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50話『きっと誰もが怖いのだから』

 異様な静けさだった。


 闇夜に隠れながら進む通りの端で、俺は足を止めた。


 夜の帳が降りきったリードルの街。普段なら、通りに響くのは酒場の笑い声や、酔っぱらった中年男が道に吐き捨てる残念な人生の残骸くらいのはずだが、今は違った。


 ──どこか、焦げくさい。


「……シロ、焦げた匂いがしないか?」


「アッシュのいい匂いしか……」


「今ボケる場面じゃないぞ」


「本気です」


 シロは無駄にピッタリとくっついて歩いていた。


 俺はため息をひとつ吐くとファントム・レイヤーの魔術式を展開した。透明化と気配遮断を併せ持つ、高位の隠密魔術。身体の輪郭が薄れていき、夜の空気の中に溶け込んでいく。


「こっちだ。警備隊が集まってる」


「ああ、これが匂いの元ですね」


「やっぱ気がついてたんじゃねーか」


 シロと軽口を交わしながら、俺は街の一角──貴族の屋敷へ足を踏み入れた。目立つことなく、忍びのように影から影へと移動する。


 俺たちの視界に入ったのは──煤けた焼死体。


 貴族の屋敷の見張り役だった。


 建物は外観上はまったくの無傷だった。

 門も扉も、装飾過剰な噴水も、庭の芝も、すべてが無事だ。にもかかわらず──屋敷の内部からは、焦げた肉の臭いが濃厚に漂っていた。


「……やられたな」


 いつもより少しだけ低い声が出た。


 正門の前では、数人の警備隊がバリケードを張り、魔術による検査を進めていた。中には衛兵だけでなく、高位の魔術官や、監察局の使者らしき人物も混じっている。


 貴族屋敷が襲われた、となれば当然だ。


「内部、映します」


 シロが展開した魔術符によって、屋敷の内部が霧のように浮かび上がる。視界の中には──焼け焦げた死体の数々。ベッドの上、ダイニング、階段下、果ては風呂場に至るまで、無数の人間がまるで溶けたロウ人形のような姿で倒れている。


