30話『神聖なる反逆』
──来た。
その瞬間、俺の全身の細胞が総立ちになった。筋繊維の一本一本が硬直し、骨の奥から震えが突き上げてくる。喉の奥が勝手に鳴り、背筋が凍るのに、それでも胸の奥が熱くなる。
上空から注がれるのは、神罰と呼ぶにふさわしい黒白の閃光。
《断罪闇光(サンクティオ=レイ)》。
レオニスが満を持して放った、世界そのものを断罪する光と闇の制裁。大気が振動し、天蓋が軋む。空の全てが、一つの意志のもとに歪められていく。
「闇に堕ちた光を、光に成り果てた闇を」
それは、ただのカウンターじゃない。
神の裁きを、神に返す──
「そのすべてを、この刃に映し、照らし、打ち砕く──!」
フィリアが叫ぶ。声は震えていなかった。むしろ、この嵐の只中にあるのが似合いすぎているほど、凛と響いていた。
華奢な腕が天を指す。その手にあるのは、世界を貫く一振り。聖なる名を冠するその剣が、咆哮のように輝きを増していく。
放たれた魔力の奔流に真っ向から立ち向かうフィリアの姿に、一瞬、視線を奪われる。というか、吸い寄せられた。
光が、大気を焼き裂いた。いや、それはもはや“空間ごと”ねじ切っていた。
視界が白と黒の交錯に染まり、音という音が、すべて──すべて消し飛ぶ。
「《神聖なる反逆》ッッッ!!!!」
天を斬り裂く絶叫だった。
ただの技名の発声じゃない。魂の芯から搾り出すような、覚悟と怒りと願い、すべてを詰め込んだ叫びだった。
それが、嵐の中心に立つ少女──フィリア・ルミナリアという存在を、確かにこの世に刻み込んでいた。
彼女こそが、当代《勇者》。
その剣が、雷鳴を超えて、闇を貫いて、《断罪闇光》へとぶつかった。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああ!!!!」
激突。
それはもう、単なる攻防じゃなかった。
まるで宇宙の二極が、偶然この一点で交差してしまったかのような、存在意義の衝突だった。
フィリアが掲げる聖剣は、まばゆい金色の光を纏っていた。
その光は──まるで命を削って燃やす灯火。儚くも、美しく、それでいて決して揺るがぬ焔。
光と闇。昼と夜。正義と悪。信念と支配。
そのすべてが、今この空間で真正面から衝突している。
空間が軋む。空が裂ける。大地すら、その衝撃に身を捩らせる。
轟音。衝撃波。空気が、破裂する。
それでも、フィリアは剣を振るうのをやめない。
──否、やめられない。
それが、《神聖なる反逆》の真の意味だった。
強大な魔力を含んだ魔法、それも絶望級の破壊力を持つ一撃を反転し、敵に返す。
それが、この奥義。
だが、ただの反射ではない。光の鏡ではない。これは、“力”と“信念”のぶつかり合いを、“覚悟”によってねじ曲げる魔法だ。
敵の暴力を、自らの命と魔力を賭けて否定し、その意味すら捻じ曲げて返す。
だからこそ、《跳ね返す》には、それ以上の覚悟と、出力と、魂が必要なのだ。
「っ……くぅぅぅ……!」
フィリアの唇が、噛みしめすぎて血が滲んでいた。歯を食いしばる彼女の横顔には、もはや恐怖も弱音もなかった。ただ、一つの意志が、そこにあった。
肩は震え、剣を握る両手も限界の悲鳴を上げている。
それでも、彼女は倒れない。
倒れられない。
この力はただのカウンターじゃない。跳ね返すには、跳ね返すだけの力がいる。
フィリアの《神聖なる反逆》は、まるで美しくも危うい刀剣舞のように、ただ光と闇の境界線の上で、今この瞬間だけ、輝いていた。
だが──
剣先が、わずかに押し返される。
そして、地面にひびが走った。
フィリアの足元から、大地が“ひしゃげる”ような、重い音が響く。
ズン……ズン……と、大地が割れていく。
まるで巨大な何かが、地中を這っているかのような不吉な音が、空間を支配する。
「このままだと……魔力がっ……!」
フィリアが呟いたその声は、もはや悲鳴だった。
