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ポンコツ怪盗団に転生したけど、敵のフリして勇者育ててます  作者: 振り米
二章『祝福なき婚礼、誓いの怪盗』
23/63

23話『再び、運命の祝福に挑む時』

 翌朝。


 気づけば、俺はソファの横、床に座ったまま眠っていた。

 無理な姿勢のままだったせいで、背中に鈍い痛みが残っていた。頭の奥もどこか霞がかったまま。現実と夢の境が曖昧なまま、俺はゆっくりとまばたきをする。


 掌が温かかった。

 じんわりとしたその温もりに、俺は、ようやく昨夜の記憶の欠片を取り戻した。


 ──クロの手を、俺はずっと握っていたらしい。


 眠る彼女の手は冷たくなかった。

 ただ静かで、弱く、消え入りそうな命の鼓動を伝えてくる。

 それでも、確かに温もりがあった。それだけで、少しだけ、救われるような気がした。


 クロの顔は蒼白だった。

 まるで、夜そのものが肌に染みついたような青さだった。けれど、その表情はどこか穏やかで、深い湖の底のように、静かで透明だった。

 ──だからこそ、怖かった。彼女のその静けさが、今にも遠くへ連れていかれてしまう前触れのようで。


 やがて、ゆっくりと彼女のまぶたが持ち上がった。

 薄く、重たく、まるで深い夢の底から這い出してくるような、ぎりぎりの動きだった。


「……あ、アッシュ……」


 震えた声だった。

 掠れて、擦れて、今にも崩れてしまいそうなその声が、俺の胸の奥にまっすぐ落ちてきた。


「クロ……お疲れ」


 それだけを、かろうじて絞り出す。

 口にした自分の声が、どこか遠くの他人のもののように聞こえた。


 クロは、ゆっくりと視線をこちらに向けた。

 その瞳の端に滲んだ涙が、今の彼女のすべてを語っていた。


「……シロが……シロが……」


 言葉は、そこで止まった。


 けれど、言葉にしなくても分かった。

 クロは、あの夜のまま、あのときのまま、手を固く握っていた。

 小さな肩が、浅い呼吸に合わせてわずかに揺れていた。


 俺は、ただ静かに手を伸ばして、彼女の手に重ねた。

 熱はなかった。ただ、確かな温もりが、そこにあった。


 ──いつもなら、冗談でも言っていたはずだった。

「心配すんな、シロなんざ三日で牢破る」とか。

 どうしようもない軽口で、空気を変えて、笑わせて、前を向かせてきたはずだった。


 でも今は──無理だった。


 震えていたのは、クロの手じゃない。

 俺の手の方だった。


 それがすべてだった。


 ひとつ、息を深く吸って、吐いた。

 言葉を丁寧に選ぶ。壊れそうなこの沈黙を崩さぬように、慎重に。


「クロ……お前は、よくやってくれた。精霊石を奪えたのは、お前の力があったからだ」


 クロの肩が、ふるりと震えた。

 唇を噛む音が、空気の中で小さく響いた。

 涙は、まだ落ちない。ただ、胸の奥で静かに疼いているだけだった。


「……でも、シロが……それに、お姫様も……」


 その声は、途中で途切れた。

 それ以上、言葉にならなかった。


 ──それでも、言わなくても分かる。


 シロは、捕らえられた。

 姫もまた、あの帝国の陰謀の中に囚われたままだ。


 救えなかった。

 俺たちは、ただ逃げることしかできなかった。

 守りたいものを、置き去りにして。


 だからこそ、俺は知っている。

 今さらどんな言葉を重ねても、それは後悔の上塗りにしかならない。


「ああ……分かってる」


 その言葉は、静かだった。

 でも、胸の底からのものだった。


 もう過去は変えられない。

 だけど、未来は……いや、取り返すことはできる。

 そう信じるしか、前に進めなかった。


「必ず、取り返す。シロも、姫も──」


 その言葉が、部屋の中で小さく響いた。

