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47話『答えを持たぬ勇者』

 地を蹴り裂き、フィリアは真っ直ぐに突進した。


 聖剣が咆哮するように唸りを上げ、刃から放たれる光の粒子が尾を引いて夜の闇を貫く。魔力の高まりに空気が震え、建物の窓がカタカタと揺れた。


「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!」


 その叫びに、迷いはない。怒りと悲しみ──そして、兄への想いだけがあった。


 聖剣が、一閃。


 黄金の刃がハインリヒの肩口を狙って振り下ろされる。光が集中し、剣先から迸る魔力が地面に亀裂を刻む。


 だが。


「──浅い」


 低く、鉄を叩くような硬質な声が響いた。


「なっ……!?」


 次の瞬間、黒獅子の巨腕が唸りを上げて斧を構える。その斧は単なる金属の塊ではない。地を這うような闇の魔力が柄から滲み出し、空間を歪ませながら刃の先に集中していた。


「それがお前の全力か? それでは、私には届かん」


 斧が振り下ろされる。


 聖剣と斧の衝突の衝撃が爆風となって周囲の瓦礫を吹き飛ばす。建物の壁が崩れ、地面が陥没した。


「くっ……!」


 フィリアの足元が崩れた。


 圧倒的な圧力。まるで斧が空間ごと押し潰してくるような質量の暴力。聖剣を握る腕が痺れ、骨が軋む。


「私は貴方を、魔王軍を、悪を──許さない!」


 “斧”という言葉では表現できない。獣の咆哮にも似た圧、そこに込められた意志が重すぎた。


 それでもフィリアは折れるわけにはいかなかった。

 それは──勇者として? 兄の敵として? 正義として? それとも。


「光は、貴様は、人類は正しきものか? だとすれば、なぜ今──膝をついている?」


 嘲笑ではない。そこにはただ、淡々とした事実の羅列。静かなる威圧。


 フィリアは唇を強く噛み、血が滲むのも構わず後方に跳ねた。泥を蹴り、再び姿勢を整える。


「まだ終わらせない! 兄さんのためにも!」


 彼女は叫びながら、剣を振り抜いた。


「亡き兄への想い、か。否定をするわけでは無いが──覚悟が浅く、盲目的だな」


 縦に、横に、斜めに。斬って、薙ないで、突いて。鍛えた剣筋を無数に浴びせるも──しかし、ハインリヒはその悉くを軽く弾き飛ばす。

 全くもって涼しい顔をして。


「……筋は悪く無い、が経験が足りん」


 そう言うと、ハインリヒは一転して攻勢に回りだした。


 重いはずの斧はまるで割り箸を振るうかのように軽々しく連撃を繰り広げる。

 

