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ポンコツ怪盗団に転生したけど、敵のフリして勇者育ててます  作者: 振り米
二章『祝福なき婚礼、誓いの怪盗』
31/63

31話『そして、約束は果たされる』


 ──静寂だった。


 あれほど世界を埋め尽くしていた〈断罪闇光(サンクティオ=レイ)〉の輝きが消えたとき、世界が一瞬、音を忘れたように思えた。


 耳鳴りさえも聞こえない。呼吸の音も、鼓動の音も、どこか遠くへ行ってしまったかのような、不自然な“無”。


 ……いや、たぶん違う。音がないんじゃなくて、脳が処理しきれてないだけだ。だって現実には、崩壊を始めた大聖堂が、今まさにその巨大な石造りの天井を軋ませて、ゆっくりと傾きながら死の影を投げかけていた。壁面はひび割れ、瓦礫が雨のように降り注ぎ、柱は悲鳴のような音を立てて崩れつつある。


 まるで、地面そのものが「これ以上は無理」と泣き言を漏らしているみたいだ。たぶん俺の体も、似たようなことを言ってる。ついでに俺の魂も、だ。


 だけど。


「……あっぶねぇ……マジで、死んだかと思った……」


 その中で、俺はフィリアの握る聖剣に両手を添えたまま、ガタつく膝をなんとか立たせようと必死に踏ん張っていた。


 息が上がる。肺が焼けるように痛む。視界はまだチカチカしていて、聖堂の光すらまぶしすぎる。


 隣には、肩で息をしているフィリア。ボロボロの鎧からは血が滲み、頬には煤と傷。けれど、それでも彼女は──笑っていた。


「でも……ね。生きてるわ。二人とも……ちゃんと、生き延びた」


 血と汗と埃にまみれた顔で、フィリアは言った。


 その笑顔は、どこか少女のようで、けれど確かに“勇者”のものだった。


 ……まいったな。こいつ、やっぱ本物だ。


 ああ。やっぱり俺は添え物だったわ。いや、正確には“添え手”だったか。聖剣を一緒に握ってただけだし。まあ、添えられるだけでも名誉っちゃ名誉だけどさ。


「ったく……勇者ってのは、命削りすぎなんだよ……でも、ありがとな。……マジで」


 呟くように言った俺の声は、ほとんど風に紛れていたはずなのに、フィリアにはちゃんと届いていた。


「何言ってるの。私たちは、この国の闇を払いたかっただけ。あなたと一緒に戦ったのは、そのためよ」


 言葉の裏には照れが少しだけ見え隠れする。きっとそれは彼女なりの強がりだったのだろう。


 俺は、返す言葉を探したけど、喉に引っかかって出てこなかった。


 ──そのとき。


 床の下から、低く唸るような地響きが鳴った。


 足元に目を向ける。崩れた床板。その隙間の奥、さらに地下へと続く暗がりの中で、かすかに魔力の光が揺れていた。


 そして──


「──フィリア! 無事!?」


 地の底から、甲高く響く声が聞こえた。


「ノア!?」


 フィリアが振り向き、俺も反射的に顔を向ける。まさかと思った次の瞬間、瓦礫の間から三つの人影が、重力に逆らうようにしてふわりと浮かび上がってきた。


 重力魔法《コード:グラヴィティ》。この魔法を見た瞬間、俺は確信した。ノア達は、ヴァルグを──倒した。


 作戦会議で伝えた“上書き”の一手。それが成功したのだ。すべてをひっくり返し、上書きして正す。それがノアの魔法だった。


 先頭にいたのは、桃色の髪の少女──ノア。彼女の掌に浮かぶ魔法陣は、空気中に残るマナの余韻と共鳴して、低く唸りを上げていた。


「クロ! ダリオ! そっちも無事だったの!?」


 フィリアの声に、魔法陣の場から黒い影が飛び出す。


「アッシュ──ーッッッ!!」


 それは黒い弾丸だった。いや、クロだった。ものすごい勢いで俺に飛びつき、体当たり気味に──いや、これ飛び蹴りだな、半分──俺に抱きついてきた。


「無事!? 生きてる!? えらい! えらいよアッシュ!! 生きてるだけで天才!!」


「お、おう。生きてるよ。ていうか、あの、クロ……そこ、肋骨……いま折れてる……やめっ……いってぇぇぇ!!」


「よかったぁぁぁ!!」


「いやマジで、痛い。それ喜びの抱擁じゃなくて拷問だから。やめて、死ぬ、今度こそ本当に死ぬ……ッ!」


 俺の肩口で、クロの涙と鼻水と熱意が暴力的に混ざり合っていく。もはや祝福というより、祝砲。精神的にも物理的にも炸裂していた。


 その間に、ノアとダリオが静かに瓦礫の上に降り立った。二人とも、見るからにボロボロだった。鎧はひび割れ、衣服は焦げ、髪には砂埃。血の匂いと魔力の焦げ臭さが、ふたりの存在そのものから漂っていた。


