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ポンコツ怪盗団に転生したけど、敵のフリして勇者育ててます  作者: 振り米
二章『祝福なき婚礼、誓いの怪盗』
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28話『逆転の術式』


「中々やりますね──しかし、潰れていただきましょう」


 ヴァルグの声はひどく穏やかだった。口調も、表情も、微塵の焦りもない。ただ、そこにあるのは確信だけ。自らの力に対する絶対の信頼と、目の前の“雑魚”たちを踏み潰すことへの躊躇のなさだった。


 だが、その静けさは──爆発の直前に訪れる、静寂によく似ていた。


 異形の腕。いや、触手。その本数は既に十や二十ではきかない。まるで飢えた蛇の群れのように蠢くそれらは、重力の影響すら意に介さず、空間ごと圧迫してくる。


 地面が唸りを上げ、壁にひびが走る。空気は捩れ、息を吸うことすら困難になるほどの圧力が押し寄せてくる。


 クロが、顔をしかめた。


「わー、もう意味わかんない! 腕いくつあんのよコレ!? 多すぎでしょ! 身体どうなってんの!?」


 形勢はクロ達優位に進んでいた。

 しかし、戦闘が進むにつれてヴァルグの触手のような腕は増殖し、その継戦能力と数の暴力から次第に傾きつつあった。


 叫びながらも、彼女の動きは止まらなかった。爆裂魔法を片手に、触手の雨を縫うように滑るようなステップで避けながら、瞬時にカウンターを放つ。


「《ボムスパイク》ッ!」


 膝を落とし、低空から放った魔法弾が火花を散らして着弾。触手の一本が弾けるように吹き飛ぶ。──だが、すぐに次の一本が、さらに二本が、空いた空間を埋めるように生えてくる。