 その速さは、先ほどのフィリアの攻撃を上回っており、その一撃一撃の威力も圧倒的なまでの差を見せつけるようだった。


 フィリアはギリギリのところで防ぐも、もはや防戦一方。──いや、耐えられているだけでも奇跡のような状況だった。


「……くッッ! は、速いッッ! 重いッッ!」


「魔力と才能に頼り過ぎている。それは弱点だ」


 フィリアは魔導弾を周りに展開し、防御の合間を縫ってハインリヒに放つも、攻撃の片手間に斧で迎撃される。


「うぐぅ……!」


 すかさず振り抜かれる斧。

 なんとか弾いていたそれを、ついに逃してしまう。

 衝撃波が頬を掠め、痛みが走った。


 しかしフィリアは、その勢いを利用して今度は逆に後方へと跳ね距離を取った。


「ならば……これでどうっ……!」


 聖剣に魔力を集中。その刃が白熱し、周囲の光をすべて吸収するように輝き始める。


「──《光刃断罪ジャッジメント・レイ》!!」


 彼女の叫びとともに、剣から放たれた光束が雷撃のように迸る。直線に走るその閃光は地面を抉り、咆哮のような轟音を伴ってハインリヒに襲いかかった。


 だが。


「《奈落の影壁アビス・シールド》」


 重低音が響いた。


 展開されたのは闇魔法。


 地面から立ち上がるように、黒い影が現れる。漆黒の帳が分厚く空間を覆い、光の奔流をまるで水滴でも受け流すかのように吸収する。


 閃光が、その表面に触れた瞬間──爆ぜた。


 眩い火花と熱風が舞い上がり、周囲一帯が白煙に包まれた。だがその中心には、傷一つ負っていない黒獅子の姿。


「そんな……!」


 フィリアの目が見開かれる。

 その光を。あの技を。必殺と信じた渾身の一撃を──受けきられた。


 信じた力が届かない現実に、足元が崩れるような感覚が走る。

 息が荒く、肺が悲鳴を上げていた。魔力を注ぎ込みすぎて、視界がぐらつく。


「嘘……でしょ……?」


 胸の奥が冷えたように痛む。恐怖ではない。これは、絶望だ。

 それでも、倒れない。諦める理由なんて、どこにもなかった。


「でも──まだ……私は、まだ……終われない……!」


 震える手で剣を握り直し、半ば無理やり身体を起こす。

 そのまま、叫びとともに斬りかかる。 


「はああああああっ!!」


 だが──鋭く唸った斧が、それを弾き返す。


「ッぐ……!」


 斧の衝撃でバランスを崩し、後方に跳ぶ。だが遅い。

 バックステップの合間に、斧の余波が空気を裂いて彼女の肩口を浅く裂いた。


 生温かい血が伝う。それでも──フィリアは、目を逸らさなかった。


「どうして……!」


 声が漏れた。


「どうして、兄を……わたしの兄さんを殺したのよッ!!」


 怒りに震える叫び。

 だがその奥には、悲鳴のような祈りが滲んでいた。


「兄さんは……人を救おうとした! 誰よりも、命を大切にして、勇者として……人類のために戦ったのよ!? それなのに……!」


 握る剣が軋むほどに力がこもる。


「その兄さんが……どうして、あんたなんかにッ!!」


 ハインリヒは、斧を下げたまま無言で彼女を見下ろしていた。

 敵意でも嘲笑でもない。感情の読めない、空虚な視線だった。


「答えてよ……! ねえ……どうして……!」


 フィリアの叫びに、ようやくハインリヒの口が開く。


「我らとお前達が、違う種として戦場に立っている限り……そこに命の選り好みは存在しない」


 その声音はあくまでも淡々としていた。


「戦場に立つ者に、死の理由など求めるな。そこにあるのは、ただ──必然的な結果のみだ」


「それでも……!」


 フィリアが叫ぶより先に、彼は言った。


「だが、そうだな。お前の兄は、確かに立派な勇者だった」


 その言葉にフィリアの動きが止まる。


「覚えている。理想を掲げ、愚直に前を向き、己を曲げなかった。強い男だった。だが……そして、最も孤独だった」


「……な、に?」


「確かに奴を葬ったのは私だ。だが──奴を殺したのは、ある意味ではこの私ではない」


「……え?」


 胸を刺すような言葉が落ちてきた。


「貴様ら人類自身だ。民衆は恐れ、勇者の名のもとに全てを押し付け、戦うことすら拒んだ」


「──っ、それって、どういう」


「貴族は己の保身と欲にまみれ、彼を使い捨てにした。──仲間であるべき貴様らは、国同士のくだらぬ利権と政治のしがらみに囚われ、彼を支えなかった」


「うそ……そんなの……!」


「誰も、奴を助けようとはしなかった。誰も、奴の“人間としての声”を聞こうとしなかった。……だから、奴は孤独に、戦いの最前線で倒れた」


 ハインリヒの目は静かだった。


「私はただ、最後の一撃を振るったにすぎん。勇者を死に追いやったのは……“お前が守ろうとしているすべて”だ」


「……やめて……っ」


 フィリアは、まるで剣で胸を刺されたかのように言葉を詰まらせた。


「違う……そんなの、兄さんが可哀想すぎるじゃない……! それに……あなたが……あなたが兄さんを殺した! 私の真実はそれだけよ!!」


 怒鳴りながら、涙が滲む。怒りと──恐れと、そして後悔が、入り混じっていた。


「…………それが、勇者である貴様の答え……か」


 その瞬間、ハインリヒの周囲に再び膨れ上がる魔力。重く、底知れない闇の波動が空間を圧迫する。


 呼応するように、フィリアの聖剣が震え、魔法陣が柄に浮かび上がる。


《神聖なる反逆ディヴァイン・リベリオン

 

 勇者のみが扱える、最後の切り札。その一撃は、あらゆる闇を返す“裁きの光”──。


「……来い、黒獅子……! これが、私の──!」


 だが、ハインリヒの声がその詠唱を断ち切った。


「吠えるな、小娘」


 その一言が、鋭く突き刺さる。まるで凍てついた刃のように冷たい声音だった。


「貴様に足りないのは、覚悟だ。──受けよ、《暗影裂断アンシャドウ・リッパー》」


 振り下ろされた斧が、大地を割った。


 黒い閃光が奔り、光を貪るように聖剣の輝きを呑み込む。

 重力が歪むかのような一撃──逃げる暇など、なかった。


「ぐっ……ああああああっ!!」


 フィリアの身体が宙を舞い、石畳に叩きつけられる。

 

 鈍い音。


 腕から聖剣が滑り落ち、石の上を転がる音だけが響いた。

 ――奴が速すぎて、《神聖なる反逆ディヴァイン・リベリオン》を放つ隙すら無かった。


「剣を持たぬ勇者に、何ができる?」


 一歩、また一歩。


「浅い矜持、足りない実力、答えを持たぬ瞳──足りぬ。どれ一つ足りない」


 ハインリヒが歩を進めるたびに、大地が震える。


「お前の兄は……人間に見捨てられた。死を背負い、その意味を、お前に託した。──それが、この世界の現実だ」


「……っ」


 フィリアは、動けない。痛む身体に鞭を打って、手を伸ばす。

 だが、剣には届かない。


 指先が、ただ──虚空を、掠めた。


 そこにあったはずの光は。もう、彼女の手には──灯らなかった。


「お前も……苦しむ前にその命を絶ってやろう」


 低く響く声に、フィリアの目が震える。


「ヤツの妹と聞いて、当代の勇者に期待をしていたが……どうやら、それは私の思い違いだったようだ」


 その瞳に映るのは、落胆か、諦観か。けれど、そこに情けはなかった。


 ハインリヒは、巨大な戦斧を無言で掲げる。

 月光を受けて鈍く輝く刃が、死を告げる鐘のように不気味だった。


「……せめて、一撃で終わらせてやる」


 大地が呻くほどの力を込め──その斧が、振り下ろされた。


 ──その瞬間、空気が弾けるように震えた。

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