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ポンコツ怪盗団に転生したけど、敵のフリして勇者育ててます  作者: 振り米
二章『祝福なき婚礼、誓いの怪盗』
32/63

32話『勇者は立ち、姫は語り、影は笑う』

 ──空が、燃えていた。


 いや、正確には、まだ立ち昇る聖堂の煙と魔力の残滓が、夕陽と混ざり合って、そう見えただけなのかもしれない。けれどそれは、この国の虚飾が焼け落ちたことの象徴のようで、俺にはどうにも、笑えなかった。


 瓦礫だらけの広場に立っているのは、勇者と、姫と、俺たち……そして、千にも万にも膨れ上がった人の群れだった。遠巻きに、崩れた聖堂を見上げていた市民たちは、フィリアが歩み出ると、どよめきとともに自然と道を開けた。


 彼女の背には、焼け焦げた柱が突き刺さったような聖なる建築の残骸。手には、今しがた悪しき血を断ち切った聖剣。立っているだけで、物語になる女の子だった。


 そして、俺はといえば……その影で、なんとか立っている。息をするのがやっとのくせに、こういう場面だけは見届けようと足を止めてしまうあたり、自分でもどうかしてると思う。


「──皆に、伝えたいことがある!」


 その声が放たれた瞬間、空気が変わった。


 増幅魔術によって、その一声は王都の隅々にまで響き渡ったはずだ。もしかすると、王城の中で震えている老いぼれた貴族連中の耳にも届いたかもしれない。


 群衆が一斉に、勇者を見た。


 けれど、ただ注目されるだけじゃ足りない。言葉には、証が要る。だからこそ──


 空に、映像が浮かび上がる。


 ノアとシロが塔の上から展開した広域投影魔法。そこに映るのは、レオニス皇太子と魔王軍の密会の記録、そして軍資金として流された莫大な金貨と、その受け取りサイン。腐敗の証左。


 追い打ちをかけるように、クロがダリオと共に屋根の上を走り、事実を記した紙束を風にばら撒いていく。紙吹雪が舞うように真実が降る。まるでこの国の長年の欺瞞を、視覚と触覚の両方で叩きつけるように。


 フィリアの声は、その中央に立って、なお、澄み切っていた。


「私は“勇者”として、レオニス皇太子と共に魔王軍と戦うはずだった。だが、真実は違った!」


 ざわり、と風が音を立てるように、人の波が揺れる。


「この国の上層部は──魔王軍と癒着し、自らの地位と権力を保つために、民を切り捨ててきた!」


 それは、爆弾だった。


 かつて、誰もが“信じたくなかった”事実。けれど、目の前にそれが揃ってしまえば、もう逃げる場所はない。人々の顔に浮かぶのは、驚愕、混乱、そして、怒り。信仰の崩落。見慣れた街の風景が、瓦礫の中で別の何かに変わっていくのがわかった。


