45話『あの日を、追って。』
「──帰るぞ、リードルに」
そう言い放った俺は、夜の森にぽつんと立つテントの前で、拳をぎゅっと握りしめていた。
指の骨がきしむくらいに力が入ってるのに、体温だけは妙に冷たい。星空の下ってのは、どうしてこうも感傷的になれるんだろうな。
こんな夜に限って、空はやたらと澄んでいて、星がキラキラと悪びれもせず輝いてやがる。
──こっちは、大事な奴を失った気分だってのに。
まるで「さあ、立ち上がれ」とでも言いたげな星たちに、喧嘩を売りたくなった。星に殴り合いはできないから、代わりに現実をぶん殴りに行くことにする。
「おい! 起きろ、革命の鐘が鳴ってるぞ! シロ、クロ、非常事態だ!」
俺は容赦なくテントの布をめくり上げ、まだ夢の世界で優雅に惰眠を貪っていた二人を強制的にサルベージする。
真夜中三時、こんな時間に叩き起こされて喜ぶやつがいたら、たぶんそいつは魔王だ。
まず転がり出てきたのは、銀色の髪をボサボサにしたシロ。
顔に寝癖がついてても、なぜか知的に見えるあたりが本当に腹立たしい。いわゆる「天は二物どころか五物くらい与えてるよね」枠だ。
「……アッシュ、現在時刻は午前三時五十七分。予告なしの起床指令は、殲滅対象に該当するが?」
「ノリが完全に侵略型AIだな、お前……でも起きたからヨシ!」
目の焦点が合ってないくせに、論理だけ武装してきやがる。
さすが、寝起きでも口撃力は平常運転だ。
そして次に現れたのは──毛布に包まって、まるで人間サイズのタコ焼きと化してるクロ。
うっすら寝言が漏れてくる。
「うーん……あっしゅぅ……朝ごはんは……くりーむぱん……」
「腹時計バグりちらかしてるな」
「くりーむぱん……ぐふふ……へへ……」
これはもうダメだ、夢の中で糖分を取って幸せになってるタイプだ。羨ましい。
「はい、クロ。目覚まし物理演算、開始」
俺は遠慮なくクロのほっぺをむにーっと引っ張る。感触は……わりともちもち。
「へぶぅっ!? ふにゃっ!? な、なにすんのあっしゅ!? 寝起きにスキンシップとか、えっちなのは計画的にって言ったでしょ!」
「いや言ってねぇし、緊急処置だ。その思考になるお前が1番えっちだわ」
そんなこんなで、ようやく二人とも完全に現世に帰還。睡眠の国からの帰国審査、完了。
「……で、何事? こんな真夜中に。まさか星を盗むとでも?」
「ああ、それもいいな。星を盗むってなんか怪盗のロマンの塊感ある……じゃなくて」
シロは目元を擦りながら、髪を器用にくるくるとまとめていく。動きに無駄がないあたりが、またムカつく。
「説明は後だ。まずは……宣言!」
俺はくるりと背を向け、夜空に向かって拳を突き上げる。そう、まるで人生そのものにツッコミを入れるように。
「打倒、紅蓮の盗賊団! リードルで好き勝手やってる連中、全員ぶっ潰す!」
「……ああ、ついにスイッチ入ったのね」
「やっぱり! アッシュってさ、いつもクールぶってるくせに、情熱の燃え方が唐突で変なんだよね! 昨日まで幽霊だったのに、今日は主役って感じ!」
いや、昨日は幽霊じゃなくて──まあ、情緒が死んでただけだ。
「理由は……まあ、いろいろあるけどな。一番は、借りを返すためだ。その、なんというか、ね?」
「ふむ。珍しく語尾が濁った。これは重い因縁の予感」
「ま、内緒だ。ヒロイン候補には順番があるように──情報開示にも順番があるわけだ」
「前者のその順番……気になる。心理的優位のために知っておきたい」
「えっ!? じゃあ私は!? ヒロインNo.1幼馴染枠じゃないの!? やっぱり!? そうでしょ!?」
「……幼馴染は基本、物語の終盤で負ける定めだろ」
深夜の森に、俺の全力ツッコミが木霊する。
フクロウもついでに「ホー」と合いの手入れてきた。
でも、こうしてバカをやってると、ちょっとだけ胸が軽くなる。
笑って、喋って、突っ込んで。くだらない時間の中に、たしかな“生きてる感触”がある。
心の底では、もうとっくに決めてたんだろう。逃げるのをやめるって。向き合うって。
今さらだけど、今からでも、やれることをやるしかない。
──クルール。
お前が、どんな顔で立っていようと。何を背負って、どれだけ歪んでしまっていても。
俺はもう、前に進むって決めたんだ。
お前のためにも。今は亡き彼女のためにも。それから……自分自身のためにも。
