4話『演じる者、試す者』
異世界に転生し、憧れだったゲームの舞台でアッシュだと自覚した時。俺は、ただ漠然とこの世界を「楽しめばいい」と思っていた。アッシュというキャラになりきり、義賊団のリーダーとして、勇者パーティーと軽妙に絡みつつ、適度に悪事を働き、そしていつか――エンディングの彼方で、笑って終われると。どこか、他人事のように考えていた。
けれど。
目の前の勇者たちはあまりに未熟だった。敵の罠に無警戒に突っ込み、魔法の展開も稚拙で、剣筋は読みやすすぎるほど真っ直ぐだった。これが、あの最終盤で魔王を討ち倒した勇者パーティー……の、初期形態? いや、それにしても完成度が低すぎる。プレイヤー補正というか、演出によるバフがあったのかと疑いたくなる。
……勝ってはいけない。
いや、勝ててしまうのだ、今の彼女たち相手なら。けれど、それをしてはいけない。絶対に、だ。
その感情は、ただの原作愛からくるものではなかった。いや、それもある。もちろんある。だがそれ以上に、アッシュというキャラクターの在り方を、俺自身が誰よりも信じていたからこそ。
義賊。それは人知れず悪を討ち、表舞台には立たずとも、真の正義を貫く存在。ポンコツで、ボケ役で、でも、決めるときには誰よりもかっこよく決めてくれる――俺の大好きな、アッシュ。
だったら俺は、アッシュでいよう。
原作どおり、モノクローム怪盗団は勇者パーティーの“試練”であり、“壁”であり、“成長の糧”であるべきだ。そのために、俺はこの場にいる。
目標、変更。
俺は腹の底で静かに呟く。
これまで俺は「アッシュとして世界を遊ぶ」ために動いてきた。けれど、このままでは世界が滅ぶ。ゲームだからって気軽に見ていられる光景じゃない。なにせ俺は、今この世界で「生きている」のだから。
だったら、やるべきことは決まってる。
(――育てる。勇者を、仲間たちを、“原作の強さ”に至るまで、育て上げるんだ)
そのためには、俺たちは彼女らにとっての“壁”でなければならない。
ギリギリで勝てない相手。倒せそうで倒せない存在。悔しさと不甲斐なさを与え、それでも挑むことで経験を積ませる相手。それが、モノクローム怪盗団の新たな使命。
だから、今この瞬間は引き分けで終わらせてやる。
俺は背後に手を回し、指で三つの動きを刻む。戦闘中にのみ使う、怪盗団内限定の“戦術ハンドサイン”。意味は――「時間を稼げ」。
シロは即座に頷いた。信頼してくれている。それが分かる。
クロは……ちょっと口を尖らせる。うん、かわいい。
「ええー? あと少しで勝てるのにぃ、なんでぇ?」
「理由は分からないけど……アッシュの命令なら、従う」
このふたりは強い。戦力としても信頼できるが、それ以上に、俺の決断に迷わず従ってくれる。何よりの仲間だ。
シロとクロはそれぞれ、立ち上がった魔法使いと戦士を再び相手取る。
クロの爆発魔法が炸裂し続けて、戦士がそれになんとか喰らいつく。シロと魔法使いの魔法対決も白熱の様相を呈していた。
この日の戦いは、外聞的には勇者パーティーが“かろうじて追い払った”という形で終わる。しかしその内実は、コテンパンに打ちのめされ、盗まれたお宝も取り返せずに終わる――表面上は引き分けでも、それは彼女達にとって完璧な敗北だ。
だが、今日のこの敗北こそが、彼女たちを強くする。その萌芽は、もう目の前に現れていた。
「勇者ちゃん、正義ごっこは良いんだけどさ……中途半端な感じで、俺たちの邪魔はしないで欲しいんだけど……どう?」
「――正義、ごっこ?」
その言葉に、空気が変わった。
勇者の目に、火が灯る。怒りと、戸惑いと、揺るがぬ決意――俺は知っている。その反応を。ゲームの中で、彼女が理不尽な現実と対峙しながら、それでも正義を貫いた、あの時の表情を。
彼女が背負うモノ故に、正義ごっこという言い回しは彼女を怒らせるには十分なセリフだった。
「そうそう、正義ごっこ。こちとら義賊なんで、あんまり邪魔しないでくれると嬉しいなぁって」
「……ふざけないで」
「大真面目さ」
言いながら、俺自身も微かに身構える。彼女は――本気だ。
その証拠に、彼女の身体から放たれる魔力が、目に見えるほどの奔流となって空気を裂いていた。皮膚に感じる熱、鼓膜を震わせる圧力。距離があるというのに、これほどまでに濃い。
(……っ! んだこのバカ魔力!?)
