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41話『世界を盗む約束』

「……せっかく現地調査に来たってのに、成果ゼロって……」


 ぼやきながらシロが紙袋を机に投げた。その中身──すでに形状を維持する意志を放棄したと思われる焼き菓子が、ぺしょん、と悲鳴のような音を立てて崩れる。


 夜の帳が降りきった街の外れ、三階建ての宿屋の一室。ランプの柔らかな灯りが、木製の壁にゆるく揺れる。


 シロはいつもの夜に紛れる怪盗とは思えない全身真っ白の姿で、椅子の背もたれに肘をかけてため息をついた。眼鏡はしていない。


「それに焼き菓子もこのざま。なんなの、もっとこう……暗殺者を尾行して巨大秘密組織の闇を暴く感じとかないと……」


「じゃあなんで怪盗やってるんだよ」と俺が突っ込む隙もなく、部屋の隅ではクロが爆薬入りのケースをぶんぶん振り回していた。


「しかも爆発ナシ! 破壊もナシ! スカッとドカーンもなーし!! これじゃ私の存在意義って何!? 歩く火薬庫の面目が丸つぶれなんですけど!?」


 そう言って、なぜか焼き菓子のかけらを投げつけてくる。


「爆発と自己肯定感を同一視しないでくれる? 頭の中まで爆発してんじゃねーの?」


「わたしは爆発で自己表現するタイプなんですー!」


「芸術家的に聞こえるけど内容は完全にテロリストじゃねーかよ」


 それを後ろから見ていた俺は、そっと心の中でツッコミのカウンターを増やしていた。ちなみに、今日だけで34ツッコミ目だ。自分でもそろそろ職業病を疑っている。


 そして俺は、その騒がしさから意識をそらすように、窓の外に目を向ける。


 月光に濡れた石畳。遠くの鐘楼が、静かに夜を告げていた。リードルの夜は、やけに静かで、そしてなぜか──うるさかった。


 耳に残るのはクロの食べる音と、シロの小言、そして何より、胸の奥に引っかかったままの“あの声”。


「……揉めるかもしれねぇ。紅蓮の盗賊団と」


 呟いた途端、部屋の空気がわずかに変わった。クロが焼き菓子をかじる手を止め、シロが振り向く。目が、暗がりでかすかに光った。


「廃工場に残ってたとき……何かあったんでしょ?」


「ああ」


 短く答える。言葉の先を、探す。


「……昔馴染みに会ってな」


「知り合い、ってこと?」


 シロの問いに、俺は黙った。


 “知り合い”じゃ足りない。


 “戦友”でも、“仲間”でも、なんかしっくりこない。


 ようやく出た言葉は──


「……“兄弟”みたいなもんだった。憧れてた奴がいたのさ」


 言葉にすると、胸がきしむように痛んだ。


 クロは黙って足元の床を蹴った。コツンと音がして、何かが終わった気がした。


「そっかー。憧れてた、って過去形ね。じゃあ今は……え、なに? 絶賛ケンカ別れ中?」


「いや、それがな……もっとこう、最悪の喧嘩別れしてLINEブロックされたあと、いきなりグループ課題でペア組まされた感」


「何言ってるか分からないけど、ヤバそうなのは伝わったよ」


 笑い飛ばそうとするクロの声が、どこかぎこちなかった。

 だけど、俺もそれ以上は笑えなかった。



 ──俺たちは、“世界を盗もう”と誓った。



 子どもじみた約束だ。夢みたいな話だ。だけど俺たちは、それを本気で言い合ってた。


 あの赤いマントを翻して立っていた背中は、俺の知ってるあいつとは、もう違っていた。


 ──そう、まるで。


 まるで別の世界を生きている、別人みたいに。


「アッシュ」


 クロがぽつりと呼ぶ。ふざけた口調じゃない、ちゃんとした声だった。


「……どこにも、いかないよね?」


 俺の中の、過去の亡霊が少しだけざわついた。でも、それに蓋をするように、俺は笑ってみせる。


「俺の行ける場所なんて、お前らの横しかねーよ」


 そう言ったら、クロはほっとしたような顔をして、焼き菓子のかけらをもう一個ほおばった。口いっぱいにして「甘いけど悲しい味がする〜」とかわけのわからないことを言っていた。おそらく、気を紛らわせてる。