 全員が、苦悶のままに──焼けていた。


「……主人と使用人、全滅。逃げた形跡も、抵抗の痕もありませんね」


「火炎系の魔術による一斉焼却。完全な奇襲だ。ここの魔術防壁、無力化されてら」


 あたりを見回しているうちに、屋敷の壁の一部に止まった。


 そこに、赤黒く──いや、煤と血と焼け焦げが混ざったような色で、大きく文字が書かれていた。


『紅蓮の意思を継ぐもの』


 そしてその下に、もう一言。


『俺たちの炎は消えない』


「……クルール」


 気づかれないように歯を噛みしめる音。胸の奥で、何かが軋むような鈍い感覚。


 ──クルール、お前は。


「勇者の守る屋敷じゃなく、最初からここが本命だったってわけか」


 俺の言葉に、シロが静かにうなずいた。


「ええ。狙いはこの貴族屋敷。つまり、あちらは囮です。ハインリヒをあえて向かわせたのも、勇者と私たちの足止めのためと考えられる」


「勇者を倒すためじゃなく、俺たちをあっちに向かわせるため、か」


「合理的。むしろ、見事な戦術」


 シロはそう呟きながらも、声色に微かな怒りを滲ませた。彼女にしては珍しい、感情だった。


 俺は肩をすくめる。


「俺の知ってるクルールは、もっと直情的だったはずなんだがな」


「変わるよ、アッシュ。人は。何年も会ってなかったら尚更」


 俺は何も言わなかった。


 この屋敷の主は、ミルディア王国でもそれなりの地位にあった名門の一つだった。


 情報を洗えば──いや、洗うまでもない。

 この屋敷の主が、クルールの怒りの対象であることは疑いようもなかった。

 だが、このやり方は。


「皆殺しか。罪の有無にかかわらず」


「問答無用ってことだね」


「……ああ」


 静かに、それでも確かに俺は口にした。


 その言葉に、シロは何も返さなかった。ただ、隣でほんの一瞬だけ、風の音が止まった気がした。


 再び、何も無かったような顔をしている屋敷を見やる。


 ──ここが終点ではない。


 これはただの「宣言」だ。


 クルールは、この惨劇を通して何かを告げたかった。それは人間や貴族はと宣言であると同時に、俺への挑発でもあった。


「なぁ、シロ」


「なんでしょう?」


「俺、いまめっちゃ嫌な予感してるんだけど」


「間違いない」


 街の空が赤く染まっていた。


 燃えているわけではない。ただ、灯火と煤煙と──人々の不安が混ざり合って、夜の空すらどこか不穏に見える。


「それで……これから、どうする?」


 シロが尋ねた。


 ひとつ、深く息を吐いてから──まるで冗談を言うような口調で言った。


「んー、今から貴族の死体に混ざって焼かれたふりでもするか?」


「クロが泣くね」


「勇者ちゃんは躊躇なく聖剣ぶっぱなしそう……っていうか俺、死んでねぇわ」


「ツッコミで自己完結するのやめて」


 そんな軽口を叩きながらも、俺たちはもう歩き出していた。


 焦げた空気を背に、次の目的地へ。


 燃え盛る“意思”が、どこかで息を潜めている。


 ●


 星空が街を染めていた。


 私は今、貴族屋敷の屋根の上にいる。瓦の感触が冷たくて、でもなぜか安心した。

 体育座りのまま、膝を抱え込んでぼんやりと空を見上げる。


 屋敷の中では、無事だった貴族たちが「さすが勇者様!」とはしゃいでいた。けれど、私にはその声がどうしても耳に痛くて、耐えられなくなって──ノアとダリオに全部任せて逃げてきた。


 自分でも、情けないって思う。でも、無理だった。


 誰かの役に立つはずの勇者が、その“誰かの声”から逃げてる。


 そんなんじゃ、駄目なのに。


「おーい、ここにいたー!」


 突然、聞き慣れた明るい声がして、心臓がびくっと跳ねた。振り向かなくても分かる。クロだった。


 ぱたぱたと身軽な足音が近づいて、私の隣にちょこんと座り込む気配がした。まるで猫みたいに軽やかで、自由で、眩しい存在。


「……クロ」


「うん、わたしだよー。ひとりで落ち込んでる勇者ちゃんを探しに来ましたー!」


「べ、別に落ち込んでるわけじゃ……」


「うんうん、そういうことにしといてあげる!」


 彼女は、いつもこんな調子だ。悪意がなくて、あっけらかんとしてて……でも不思議と、嫌じゃ無い。


 なんだろう。クロは、たまにすごく鋭い目をするけど、それでも誰かを裁いたりはしない。


 それが、羨ましかった。


「……わたしね、アッシュのこと大好きなんだ」


「……いきなり、どうしたの?」


「いや、語りたい気分になっちゃってさ。フィリアも暇そうだし、ちょうどいいかなーって」


 そう言いながら、クロは足をぶらぶら揺らした。月に照らされたその横顔は、少しだけ寂しそうで、でも優しかった。


「わたしたちね──あ、わたしとシロのことなんだけど、実は名のある魔術家系の生まれだったんだよ」


「えっ、そうなの?」


「うん。だけどさ、家元のゴタゴタに巻き込まれて、家も立場もぜーんぶ失った。二人きりで逃げ出したの」


 淡々と語るクロの声が、いつもより静かだった。


「育ちは良かった分さ、家もない、食べ物もない、頼れる人もいない──そんな状況で生きていけるはずもなくて」


「そんなときに出会ったのが……アッシュ?」


「そう。拾ったの、倒れてたアッシュを。ほんとはね、私たちに助けてる余裕なんてなかったんだよ。私たちだって精一杯だったし。でも……」


 クロは小さく笑った。


「アッシュ、びっくりするくらいボロボロでさ。血だらけだし、服は破けてて、顔はもう、泣きそうっていうか……本当に、全部が終わったみたいな顔してたの」


 その表情を想像した瞬間、胸の奥がぎゅっとなった。あの飄々としたアッシュが、そんな顔を──


「だから、つい、ね。拾っちゃった」


 クロは冗談めかして言うけど、その裏には確かな“想い”があった。


「でもさ、目が覚めたアッシュ、いきなりわたしたちを見て、嬉しそうに泣き出したんだよ。……びっくりしちゃったよね」


「アッシュが、泣いた……?」


「うん。あんなの、後にも先にも一回だけ。理由はわかんない。でも、きっと何かが救われたんじゃないかな」


 私は、何も言えなかった。


「でね、そのあとからアッシュは、私たちに生き抜く術を教えてくれた。サバイバルとか、大人との交渉の仕方とか、戦い方とか、色々な技術とか──あの人、ポンコツな所もいっぱいあるけど本当に何でもできるんだよ」


