ぺぺの介入
「ぺぺ、あんたどうしたのよ? 突然テレビに出てくるなんて」
ヴィクトリアは目を丸くした。
ぺぺはモニターの中で、にこやかに手を振っている。
「まあ、ちょっとした遊び心です。それより――お久しぶりですね、ヴィクトリア様。こうやって話すのは……ざっと三千年ぶりですか。随分と可愛らしいお姿になられて」
「三千年……そんなに経つのね。魂のまま漂ってた自覚はあるけど。――で、その格好はもしかして、私の後を継いで女神になったってわけ?」
「ええ。ヴィクトリア様が息を引き取る間際、私に後を託されたんです」
その言葉にヒロトが思わず口を挟む。
「ちょっと待て。女神? 女神がなんでいきなりテレビに出てくるんだ?」
ぺぺはくすりと笑った。
「あなたは確か――寄生植物の……」
「ヒロトだ」
「ヒロトさん、ですね。初めまして、女神ぺぺと申します」
「それで、女神様が何の用だ?」
「何の用かと言われましてもね。ヴィクトリア様へのご挨拶と……少しばかりの助力を、と思いまして」
「助力?」ヒロトが眉をひそめる。「一体、何をする気だ」
「今の状況はすでに把握しています。――あなたが生やした木が子を宿し、信者たちはその子を“神の子”として崇め始めている。けれど、あなたたちはその子を普通の人間として育てたい。違いますか?」
ヒロトは渋々うなずいた。「……ああ、その通りだ」
「でしたら、私にできるのは一つだけです」ぺぺは静かに言う。
「人々の記憶から――その木と、その木に宿った子に関する部分を消し去ることです」
部屋の空気が一瞬で張り詰めた。
「おい、本当にそんなことできるのか?」
「いくら女神のあんたでも、記憶を消すなんて――」ヴィクトリアが不安げに言う。
ぺぺは微笑みを崩さずに首を傾げた。
「できますよ。ただ、消された人々は少しだけ“何かを忘れた気がする”違和感を覚えるでしょうけど。――どうされますか?」
ヒロトは黙り込んだ。
人の記憶を、こっちの都合で消すなんて許されるのか。
だが――それでも、守りたい。生まれてくる子を、穢れのない世界で。
「……女神ぺぺ、頼む。母樹とあの子に関する記憶を、人々から消してくれ」
ソファで丸くなっていたヴィクトリアが立ち上がる。
「ちょっと、ヒロト!」
止めようとしたその声は、ヒロトの決意に満ちた横顔を見て、喉の奥で途切れた。
ぺぺは静かに目を閉じ、ゆっくりと両手を広げる。
「……了解しました。では、少しだけ世界を静かにしますね」
その瞬間、空気が震えた。
外の喧騒が遠ざかり、風は止まり、時計の針さえも動きを忘れる。
ぺぺの身体から淡い金色の光があふれ、粒子となって窓の外へと流れ出した。
その光は街を包み、人々の心の奥へと静かに降り注ぐ。
――コンビニの前で談笑していた若者が、ふと空を見上げた。
「なんか……変だな」
「どうした?」
「いや、昨日まで何か……あった気がするんだけど……思い出せねぇ」
「はは、寝不足じゃね?」
二人は笑い合い、缶コーヒーを手に去っていった。
――ニュース番組のスタジオ。
昨日まで「謎の神木出現」と騒いでいたキャスターが、今は何事もなかったかのように天気予報を読み上げている。
スタッフも視聴者も違和感を覚えない。
ただ胸の奥に、ほんの小さな空白だけが残った。
――街路樹の下、老女が立ち止まる。
「ここに……不思議な木があったような……」
そう呟くが、すぐに孫の手を取って歩き出した。
世界が、元に戻った。
ぺぺはゆっくりと手を下ろし、優雅に一礼する。
「これで完了です。人々はもう母樹の存在も、あの子のことも覚えていません。
ただ――ほんの少し、“大切な何かを見た”という感覚だけが残るでしょう。
それは、あなたたちへの記憶の名残です」
やがてぺぺの姿はテレビ画面から消え、再び韓国ドラマが流れ出した。
――静寂。
時計の秒針が再び動き出し、車の音が戻る。
世界は、いつもの日常を取り戻した。
ヴィクトリアはソファで再び丸くなり、深く息を吐いた。
「これで……よかったのかしら」
ヒロトは窓の外を見つめたまま、静かに答える。
「……守るためだったんだ」
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