「……こっちもどうにか、ヴァルグを沈めたが……三回くらい死ぬかと思ったな」


 ダリオが乾いた声で笑う。いや、笑ってるのかあれ。表情ほぼ変わってないんだけど。


「よく生きてたな……お互いさまだけど」


 俺が返すと、ノアがフィリアに目を向け、少しだけ口元を緩めた。


「……やるじゃん。うちの勇者ちゃん、さすがだね」


 けれど、フィリアは静かに首を振った。唇は切れて血が滲んでいたが、声ははっきりしていた。


「ううん。私ひとりじゃ、きっと無理だった。……アッシュと一緒に、打ち抜いたの」


 その瞬間、みんなの視線が、俺に向いた。うわ、やめろやめろ。そんな尊敬のまなざしとか、俺に向けんな。そう言うのは慣れてないんだって。俺はただの補助役です。


「かっけぇ……勇者ちゃん……!」


 クロが鼻水まみれの顔で親指を突き立てた。目がキラキラしてる。やばい、今なら詐欺師の勧誘でも信じそうなテンション。


 ……しょうがない。せめてボケ役として、最後に一言くらいは言っとくか。


「ったく……見せ場、全部持っていきやがったな」


 そう笑って言った。でも、返ってくるはずの軽口はなかった。


 代わりに訪れたのは──沈黙。


 だけど、それは気まずさでもなく、言葉を失った驚きでもない。


 それは、安堵だった。


 そして、誇りだった。


 この瞬間、全員が心の奥で確信していた。今日という日は、きっと国の運命を変える日になる。


 俺たちが倒したのは、ただの魔王軍の幹部じゃない。腐敗の象徴。帝国を縛っていた、見えない鎖。俺たちはそれを、確かに断ち切ったのだ。


 ──だが、時間は容赦なく進む。


 聖堂の崩壊は止まらない。天井の一部が砕けて、埃まみれの空間に光の柱が差し込んだ。


 フィリアが、聖剣の柄を強く握りしめる。その顔には、もはや迷いはなかった。


「……行こう、皆」


「どこへ?」


 ノアが問うと、フィリアはまっすぐ答えた。


「シロちゃんを。そしてアメリア姫を解放しなきゃ。まだ終わってないわ。これからが──本番よ」


 その言葉に、俺たちは頷いた。

 アメリア姫と、シロのもとへ。

 そして、最後の“告発”へ──


 ●


 ──静かだった。


 あれほど世界を揺らした大聖堂の崩壊も、今は遠い過去のように思えるほどの静寂。空気の中にまだ、焼け焦げた石と魔力の焦臭さが残っていたけれど、それすらもどこか夢の残り香のように思えた。


 塔の奥、厳重な扉の向こう。そこは、かつて政務官の会議室だった場所。今は、囚人用の応接室として使われている。アルヴィエーレ公領の長女にしてバルナス帝国に囚われし姫君。アメリア・アルヴィエーレ。硬い椅子の上に腰掛けドレスの袖には埃がつき、両手には不釣り合いな手錠。彼女の隣には、静かに目を閉じたまま座る、白銀の髪の少女──シロ。


 二人は、戦火の騒ぎの中、城の一角に“避難”という名目で押し込められていた。護衛の帝国兵たちは数人。だが、そのどの顔もこわばっていた。理由は明白だ。さっきまで響いていた咆哮のような魔力の爆風が、突如として止んだのだから。


 静寂。それは嵐の終わりの静けさか、それとも新たな激震の前兆か──誰にもわからない。だが、その中でひとり、シロだけは小さく笑った。


「……勝ったんだね、アッシュ」


 突然の言葉に、アメリア姫が目を丸くする。


「……わかるのですか?」


「ううん。そんな気がするだけ。でも、あの人ならやると思ってた。……だから、信じてた」


 その口調に、アメリアは小さく笑った。高貴で、芯の強さを感じさせる声。でもその奥に、どこか少女らしい寂しさが混じっていた。


「ふふ……とても信頼しているのですね。少し嫉妬してしまいます」


「え"っ、それってどういう意味で──」


 シロが驚きの声と共に姫に目を向ける。彼女にしては珍しいリアクションだった。


 しかし、その直後。


 ──ドォンッ!! 