身体が削がれている。
魔力と一緒に、命が削られている。
その様子を見た瞬間、俺の中で、何かが──明確に、音を立てて、弾けた。
「……!」
気づけば、俺は──
フィリアの剣を握る手に、自分の手を重ねていた。
無意識だった。でも、自然だった。いや、それ以外の選択肢など、最初から存在しなかった。
やつを倒すには彼女に頼むしかない──だが、それは俺が“見物客”でいる理由にはならない。
「一人が無理なら──二人なら、どうにかなるだろッ!」
俺は、叫んだ。
そして、自分の中の魔力をすべて──勇者の剣に、注ぎ込んだ。
全身が痺れる。脳が焼けるような痛みが走る。耳鳴りが世界を包み、吐き気が内臓を揺さぶる。けれど、それでもいい。
俺も、“戦う側”でなければならない。
「「はぁぁぁぁぁぁあ!!!」」
フィリアと同時に、俺も吠えた。
その瞬間、聖剣が──明確に、輝きを増した。
白と黒の《断罪闇光》と、黄金の《神聖なる反逆》。
両者が正面からぶつかり合い、爆音が空を引き裂く。
それまで押されかけていたフィリアの剣が、ほんのわずか──五分まで、持ち直した。
けれど、それまでだった。
限界ギリギリ。
勇者という主人公と、サブキャラである俺。
魔力量も、才能も、格も違う。
拮抗はしている。確かに押し戻せてはいる。
でも、俺の力を加えたとて、“跳ね返す”には届かない。
あと一歩。
あと一手。
その“最後のカード”が──足りない。
「……くそったれぇぇぇぇぇ!」
喉が潰れそうなほど叫んだ。
──その瞬間だった。
まるで、天上の帳が裂けたかのように。
眩い光が、唐突に世界の縁から滲み出した。
俺の腰に括りつけていた小袋──戦闘の最中など気にも留めなかったそれが、まるで異世界の心臓のように、鮮烈な輝きを発したのだ。
あたりの空気が、ピンと張り詰める。音が消えた。戦場の喧噪、破壊の轟音、炎の爆ぜる音さえもが、遠くなった気がした。目の前のすべてがぼやけて、ただ、その小袋の一点だけが、まるで神の意志でも宿しているかのように、世界の中心となっていた。
《精霊石》。
懐から、淡く発光する水色の結晶が覗いていた。いや、覗いているどころではない。それは、まるで自らの意思を持つかのように脈動し、拍動し、呼吸するかのような光を放っていた。
心臓の鼓動と同調するかのように、律動する輝き。触れてもいない。掴んでもいない。ただそこに「ある」というだけで、俺の全身を巡る何かが、明確に変わったのを感じた。
──突如、体が軽くなる感覚。
鉛のように重く沈んでいた四肢が、ふっと浮き上がるような錯覚に襲われる。肩にのしかかっていた重圧が霧のように消え、喉元に絡みついていた絶望が一息で吹き飛んだ。
力が、満ちる。否、滾る。湧き上がる。
指先から腕、胸、腹、脚──身体中を駆け巡るそれは、もはや魔力などという生温いものではなかった。熱だ。命の奔流そのものだった。
「アッシュ……!」
隣でフィリアが声を上げた。
その瞳が俺を見つめていた。驚きと戸惑い、けれどそれだけじゃない。信じられないという戸惑いの奥に、確かに笑みが浮かんでいた。張り詰めていた空気の中に、小さな“希望”が息を吹き返した瞬間だった。
剣を握る手にも、確かな変化があった。拮抗していた力の均衡が、ゆっくりと、しかし確実に傾いていく。押し戻されていた剣が、わずかに前へ進む。
脳裏に、過去の知識がよみがえった。
《精霊石は、勇者と姫にのみ許された加護装備》
《精霊の魔力を解放し、魔力の最大出力を一時的に限界突破させる》
ゲームをやっていた前世の記憶。どこかの設定資料で見た覚えがある。ご丁寧に説明文も付いていたっけ。
でも当時は、その加護も効果もあってないような扱いだった。自動発動もしなければ、任意発動もできない。バグなのか設定ミスなのか、結局“空気アイテム”として扱われていたはずだ。
プレイヤーからは“宝の持ち腐れ”“エア装備”なんて散々な言われようだった。