◆
リードルの街は、今日もまた喧騒に包まれていた。
賑わいは昨日と変わらず、行き交う人の声、店先の呼び込み、子どもたちの笑い声が、まるで定刻通りに再生されているみたいに繰り返されている。
私は、その風景の一部のつもりでいた。
ただの“通行人A”として、人並みにまぎれて、日常のなかに紛れていたはずだった。けれど──
目の前に、彼の姿を見つけた瞬間、胸の奥で時間が凍った。
「アッシュ……」
声が漏れた。けれど、か細くて、風にさらわれるような頼りない音だった。
呼び止めるには弱すぎて、自分の耳にすら届いたか怪しいレベルだ。
それでも、彼は気づいた。こちらに目を向ける。
変わらない顔だった。変わらない目だった。なんでもない日のひとコマみたいに。
「よう、勇者様。お散歩中か?」
軽い声だった。本当に、どうしようもないくらいに軽い声だった。
空気より軽くて、心より遠くて。だからこそ、少しだけ、痛かった。
「……うん。ちょっとね」
私は、ぎこちなく笑った。笑ったつもりだったけれど、たぶん引きつった顔になっていた。
笑顔の皮だけ被ったような、情けない表情だった気がする。
「そっちは……怪盗団としての任務中?」
できるだけ平静を装って問いかける。心の奥では、鼓動がうるさくて仕方なかったけれど。
「まあな。街の視察ってやつだよ。さっき、パン屋で買った『ヤバそうな』パンを今ここで食うか否かって悩んでるところだ」
「……ふふ。相変わらず、どうでもいいことで真剣に悩むのね」
自分でも驚くほど自然に笑えていた。
たぶん、彼のそういうところに、私はずっと──安心してたんだと思う。
彼の口元が、ほんの少しだけ緩んだのが見えた気がした。気のせいじゃなければ、いいけど。
「にしても、お前……顔に出すぎ。勇者様がそんな顔でどうする。“勇者らしく”、もっと堂々としてろよ」
その言葉に、胸がちくりと痛んだ。
彼は、何も変わっていない。
いつも通りの皮肉と、いつも通りの無遠慮な目で、私を見ているだけ。
でも──それが、少しだけ、つらかった。
「……今は、あなたと話をしていて、そんな気分になれないわ」
自分でも驚くほど、はっきりと言ってしまっていた。
そんなつもりじゃなかった。ほんの挨拶のつもりだった。
でも、心が勝手に言葉を選んで、口にしていた。
彼は、一瞬だけ黙った。
空気が、すっと冷える。周囲の喧騒さえ、どこか遠くに感じられた。
「……ああ、そうか」
それだけだった。
彼の目が、少しだけ細くなったような気がしたけれど、表情は読めなかった。
本当は、聞きたかった。
“赤マントの男”のことも。あの夜の出来事も。
どうして、あんな顔で彼を見ていたのかも──全部、全部聞きたかったのに。
でも、私の足は一歩も動かなかった。喉は乾いて、言葉が出てこなかった。
そして彼は、何も言わずに、静かに手を振った。
「じゃ、またな」
それだけ言って、彼は背を向けた。
その背中は、どこか寂しそうで、それでも強がって見えて──
まるで、歩くことで自分をごまかしているようにも見えた。
私は、立ち尽くしていた。
……私たちの距離は、たぶん、ほんの“一歩分”。
手を伸ばせば届きそうで、でもその一歩が、どうしても遠い。
すれ違うたびに、その距離は少しずつ、音もなく広がっていく。
けれど、それでも私は。
次に会うときには──
ちゃんと、目を見て笑えるように。
そう、心の中で、そっと願った。
●
再びこの街──リードルに戻った翌日、俺はすぐに“紅蓮の盗賊団”の情報を洗い出し始めた。
目立たぬよう、独りで。クロたちは置いて、単独潜入スキル全開で、街の裏を這いずるように歩く。
目的はただ一つ。
クルールの足跡を辿り、その先にある“真意”を掴むためだ。
表通りは、喧騒と光に満ちていた。市場の客引き、通りを行き交う馬車、笑い声と取引の怒鳴り声。
──だが、音が溢れるのは、そこだけじゃない。
裏通りには、もっと静かな音がある。
ナイフが鞘から抜かれる音。
嘘が舌先で転がる音。
裏切りが、皮肉めいて乾いた笑い声を上げる音。
俺が今歩いているのは、そんな音ばかりが響く場所だ。
「……クルールの名を出すだけで、顔を強張らせる奴が増えてきたな」
何気ない独り言が、壁に染みた湿気に吸い込まれて消える。
“紅蓮の盗賊団”を探すのは、簡単じゃない。
