9話『祝福なき婚礼、誓いの怪盗』
空気が甘い。
いや、別に毒ガスが撒かれてるわけじゃないし、恋の予感が突然降ってきたわけでもない。
仮に毒なら即座に鼻呼吸を停止するし、恋の予感なら逃げる。全速力で。しかもあらゆるヒロインのルートを全力で踏み外しながら。
でもこの甘さは、別の意味で厄介だ。
空は妙に青いし、鳥はやたら幸せそうに鳴いてる。衛兵たちですら、今朝のパンが焼き立てだったかのような満足げな顔をしている。
まるで「今日は何も起きないですよ〜」という看板を、世界そのものがぶら下げているかのようだ。
……それが、一番の危険信号だって、俺は知ってる。
俺の人生経験──というかこの異世界での生活経験に基づくと、「何も起きなさそうな朝」の裏側では、だいたい何かが起きている。しかも面倒くさいやつが。
そして今回、その“面倒くさい”の中心にいる事になるのは──俺たちモノクローム怪盗団と勇者パーティーご一行なのである。
「ふぅん。婚礼ねぇ」
焼き果実の串を齧りながら、王都広場に貼られた告知文を見上げる。
《バルナス帝国王子レオニスとアメリア姫の婚礼式、まもなく開催》
……知らない人が見たら、ただの豪華な政略結婚にしか見えないだろう。
でも俺は、知っている。
それがどれだけきな臭くて、背後にどれほど厄介な連中が絡んでいるかを。
この婚礼は──罠だ。
アメリア姫。アルヴィエーレ公領出身の名門貴族で、魔力増幅の特殊体質。
それだけでも政治利用されそうな素材だが、問題はそこじゃない。
原作知識によると、この婚礼は魔王軍のとある幹部によって仕組まれたものだ。つまり、姫は囚われの身。表向きの祝賀の裏で、静かに進行している“生贄の儀式”のようなものだ。
串の最後の果実を口に放り込み、俺は空を見上げる。
「ま、首突っ込むのは、もう決めてるけどな」
串をゴミ箱に投げ捨て、軽く背伸びをして広場を離れる。
誰も注目しない裏通りへ。その路地の先にこそ、俺──義賊“アッシュ”としての仕事がある。
●
「それで、俺を食事に誘った理由がこれですか」
静かな路地裏に佇む、古びた食堂のテラス席。
正直、オシャレとは程遠い。テーブルはギシギシ言うし、スープは何故か青紫色だし、たぶんこの椅子、座ると物理的に疲れる。
そんな場所で向かいに座っているのは、勇者フィリア。
真っ直ぐ伸びたの金髪に真っ直ぐな瞳。その毛先と瞳に違わず、精神性まで眩しいくらいにまっすぐな少女だ。まっすぐすぎて、角度を間違えると変な方向へ猛進してしまう不器用さも持っている。だが、その芯の強さは本物で──たまに驚くほど繊細でもある。
「そうなんです! 招待状、もらっちゃって」
彼女は鞄から取り出した封筒をそっと差し出した。
煌びやかな装丁。金の縁。貴族風味の無駄な装飾。中身は案の定、「婚礼への正式な招待状」だった。
「行くのか?」
「王都でも話題になってますし、断るのも難しいかなって。バルナス帝国とこの国、いろいろ関係あるから」
「そういう話、面倒だよな」
「あはは……まあ、でもアメリア姫に、会ってみたいなって。なんかこう、勘って言うんですかね、胸騒ぎがして」
その言葉に、俺は少し目を細めた。
勇者の“勘”。原作でも勇者の特殊スキルとして語られていたそれは時に、未来を選ぶ鍵になる。
「……勘か」
「はい。根拠なんてないですけど、でも……妙に引っかかるんです。まるで、行かなきゃいけない気がする。あの人に、会わなきゃいけない気がして」
「そういう直感、けっこう当たるタイプ?」
俺はそれが勇者としての力だと知ってはいるのだがあえておどけたフリをして聞いてみる。
「あるんですよ、勇者やってますとそういう特殊スキルみたいなものが。……まぁ、くじとかじゃんけんとか、そういうのが全部が当たるわけじゃないですけど」
「あんまり実用的ではないな」
