15.王女と修道女
アイリーンは、自分の前で膝をついた女性を見下ろし、目を瞬かせた。
「お、お姉さん誰? どうして私の名前を知ってるの?」
女性は静かに微笑んで顔を上げる。
「申し遅れました。私、ヴィクトリア様を信仰する教会でシスターをしております、ベルメールと申します。どうぞお見知りおきを」
「ヴィクトリア……って、ママのこと?」
アイリーンが首をかしげると、ベルメールは穏やかに頷いた。
「やはりそうでしたか。女神ぺぺ様から神託を受けました。『アイリーンという少女が無茶な転移魔法を使い、この世界に迷い込んだ。見つけ出して世話をせよ』と。そして、その子がぺぺ様にとって“大切な方の愛娘”であることも聞いております」
母樹の分身体が一歩前へ出て、警戒を解かぬまま口を開く。
「……どうやって日本語を?」
ベルメールは手を胸の前で組み、恭しく答えた。
「ぺぺ様より、知識として授かりました。言葉が通じなければ、お世話どころではありませんから」
そして、少し苦笑しながら続ける。
「貴方のことも伺っております。――アイリーン様のお父上が生やした“木の分身体”だとか。正直、信じがたいお話ですが」
「母樹といいます」と母樹の分身体は答える
その時、先ほどの豪奢な馬車の傍にいた品のいい美少女が、何かをこの世界の言葉で叫んだ。
ベルメールの目が見開かれ、慌ててその少女のもとへ駆け寄る。
「ま、まさか……!」
彼女はその場で膝をつき、少女と短く言葉を交わした。
やがて、深く頭を下げたまま立ち上がると、厳かな面持ちでアイリーンたちのもとへ戻ってくる。
「アイリーン様――先ほどの方は、このクライスラー王国の第二王女、ベアトリーチェ・フォン・クライスラー殿下です」
「お、おうじょ……?」
アイリーンは口をぽかんと開ける。
「殿下は、先ほどの魔物の襲撃から命を救われたこと、そして冒険者たちの治療にまで尽力してくださったことに深く感謝されております」
ベルメールは丁寧に通訳するように言葉を続けた。
「殿下はその御礼として――アイリーン様と、そちらの……母樹様を王宮へお招きしたいとのことです」
「えっ、王宮!?」
アイリーンが素っ頓狂な声を上げる。
隣で母樹の分身体は小さくため息を漏らした。
「……面倒なことになりましたね。あの豪華な馬車に乗るなど、木の身では息苦しい限りです」
ベルメールは申し訳なさそうに微笑み、静かに言葉を添える。
「ご安心ください。ぺぺ様の神託には“アイリーンを導き、必要とされる縁を結びなさい”ともありました。――王宮への招待も、その導きのひとつかもしれません」
母樹の分身体は枝のような指先を顎に当て、考え込む。
一方のアイリーンは、瞳をきらきらと輝かせていた。
「お城……行ってみたい! なんだか楽しそう!」
「……はぁ。わかりました。ただし、礼儀は忘れてはいけませんよ、アイリーン様」
「うん!」
ベルメールは安堵の息をつき、恭しく一礼した。
「それでは――馬車へどうぞ。殿下がお待ちです」
木漏れ日の中、金と翠のドレスが揺れ、王女ベアトリーチェが静かに微笑んだ。
こうして、アイリーンと母樹の分身体は――思いもよらぬ形で、王宮へ向かうことになったのである。