連中は表には出てこない。手がかりは散っていて、誰もそれを繋ごうとしない。
けれど──存在の“匂い”は、確かに漂っていた。
灰と血と、焼け落ちた記憶の匂い。
かつての俺たちがいた場所の、懐かしくも最悪な香り。
情報を求め、俺は順に当たった。
飲んだくれの元傭兵。過去に盗賊団に関わった古物商。恩知らずな残党ども。金に目がない情報屋。
時に身分を偽り、口調を変え、顔を隠し、名を捨てて。
ようやく──それらの点が、一つの線になった。
「“紅蓮の怪盗団”……? ああ、知ってるとも。今じゃ貴族専門の狩人だよ。死神みたいなもんさ。頭領のクルールって奴が、貴族を灰にして歩いてるらしい」
昼下がりの寂れた裏路地。片目を潰した情報屋は、妙に楽しげにそう呟いた。
ぎょろりとした目でこちらを見ながら、まるで劇の導入部を読み上げる役者のように。
やっぱりか──と俺は思った。
どこかの酒屋で聞いた噂通りだと俺は思った。正直言って、変わり映えのしない情報にうんざりしていたところだった。
だが、次の一言で、俺の胸は妙にざわついた。
「目的? さあな。誰にもわからん。ただ金が目当てなら、わざわざ人間を灰に変える必要はないしな。……まあ、ここから先は情報料いらねえよ。風の噂だ」
情報屋は、カラカラと乾いた笑いを漏らしながら、言葉を続けた。
「なんでも……王国ごと、焼き尽くしたいらしいぜ。貴族も、王も、そしてその“構造”ごと、全部を。ある奴が言ってたんだ。“あれは復讐の物語だ”ってな」
俺はそれを否定しなかった。できなかった。
──そう、だな。
それが“ただの噂”だったとしても、それは“事実”だ。
クルールは、クレアを奪ったものすべてに怒りを抱いている。
それは一部の貴族だけではない。この国の仕組みそのもの、この歪んだ土台全体に、焼きつくような憎しみを向けている。
なら、きっと俺とて──あいつの中では、例外じゃないのだろう。
あの日、俺は何もできなかった。ただ、遅れただけの、何も持たない子どもだった。
ふと、記憶が過る。
焦げたパンの匂いと、仄暗い地下の灯り。
……クルール。
お前は今でも、あの味を覚えているのだろうか。
焦げたパンの味を。
★
焦げついた匂いが、鼻をついた。
「おい、クレア……またか、また焦がしたのかこれ!」
クルールの怒鳴り声が、仄暗い地下の隠れ家に響き渡った。パンの焦げた臭いと一緒に、じんわりと鼻の奥に苦い感情まで染み込んでくる。
小さな紙片を握りしめたまま、クレアはバツが悪そうに眉尻を下げていた。紙にはぐしゃぐしゃな文字で「パンの作り方」と書かれていた。クレアの字だった。
「だって……急に“パンが食べたい”とか言うから……」
「ん、俺、食べるよ」
「え……?」
言い終わる前に、俺はその炭の塊みたいなパンを、無言でひとかじりした。
バリバリッ、と歯の裏に響く音がした。炭と石の間の食感。いや石だった。これ石だろ。
だけれども、これがいつもの味。
嫌いになる事なんて、当然できなかった。
「……う、うん……なかなかの新食感だな……。歯茎にダイレクトアタックだ。新世代の兵器か?」
「パンで殺す気か!? おいアッシュ、もうやめろ、戻ってこい! お前の胃が心配だ!」
「……美味しいよ、クレア」
その言葉だけは、ちゃんと届くように。
クルールのうるさい声に紛れて、クレアの不安げな顔がかすんだ。でも、そのあと、ほんの少しだけ彼女が笑ったのが見えて──それで、もう十分だった。
あの笑顔のためなら、俺はあと十回はパンに歯を折られてもいいと思えた。
……そして、その日だった。
盗賊団の頭領から、突然の報告があった。
「クレアを引き取ってくれる貴族がたまたま見つかった」
それは、願っていたような、でも胸が詰まるような知らせだった。
俺もクルールも、心のどこかで寂しさを感じながらも、「クレアにはちゃんとした世界で生きてほしい」と、それ以上に思っていた。
だから、送った。笑顔で。
──そのつもりだった。
だが、それは幻想だった。
現実は、もっと汚くて、もっと最低で──もっと俺たちの甘さを嗤っていた。
偶然耳にした、頭領と幹部ナンバー2の会話。
「いやぁ、あのガキ、高く売れたなあ!」
「ですよね! ここまで育てたんですから、当然の見返りっすよ!」
「買った貴族、なんでも“美しい子供を集めて、泣かせて──犯して、殺す”のが趣味らしいな。ぐははっ、俺たちよりよっぽど悪党だぜ!」