 フィリアは、聖剣を地に突き立てるようにして続けた。


「この婚姻の儀もすべてが嘘だった! 魔王軍との繋がりの中で、どれだけの命が犠牲になったと思う!?」


 それがどれほどの怒りを招いたか──ある意味で、俺たちは分かりすぎていた。


「私は、裏切られた。けれど……私は、この国そのものを見捨てたくはなかった!」


 彼女は、振り返って俺と、そしてアメリア姫を見た。


 勇者の目は、真っすぐだった。

 震えてなんかいない。怖れてなんかいない。

 まるで、燃えていた。


「この国の悪は倒れました。でも、きっと……これからが一番の苦難になるでしょう」


 彼女の声は静かで、けれど不思議と空気を揺らす力があった。誰も息を呑んだまま、彼女の言葉に耳を傾ける。


「だから、皆で──手を取って、立ち上がって欲しいんです。もう誰にも、何も奪わせないで。命も、誇りも、真実も。私が……この剣を振るった理由は、そのためです」


 言葉が途切れると、風がそっと吹いた。


 風が、勇者のマントを揺らした。広場の片隅で泣いている子供の服も、屋台の端の布切れも、同じ風が撫でていた。


 けれどその沈黙は、優しさからくるものじゃなかった。

 それは、真実を前にした者たちの、咀嚼の時間。

 事実という剣が、深く胸に刺さりすぎて、誰もそれを抜くことができない。そういう沈黙だった。


 斬られたことのない人間には、その痛みは想像もできない。


 そして──その静寂を、か細く、それでいて決して折れぬ声が破った。


「……フィリア様は、嘘をついていません……!」


 声の主は、アメリア姫だった。


 灰色の瓦礫を踏みしめるようにして、姫は前に進み出た。

 震えていた。足も、肩も、唇も。けれどその目は、迷っていなかった。むしろ、フィリアよりもずっと真っすぐで、鋭かった。


「私は、家族と、公領の民を人質に取られていました……!」


 その声が、風に乗って広場中に響く。


「レオニスは、ヴァルグという魔王軍の幹部と結託して、全てを売り渡したのです……っ。国も、人も、誇りも……自分の栄光のために!」


 誰かが、息を呑む音が聞こえた。


 アメリアは、拳を握りしめていた。

 その小さな背に、信じていたものを裏切られた少女の怒りが宿っていた。


「私は、恐れていました。何もできず、ただ怯えて、

 でも……勇者様が、彼らが……私を助けてくれた。見捨てなかった」


 一呼吸。


「私も、もう目を逸らしません。……この国の真実に背を向けることは、私自身を裏切ることだから」


 アメリア姫は、まっすぐに前を向いたまま、頭を下げた。


「どうか皆様……この国を、もう一度信じてください……! この国に生きるすべての人が、変わろうとしていることを、どうか……!」


 その瞬間だった。


 俺は、自然と目を伏せていた。

 まぶしかった。あまりにも、まっすぐな光が、そこにあった。


 ──俺には、無理だな。この役回り。


「姫と勇者、役者が違うぜ」


 思わず、口に出た。


 だけど、そう言葉にしてみて改めて思う。


 俺たちは、この“舞台”の主役じゃない。

 陰から支える裏方で、火薬庫で煙吸って咳き込んでるような連中で。

 正義を振りかざす資格なんて、とっくに捨ててきた。


 それでも。


 この時、この場所だけは──俺は彼女たちの隣にいたいと思った。


 ざわ……と、空気が震えた。


 群衆が、何かを待っていた。


 正当化でも、暴動でもなく。


 たぶん──ほんのわずかな、救いの兆しを。


 そのときだった。


 群衆の中から、鎧を着た中年の男が一歩、踏み出す音がした。


 彼は、古びた剣を地に突き立てると、まっすぐ姫を見た。


「……姫様が、ご無事だったって……それだけで、十分だ……!」


 その言葉は、呟きだった。けれど、誰よりも重かった。


 その一言が、群衆の中に火を点けた。


「俺の妹……レオニスの兵に連れて行かれた! でも……あんたらが本当のことを見せてくれた……!」


「勇者様……俺たちを、見捨ててなかったんだな……!」


「ありがとう……本当に、ありがとう……!」


 ぽつり、ぽつりと、拍手が起きる。


 最初は戸惑いがちだった。

 手のひらを合わせることすら、罪のように見えた。

 でも、その音はだんだんと広がっていった。


 不安に満ちていた広場が、別の音に満ちていく。

 祈るような拍手、泣きながら叩く手、隣の誰かを見て安心したように響く音。


 やがて、それは拍手ではなく、祈りになった。


 信じたいという、純粋すぎる光が、広場を包んでいった。


 フィリアは、その中心にいた。


 泣きもしなかった。


 笑いもしなかった。


 ただ、まっすぐに立っていた。


 人々の声が波のように押し寄せる中、彼女は微動だにせず、まるで──王女でも勇者でもなく、この国に初めて根を下ろす灯火のように、そこにいた。


 ……見ていられなかった。


 あまりにもまぶしくて、俺はまた、目を逸らした。


「……眩しいねぇ」


 ぽつりと呟いた言葉に、誰も答えなかった。


 フィリアも、アメリアも、もう別の場所にいる。

 それでもいい。むしろ、それがいい。


 英雄がいて、姫がいて。


 その影に、俺たちみたいな役立たずがいる。


 それで、この国がほんの少しでも前に進むなら──


 ……悪くねぇ。悪くない、と思った。


 ●


 昼下がりの、帝国の片隅にある名もなき宿。

 薄陽が差し込む一室では、開け放たれた窓から風が吹き抜け、白いカーテンがそよそよと揺れていた。

 まるで誰かを歓迎するように、あるいは誰かを呼び戻すように──