「それは言わない約束ですっ!」
グリとしての俺との関係性に慣れ始めてきたのか、彼女は俺のボケにツッコミを挟んでくれるようになってきた。
「グリも、アメリア姫に……興味あるんですか?」
「そりゃ、まあ。綺麗な人だろうし」
その瞬間、フィリアの視線が一瞬だけ冷えた。
「………………そうですか。綺麗な人、ですか」
あ、しまった。今のは言い方ミスった。
いや、そういう意味じゃないんだって。俺が言った「綺麗」は物理的な意味で、いや違う、物理的ってなんだ。とにかく、そういうあれじゃなくて──
「でもさ、俺はただの善良市民だからな。王族とか関わると胃がキリキリしそうだし、命の保障も怪しい。ストレスで髪が抜ける。もう抜け始めてる」
「……グリって、変な人で、変な言い回しばっかりしてるのに、妙に真面目なところありますよね」
「そこまで褒められると照れるな」
「褒めてません」
今日の彼女は、表情一つ変えずにクリティカルを撃ってくる。
それでも、胸のどこかがほんの少し、あたたかくなった。
こういう会話は、悪くない。
でも、だからこそ。
この平穏が、永遠には続かないことも、知っている。
アメリア姫は囚われている。
婚礼の裏には、魔王軍の幹部が関わっている。
彼女を救うには、正面からじゃダメだ。
俺は決めている。
アメリア姫を──“怪盗”として、奪いに行く。
そのついでに、勇者たちを“育てる”いい機会だ。
まるで敵のように見えて、実は味方。そういう裏方の立ち位置が、今の俺にはちょうどいい。
ああ、原作のアッシュとはルートが全然違うのだが、こういう行動こそアッシュっぽくて胸が熱くなるな。
●
「で、アッシュ。つまりバルナス帝国で結婚式に乗じて、“宝”を盗む、と」
シロが、まるでティータイムの話題のようなノリで切り出した。
淡々とした声色。けれどその手元では、魔道符が何枚も宙に浮かび、淡く青い光を灯している。
彼女の指先が淡々と動き、幾何学的な魔術模様が空気中に小さく揺れるたび、ひやりとした圧が室内を支配した。
どうやら符の作成と手入れをしているらしい。一見すれば幻想的、けれどその実態は凶悪極まりない。
これが彼女の主力武器。精密な魔術を即座に叩き込める、悪魔的な道具だ。
「詠唱短縮」「結界展開」「属性付与」「空間識別」──などなど、機能盛りすぎでは? と突っ込みたくなるほど万能。
勇者パーティーとの初交戦時にも大活躍し、その一部は俺も譲り受けている。
前回の風魔法も、実は彼女からもらった簡易魔道符を使用した結果だった。
……余談だが、これが意外と便利で、たまに料理の火起こしにも使っている。
ただ、火力調整にはまるで向かないので、鍋が爆発しかけたことが二度三度。いや、もっとかもしれない。
場所は、俺たちの隠れ家。
街の裏路地の、そのさらに奥。誰も寄りつかないゴミ箱に飛び込んだ先──
地下にひっそりと構えた、秘密基地じみた空間。
俺は部屋の中央にある簡素な木の机に肘をつき、広げた地図の上に指を滑らせながら、二人の相棒に説明をしていた。
「そうだ。詳細は現地で調査するが、今回のターゲットは帝国所有の《精霊石》。しかも、式場の中に安置される予定だ」
「にゃはは! まーた国家クラスのブツ狙ってるし! 相変わらず物騒だよね、アッシュ♪」
そう言って笑うのはクロ。今日も元気なテンションで可愛い。
黒猫みたいな黒髪少女で、見た目は可愛い。……中身は可愛い爆弾。しかも導火線が短い。可愛い。
最近、王国の警備拠点をちょっとだけ爆破してしまったのは、できれば忘れたい思い出である。いや、忘れていいのかそれ。
「ふぅん……で?」
シロが、唐突に口調を変えた。声のトーンが、すとんと落ちる。
その目が、一瞬で鋭くなるのを俺は見逃さない。いや、見逃したら命が危ない。