「表じゃ手出しできねぇから、俺らが拾ってやるってわけですよ。いい仕事っすねぇ!」
「戦場の孤児なんざゴミみたいに拾えるからな。管理費かかるが、仕入れコストゼロで爆益だ!」
瞬間、頭に何かがぶつかった。脳のどこかがブチッと音を立てて裂けた気がした。
けど、俺より早く、爆発した奴がいた。
「てめえらぁぁぁぁぁぁあああ!!」
クルールだった。
気づいたときには部屋の扉を蹴破り、剣を手にして飛び込んでいた。
俺も慌ててその背中を追う。
俺たちはまだ子供だったけど、弱くなかった。
クルールの盗賊仕込みの技術、そして俺の転生者として──ネームドキャラとして一般的な強さから見ると“チート枠”。
見た目は子供、でも戦力は最高級。
すぐにその二人をねじ伏せ、クレアの居場所を聞き出した。俺はそれを聞いてすぐに、その場を去ろうとした。
しかし。
「ぶっ殺すッッ!!!」
クルールが、“覚醒”した。
真っ赤な魔力が吹き上がり、彼の両手から、見たことのない魔法があふれ出た。
それは、燃える魔法だった。
人間を──いや、“生きているもの”を、まるごと包んで、灰に変える魔法。
系統も、理屈も、何もわからない。ただ、それが“殺すための力”だということだけは、嫌というほどに伝わってきた。
俺がクレアの元へ向かおうと背を向けたときには──部屋の中は、静寂と灰しか残っていなかった。
そして、俺たちは貴族の屋敷に向かった。
俺の心には、ずっと抜けない棘が刺さっていた。
クルールをこのままにしていいのか、そんな感情が、胸の中でかき回され続けていた。
そして、たどり着いたその屋敷で、俺たちが見たのは──
もう、言葉にならない現実だった。
傷だらけの犯された身体。
白く濁った目。
死後硬直の中で、なお恐怖を貼りつけられたような表情。
クレアだった。
そして、彼女のかたわらには、あの紙切れが落ちていた。
──「パンのレシピ」。
きっと、あの朝のやりとりの余韻を胸に、彼女は何も知らず、無防備なまま、騙されてここに連れてこられたのだろう。
クルールが、膝から崩れ落ちた。
彼の慟哭が、壁を揺らした。
俺は、怖かった。
目の前の現実が。
そして、クルールが壊れてしまうのではないかと。もう二度と戻ってこないのではないかと。
彼は、涙の中で静かに言った。
「……俺たちから奪った奴らを、俺たちが殺すんだ。奪わせないように、全てを奪うんだ」
それを聞いた瞬間、俺は直感した。
──止めなきゃいけない。
彼を止めなきゃいけない。
きっと、クレアはこんな事を望んではいない。
きっと、その道を選んだクルールは幸せにはなれない。
だけど、俺は止めきれなかった。
喧嘩でも訓練でも一度も負けた事のなかった相手を、俺の兄弟を。止める力は、俺にはなかった。
いや、本当は──心のどこかで、俺自身もまた、同じ炎を抱えていたんだ。だから、本気で止めようとしていなかっただけなのかもしれない。
そしてその後俺たちは、盗賊団のトップの二人を殺されて敵意むき出しの元同僚に囲まれながら──自分の命が燃え尽きる前に、すべてを焼き払った。
これが、俺のくだらない記憶だ。
それ以降のことは、よく覚えていない。
血を流しながら、クルールとはぐれ、気づけば一人だった。
死にかけた灰同然の俺は、人のいつかないような場所でひっそりと倒れ込んでいた。
ああ、死ぬのか。
そんなことを思っている最中、俺を拾ってくれたのは──
──白と黒の少女だった。
世界に余裕がなさすぎて、彼女達も誰かを助けるどころじゃなかった。
それでも、誰よりも優しかった、二人の孤児。
まるで、自分も燃え尽きそうな灰のような存在だった俺に、手を伸ばしてくれた、そんな白と黒。
──シロと、クロに。
★
「クルール……」
呼吸が浅くなる。
焼かれたのはパンじゃなく、過去だった。
灰になったのは貴族でも、ましてや盗賊団でもなく、俺たちの時間だ。
俺は。
あの時、クルールを止められなかった。
自らの色を削ぎ落として、無彩色へと変わり果てる彼の運命を止めることはできなかった。
だから、今度は止める。
……だって、それでもきっと、クレアはクルールがこんなにも苦しそうに生きているのを──望んでいるはずが無いから。
そして、“アッシュ”は、そんな死に向かって歩くような兄弟を見捨てる筈はないから。




