本題だ。
「私も驚きましたわ」
別の令嬢が続ける。
「花にひびが入るなんて、滅多にないことですもの」
「しかも入学してすぐ、ですものね」
「やはり何か意味があるのかしら」
意味はある。大ありだ。だが、それをお前たちに教える義理はない。
私はカップを置き、返答の順序を組み立てる。観察、解釈、判断。いつもの手順だ。だがその前に、隣から声がした。
「意味って、そんなに大事ですか?」
リリアだった。
場が一瞬止まる。私は横を見る。彼女は紅茶に口をつけるでもなく、真っ直ぐ相手を見ていた。怯えていない。怒ってもいない。ただ、不思議そうにしている。
「だって、ひびが入ったのは事実ですけど」
リリアは続ける。
「それで皆さんが何を心配してるのか、まだよく分からなくて」
「それは……」
上級生の一人が言葉を探す。
「不吉だから、ではなくて?」
「不吉だと、何が起きるんですか?」
正面から来た。
悪意に対して、悪意のルールを知らないまま正面突破する。やはりこの子は、この手の場に向いているのか向いていないのか分からない。
「何が起きるか分からないから、怖いのでしょう?」
マルティナがやわらかく割り込む。
「学園には伝統もありますもの。皆さま、秩序を大事になさっているのですわ」
「秩序」
リリアは小さく繰り返した。
「それって、私がここにいるのが邪魔って意味ですか?」
「そんな言い方はしておりませんわ」
「でも、近いですよね」
言い切った。
私はカップを持つ指に少し力を入れる。ここで黙れば、リリアが孤立する。かといって先に動けば、また私が目立つ。けれど、もう遅い。空気は既にリリアへ向いている。
「フローレンスさん」
私は静かに口を開いた。
「人の言葉の裏を、いちいち正面から拾いにいくのはおすすめしないわ」
「分かりました」
「分かった顔ではないわね」
「でも、エルネア様も今、同じこと思いましたよね?」
「……何を」
「近いなって」
なぜその場でそれを言うのか。
令嬢たちの視線がまた私へ集まる。私は一瞬だけ目を閉じたくなった。だが逃げるのも癪なので、平然と紅茶を飲む。
「思ったとしても、ここで言う必要はありません」
「なるほど。じゃあ今のは、私の失礼ですね」
「そうね。かなり」
「すみません」
素直に謝る。そのせいで、こちらが強く責めにくくなる。リリアはたぶん無意識だが、この子は会話の切り返しが妙に上手い。
「でも」
彼女は小さく息をついて続けた。
「ここに呼ばれたから来たのに、来たら“邪魔かも”って空気なのは、やっぱりちょっと変です」
場が静まり返る。
正しい。正しいが、こういう場でその正しさを剥き出しにするのは危うい。貴族社会は正しさよりも、正しそうに見える流れを好む。だから今、必要なのは正論ではなく、流れを整える言葉だ。
私は口を開こうとして、先に別の声に割り込まれた。
「変だよねえ」
軽い声。ルーカスだった。
いつからいたのか。サロンの入口にもたれかかるように立ち、悪びれもなく手を振っている。どう見ても招かれていない顔だ。
「なぜあなたがここに」
思わず言うと、ルーカスは楽しそうに肩をすくめた。
「通りかかったら面白そうだったから」
「最悪の理由ね」
「褒め言葉かな」
「今日の私は、その言い回しに甘くありません」
ルーカスはにやにやしながら中へ入ってきた。令嬢たちの顔色が分かりやすく変わる。場外から男が入ってきただけでも面倒なのに、それが黄薔薇の攻略対象なのだからなおさらだ。
「ちょうどよかった」
彼は空いていた壁際の席に勝手に腰かける。
「お茶会ってさ、楽しくないと意味ないでしょ? なのに皆、ずっと探り合ってる顔してた」
「あなたにその評価をされる筋合いはありませんわ」
マルティナが少し声を硬くする。
「本日は女性同士の親睦の場ですもの」
「へえ。でも親睦って、相手が嫌がる質問をしても成立するんだ」
やめてほしい。本当にやめてほしい。
正論を雑に投げる男が増えると、場が余計に散らかる。
とはいえ、ルーカスの登場で空気の均衡は崩れた。令嬢たちは“平民ヒロインを囲う側”ではなく、“突然現れた攻略対象への対応を迫られる側”に回る。流れが変わるなら、利用しない手はない。
「マルティナ様」
私は穏やかに言った。
「この会が本当に親睦の場なら、招いた相手が居づらくなる話題は、そろそろ終えた方がよろしいのではなくて?」
「……」
「それとも、今日は花のひびについて品評するためのお茶会でしたの?」
さすがにそれは刺さったらしい。何人かが露骨に目を逸らした。
「そんなつもりでは」
「でしたら、これでおしまいですわね」
区切るように言い切る。マルティナは悔しそうにしながらも、これ以上は押せない顔をした。ここで食い下がれば、本当に“親睦の名を借りた囲い込み”になる。人目のある場でそれは悪手だ。
その時だった。
隣で、かすかな音がした。
ぱき。
私も、リリアも、ほぼ同時にケースを見た。赤薔薇のガラスに、またひびが増えている。昨日の中庭で増えた線に重なるように、さらに細いひびが一本。
息を飲む。
近い席の令嬢も気づいたらしく、小さな悲鳴が上がった。
「まあっ」
「また……!」
最悪のタイミングだった。空気が凍る。さっきまでの言い争いとは別種の、本物の不穏がそこに落ちた。