 ものすごい爆発音とともに、重厚な扉が外側から吹き飛んだ。鋼鉄製の蝶番ごと跳ね飛び、部屋の壁にめり込む。粉塵と煙の中から、ハイテンションで現れたのは──


「たっすけに来たよーーーッ! シロぉぉぉぉ!!! お姫さまぁぁぁぁ!!!」


 真っ先に飛び込んできたのは、黒髪を二つ結びにした少女、クロ。やけに元気な登場だった。ていうか、爆発で登場ってなんだ。──いや、俺たちらしいのかもしれない。


 続いて姿を見せたのは──


「……いや、もう爆発はいらないっての。演出過多だわ」


 灰色の髪の青年。俺だ。アッシュだ。タイミングもテンションも完全にクロに持っていかれてて悔しいが、突入に付き合ってやるくらいの甲斐性はある。


「き、貴様ら……!」


 帝国兵たちが驚愕の声を上げて、慌てて剣を抜く。だが、手の震えは隠せていなかった。


 そんな彼らの前に立ったのは、金の髪と青の瞳を持つ少女──フィリア。聖剣を収め、凛とした声で語りかける。


「あなたたち。武器を納めてください。……レオニスとヴァルグは、もう討ちました」


 兵士たちの目が、見開かれる。あの二人が、討たれた──? 事態が飲み込めず、お互いの顔を見合わせる。動揺が走る。だが、フィリアはなおも静かに言葉を重ねた。


「私は、この国の腐敗と魔王軍との癒着をなんとかしたかっただけ。だから……あなたたち兵士に、刃を向けるつもりはありません」


 その言葉に、誰かが小さく息を飲んだ。


 そして。


 ひとり、またひとりと、兵士たちはゆっくりと剣を下ろしていく。誰かの命令ではない。自分の意志で、彼らは戦うことをやめた。


 戦いは──終わったのだ。


「おっそいですよ、アッシュ……」


 皮肉気に、でもどこか嬉しそうに、シロがぽつりと呟いた。口調はいつものように冷静だけれど、その目元は少し潤んで見えた。


「……シロ、ごめんな。そしてありがとう。よく耐えた」


 俺は、静かに歩み寄ると、彼女の前でしゃがみ込む。両手を後ろに縛る拘束具。首元には魔力封じの黒い首輪。そんなもの、似合うはずがない。


 腰の袋から、愛用の解錠具を取り出す。かすかに魔力を込めて、カチリと音を立てて、まずは首輪を、次に拘束具を外す。


 ──自由を、取り戻す音だった。


「……ありがとう」


 シロが小さく呟く。その瞳には、ほんのわずかに涙が滲んでいた。


 次に、俺はアメリア姫の方へ向き直った。ドレスの袖口にかかる銀の手錠。そこに指先を添えて、同じように魔力を通す。


 カチャリ。鉄の音が、静かに部屋に響いた。


 そして俺は、ゆっくりと片膝をついた。


 別に貴族式の礼法なんか身につけてはいないし、そもそもそういうのは筋金入りで苦手だ。スプーンの使い方どころか、ナイフの向きすら毎回迷う程度には庶民だ。だが——今だけは。


「……お迎えが遅れた非礼をお許しください、姫」


 声は自然に出ていた。かつて果たせなかった誓いを、ようやく言葉にできたような気がした。


 一度目は、失敗に終わった。


 けれど今、この二度目こそは、こうして彼女の前に、俺自身の意志で立っている。


「けれど、これだけは誓います。あなたを囚われの籠から救い出すこと──それだけは、決して忘れたことはありません」


 言いながら、自分の言葉が少しだけ気恥ずかしくなって、鼻の奥がつんとした。……いや、べつに泣いてないぞ? 


