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寄生樹  作者: hiro0720
第1章
13/15

転移の光

館の応接間に、重厚な扉が静かに閉まる音が響いた。

深紅の絨毯が足音を吸い込み、微かな香木の香りが漂う。


ヒロトは中央のソファに腰を下ろし、向かいに座る二人の信者を見つめた。


「――ヒロト様、これが例のものです」


白髪混じりの男が恭しく封筒を差し出す。

地方議員であり、古参の信者でもある桐生だ。


ヒロトが受け取ると、隣に座っていた中年の男性――市役所市民課の課長、山城が静かに頷いた。


「市のデータベースには、正式に登録されました。

戸籍、住民票、マイナンバー、運転免許証、健康保険証……

すべて、他の国民と同じ手続きで通してあります」


ヒロトは封筒を開き、中の書類を一枚ずつ確かめた。

戸籍謄本の表紙に印字された自分の名を見た瞬間、思わず息を呑む。


――日下部ヒロト。出生地:東京都世田谷区。


その記載を見つめながら、胸の奥で何かが静かに震えた。


「……これで、誰の前でも胸を張って“正真正銘の日本人です”と言えるわけだな」


ヒロトの言葉に、桐生は穏やかに微笑む。


「ヒロト様の存在を世に認めさせること。それが、我ら信徒の務めです」


山城は小さく咳払いをしてから言葉を継いだ。

「ですが……ご注意を。正式な記録として残る以上、今後は“普通の国民”として生活する責任が生じます」


ヒロトは真剣な表情でうなずいた。

「わかっている。もう、裏で生きる時代じゃない。

俺も“ちゃんとした職”について、堂々と生きていく」


その言葉に、桐生は深く頭を下げた。

「……ヒロト様の決意、しかと承りました。必要とあらば、私の議席を通して職の口も探してみましょう」


「ありがたいが、それは自分の力でやるよ」


ヒロトは封筒を胸に抱きながら、柔らかく笑った。


その姿に、ヴィクトリアが尻尾を揺らす。

「ふふ、なんだか“社会人デビュー”って感じね、ヒロト」


「ま、そういうことだな」


ヒロトは少し照れくさそうに笑う。

その瞬間、館の外を風が渡り、カーテンがふわりと揺れた。


――その穏やかな午後、誰もまだ知らなかった。

次に訪れる“転移事件”が、この平穏を一変させることを。


***


ヒロトとヴィクトリアが応接間を出てリビングに向かう。

ヴィクトリアは即座にソファに飛び乗り、いつもの定位置で丸くなった。

リモコンを操作するが、韓国ドラマがやっていない。


「……仕方ないわね。ドイツの旅番組でも見るか」


ため息をつきながら画面を見つめていると、

七歳になったアイリーンが勢いよくリビングに飛び込んできた。


「ママ~!」

ドン、とソファにジャンプして飛び乗る。


「危ないでしょ!」ヴィクトリアが思わず注意する。


だが、アイリーンはまったく反省する様子もない。

「ママ、これ韓国ドラマじゃないじゃん! 何見てるの?」


「ドイツの旅番組よ」


そのとき、ヒロトがリビングに入ってきた。

「ドイツか……昔、一度行ったことがあるな。バッハの演奏会も見たぞ」


祥子が目を丸くする。

「本当ですか? すごいですね!」


ヒロトは小さくうなずいた。

「ああ。母樹をドイツの山の中に生やしたから、行こうと思えばいつでも行ける」


その言葉を聞いた瞬間――アイリーンは勢いよく立ち上がり、

何も言わずに駆け出していった。


リビングの窓から、彼女が母樹のもとへ走っていく姿が見えた。


「……なんか、余計なこと言ったんじゃない? ヒロト?」

ヴィクトリアがあきれ顔でつぶやく。


ヒロトは頭をかきながら苦笑した。

「……まぁ、嫌な予感はするな」


***


母樹の根元にたどり着いたアイリーンは、息を弾ませながら言った。

「ねぇ母さん、ドイツに行きたいの! 連れてってくれる?」


母樹の枝がゆっくりと揺れる。

「そうですね……確かにドイツの山に母樹を植えてあります。

その母樹を私と繋げれば転移は可能です。ですが――ヒロト様の許可が必要です」


「大丈夫だって。いいからドイツに行かせてよ!」

頬をふくらませて、アイリーンはしつこく頼み込む。


「困りましたね……では、分かりました。私の分身体も同行しましょう」


幹から淡い光が漏れ、そこから一人の若い女性が姿を現した。

――それは、かつてヴィクトリアの知識を取り込んだときに得た能力だった。


二人は光に包まれ、ドイツの山中へと転移する。


緑に包まれた山の風景、石畳の街並み。

観光地を巡り、アイリーンは目を輝かせた。


だが、2時間ほど経ったころ――

「そろそろ帰りましょう。アイリーン様」母樹がそう言うと、アイリーンは不満げに唇を尖らせた。


「え~、まだ見てないところいっぱいあるのに!」


そして、ふっと笑う。

「こんな感じかな」


次の瞬間、アイリーンの手のひらから光が放たれた。


「ま、待ちなさいアイリーン!」

母樹の分身体が慌てて抱きつく。


まばゆい光が二人を包み込み――

やがて、すべての光が消えたとき、そこにはもう誰の姿もなかった。

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