リリアはケースを見つめたまま、しばらく何も言わなかった。私はその横顔を見る。怯えている。さすがに今回は分かった。けれど泣かない。俯きもしない。ただ、赤い瞳が少しだけ揺れていた。
「エルネア様」
小さく呼ばれる。
「これ、また増えました」
「見れば分かるわ」
「……はい」
言い方が少しきつかった。だが謝る暇はない。この場をまず抑える方が先だ。
「皆さま」
私は立ち上がった。
「見世物ではありませんわ。少し下がってくださる?」
声に冷ややかさを混ぜる。ざわついていた令嬢たちが、はっとしたように距離を取る。よし。この程度ならまだ制御できる。
「フローレンスさん」
私は隣へ視線を落とした。
「ここを出ます。立てる?」
「……はい」
「なら、行きましょう」
立ち上がったリリアの手が、ほんの少しだけ震えていた。
私はその揺れを見て、一瞬だけ迷う。触れるべきではない。余計な親切は誤解を招く。そう分かっているのに、気づけばケースを持っていない方の手で、彼女の手首を軽く取っていた。
「え」
「歩きなさい。ぼんやりしていると余計に目立つわ」
言い訳みたいな台詞だった。けれど、それで十分だったらしい。リリアは小さく頷き、私に引かれる形でサロンの外へ出る。
背後でざわめきが再燃するのを感じる。マルティナたちの気配、ルーカスの面白そうな沈黙。全部後で処理すればいい。今はリリアをこの場から切り離す方が先だ。
廊下へ出て、人気の少ない窓際まで来たところで、ようやく私は足を止めた。
「深呼吸」
「はい」
「もっとゆっくり」
「……はい」
リリアは言われたとおり息を吸って、吐いた。二回、三回。顔色が少し戻る。私は自分の手がまだ彼女の手首を取ったままだと気づいて、そっと離した。
「ごめんなさい」
リリアがぽつりと言う。
「何が」
「また、場を悪くしました」
「あなた一人のせいではないわ」
「でも、私がいなかったら――」
「その仮定は無意味よ」
少し強めに言うと、彼女は黙った。窓から入る風が、淡い金髪を揺らす。さっきまでの勢いが少しだけ消えて、年相応に見えた。
「怖かった?」
私は自分でも意外なくらい自然にそう聞いていた。
リリアは少しだけ迷ってから、頷く。
「……はい。さすがに」
「そう」
「でも、もっと怖いのは」
彼女は赤薔薇のケースを見る。
「これがどこまで割れるのか、分からないことです」
その言葉が、胸に引っかかった。
どこまで割れるのか分からない。
それは、私の黒薔薇にも同じことだったはずだ。修復不可。戻らない。進むだけ。私はそれを受け入れているつもりでいた。むしろ望んでいるつもりでいた。
なのに今、リリアの口から出たその不安を、私は簡単には切り捨てられなかった。
「……そうね」
気づけば、そんな言葉が漏れていた。
「分からないのは、厄介だわ」
リリアがこちらを見る。赤い瞳が、少しだけ丸くなる。
「エルネア様でも、そう思うんですね」
「私を何だと思っているの」
「分からないことがなさそうな人」
「買いかぶりよ」
そう返すと、彼女はほんの少しだけ笑った。さっきまで震えていたくせに、立ち直りが早い。このしぶとさは長所だろう。たぶん。
廊下の向こうから足音がした。見るまでもなく分かる。ルーカスだ。
「追いかけてこないでくださる?」
私が先に言うと、案の定、彼は肩をすくめた。
「ひどいなあ。心配して来たのに」
「顔に面白がっているって書いてあるわ」
「半分は心配だよ」
「半分で済んでいるなら上等かしら」
その後ろには、アルディオンとカイエルの姿まで見えた。どうしてこう、問題が起きるたびに勢揃いするのか。本当に勘弁してほしい。
「フローレンス嬢、大丈夫ですか」
アルディオンが問う。
「はい、たぶん」
「たぶん、なのね」
私は小さくため息をつく。
「今日はもうこれ以上、人前に出ない方がいいでしょう」
「授業は?」
「この顔で戻れば、授業より先に噂が広がるわ」
リリアは少し悩んだあと、こくりと頷いた。
「分かりました」
「なら、私が先生へ話を通します」
アルディオンが言う。
「必要な配慮はする」
「助かりますわ、殿下」
「エルネア嬢に礼を言われると、少し緊張します」
「そう。それは何より」
軽く返すと、ルーカスが吹き出した。カイエルだけは、またあの目でこちらを見ている。観測者の目だ。さっき、私がリリアの手首を取ったことまで、たぶん見逃していない。
面倒だ。本当に。
その日の放課後、屋敷へ戻ってから、私は黒薔薇のケースを机の上に置いた。灯りの下で見ると、ひびは昼よりさらに僅かに伸びているように見える。気のせいかもしれない。でも、そう言い切る自信がなかった。
リリアの赤薔薇はまたひび割れた。お茶会は噂を呼び、私はまた予定外に彼女を庇った。しかも今度は、人前で手まで引いた。
最悪だ。
悪役令嬢としての距離感は、日に日に壊れている。
なのに、それを全部“計画のため”だけで説明するのが、少しずつ難しくなっていた。
私は黒薔薇を見つめる。
この花は、戻らない。
ひびは進む。
私はそれを知っている。
でも今日、はっきりしたことが一つだけあった。
リリアの赤薔薇が割れる未来を、私はもう“仕方ないことの一つ”としては見られなくなり始めている。
それが計画の乱れなのか、それとももっと別の何かなのか。
まだ、名前はつけられなかった。




