田所総一郎
よろしくどうぞ
ヒロトが「宗教を立ち上げる」と宣言してから、一か月が過ぎた。
建設現場の仕事は辞め、毎日が暇そのもの。
宗教法人の立ち上げから運営準備まですべてを仕切ったのは――祥子だった。
「俺、ただゴロゴロしてただけじゃないか……」
そんなぼやきを口にするヒロトをよそに、祥子はノートパソコンをカタカタ操作している。
元・新興宗教の信者だった彼女は、この分野にやたら詳しい。
宗教団体の名前は『森の光』。
ヒロトが適当に言ったものが、正式名称になっていた。
「ヒロト様、このような感じで仕上げてみました。どうでしょう?」
祥子が得意げに画面を見せてくる。
そこには黒背景に「どんな病や怪我も立ちどころに治す、奇跡の御業」のキャッチコピー。
さらに黒スーツ、オールバック、サングラスの男が両手をかざし、掌から光を放つ画像。
「……どこぞのハンドパワーのオッサンかよ」
思わず突っ込むヒロト。
「それがいいんです! この“怪しさ”が人を惹きつけるんですよ!」
祥子は真剣に力説する。
「……そうか」ヒロトは肩をすくめる。
ふと視線を下にやると、広告の下部には住所が書かれていた。
「おい、これ……市内でもかなり賑わってる場所じゃないか?」
「ええ、偶然空きビルを見つけまして。立地も最高、内装もすでに“癒しの館”として整えてあります」
祥子は胸を張る。
「ふーん。そんな遠くもないし、ちょっと見に行ってみるか」
すると押し入れから小さな影がぴょんっと飛び降りた。
「私も行くわ」
ヴィクトリアである。
こうして二人と一匹は現地へ向かった。
◆
徒歩15分後。
「……なんだこりゃ」
目的地に着いた瞬間、ヒロトは絶句した。
外観からして異様。周囲の景観から完全に浮いている。
「景観を損ねるとか抗議こないか?」
「ふふふ、大丈夫です。この程度、何の問題もありません」祥子は余裕の笑み。
扉を開けた瞬間――
「……うわ、なんだこれ」
ヒロトとヴィクトリアが同時に足を止めた。
壁一面には怪しげな幾何学模様のタペストリー。
中央には金色の椅子。
その背後にはライトアップされた巨大な人工樹木がそびえている。
床は真紅の絨毯、両脇には謎のクリスタル。
「完全にカルトの内装じゃない!」
ヴィクトリアが耳をピクピクさせる。
「どうです? 信者候補はまず雰囲気に飲まれるんです。演出が大事なんですよ!」
祥子は胸を張る。
「……いや、悪い意味で本格的すぎるだろ。これ通報されないか?」
「ふふふ、信じやすい人には絶大な効果があります。もう準備万端ですよ!」
「俺は別に宗教ショーをやるつもりじゃなかったんだが……」
ヒロトはため息をついた。
◆
三日後。
癒しの館はオープンした。
ヒロトは祥子の手によって、広告と同じ黒スーツ・オールバック・サングラス姿にさせられ、金色の椅子に座らされている。
「全然落ち着かないんだが……」
「大丈夫です! 堂々と座っていればいいんです!」
そんなやり取りをしていると、最初の客が現れた。
見た目は八十を超えていそうな老婆。
だが足取りは妙にしっかりしていて、ヒロトの前までツカツカと歩み寄ってきた。
「あんた、奇跡を起こせるんだろ? 私を二十代に若返らせてみな!」
「……は?」
あまりに予想外の要求に、ヒロトは耳を疑う。
「若返らせろって言ってるんだよ! できたら信者にでもなんにでもなってやるさ!」
老婆は半ばキレ気味だ。
ヒロトはしばらく考え、「分かりました」と小さくうなずいた。
そして老婆に近づき、胸のあたりにそっと手を添える。
――瞬間、光が広がった。
みるみるシワが消え、丸まった背筋が伸び、老婆の姿は若き美女へと変わっていく。
「……!」
そこに立っていたのは、誰もが目を奪う二十代の美女だった。
しばらく呆然としていた彼女は、やがて口を開いた。
「おいくらかしら?」
「お代は施術に見合うと思う額を払っていただければ結構です」
「……何ですって?」美女は眉をひそめたが、やがてカバンから札束を取り出した。
「今はこれだけしかないわ。また伺うわね」
そう言って館を去っていく美女。
「……なんとかうまくいったか」ヒロトは小さく息をついた。
「ヒロト様! 今の何ですか!? 本当に若返ってましたよ!」祥子は興奮を隠せない。
ヴィクトリアも呆然と見上げていた。
「まぁ、ちょっと細胞を活性化させただけだ」
「 化け物ね、アンタ」
◆
その後も難病の患者や手足を失った人々が次々と訪れた。
普通の病院では助からない者たちを、ヒロトはあっさり治してしまう。
涙を流して感謝しながら帰っていく人々。
だが半信半疑で来る者が多く、用意している金は少ない。
「その点は抜かりありません」
祥子は用意していた「森の光」と印字されたカードを差し出す。
そこには口座番号と連絡先が。
「お布施はこちらに振り込んでください」
ヒロトは思わず内心で唸る。――抜け目ねぇな。
◆
オープンから一週間後。
館に現れたのは――見覚えのある美女だった。
初日にやってきた、元・老婆である。
その隣に立つのは……テレビで何度も見た顔。
辛口経済評論家、田所総一郎。
「……マジかよ」
ヒロトは一気に緊張した。
美女は笑顔で近づき、大きなアタッシュケースを差し出す。
「この間はありがとう。おかげで楽しい日々を送ってるわ。これはお布施よ」
ケースを開けると――札束がぎっしり。
さらに美女は言う。
「私、貴方達の宗教団体に入信するわ。もちろん、夫も」
田所は鋭い眼光をヒロトに向け、短く一言。
「よろしく頼む」
それだけ言うと、踵を返して去っていく。
美女も慌てて追いかけるが、途中で立ち止まり祥子へ振り返った。
「そういえば、口座番号のカードを配ってるそうね。私にも頂けるかしら?」
「は、はい!」
祥子は慌ててカードを差し出す。
美女はそれを受け取り、颯爽と去っていった。
◆
数週間後。
新聞の見出しには、こうあった。
《田所総一郎、テレビ出演を辞退。新興宗教“森の光”に入信》
ヒロトは記事を読みながら、深いため息をついた。
「……なんかとんでもないことになってきたな」