 アメリア姫はその言葉を静かに受け止め、少しだけ目を細めた。微笑みと一緒に、どこか懐かしさすら含んだ優しい空気が、彼女の周囲を柔らかく包む。


「……ふふ。本当に、あなたという人は……」


 言葉の続きはなかった。けれど、それだけで十分だった。


 姫が口を開くだけで、部屋の空気が変わる。まるで、彼女の声音に重力でもあるかのように、人々の意識が一斉に引き寄せられていく。


「初めて会ったときから、何かを奪うためじゃなく、何かを赦すために生きているような目をしていらしたわ」


 それを聞いて、俺は思わず少しだけ視線を逸らした。顔を赤らめるとか、そういうタイプの照れではない。もっとこう……真っ正面から来られると、困るやつだ。刃物より刺さるやつだ。


「……それは……そんな立派なもんじゃありませんよ。ただ、俺は──誰かの無念を、見過ごせなかっただけです」


 そう言った俺に、アメリアはゆっくりと手を伸ばした。その白く細い指先が、そっと俺の頬に触れる。


 その触れ方は、まるで雪のようだった。触れたと思った瞬間には、体温に溶けてしまいそうなほどに。


 そして、その指先はかすかに震えていた。


「私は、もうすべてを諦めそうになっていました。国を奪われ、家族を人質にされ、私の力を狙われて……何もかもが虚しく思えていたんです」


 震えていた手に、ゆっくりと力が入る。


 俺の頬に触れるその手は、いつの間にか、もう震えていなかった。


「──それでも、あなたは来てくれた。私を“盗みに”来てくれた」


 フィリアは「んっ……」と小さく咳払いして、露骨に目を逸らした。ノアとダリオは、沈黙のままじっとこちらを見ている。目が怖いぞ、シロ、お前は冷静担当じゃないのか。というか、なぜ? 


 クロは……なんか、頬を膨らませてる。マジか。今このタイミングでそれ? この空気で? 表情がもう「納得いかないです」ってテロップ付きで出てるぞ。


「……約束は破らない主義なんでね。それに、姫は──簡単に盗めるような人じゃないって、最初から思ってましたよ」


 言ってからちょっとだけ、自分で言葉の甘さに赤面しかけた。誰だよ、これ考えたの。俺か。


 アメリアはそんな俺を見つめ、わずかに頬を染めた。けれどその目の奥には、確かな光が宿っていた。


 ああ、これは、もう——迷っていない目だ。


「ずるい方……どうか、この国から私を連れ出してくださいませんか。ここでは、心まで凍えてしまいそうだから」


 その言葉を受けて、俺は静かに彼女の手を取った。そして、優しく立ち上がらせる。


 彼女は一歩、俺の方に身を預けてくる。その重さは驚くほど軽くて、でも、胸の奥にずしんと響いた。


「……なにこの雰囲気。ラブロマンスじゃないですか、怪盗と囚われの姫じゃないですか、アッシュのくせに生意気じゃないですか、ほんと一体何考えてるんですか」


 シロが呆れたように、でもどこか本気で不満げにぼやく。

 ……うん、知ってた。絶対誰かにツッコまれると思ったよ。自分でもキザなセリフだって分かってるもん。でもたまにはカッコつけさせてよ。ポンコツじゃないとこアピールさせてよ。


 その背後から、「も〜〜〜シロちゃん、ヤキモチすぎ〜! でも、ちょっと悔しいかもね〜?」というクロの声が飛んでくるかと思いきや——


「アッシュ、だめだよ? お姫様だよ? 育ちが違うよ?」


 目のハイライト消えてた。


 えっ、こわ。いつものクロとテンション違いすぎて、俺は思わず三歩くらい引いた。


「今は真面目なシーンよ、二人とも。空気を読みなさい」


 フィリアが、めちゃくちゃ咳払いしながら割って入る。でもその顔が、どう見ても不満そうである。


 え、なに? 俺、なんかしちゃいました? 姫の手を取ったことに、そんなに物申したい感じ? まさか俺のこと、「ヒロイン食い散らかす下衆系主人公」って思ってたりする? ひどくない? 


「……あれ? フィリアちゃ〜ん。もしかして、怪盗様のことぉ……! 街の青年くんのことはどうしたの〜?」


「ノア!! うるさい!!」


 顔を真っ赤にして叫ぶフィリアに、ノアが「きゃー」って感じで身をひねる。演技力、無駄に高い。観客がいたら拍手喝采のレベルだ。


 その様子に、ダリオが溜め息混じりに呟いた。


「……まったく、元気だな、お前ら」


 その言葉を皮切りに、部屋の中に小さな笑いが広がった。ついさっきまで、命を削る戦いをしていたとは思えないほどに。


 けれど、だからこそ思うのだ。


 戦いのあとに残るものがあるとすれば、それは——傷と、笑いと、そして約束。


 それだけで、十分すぎるくらいだ。


 だから俺たちは、ゆっくりと歩き出した。


 崩れた王城を背にして。


 この国の、これからを変えるために。

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