39話『2人の盗賊』
三章スタート
シリアス全開の熱い展開期待しろい
第三章『2人の盗賊』
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その男は、燃えるような赤のマントを翻して、夜の闇に現れたらしい。
……なんだそりゃ。
ミルディア王国の端、リードルと言われている街。
俺たちは怪盗団のお仕事でこの街に来ていた。
そんな街角にある、しけた酒場の入り口で、俺はふと足を止めた。
――空気はやけに暑苦しかった。
蒸し返す熱気のせいか、あるいはその“噂”のせいか。どちらにしろ、俺の胃にはよろしくない種類の湿気だった。
中からは酔客たちの大声が漏れ、ガラの悪い笑い声とともに、不穏な言葉が次々と耳に飛び込んでくる。
「おい聞いたか? まただよ、昨晩の貴族屋敷……」
「主人が炭になってたって話だろ? しかも、家は燃えてねぇのに」
「マジで呪いだって。あの赤マントの男、絶対人間じゃねえよ……火の悪魔だ、あれは」
唐突に胸が冷たくなった。何かが、喉元までせり上がる。
俺は思わずフードの奥で眉を寄せる。息を潜めるように、そっと呟いた。
「……まさか、な」
思考に靄がかかる。あれは、もう終わったはずだろう。
ずっと昔の話だ。
今さらそんな。
なのに。耳に残るのは、乾いた炎の爆ぜる音と、悪夢のような笑い声だった。
――貴族屋敷で無惨にも殺された少女の姿。
――血まみれの顔で、それでも笑っていた“あいつ”の姿。
心臓がひとつ脈打つたびに、かつて焼け落ちた記憶が脳裏でフラッシュバックしていく。
胸の奥が焼けつくように痛い。いや、実際には焼け焦げたことなんてない。俺の体はなんともない。
でも、焼けたんだ。確かに――心だけが。
気がつくと、酒場の喧騒は遠ざかっていた。まるで、世界が一瞬だけ“音を忘れた”みたいに。
「……アッシュ、ボーッとしてるから財布落とすんだよ……。ほら」
左側から伸びてきた白く細い指に、俺の意識は現実へと引き戻される。
見れば、そこにはいつも通りの冷静な目をした少女――シロが立っていた。
「……怪盗がお財布を落とすなんて、ありえないから」
その薄蒼の瞳は、まるで心を見透かすように鋭い。ただ俺の動揺を黙殺するように財布を差し出してくる。
「わりぃわりぃ、助かった」
短くそう言って受け取ると、シロはほんの僅かだけ眉尻を和らげた。
そのすぐ横では、黒髪の小柄な少女――クロが、にこにこしながら俺の背中をポカポカと軽く叩いている。おそらくそれは励ましなのだろう。おそらくは。
「アッシュー! 噂話に聞き入ってた? わかるー! ヒーローっぽいもんね! 赤マントってロマンじゃん!」
「……そんなのがヒーローだったら、この世界は終わってるよ」
俺はため息をついた。いつもと違い、少しだけ口調が冷たくなる。
だがクロは、まったく気にする様子もなく「それもまたロマン!」と両手を広げて笑った。
あまりにいつも通りで、逆に怖くなるくらいだ。
俺は視線を少し下げて、自分の足元を見つめた。足元の石畳は乾ききっていて、どこにも炎の気配なんてない。
ああ、そうだ。全部終わったんだ。あれはもう、過去のことだ。終わったはずなんだ。
……なのに、なぜ。
「……アッシュ」
再び、シロの声がした。呼びかけは穏やかだったが、そこには微かな心配の色が混じっていた。
彼女は、俺の沈黙がただの“気のせい”ではないことを、もう察している。
黙っていればいくらでも空気を読んでくれるが、必要とあらば容赦なく俺の心の底に手を突っ込んでくる。
だからこそ、今は。
「……大丈夫だ」
そう答えるしかなかった。
それがウソだって、シロにはバレバレだろう。でも、それ以上は何も言わない。いや、あえて言わないでくれている。