「はあ!? さっきより増えてんじゃないのコレ!」


 クロが半ばキレ気味に叫ぶ。見た目はいつも通りの元気娘だが、彼女の放つ高火力の爆裂魔法ですら通じない現状は、さすがに彼女の理性を削っていく。


 それでも、彼女は踏みとどまっていた。


「《クラスターブラスト》!」


 叫ぶや否や、両手から放たれた複数の爆裂球が空中で弾ける。無数の散弾が触手の群れを削り取り、視界に一瞬の“空白”を作り出す。


 ──が、それすらも一瞬。ヴァルグの肉体からは、次から次へと新たな腕が、腫瘍のように膨れ、飛び出し、伸び、膨張していく。


 クロの顔から血の気が引いた。


「触手、爆発、触手、爆発。無限ループじゃん……!」


「文句は後にしなさい! クロ、右から三番目。次の触手、軌道がズレる。狙いなさい!」


 冷静にそう告げたのは、ノアだった。


 肩で息をしながらも、彼女の視線は逸れない。ヴァルグの全身に張り巡らされた魔法陣の“演算パターン”を解析している。


 空間の重力の歪みを読み、浮遊する塵の動きを観察し、空気の揺らぎを感じ取る──まるで彼女の目は戦場全体の“コード”を見抜いているかのようだった。


「はいはい、賢者様のご指導とあらば!」


 クロは即座に反応し、指示された角度へ魔力を収束。


 爆裂魔法の弾頭が収束し、焼けつくような音を立てて空を裂く。


 ──ドン、と音がした。


 爆発。だがそれは破裂音ではなく、空間そのものが弾け飛ぶような衝撃だった。


 狙い通り。クロの爆撃は、別の狙いを持っているであろう一本の触手に直撃し、それを大きく軌道から逸らせた。ねじれた腕がビルの柱のように地面に突き刺さる。


 その一瞬の隙──ダリオが、駆けた。


「はっ……!」


 大盾を構え、鋼鉄のような腕に全体重を乗せて突進する。火花を散らすその一撃は、触手の波を強引にかき分けるように突き進んだ。


 だが──重い。


 剣が、重い。空間が重い。


 自身の装備すら、動きすら、空気に沈むような圧迫感。まるで目に見えない巨大な手で、空間ごと押し潰されているかのようだった。


「くっ……重力が、効いている!」


 ダリオの剣はヴァルグの肉体をかすめた。しかし──触れた瞬間、重力場が逆巻く。軌道は捻じ曲げられ、刃は滑り、肉には届かない。


 まるで、空間ごと斬り損ねたかのような感覚だった。


 その様子を見て、ヴァルグは鼻で笑った。


「突貫工事のお仲間ごっこでは、この私には届きませんよ!」


 嘲り。ゆっくりと腕を広げ、黒い瘴気をまとうように魔力を放つ。


 ──ドクン、と地鳴りが走った。


「《グラヴィトン・ドミネーション》!」


 その瞬間、大地そのものが沈み込んだ。


 空間が、ぐにゃりと歪む。重力場が中心に向かって収束し、光が引き込まれ、音すらも遅れる。


 床が悲鳴を上げて砕けた。石が崩れ、柱が折れ、瓦礫が舞い上がる。


 そして──三人と一体の怪物を乗せたまま、聖堂の床は大きな音を立てて崩落した。


「うわああああっ!!」


「くっ……みんな掴まれ!!」


 重力に逆らえず、三人の身体は暗闇へと落ちていく。回転し、重力が狂い、上下の感覚が消失する。


 ──地下空洞。光なき場所。沈黙のように重力が支配する世界。