「どうせ、それだけじゃないんでしょ?」
……ぐさり。心臓に刺さった気がした。
ああ、これは完全に見抜かれてるな。
この子の勘、時々マジで予知レベルだから困る。精霊か何かでも飼ってるのか。
「はて……何のことだろうなあ?」
誤魔化すように紅茶を啜る。演技派の俺としては、顔色ひとつ変えずにやり過ごすくらい朝飯前──と、思っていた時期が、俺にも確かにありました。
「ま、いいけど。次また変なことしてたら、お小遣い減らすからね?」
「勘弁してくれ。前回の減額でここ一週間、あの激安店で売ってる固くて不味い黒パン生活だったんだぞ。口の中が砂漠になった」
「なら私の焼いたパンを食べればいい」
「あの焦げたヤツ?」
「……クロ、うるさい。アッシュは私が焼いたパンが好きなの」
「ま、まあ……好きではある」
「ほら」
普通に焦げてておいしくは無いが。
シロはしてやったりという表情をする。ある程度長く連れ添っているためわかるが、普通の人から見ると無表情に見えるかもだが。
我が団の財務官にして作戦参謀、あと家賃管理も担当。
つまり、俺はほぼ完全に彼女に支配されているという事実。自由ってなんだっけ?
「ともかく、出発は明朝だ。勇者パーティーも行くみたいだからな、道中ちょっかいかけようぜ」
「おっけー! フィリアちゃん、また怒るかなー♪」
ウキウキした調子でクロが笑う。完全に遠足テンションである。
この子、怒られることを楽しみにしてない? それって勇者に怒られるのが趣味とかいう、けっこう深刻なフェティシズムでは?
「……ほどほどにね。アッシュと逢瀬できない程度には、懲らしめるけど」
「いや、待て待て。そもそも逢瀬なんてしてない」
「今日もしてたでしょ」
「いや、あれはたまたま食事しただけで──」
「記憶水晶あるよ。いる? 録画データ」
「なんで今日のやつまで録られてるんだよッ……!」
プライバシーとは。尊厳とは。隠密行動とは。
俺の信条が、あっけなく日常の中で崩れ去っていく音がした。
「クロ、記録消しといてくれ」
「データと引き換えに来週1週間の家事全部やってくれるならいいよ!」
「割に合わなくないか……?」
……リーダーだよな、俺。
肩書きだけはカッコいいんだけど、たぶんこのアジトでの格付けは一番下だと思う。
「で、本題に戻るが」
俺は立ち上がり、広げた地図を軽く叩いた。
指先が示すのは、帝国首都バルナスに描かれた大広場。その中心部。
「この場所に、婚礼式の主祭壇が設けられる。そこに《精霊石》が飾られる。式の終盤で、アメリア姫がそれに“祝福の祈り”を捧げる形になる」
「その隙を突いて、盗むわけだね」
クロが屈託なく笑って、拳をコツンと俺にぶつけてくる。
このへんのノリは、まるで文化祭前日の悪友みたいだ。
「明日の朝一で出る。荷物は軽めにしておけよ。途中で勇者パーティーに会っても、心が折れない程度で済ませるようにな」
「はーい。軽めに脅かして、ちょっと煽って、あとは温泉街で飯でも食べる?」
「なんで温泉が出てくる」
「旅といえば温泉! 温泉といえば混浴!」
「だれが混浴するか!」
「しないの!? そこがこの旅一番の目的じゃなかったの!?」
「違う。断じて違う!」
掛け合いは、ばかばかしいくらい軽妙で。
けれど、その裏にあるのは──
覚悟と、気配と、そして今夜の湿った空気だ。
外はすっかり夜の帳が下り、街は静まり返っている。
その静寂を破らぬように、俺たちの計画は静かに──それこそ、盗人のように進んでいく。
そしてその先に待つのは──
祝福と罠、そして誓い。
偽りの愛と、真実の盗み。
世界がまだ寝ぼけているうちに。
俺たちは、舞台に忍び込む。
始まりのベルは、きっと誰にも聞こえない。
だけど確かに、今鳴った。
“盗み”の幕が──今、上がる。
第二章
『祝福なき婚礼、誓いの怪盗』