 まるで、自分自身に言い聞かせるような声だった。


 そして、俺は、ひとつだけどうしても言わなければならない言葉を口にする。


「だから……クロ。もう一度、俺に力を貸してくれないか」


 沈黙が落ちた。

 空気の密度が変わった気がした。


 クロの手の温もりが、まるで何倍にも強くなったように感じられた。

 それは彼女の迷い──ではなかった。


 そう、違う。

 クロはずっと、俺をまっすぐに見ていた。

 最初から、答えは決まっていた。

 迷っていたのは、俺の方だった。確かめたかったのは、俺の方だ。


 クロは、ふっと小さく微笑んだ。


「なに言ってるの、アッシュ」


 その声は、とても静かだった。

 でも、その中にある芯は、誰よりも強く、確かだった。


「わたしたちは……最後まで、ずっと、あなたと共にいるよ」


 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が締めつけられたように痛んだ。

 ずっと張りつめていたものが、ふっと崩れていく。

 壊れそうだった心の縁が、少しだけ、戻ってくるのを感じた。


「もう一度、力を貸してくれって……そんなの、言わなくても分かってる」


 クロの瞳には、光があった。

 悲しみも、不安もすべてを飲み込んでなお、そこに残った光──信じるという意志の輝きだった。


「わたしは、ずっと、あなたのそばにいる」


 その一言に、すべてが救われた気がした。


 自分の無力さに押し潰されそうだった。

 それでも前に進もうとする自分にとって、この言葉ほど重いものはなかった。


 ──ありがとう。


 心の中でそう呟いて、俺は彼女の手を握り返す。

 返されたそのわずかな力が、確かにそこにあった。


 この手を、もう二度と離さない。

 何があっても、誰も失わないと、誓った。


 窓の隙間から、柔らかな朝日が差し込んでくる。

 光が、ソファの上のクロと、その隣にいる俺を、優しく包み込んでいた。


 新しい一日が始まろうとしていた。

 後悔も、痛みも、すべて連れて、それでも進むために。


 俺は目を閉じた。

 そして、次に開いたときには、もう迷ってなどいなかった。


 ●


 午後の陽はまだ高い。だが、差し込む光はどこか鈍く、肌にじわりと重たい。

 それは、明るいはずの時間帯にふさわしくない、まるで世界そのものが警戒心を抱えているかのような乾いた空気だった。


 俺たちは“グリ”と“ノワール”を名乗り、帝都の城下町を歩いていた。

 仮面のような偽名──それはただの偽装ではなく、役割であり、立場でもある。

 ノワールは、クロが街中で任務をこなすときの仮の姿。俺における“グリ”と同様、それは彼女のもう一つの顔だった。


 俺たちは、粗末な布製のマントと、広めのつばをもつ帽子を被っていた。

 ノワールの立ち振る舞いには一切の動揺もなかった。

 目立たないように、けれど常に全方位に意識を巡らせている。

 戦士としての直感と、怪盗としての訓練。それが同居した彼女の動きは、この都市の中に溶け込んでいた。


 目的はただひとつ。

 情報を拾うこと──それだけだ。


 城下町は、広く、騒がしく、そして“よく訓練されていた”。

 兵士の数は普段より多く、露骨に増えた監視の視線がこちらを撫でていく。

 それでも俺たちは止まらない。むしろその圧の中でこそ、真実の輪郭が見えてくる。

 流れる空気。通りの喧騒。人々の噂話や噛み合わない言葉。そうした断片すら、今の俺たちには貴重な情報だった。


「……グリ、あれ」


 “ノワール”が、俺の名を呼びふっと足を止めた。


 その視線の先。街の大通りの中央、見慣れぬ掲示板がひとつ──ぽつりと、まるで“餌”のように立っていた。

 木製の枠に釘打ちされた張り紙。そこにはやけに目を引く一枚があった。