 シロは何も言わなかった。ただ、俺の目を見て、小さくうなずいた。


 ──俺たちは、明日の夜この街を出る。


 調査も謎も、置き去りにして。

 怪盗団としての役目も、街に残された問題も、一度全部後回しだ。


 ここは、もう長くいる場所じゃなかった。


 この街には、過去が多すぎた。手を伸ばせば、取り返しのつかないものに触れてしまう気がした。だからこそ、逃げるようにここを離れる。


 あの赤いマントの背中──クルールは、何を見ていたのか。俺には、それがもうわからない。


 でも。


 それでも。


 ──俺は、あいつの言葉を全部は否定できなかった。


 もし、俺があのとき別の選択をしていたら。もし、もっと早く手を伸ばしていたなら。もし、まだ間に合うなら──。


 それでも俺は、今はまだ、名前のない記憶の檻の中にいる。

 閉ざされた檻の中で、懐かしくて、痛くて、悔しくて。


 だけどほんの少しだけ、まだ──


 あいつと並んで笑ってた、あの夜のことを、忘れられないでいる。


 ◆


 宿屋の屋上。手すりに身を任せたまま、フィリアは街の灯りを見下ろしていた。


 風が吹くたび、金の髪がさざ波のように揺れ、月明かりを掬って光る。まるで、夜の海に浮かぶ光の粒みたいだった。


 その拳は、ぎゅっと握りしめられ、指先が白くなるほどに力が入っていた。冷たい風のせいじゃない。肩の震えは、たぶん、ずっと内側から来ていた。


 本当は、まだ信じたかった。


 あの人が、あんなことをするはずがない。そんな芝居がかった言い訳が、頭の隅でぐるぐる回っている。もう散々聞き飽きたはずなのに、繰り返すたびに苦しくなるのはなぜだろう。


 耳に残った言葉は、いつまでも消えなかった。


『世界を盗もうぜ』


『俺とお前なら、出来ないことなんてない』


 何度思い返しても、そこにいたのは──紛れもなく、アッシュだった。


 隣にいたのは、紅蓮の盗賊団。センスの悪い赤いマント。そして、その真横に立っていたのは、見慣れた後ろ姿。間違いようがない、見間違えたくてもできない。


 ──あの皮肉屋で、面倒見がよくて、そしてとびきりどうしようもない男だった。


「なんで……」


 ぽつりと零した声は、夜の静寂に吸い込まれていく。


 問いだけが、胸の中で渦を巻いていた。なぜ、彼がそこにいたのか。どうして、あんな言葉を口にしたのか。理由を知りたくてたまらないのに、答えはどこにもなかった。


 もし、私がただの「勇者」だったら。心なんて切り捨てて、正義の剣を振るうだけの存在だったなら──こんなに迷うことなんて、なかったのかもしれない。


 敵と判断すれば、問答無用で斬る。それが「勇者」のやること。世間も期待している。王国も、民も、誰もがそうあるべきだと思っている。

 そしてそれが、先代勇者の姿だった。


 でも。


 今の私は、もう“ただの勇者”じゃない。


 だって、私は知ってしまったから。アッシュの──名前のない優しさを。


「……私は、“勇者”としてじゃなく、“私”として、あの人を知りたかったんだよ」


 ひとり言のように呟いた声が、風にさらわれていく。


 夜の風は冷たい。さっきまで熱く火照っていたはずの頬が、今ではすっかり冷え切っていて。その温度差に気づいたとき、ようやく涙がこぼれそうになった。でも、それも途中で止まった。泣くにはまだ、気持ちの整理がついていない。


「……でも、今の私は、疑ってる」


 正義ってなんだろう。信じるって、どうすればいいんだろう。


 口に出すたび、言葉が砂のようにこぼれていく。


 信じたい。でも、信じるには理由がいる。


 子どもの頃に読んだ英雄譚では、主人公はどんな絶望の中でも「信じてる」って叫んで、奇跡を起こしてた。

 ……いや、それは嘘だな。あれは物語だからできたことだ。現実は、もっとずるくて、痛くて、こじれてる。


「信じるって、こんなに難しいの……?」


 答えなんてないくせに、誰かが囁く。「信じろ」って。勇者なら、信じろって。でもそれって──ただの押し付けじゃない? 