 そこは、アッシュ達が逃走経路に使った地下通路。だが、今はただ瓦礫と崩壊が支配する場所。闇の中で、何かが“育って”いた。

 真っ暗な空間に、ヴァルグの魔力だけが赤黒く明滅する。


「ようこそ、私の根城へ。ここなら、遠慮なく力を使えます」


 ヴァルグの瞳が、闇の中で禍々しく光った。


 彼の周囲には、無数の触手と、無数の重力球。それらが空中をゆらゆらと漂い、常に“殺しに来る気満々”の圧力を放っていた。


 ここからが、本当の地獄だった──。


 ヴァルグはその異形の身体を限界まで広げた。

 先端に鉤爪のような棘を持つ触手が、倍に増殖する。

 その数は尋常ではなかった。

 天井を這い回り、壁の隙間を這い、地面の亀裂からも無数の腕が噴き出す。

 まるで生きた迷路が三人を取り囲み、逃げ場を完全に奪った。


「これじゃ……キリがないよ……!」


 クロの声が裏返った。

 両腕を大きく振り回す。掌から放たれる魔力の爆発は鋭く、爆風が触手の一部を吹き飛ばした。

 それは破壊というより、“一瞬の掃除”だった。

 その直後にもう新しい触手が空中から、壁から、生まれ落ちる。

 まるで魔獣のように、その数は増殖し続ける。


「はあっ……はあっ……!」


 クロの呼吸は荒く、額には汗が滲んでいる。

 今までの自信に満ちた無邪気さは影を潜め、目には必死の光が宿っていた。


 だが、それでも踏みとどまり続ける。


「《クラスターブラスト》!」


 両手を合わせて再び魔力を爆発させる。

 爆煙の中で、触手の一部がバラバラと崩れ落ちる。


 しかし──その威力が強ければ強いほど、再生の速度も比例して増すようだった。

 触手はまるで生物のように“応答”している。


「くっ……!」


 ダリオが大盾を前に構え、腕を震わせながら叫ぶ。


「クロ! 危ない!」


 ダリオはクロのすぐ前に飛び出し、盾を広げて触手の猛攻を受け止める。

 鋭利な腕が盾に叩きつけられ、鉄の甲冑が軋んだ。


「ぐおっ!」


 盾の隙間を縫うようにして伸びる腕が、ダリオの身体に食い込む。

 その反動で彼の身体が吹き飛ばされ、壁に激突。


 “バキッ”と鈍い音が響き渡った。


 右肩が不自然に外れ、脱臼した。


 血が滲み出し、肉から鋼鉄の装甲を突き破って内側へ染み込む。

 だが、彼は倒れない。


「……この程度で折れるわけにはいかん!」


 呻きながらも、ダリオは必死に立ち上がる。

 片腕で体重を支え、盾を持ち替え、再びクロの前を塞いだ。


 その姿にクロは小さく息を呑んだ。


 しかし、状況は絶望的だった。


 触手は彼らの周囲に無数に蠢き、互いに絡み合い、まるで生物のように意思を持っているかのように動き回っていた。


 地面から生えた腕が盾の側面を抉り、斬撃のような振動が防御の軋みを増幅させた。


 クロの爆裂魔法すら、触手の壁に幾度も弾き返され、わずかに削れる程度。


「頼むぞ……ノアの魔法が頼りだ!」


 ダリオの叫びに、ノアは深く頷いた。


 息を切らし、膝をつきながらも、魔道陣を展開する。

 空間に光が渦巻き、複雑な記号と数式が幾重にも重なる。


 コード魔法──ノアの異能は、術式の“理解”にあった。

 魔法をただ行使するのではなく、解析し、理解し、組み立て、発動する。


(重力……演算パターン……アッシュの言ってた通り!)