 赤い、巨大な文字。


『国賊・モノクローム怪盗団、帝国に牙を剥く──再度の婚礼に現ることを警戒せよ』


 俺は立ち止まり、無言でそれを見上げた。

 乾いた風が吹き抜ける。その音すら遠く感じるほどに、目の前の文面が静かに頭の中に沈み込んでくる。


「……これって」


 隣で、ノワールが低く呟いた。

 その声には感情が混じっていた。驚き、苛立ち、そして……少しの恐れ。


 掲示板の下段には、続きがあった。

 二日後、帝国は再び婚礼の儀を執り行うという。

 新たな日取り、再び例の教会にて行う旨。そうして──


『国賊は必ずや断罪する』


 その一文を見たとき、背筋に氷が這った。


 言葉にせずとも分かる。

 これは、挑発だ。誘いだ。そして、明確な罠だった。


「ははっ……分かりやすいな」


 自嘲のように口元が笑った。けれど、全身の神経は研ぎ澄まされたままだった。

 呼吸が浅くなる。背後の視線が重くなる。だが、それでも目を離せない。

 紙の向こう側に、“あの男”の顔が浮かんでくる。


 奴らは分かっている。

 俺たちが、もう一度現れるだろうということを。

 そして、現れたならば──今度こそ仕留める覚悟でいるということを。


 この告知自体が、情報戦の一環だ。

 わざと情報を流し、俺たちの選択肢を狭めてくる。

 街の民には「また奴らが来る」と印象づけ、彼らの不安を煽る。

 そして、婚礼をただの式ではなく、国賊を晒し者にする“英雄譚”に仕立てあげる。


 “アメリア姫を守るために、レオニス皇太子が戦う”──

 そうした物語を、この帝国は作ろうとしている。

 真実を歪め、英雄と悪党を塗り替え、都合のいい神話を生むために。


「……ここまでやるか」


 その徹底ぶりに、感心すら覚える。

 だが、それ以上に──許せなかった。

 その自信が、“シロ”という人質を得て生まれたものだということが。


 俺たちは負けた。あの日、確かに。

 けれど、あれは終わりじゃない。

 むしろ、ここからが──本当の戦いだ。


「挑戦状を叩きつけてきたのは、向こうだ」


 静かに、だがはっきりと告げる。

 ノワールがこちらを見上げた。表情は落ち着いている。けれど、その目だけが揺れていた。


「……乗るつもり、なの?」


 その問いには、正気と狂気の両方が混ざっていた。

 計算よりも先に、想いが言葉になったのだろう。


「乗らなきゃ意味がない」


 俺は即答した。迷いはなかった。


 敵の用意した舞台? 

 いいだろう。ならば、そこで奴らの脚本ごとひっくり返してやる。

 “正義”を演じる連中の顔を、仮面ごと引き剥がしてやる。


 ノワールの視線が、まっすぐ俺に突き刺さっていた。

 その瞳にあるのは、信頼か、それとも覚悟か。あるいは両方かもしれない。

 彼女は、この命懸けの道に、自分の意志でついて来ているのだ。


「……やろう。次は、全員で帰る」


 その言葉に、ノワール──クロは、こくりと頷いた。

 その仕草は静かで、けれど確かに、決意に満ちていた。


 この命を懸ける意味を、もう一度思い出した。

 シロを奪い返す。ただそれだけのために──全てを懸ける覚悟だった。た。


 ◆


 帝都の東端、警備の厳しい石畳の区画にある──勇者パーティ専用の宿舎。その夜、建物はしんと静まり返り、まるで息を潜めるかのように夜気に沈んでいた。


 けれど、石造りの廊下に並ぶ部屋のうち、一室だけが──まだ明かりを灯していた。


 そこにいたのは三人。


「希望」と称えられる勇者の少女と、彼女を支える仲間たちだった。


 フィリアは窓辺に立っていた。小さなランプが彼女の横顔を照らし、淡く揺れる金髪に光が宿る。窓の外には、夜の帝都が広がっていた。月は雲に隠れ、街は濁った静寂のヴェールに包まれている。