要するに──俺も、“ちゃんと使ったことがなかった”。
「……主人公補正ってやつかね! 勇者ちゃん……!」
思わず、口元が緩む。
こんな土壇場で、笑えている自分に驚く。
だがその笑いには、確かな実感があった。
指先から、押し込まれていた力が、するりと逃げた。
今までこちらに襲いかかってきていた光と闇の奔流が、少しづつ、でも確実に前に進んでいた。
剣を握る感覚が、確かに“変わった”と感じた。
「それはよく分からないけどっ! でも、いける!」
フィリアが叫ぶ。その顔に、希望が戻っていた。
さっきまでのあの張り詰めた表情とは違う。苦悶の中にも、確かな意思が宿っていた。
「ああッ! さっさと終わらせようぜ」
精霊石から放たれる魔力が、俺たちの体内を一気に駆け抜ける。
まるで熱を持った風のように、神経を這い、血流を遡り、五感すべてを覚醒させる。視界が冴え、聴覚が澄み渡る。時間の流れが変わったと錯覚するほどの集中力が、全身を満たした。
炎でも冷気でもない。なのに、内側から湧き上がるその力は、魂にまで浸透してくる。
それは、単なる魔力ではなかった。
希望だった。
運命に抗う、たったひとつの手段だった。
「俺と──お前でな」
右手でフィリアの剣に触れながら、そう告げた。
フィリアも頷く。無言で、それでも力強く。
その刹那──
聖剣が、眩い閃光を放った。
光そのものが音を立てているかのような、錯乱と破壊と創造の轟きだった。
世界が、音を呑み込んだ。
耳鳴りすらしない沈黙。
風も止まり、炎も凍り、空気が震えるのさえやめた。
刹那の静寂。
それは、ただの“技”ではなかった。
共鳴。
この一撃に込められたのは、俺の魔力でもフィリアの魔力でもない。“俺たちの”魔力だった。
「「──いっけえええええぇぇぇッッッ!!」」
叫んだ。
声が、腹の底から突き上げるように迸った。
喉が裂けそうなほどの絶叫。それが、戦場の全てを貫く。
そして──
剣が、走った。
風が千切れるような音を立て、大気が爆ぜる。暴風のような斬撃が放たれ、床がめくれ、柱が軋む。
空が震えた。
フィリアの究極奥義《神聖なる反逆》。
それが、《断罪闇光(サンクティオ=レイ)》を正面から穿ち、砕く。
光と闇が、砕けた。
均衡していた力が、崩壊する。
まるで神話の一節が、現実となったかのような光景だった。天と地が引き裂かれ、色彩が反転し、正義と悪が共に消失する瞬間。
そこに残ったのは、黒と白の螺旋だった。
だが今度は、それを黄金の輝きが包み込み“逆向き”に回転し始める。
否応なく収束し、力を蓄え、矛先を変える。
レオニスに向かって、一直線に。
まるで言っているようだった。
──「お前の正義は、ここで終わりだ」と。
地面が割れた。
大聖堂の柱が次々に崩れ落ちる。
天井がひび割れ、光が入り込む。
レオニスの顔に、初めて“恐怖”が宿った。
あれほど余裕綽々だった男が、今、確かに目を見開いている。
《神聖なる反逆》によって返された魔力は、ただの反射ではない。こちらの魔力と融合し、強化され、意思を持った反撃として叩き返されたのだ。
その光は、世界そのものを包む金色の閃光だった。
天井が砕け散り、ステンドグラスが光の花となって舞い落ちる。柱が倒れ、床がひび割れ、聖域に築かれた虚飾が、音を立てて崩れていく。
白と黒。
正義と悪。
真実と嘘。
過去と未来。
すべてが、その一撃に呑み込まれていった。
そして。
《断罪闇光》が──完全に、砕けた。
怒涛の魔力が、収束と同時に炸裂する。
黒と白の螺旋が、黄金に染まりながら回転し、レオニスの身体へと吸い込まれていく。膨大な魔力が一点に集束し、彼の奥義をそのまま飲み込みながら、暴力的なまでの力で叩きつける。
もはや抵抗など意味をなさなかった。
帝都大聖堂を包んだその光景は──まさに、世界そのものの色を塗り替えるものだった。