クロが先に歩き出して、振り返りもせずに手を振る。
「さー! 晩ごはんの屋台探そー! アッシュの分までしっかり食べるよー!」
「食欲はあるわボケ」
俺はゆっくりと顔を上げ、空を見た。
焼けるような赤ではなく、ただ鈍く霞んだ、宵の空だった。
俺の記憶の中でだけ、空はまだ燃えている。
今もなお、あの赤いマントと一緒に。
(……まさか、お前が……)
胸の奥で、焼け焦げたはずの痛みが、再びゆっくりと熱を帯びていくのを感じた。
●
夜の帳がリードルの街をすっぽりと覆った頃、俺たちはいつものように作戦会議を開いていた。
場所は、宿屋の一室。
ベッド三つに、ちんまりとしたテーブルと、座るには微妙な高さの椅子が三脚。ひとことで言えば狭い。ふたことで言っても狭い。
が、住めば都というやつで、もう一週間はここにいる。
俺は今日も、いかにも“脇役です”といった顔の木製テーブルに、街の地図を広げた。
地図の端っこには、シロの几帳面な字で貴族屋敷のリストがびっしり。あまりに字が綺麗すぎて逆に読みにくい。
真ん中には、今日の目標地点となる“旧市街の廃工場”が赤ペンでぐるぐるマークされていた。
……赤、か。
「ここは元々ターゲットとなる貴族が所有していたところ。何か手掛かりがあるかもしれない――だから今回はここの調査をする」
地図の前に正座していたシロが、眼鏡をクイッと押し上げながら淡々と告げる。……いや、ちょっと待て。
「お前、なんで眼鏡してんだ?」
「雰囲気」
「雰囲気かよ」
こっちは真剣にやってんのに、急に“名探偵ごっこ”を始めるのはやめてほしい。
怪盗と探偵など水と油の関係性だから。
シロはフレーム越しにこちらをちらりと見たが、それ以上は何も言わなかった。どうやら“真面目なボケ”らしい。いちばん厄介なタイプだ。
「それともう一つ。噂だけど、この街には赤いマントの盗賊団――“紅蓮の盗賊団”が勢いを増しているらしい。同業他社だし、接触は極力避けたい」
「赤マントっていいね! なんかアーティスティックな感じするね!」
突然クロが、パチンと手を打ちながら笑った。完全に話を理解してない目だった。芸術点で話を進めるな。
「いや、盗賊団が芸術性を追求してどうすんだよ……」
「だって目立つじゃん! ヒーローっぽくて! かっこよくない?」
「目立ってどうすんだよ。夜盗ならもっと地味にやれって話だろ。黒とか灰とか、周囲と同化しやすいやつにしろよ」
そう言いながら、論理派を主張するくせに全身真っ白な格好で隠密作戦にいつも臨むシロに嫌味な視線を向ける。
が、どこ吹く風という様子でガンスルー。
「でもさー、あたしら怪盗団的には“目立つのも仕事”って感じしない?」
「だったらお前が着ろよ。俺は絶対イヤだ」
即答した俺を見て、クロは「えぇ〜」と残念そうに口をとがらせた。
「アッシュが赤マント着たら絶対かっこいいって! 悪のカリスマって感じ! 映えるよ!」
「設定上だと義賊だからな俺らは」
俺は思わずため息をついた。こいつは本当に、命のやりとりしてるって感覚があるのか不安になるときがある。
シロは無言で地図に視線を戻しながら、ぼそっと言った。
「まあでも、赤は目立つけど視線を誘導するには有効だし、意図的な演出の可能性もある。焼死体と結びつければなおさらね」
「なるほど――つまり“赤すぎる演出”ってコト!?」
「なるほど分からん」
でも、たしかに気にはなる。“赤いマント”。それだけならただの衣装の話だが、そこに“炭化した遺体”と“燃えていない屋敷”が加わると、一気にシャレにならなくなる。
……やめろ。考えるな。赤いマントを見ただけで、過去をえぐられるほど軟弱だったつもりはない。
……いや、あるのか?