 ふと、その音に気づいて、リシェルは振り向く。


「……あれ?」


 そこに立っていたのは──

 見覚えのある“誰か”だった。

 けれど、確かに“違う誰か”でもあった。


 風をまとって、影のように窓辺に立つ青年。

 懐かしさと違和感がないまぜになったような、不思議な存在感。


「……よ。元気そうで何よりだ、シスター・リシェル」


 彼が口を開く。

 その声は、記憶の中の“彼”そのものだった。

 けれど、姿も佇まいも、“あの時”の彼ではない。


 リシェルは数秒の沈黙のあと、静かに微笑む。


「……あなたが来るとは思わなかったわ、怪盗アッシュさん。……それとも、グリさんかしら?」


 どこか試すような、どこか懐かしむような声音だった。


 アッシュは照れ臭そうに笑い、後頭部をぽりぽりとかいた。


「どっちでもいいさ。でも、できれば“アッシュ”って呼んでくれ。こっちの方が……本当の俺だ──って、うわッ」


 次の瞬間、アッシュの足が盛大に滑る。

 つるんと見事なバランス崩壊を披露し、窓枠からずるんと滑落した。


「……あら?」


 見下ろすリシェルと、窓の外で手すりにぶら下がるアッシュ。

 屋根と窓のあいだで慌てふためく仮面怪盗の姿に、さすがの彼女もぽかんとした表情になる。


「ま、待て! 今、華麗にリカバーするから! 見てろよ、三秒で帰還するから!」


 ──三秒後。


 見事なポーズで室内に舞い戻ったアッシュ。

 あまりにも堂々としたリカバリーに、拍手でも贈るべきかと思ったが、リシェルは咳払い一つで本題に戻す。


「……姫は?」


 短く、けれど深い問いかけ。


 アッシュはその真剣な視線を受け止め、軽く頷いた。


「無事だよ。……ちゃんと助け出した」


 リシェルは小さく息を呑み、視線を落とす。

 手を胸元に添え、祈るように、静かに目を閉じた。


「……ありがとう、“アッシュさん”。あの時、私には何もできなかった。あの子のために祈ることしか……でも、あなたは動いてくれた」


「盗んだだけさ。怪盗らしくな」


 アッシュは、肩をすくめるように笑う。

 でもその笑みは、どこかやさしい。


「ちゃんと伝えたよ。“どうして笑わなくなったのか”“本当に望んでここに来たのか”──シスター・リシェルが、ずっと気にかけてた事を」


 リシェルは静かに、そっと瞼を閉じる。

 その表情には、安堵と感謝、そして少しの決意が宿っていた。


「本当に、本当にありがとうございます。それで十分です。私はもう──」


「いや」


 アッシュの声が、きっぱりと彼女の言葉を遮る。

 その響きには、いつになく強い熱があった。


「“言葉”ってのはな、伝えるだけじゃ足りねぇ時があるんだよ。……目を見て、自分の口で言わなきゃ、伝わらねぇこともある」


 リシェルの肩が、わずかに揺れた。

 迷いを孕んだまま、それでも真っ直ぐに──彼の方を向く。


 アッシュは、やさしい目で微笑んで言った。


「だから、行こう。アメリア姫のところへ。今度は……ちゃんと、自分の言葉で、伝えに行くんだ」


 沈黙が落ちる。

 時間が止まったような空気の中、リシェルの瞳がわずかに揺れた。

 でも、やがてその光は強さを取り戻してゆく。


「……でも、私はただの教会の人間で……今さら、アメリア様に顔向けできる資格なんて……」


 アッシュはあっさりと肩をすくめた。


「だーめ。リシェルは姫の付き添いだよ。付き添い。アルヴィエーレ公領までな。俺だって、重役抱えて旅する趣味はないし」


「まるで姫が迷子か何かみたいな言い方ですね」


「実際、迷子みたいなもんだろ? お姫様のお守りは、たまには他人に任せたいってこった」


 にやり、と、とびきりのウインク。

 リシェルは、思わず吹き出した。


「……ふふっ。やっぱり、“グリさん”とは少し雰囲気が違いますね、アッシュさん」


「そうかな。……まぁ、そうかもな」


 ふと、空気が変わる。

 アッシュの表情が、わずかに真剣さを増した。


「それと、リシェル。今のところ、俺の正体を知ってるのは……うちの怪盗団を除けば、お前だけだ」


 リシェルは驚いたように目を見開いた。


「だから、頼む。口止め。……“グリ”って名前は、しばらく封印しておきたい」


「……ええ、“アッシュさん”」


 その返事は、どこか嬉しそうに響いた。


 そして──


 アッシュは、突然リシェルの手を取ると、そのまま窓辺に向かって歩き出した。


「ちょ、ちょっとアッシュさん!? な、なにを──」


「乗れ。いくぞ」


 リシェルを、お姫様抱っこ。


「いや、せめて自分で歩かせてください!」


「間に合わん。問答無用」


 そのまま、アッシュは屋根から屋根へと跳躍する。

 まるで風の精霊でも乗り移ったかのような、軽やかな動きで。


「きゃあああああっ!?」


 宿の屋根の上、帝都の街並みを見下ろしながら、リシェルは全力で叫んでいた。

 けれどその声には、悲鳴と同じくらい──笑いが混じっていた。


 風が頬を撫でる。

 雲一つない青空が、まるで祝福するように広がっていた。


「アッシュさん。……ありがとう。私……少しだけ、勇気が出ました」


 アッシュは振り返って、あっけらかんと笑った。


「何言ってるんだか。俺はただの、通りすがりの怪盗仮面野郎だぜ?」


 風が、また吹いた。

 リシェルの修道服が、ぱさりと大きくはためく。


 その中で彼女は、誰にも聞こえないような小さな声で、そっと呟いた。


「……でもきっと、私のヒーローです」

 

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