 彼女の視線は、遠くに見える尖塔へと注がれていた。


 高く、鋭く天を突くようなその塔──その影の向こうには、崩れかけた屋根と焦げた壁が残っている。かつての式場。まだ、生々しい戦いの爪痕が残っていた。


「帝国は明らかに“再襲撃”を想定している」


 ノアの落ち着いた声が、部屋の静けさを破った。


 彼女は丸テーブルに広げられた地図の上に、布告の写しをそっと置く。紙の端には薄く手の跡が残っていた。怒りというより、悔しさがにじむように。


「挑発的な布告を、わざと街中に貼り出していた。“再び怪盗団が現れるだろう”と。まるでそれが当然かのように」


 その言葉は、無慈悲な現実を突きつける。


「晒し者にするつもりで、怪盗団をおびき寄せようとしてる。……あの子──シロを人質にして」


 ノアの視線は地図に落ちたままだったが、その表情には微かな怒りが浮かんでいた。魔法使いとして、時に明るく時に冷静を貫く彼女にしては、珍しい熱だ。


「再婚礼の会場は、もう一度あの教会。今度は昨日以上に警備を強めるでしょうね」


 フィリアは、黙ってそれを聞いていた。


 その手が、ゆっくりと拳を握る。小さな手だったが、その中に確かな意志が宿っているのが分かった。


「行くのかしら、あの2人は。モノクローム怪盗団のアッシュとクロは」


 ノアがそう続けた時、フィリアは小さく首を振った。


「……彼らにとって、シロは“仲間”なんだ。誰かを見捨てて逃げたり、しない」


 その声には、確信があった。


 彼女の脳裏に浮かんでいたのは、あの日の光景だった。


 瓦礫と爆炎と煙の中、舞うマント。誰よりも速く、誰よりも真っ直ぐに、姫の元へ走った青年と少女。剣ではない、力でもない──その目で、人を守ると語っていた。


「……あの人は、本当に“助けに来た”。ただの泥棒なんかじゃない」


 フィリアの瞳が揺れた。その言葉には、あの日の感触がそのままに残っていた。決して否定できない、その記憶。


「少なくとも、わたしにとっては──あの人は、悪には見えなかった」


 静かに口を閉じる彼女の背中に、今度は別の声がかかった。


「……じゃあ、次はどうする?」


 重々しく響いたその声は、ダリオのものだった。


 彼は椅子に深く腰を下ろし、太い腕を組んでじっとこちらを見ていた。その表情は堅い岩のように動かず、けれど決して拒絶しているわけではない。


「帝国に逆らえば、俺たちもこの帝国の”国賊”になる」


 彼は事実だけを口にした。


「けど、それでも……俺は、あの男のやり方に“筋”があると思った。あいつは、ただのテロリストじゃない。“誰かのため”にしか剣を振ってない」


 言葉の一つ一つが、まっすぐに壁を貫くようだった。


「だから、次動くとしたら──“敵”としてじゃなく、“味方”として動きたい」


 沈黙が落ちた。


 けれどそれは、否定の沈黙ではなかった。


 部屋の中に満ちていたのは、“選ばなければならない”という緊張感。これから誰もが、自分の正義を試されるのだと知っていた。


 フィリアは、ノアの方を見た。


「……ノア。あなたは、どう思う?」


 その問いに、ノアはほんの一瞬だけ目を伏せた。


 静かに、ひとつ息を吐く。吐息に混ざるのは、長く胸にしまっていた本音だった。


「……帝国が正義だなんて、私は思ってない」


 その言葉は、まるで心の扉を一枚剥がすようだった。


「私は、私達は……“正義のために戦う”の。でも、帝国は違う。利用と支配と隠蔽ばかり。それを見て見ぬふりする方が、よほど正義への裏切りだわ」


 そしてノアは、静かに続けた。


「フィリア、あなたが信じた相手なら、わたしは信じる。今だけは、“勇者としての立場”じゃなく、“勇者としての心"で判断して」


 その真っ直ぐな瞳に、フィリアはかすかに目を見開いた。


 そして──笑った。


 それは安堵にも似ていた。味方を得た安堵と、何より、信じる力を支えられたことへの微笑だった。


「ありがとう、ノア」


 言葉にすると、それはとても小さな音だった。

 けれど、その一言が確かに場の空気を変えた。


 ダリオは、椅子の背に寄りかかったまま、ふうと息を吐いた。


「……まったく、面倒な奴らに関わったもんだ」


 ぼやきのように言ったそれも、どこか優しかった。

 誰も明確には言わないが、答えはもう出ていた。


 窓の外、夜の帝都はまだ眠っている。

 けれどその中で、静かに、確かに。


 “正義”と呼ばれる者たちが、己の”正義”を信じ貫くために。


 宿敵であるはずのあの男。アッシュが見せた覚悟と同じように。

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