「……アッシュ?」
シロの声に、俺は我に返った。
視線を落とした先、地図の赤い印――“旧市街の廃工場”。
その名前を見ただけで、胃がひっくり返りそうになる感覚。
「いや、なんでもない」
そう言って、椅子から立ち上がる。軽い動作だったはずなのに、妙に体が重く感じた。
「夜に動く。準備はいいな?」
俺が尋ねると、シロは眼鏡を外してそっと頷いた。もとから必要なかったんじゃないか、あの眼鏡。
クロは「おっけー!」と拳をぐっと突き出してくる。
「久しぶりに派手に暴れていいってことね?」
「いや、だから今日は“調査”の日だろ。爆発禁止」
「えぇぇぇ……」
クロが両肩を落とし、あからさまにしょんぼりする。だが次の瞬間には、またケロッとした顔で「せめてちょっとだけ燃やしていい?」とか言い出しそうなので、あえて無視した。
俺の声はいつも通りに冷静だったはずだ。
でも――胸の奥には、まだわずかに“赤”が灯っていた。
それは怒りか、後悔か、それともただの恐怖か。
たぶん、どれでもあって、どれでもない。
ただ、あの赤マントの気配が、俺の過去を――引きずり出そうとしている。
◆
屋敷の中は、無駄に広くて、無駄に静かだった。
リードル北端、街でも屈指の由緒正しき貴族邸宅。白亜の壁、金で縁取られた柱、何に使うのかわからない謎のオブジェたち。
警備対象としては申し分ない……んだけど、どうしてこうも、落ち着かないんだろう。
「しかしまあ、派手に狙われてるわりにはこの屋敷、のんきなもんだな」
筋肉で理屈をねじ伏せる人代表、ダリオがテラスで腕を組んだ。だがしかし、あれはあれで一応ほんとに理論派なのだ。
「うーん、貴族狙いってのがポイントだよね〜。正義の味方的な……怪盗ヒーロー?」
ノアがストローでジュースをちゅーっと吸いながら、どこか夢見るように空を見上げている。なんというか、緊張感が死滅している。代わりに炭酸が効いてそう。
「なんだか、その要素だけ切り抜くと“モノクローム怪盗団”のあいつらを思い出しちゃうよねー」
「――いや違うな」
ダリオは力強く否定した。
「モノクローム怪盗団は、犯罪者である事に間違えはないが、決して殺しや悪事を目的に動く奴らではない。それに――悪い奴らではないと、帝国の一件以降思っている」
魔王軍と結託するバルナス帝国、望まぬ婚姻を結ぶ姫。
彼らは、モノクローム怪盗団は間違えなく、あの時“正義”であった……と思う。
「だがこやつら――紅蓮の盗賊団は貴族をただ殺し、関係のない市民まで巻き込む。世間では義賊と呼ぶ声もあるが、奴らには正義がない。破壊が目的にしか見えない」
「それもそうね……アッシュ達が悪い奴らじゃないのは、私たちは知ってるもの」
そのふたりを背に、私はただ窓辺に立っていた。
どこか、ひんやりとした夜の気配。
胸の奥が――ざわつく。
(……貴族を狙う夜盗団。弱き人々ではなく、権力を、富を、独占する者たちを殺してまで)
彼らのやり方が正しいなんて、決して思わない。法に背き、人のものを奪う以上、それは“罪”だ。
けれども、私が頭に思い浮かべていたのは、一人の男。
灰色の瞳。常に冷静で、たまにポンコツで、嫌に皮肉屋で、でも誰よりも仲間思いで。
――アッシュ。
以前、帝国で出会った彼は、いま思い返しても不思議な人だった。信頼しきれたわけじゃない。好きになったと断言するには、自分の感情がわからなすぎた。
それでも確かに、心が揺れた。
だから、思わず考えてしまう。
「……モノクローム怪盗団は、正義なのかも知れないね」
ぽつりと呟いた自分の声が、部屋に残った。
そのとき。
風が、カーテンを持ち上げる。
その隙間から、ひらりと“赤い”何かが舞った。
それは、夜風に翻る――マント。
鮮やかな、血のような赤。視界に入っただけで、心臓が跳ねた。
あれは……まさか――“紅蓮の盗賊団“
……いや、違った。
赤い布が夜風にふらりと待っているだけだった。
今この街を――いや、この国を騒がせている紅蓮の盗団。義賊を掲げるが、モノクローム怪盗団との違いは“殺し”と“破壊”に躊躇がないこと。
……破壊に関しては、一瞬だけ黒色の猫みたいな少女が浮かんだがすぐに頭から追い払った。
頭に浮かぶのはやっぱり、あの人の姿だった。
灰色の髪と、灰色の瞳。そして、何にも縛られないまなざし。
私の正義を、私の信念を、一度ぶち壊したあの男。
アッシュは、盗むために人の命や想いを踏み躙ったりはしない。
「……今も、どこかで戦ってるのかな」
ぽろりと、こぼれた言葉だった。
それを聞いたノアが、こちらを振り返る。
「なに、またアッシュのことでも考えてるの?」
「っ、い、いや、なんでもないっ!」
慌てて声を上ずらせて、部屋を飛び出す。
顔が熱い。心がうるさい。足音がうるさい。
ノアとダリオの視線が背中に刺さるのがわかる。
でも止まれなかった。
静かな廊下を抜けて、重い扉を開けて。
でも、心はもっと重かった。
部屋から小さく声が聞こえた気がした。
「ねえ、ダリオ」
「おう、わかってる。こりゃ、揺れてるな」
「ねぇー、勇者ちゃん、街の青年くんと義賊の怪盗くんとで揺れてるねぇ」
「……青春、だな」
……違う。そうじゃない。
これは、そんな単純な感情じゃない。
私は――