 ノアは今、ヴァルグを取り巻く“重力のコード”を読み取っている。


 彼女が見ているのは、地面に渦巻く大地の重力場の情報。

 その複雑な動きを、コードとして視覚化し、解析し始めていた。


 幾重にも連なる魔法陣の中、ノアの手指が小刻みに動く。

 指先から放たれた魔力が、回路のように構造を書き換え、重力の流れを乱し、彼女の魔法陣が光を帯びる。


「……いける」


 彼女の声は微かに震えたが、決然としていた。


「おい、ノア!」


 ダリオの声が割り込むように響いた。


「いま、術式を書き換える。少しだけ時間を稼いで」


 ノアは厳しい表情で応じる。身体は傷だらけ、呼吸は乱れている。だが、魔力は集中の一点に凝縮されていた。


 クロとダリオが一斉に頷く。互いに目配せを交わし、次の攻撃に備える。


 ノアはゆっくりと前に出た。重心を低く、両手を広げていく。満身創痍ながら、その指先からは静かな輝きが放たれていた。


「魔法は自然現象じゃない。魔法は術式であり、命令。ならばその命令は、上書きできる……」


 彼女の声は揺らぎつつも、強い決意が込められていた。


 その言葉とともに、手元に幾何学的な光輪が浮かび上がる。

 数十の魔方陣が層をなして重なり合い、空間に立体的な紋様を描き出した。


 魔力の紋様は繊細に震え、強靭な光のネットワークとなって術式の世界を紡ぎだす。



 そして今────逆転の一手がここに成立する。


「コード:グラヴィティ──展開」



 言葉が空間を切り裂き、術式が起動する。


 まるで時間が止まったかのように、世界のあらゆる動きが鈍化する。


 ──いや、止まったのではない。

 ノアが逆算し、重力魔法の根幹たる術式を“書き換え”、重心点を完全に反転させたのだ。


 ヴァルグが自在に操る《重力魔法》。

 その空間ごと押し潰す重力場は、まるで地球のような巨大な重心を持ち、全てを押しつぶす。


 だが、ノアの術式がそれをゼロに還元し、重力の向きを反転させた。


 その結果、ヴァルグの触手は突然、宙に浮いたように揺らぎだす。


「っ……これは……!?」


 ヴァルグの瞳が狂気に染まり、一瞬の狼狽が見て取れた。


「これで、お前の重力は無効よ!」


 ノアが叫ぶと同時に、空間の重力場が反転し、触手は自重を支えきれずにバタバタと崩れ落ちていった。


 まるで巨大な生物が足を滑らせたかのように、触手は無防備に床に倒れ込む。


「今だ!」


 その声はダリオからだった。


 傷だらけの身体を押しながらも、彼は強烈な意思を込めて叫ぶ。


「行くぞ、クロ! 《シールド・ドミヌス》《ソード・オブ・フェイス》!」


 ──二つの技が限界まで解放される。


 ダリオはまず大盾を構え、振り下ろされる触手の一撃を受け止める。

 鉄の甲冑のように硬い盾が大地に叩きつけられ、衝撃で震えた。


 次の瞬間、鋭利な剣が閃いた。外れた肩も気合いと力で元に戻し、傷だらけの腕が握る鋼の刃が触手を切り裂き、バラバラと砕け散る。


 無数の触手が何度も振りかざすも、ダリオの筋肉と精神がそれらを押し返し、まさに“道”を切り拓く。


 体の痛みを振り切り、彼の足は重くも確かな一歩を刻んだ。


 その背後でクロが呼吸を整え、火花を散らしながら加速する。


「了解っ!」


 その声に続いて、クロの体が閃光のように跳び込んだ。


 拳に全魔力を一点に集め、輝く球体が爆発寸前の隕石のように煌々と燃えている。

 耐えきれずに噴出する煌めきのような爆発は、クロの周り溢れ出しキラキラと輝く。


「《クラッシュ・コメット》──行っくよぉぉぉぉおお!!」


 拳が加速し、空気を切り裂きながら一直線にヴァルグの本体を狙う。

 その様子は、砕けたガラスの破片に光が乱反射するような──そんな数多の煌めき。


 ヴァルグは最後の触手を全力で振り上げる。


「させぬ!!」


 その声と共に振り下ろされた触手がクロを殴りつけようとする。


「やらせるかぁぁあああ!!」


 ダリオの咆哮が轟き、触手に盾をぶつける衝撃とともに、触手は粉々に砕けた。


 その一瞬の隙をつき、クロは暗闇の中で煌く星屑のような火花を撒き散らしながら──


「爆ぜろぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおお!!!!」


 ──ヴァルグの胸を打ち抜いた。


 触れた瞬間、強烈な光が地下通路を照らす。


 一瞬の静寂。


「アンタの重力より……あたしの想いのほうが重いんだよッ!!」


 ──大爆発。


 クロの叫びが爆発の閃光に乗って響き渡る。

 轟音が闇を切り裂き、地面が震え、空気が震動した。


 止まぬ爆発の余韻はまるで満天の星空が地上に降り注いだかのようだった。


 そして──断末魔の声。


 ヴァルグの巨大な肉体は一気に崩れ落ちた。

 闇に包まれたその姿は光の中で粉砕され、黒い霧とともに蒸発するように消え失せていった。


 ●


「……はぁ、はぁっ……」


 全身から絞り出すような息遣いだけが、虚ろな空間に残っていた。


 戦いの終わりは、いつだって、あっけない。


 激突の余韻を残したまま、重力場は音もなく崩壊する。

 地下空間がきしむように軋み、石材の接合がずれていく。


 天井の石が砕け、瓦礫がぱらぱらと雨のように降り注ぐ。


 クロはその場に崩れ落ちたまま、口を開けて、仰向けに空を──いや、崩れかけた天井を見上げた。


「アッシュ、フィリア……そっちは、終わったかなぁ……」


 問いかけとも独り言ともつかぬ呟きに、答える者はいない。


 けれどノアは、無言のまま、微かに唇をゆるめた。

 血にまみれた顔で、くすりと笑う。


 その静かな笑みに、答えは要らなかった。


 ダリオは、剣を地面に突き立て、足元のぐらつく石に耐えるように踏みしめる。


 肩で息をしながら、それでも立ち上がろうとする姿は、まるで重力に逆らう意思の象徴だった。


「これで……終わったのか……」


 誰にともなく、空虚に問う。


 だが、次の瞬間。クロの声が、微かに、けれど確かな意志をもって返ってきた。


「──まだだよ」


 彼女は、瓦礫の中から身体を起こしながら、少しだけ口元を引き結ぶ。


「シロを……お姫様を……助けに行かなきゃ」


 戦いの終わりが告げられる前に、次の戦場が待っていた。

 この物語は、まだ終わらない。


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