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寄生樹  作者: hiro0720
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新しい命

朝日が山の端から顔を出し、館の白壁を黄金色に染め上げていく。夜の冷気がわずかに残る空気はひんやりとして、芝生には朝露がきらめいていた。小鳥のさえずりが森の奥から響き、庭全体を柔らかな静寂が包み込む。


その中でひときわ目を引くのは、裏庭にそびえ立つ一本の巨木――母樹だ。昨日と変わらず立っているだけなのに、ただの木とは違う、不思議な存在感を放っている。


館の二階の窓辺で、ヴィクトリアが欠伸をひとつ。尻尾をぱたぱたと揺らしながら庭を眺める。


「ふぁ……朝からあいつはまだ寝てるし、祥子は忙しそうだし……退屈だわ」


ベッドではヒロトが盛大な寝息を立て、隣の部屋では祥子が慌ただしく信者に指示を出していた。ヴィクトリアはため息をつき、窓枠に軽く飛び乗って外を見下ろす。


澄んだ空気、広すぎる庭、そしてその中心に鎮座する母樹。

「……ちょっと散歩でもしてみるかな」

小さく呟き、しなやかな足取りで階段を降りていく。


裏庭に降りたヴィクトリアは、咲き乱れる花々を眺めながら歩く。時折、蝶々を追いかけて遊ぶ。その目が一際異彩を放つ巨木――母樹に止まった。


根元まで辿り着き、木を見上げながらヴィクトリアは呟く。


「物凄い生命力ね。砂漠だろうが南極だろうが生きていけそう」


ふと、以前ヒロトが世界中に生やした母樹同士を繋げて転移できると言っていたのを思い出す。ヒロトたちには黙っているが、実はヴィクトリアは今でも光の魔力でどこへでも転移できるのだ。女神時代の名残りだろう。


興味を持ったヴィクトリアは、母樹の根元に前足を触れた。すると――


「くっ、何これ! 魔力だけじゃない、生命力も知識も……色々吸い取られてる!?」


慌てて前足を離そうとするが、なぜか離れない。焦ったヴィクトリアは転移魔法を使い、光を纏って一瞬でその場を離れた。辿り着いたのは館の二階、広いリビングだった。


「何だったの、さっきのは……」

疲れ果てた様子でソファに飛び乗り、丸くなるヴィクトリア。


その頃、母樹は煌々と光を放っていたが、やがて元の黒っぽい巨木に戻った。異変に気づいた者は誰もいなかった。



---


半年後。

相変わらず祥子は宗教の運営で大忙し。家事は手が回らず、信者から家政婦や庭師、一流シェフなど総勢20人を雇い、使用人宿舎に住まわせていた。館の中は毎日、信者たちが忙しなく行き交う。


ある朝、ヒロトが目を覚まし、寝室を出ると家政婦が頭を下げて言った。


「おはようございます、教祖様」


「ああ、おはよう」

慣れない呼び方に、ヒロトは少し違和感を覚えながらも返す。トイレを済ませ、食堂に向かうと、テーブルには一流シェフが作った朝食が並んでいた。住み込みの信者たちも挨拶をしてくる。


適当に返事をして、朝食をかき込み、ヒロトは外へ出た。その日は珍しく仕事が休みだった。


「たまには海外にでも遊びに行ってみるか」

軽い気持ちで母樹の幹に触れ、意識を集中させる。しかし――反応はない。


「……? もう一度」

念を込めて試すが、やはり母樹は沈黙を守った。

「おかしいな……」

嫌な予感が胸をよぎる。


幹の上、太い枝の根元に視線を留めると、見慣れぬ丸い物体が管のようなもので枝にぶら下がっていた。

「……なんだ、あれは」


ヒロトは〈従枝〉を使い、足場を作って枝の近くへ登っていく。手を伸ばすと――透明な羊膜に包まれた小さな胎児が、静かに眠っていた。


「……まさか……」

ヒロトの心臓が大きく跳ねる。どう見ても人間の胎児であり、母樹が「育んでいる」としか思えなかった。


慌てて枝を降り、館の中へ足を向ける。



---


リビングでは祥子が信者への指示を飛ばしていた。

「祥子、ちょっといいか」

呼びかけると、祥子は顔を上げる。


「どうなさいましたか、ヒロト様。そのように険しいお顔をされて……」


「母樹に……おかしなものがあった。人間の……胎児みたいなものが」


祥子の手が止まる。普段冷静な彼女の瞳が、わずかに揺れた。


「……胎児、でございますか? どういうことでしょう」


「見に来てくれ。俺だけじゃ判断できない」


二人が緊張を共有したその時、窓辺のソファで寝そべっていたヴィクトリアが尻尾を揺らしながら言った。


「ふーん。あんた、今ごろ気づいたのね」


「……ヴィクトリア、知ってたのか?」

ヒロトが尋ねると、ヴィクトリアは肩をすくめ欠伸ひとつ。


「半年前にあの木に触れたら、ありえないほど魔力を吸い取られたのよ。その時から嫌な予感はしていたけど……まさか“人間”を育てているなんてね。長い事女神やってたけど、木が人の子を産もうとするなんて現象、聞いたこともないわ」


祥子とヒロトは言葉を失う。リビングに、しばし重苦しい沈黙が落ちた。


やがて祥子が、震える声で口を開く。


「もしや母樹は……人を生み出そうとしているのでございましょうか……?」


「どうだろうな……本当に“人間”なんだろうか」

ヒロトは幹に視線を向け、眉をひそめる。


「え? それはどういう意味ですか?」

祥子が問い返す。


「ただの推測だけど……」ヒロトは口を開いた。

「半年前、ヴィクトリアが母樹に魔力を吸われたと言っていたよな。あの時、魔力だけじゃなく“彼女の因子”まで取り込まれていたんじゃないかって気がする」


「……つまり、その胎児は……?」

祥子の声が震える。


ヒロトは言葉を選びながら続けた。


「俺と……ヴィクトリアの遺伝子を受け継いでいる可能性がある。母樹が媒介して……勝手に“子”を作ったんだ」


「はぁ!? ちょっと待ちなさいよ!」ヴィクトリアが飛び起きる。



「私とあんたの子供だって? そんなバカな――!」

だが次の瞬間、ヴィクトリアは言葉を飲み込む。窓の外、母樹の枝にぶら下がる羊膜の中で、小さな胎児が微かに身じろぎしたのを見たのだ。


「……嘘、でしょ……」

ヴィクトリアの尻尾が小刻みに震える。


祥子は両手を胸に当て、深く息をつく。


「では……あの子は、ヒロト様とヴィクトリア様の……本当のお子なのかもしれないのですね」


ヒロトは答えられなかった。ただ、胸の奥で何かが強く鼓動しているのを感じる。


視線を母樹に戻すと、幹から静かに湧き上がる光の残像が、まるで子を守る母のように輝いていた。

「……これは……俺たちの子……だと?」

小さく呟いたヒロトの声に、リビングの空気が一瞬だけ張り詰める。


ヴィクトリアはソファに身を沈め、言葉を失ったまま母樹を見つめる。

「どうしよう……どうするのよ、これ……」


祥子もまた、深く息をつきながら静かに答える。

「まずは……あの子の安全を確認し、母樹との関係を調べるしかありませんね」


ヒロトは決意を固める。

「……わかった。誰も傷つけさせない。俺たちの子だ、必ず守る」


リビングの窓越しに見える母樹。その巨大な幹の奥底で、確かに小さな生命が育まれている――。



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