 クロの語りは止まらない。だけど、不思議と飽きなかった。むしろ、羨ましくて、眩しくて──どこか、痛かった。


「私たちね、アッシュを助けたつもりが、いつの間にか助けられてたの。食べ物とか住む場所とかだけじゃなくて……」


「……心?」


 思わず、私が口を挟んだ。


「うん。……フィリアも、分かる?」


「……ちょっとだけ」


「アッシュってさ、自分の過去は全然話さないんだけど、たぶんすごく辛い経験してると思うの。でも、それを見せないで、いつも飄々としてて……」


「強いね、アッシュは」


「……でも、どこか壊れそうな時もある。だから、わたしたちが隣にいなきゃって思った。シロとも話して、決めたんだ。


 “アッシュと一緒に生きる”って」


 ああ、クロはもう、見つけてるんだ。自分の戦う理由を。


「だからさ、わたしたちの戦う理由はそれ。三人で、面白おかしく楽しく! そんでもってたまーに真面目に生きること!」


 そう言って、彼女はにぱっと笑った。


「フィリアの昔も教えてよ」


 その言葉に、私は少しだけ息を詰めた。語りたくない過去。だけど、もう逃げてばかりはいられない。


「……私はね、お兄ちゃんがいたの。本来の、この聖剣を継いでいた本物の勇者」


「うん」


「優しくて、でもちょっと意地悪で。……アッシュに、似てるところがあった」


「ふふ、意地悪ってとこだけ聞こえたー」


 クロの茶々を無視して、私は続けた。


「……でも、ある日、突然死んだの。あの黒獅子ハインリヒに負けて。そこからは色々ありすぎて、あんまり覚えていないのだけれど。ただ、気づいたら私が勇者になってて……周囲の期待に応えることだけで、毎日が過ぎていった」


「それは……大変だったね」


「私は、兄の代わりだった。代用品。中途半端なまま。だから、今ね、何が“正しい”のか分からなくなってきて……戦う理由も、どんどん見失って……」


「そっか」


 クロは、そっと私の背中をぽんぽんと叩いた。


「アッシュもさ、多分、自分が何者かなんて分かってないよ?」


「え……?」


「すっごい人だよ、あの人。本当に何でもできるし、怪盗なんてやらなくても生きていける。……ポンコツなとこもあるけど」


 そう口にするクロの表情は、とてつもなく誇らしげであった。


「でもね、それでも笑ってる。たまに辛そうな顔をしてるけど、それでも、自分の場所で生きようとしてるんだと思う」


「……」


「フィリアは今、辛い顔してるよ。でも、楽しい顔になれる何かを見つければいい。それは、勇者じゃなくたっていいんだよ?」


「でも……私には責任がある」


「──あんまり言いたくないんだけどさ、フィリアもアッシュのこと、好きでしょ?」


「……ッッ! そ、そんなこと!!」


 顔が熱くなるのが、自分でもわかる。言葉に詰まって、俯いた。


「……いや……分からない。分からないけど、不思議な気持ちになるの」


「それで十分だよ。急がなくていいんだよ、フィリア。あなたが本当にしたいこと、ゆっくり見つければいい」


「私の……したいこと……」


「うん。勇者とか関係なしに、ね!」


「……むずかしいね、それって」


「ううん、簡単。フィリアは今、ちょっと怖いだけなんだよ」


「怖い……?」


「自分と向き合うのが。だけどね、それって、きっとみんな怖いんだと思う」


 私は、その言葉を胸の奥で反芻した。


 自分と向き合うのが、怖い──たしかに、それはある。


 戦ってる“ふり”をして、誰かに背中を押してもらいたくて、でも自分の気持ちはずっと放置してきた。


「じゃあね! 私たちも準備あるから!」


 クロはそう言って、ぱっと立ち上がった。そして、軽やかな足取りで屋根の端へ向かう。


「がんばれ、フィリア!」


 振り向きざまに笑ったクロの顔は、どこまでも澄んでいて──私は思わず、その背中を見送った。


「私の……やりたいこと」


 もう一度、呟いてみる。


 誰かを助けたい。困ってる人を、笑顔にしたい。それは、嘘じゃない。


 でも、正義とは? 正しいこととは? 勇者である意味とは? 


 ……答えはまだ、見つからない。


 だけど──クロのおかげで、心がほんの少しだけ軽くなった気がした。


 それだけで、今日は少し、前に進めた気がする。

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