 私はまだ、そこまで強くない。

 胸を張って「信じてる」なんて、言えるほど強くない。

 それでも──知りたいと思ってしまった。あの人の本当を、あの目の奥を。


 アッシュ。

 あなたが、あの場所で何を見て、何を選んで、何を──守ろうとしていたのか。


 それを問いに行くには、私は。


「……正義って、なんなんだろうね」


 ふと漏れた独白は、誰に届くこともなく、ただ夜の街に溶けていった。


 灯りの向こうで人々の営みが続いている。笑い声も、歌声も、喧嘩も、全部が世界の音だ。その中に、自分の小さな声が混ざることもなく、ただ風に流れていく。


 それは、静かで、静かで──けれど確かに始まった誤解の音。


 まだ名前のない痛みが、フィリアの胸の奥に、そっと根を下ろした瞬間だった。だった。


 ★


 ──目が覚めたとき、俺は子供の姿になっていた。


 ブラック企業勤め。朝に出社し、翌朝に帰宅し、時既に遅し、すぐに出社、みたいな生活。そんな日々を、俺は割と真面目にこなしていた。


 ある日、連勤の果て。頭がぼんやりしているのに、体だけが慣性で歩き続けていた。まるで、ゾンビか何かのように。


 そんな俺の横を、小学生くらいの子供達が駆け抜けていった。何やら最新のゲームの話題で盛り上がっていた。

 聞いたことのないタイトル。

 知らないキャラ名。

 まあ、当然だ。ゲームなんて、やる暇がなかった。数年前に辞めて以来、触れてすらいない。


 だけど──なぜかその瞬間、ふと脳裏に浮かんだのは、昔、夢中でプレイしていたあのゲームのキャラクターだった。


 モノクローム怪盗団“アッシュ”。


 子供の頃の、俺にとってのヒーロー。俺が何よりも憧れたキャラクターだ。


 思い返せば、その設定も、台詞回しも、やたらと中二病めいていて……でも、それがたまらなくカッコよかった。

 今ではもう、細かいシナリオなんかは覚えていない。けれど、胸が高鳴ったあの感じだけは、今もどこかに残っていた。


 そして、次の瞬間──視界が暗転した。


 交通事故。あっけない幕引き。


 理解が追いつく前に、意識だけが浮上していた。




 気づけば、名前のない孤児になっていた。


 これを「転生」と呼ぶのなら、ずいぶんと雑なプロローグだと思う。俺の前世が報われなさすぎるのは、どうにかならなかったのか。


 どうやら、戦争で家族を失った孤児という設定らしい。誰にも頼れず、何も持たず、それでも死ぬのはごめんだった。必死に食いついて、命を繋いで、ようやく生き残る術を得た。


 そんなとき、俺は一つの盗賊団に拾われた。


 戦争孤児たちを引き取り、寝食を与え、生き方を教える。


 ──最初は、そんな慈善団体みたいな話もあるのかと感心していた。現実にはありえなさそうな“優しい大人たち”に、俺は少しだけ救われた気がしていた。


 ……でも、今なら分かる。


 あんなの、ただの幻想だった。


 戦争孤児を善意だけで保護する盗賊団なんて、そんなの、あるわけがなかった。


 彼らの目的は単純だった。


 ──子供たちを売ること。


 見た目の良い少女。


 魔力の素質がありそうな少年。


 選ばれた子たちは、貴族や商人に“商品”として引き渡されていた。


 俺は、そんなことも知らずにいた。

 ただ、日々を必死に生きていた。

 そして、そんな日々の中で──あの二人に出会った。


 クルールと、クレア。


 俺が生き抜けたのは、彼らがいたからだ。

 互いの傷を舐め合うように支え合い、笑って、時に泣いて、何とか日々をやり過ごしていた。


 ……だからこそ、俺は生き延びた先で、シロやクロに出会えた。

 そして今、自分が誰なのかをようやく知った。


 “アッシュ”。


 あの頃、俺が憧れていたヒーロー。

 故に、俺はその名を冠し、その役割を背負い──今、この世界を盗もうとしている。


 なぜなら俺は──アッシュであるから。

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