あれが、“勇者の本気”。ようやく来た。ようやく彼女のポテンシャルの端っこが、牙を剥き始めた。
「そうこなくちゃな……勇者サマ!」
彼女の剣が、白金の魔力をまとい、横一文字に閃いた。
空間が裂け、空気が振動し、閃光が目の前に迫る。反射的に、俺たちは跳躍してそれをかわす。が――それで終わりではない。
「くっ……!」
大地を踏み抜く音。瞬間、勇者がこちらへ飛び込んでくる。剣を高々と振り上げ――そして、振り下ろす。
なら、見せてやるよ。アッシュの“格”ってやつを。
「トリックアーツ――“道具強化”、“身体強化”、それと……防御魔法、展開!」
全力だ。と言っても、手加減をした上での全力だが。今の彼女の力量なら、見切るのは可能。だが“受け止める”には、それなりの覚悟が要る。
――でも、受けてみたかった。彼女の、“勇者”としての本気の一撃を。
「リーダー!」
「アッシュ……っ!」
シロとクロの心配そうな声が耳に届く。安心させるように、俺はいつものように不敵な笑みを浮かべ、全力で振り下ろされる聖剣に、俺の剣をぶつけた。
「はぁぁぁぁっっ!! 《光刃断罪――ジャッジメント・レイ》!」
閃光と轟音が、大広間を貫く。魔力と魔力のぶつかり合いが、巨大な爆発を引き起こし、視界を覆うほどの灰色の煙が周囲を包み込んだ。
(いっっっってぇぇ……ッ!!)
右手が痺れて動かない。だが――
俺は、耐えた。あの必殺の一撃を、真正面から防ぎ切ることに成功した。
「やったか……!?」
男戦士が、教科書通りのフラグを口にする。ありがとう、実に親切な展開だ。
煙が晴れる。そこには、肩で息をしながらも気丈に立つ勇者と、平然と立ち尽くす俺の姿があった。
「……そん、な……」
勇者は呆然とこちらを見る。きっと、これまでの人生で“通らなかった攻撃”などなかったのだろう。なら、その反応も無理はない。
そして、クロがびくんと体を震わせる。
「あ、リーダー。なんか援軍とかいっぱい来てるみたいだけど……どうする?」
この子の危機察知はもはや神域。魔法でもなんでもなく、“勘”だけで状況を把握している。恐ろしいけど、頼もしい。
「さあて、じゃ、帰りますか」
「……了解」
俺は懐から煙玉を取り出しながら、振り向きざまに言った。
「――待って! あなたたち、何者なの?」
勇者は、悔しさを滲ませながらも、決して膝をつかずに問いかけてきた。その姿は、もう立派な“勇者”だ。
「最初に名乗ったんだけどね。まあ、もう一回だけ、特別に教えてやるよ」
俺は、背後のふたりに目配せする。
「シロ、クロ、いきますか!」
「おっけーリーダー!」
「今このタイミングでやるの……?」
けれど、文句を言いながらも彼女たちは合わせてくれる。俺たちの名乗りは、ただの決め台詞じゃない。“誇り”だ。
「――白い月光が我らを照らし」
「――黒い夜空に混ざり込む」
「――煌めく月夜が広がる時に、善意も悪意も等しく溶け合う」
「「「我ら、モノクローム怪盗団!!」」」
「……アッシュ、今回、キマってるよ」
「完璧すぎて、ちょっと怖いくらいだよ?」
「ふふ……俺たちの実力、ナメてもらっちゃ困るな――それでは、さらば!」
ぼふん、と煙玉を地面に叩きつける。
闇が広がり、俺たちはその中へと姿を消した。
本日のお宝と――彼女たちの“成長の芽”を成果として。