14話『プリンかパンか、それが問題だ』
夜の街には雨が降っていた。……というか、アジト(仮)の屋根が穴だらけで、俺の枕元にだけ雨漏りしてるだけなんだが。
「……なあクロ、これで本当に“アジト”って呼んでいいのか?」
俺はカビ臭い毛布と格闘しながら聞いた。
「へ? なに言ってんのアッシュ! 廃屋こそ怪盗の正装でしょ!」
と、ほぼ全裸に近い寝巻き姿でクロが無邪気に返す。いや、俺達は身元バレたらガチで首が飛ぶやつなんだぞ。
──バルナス帝国の街外れ、人気のない林の奥。
今、俺たちモノクローム怪盗団は、廃屋を仮アジトにして潜伏中だ。
屋根は半分崩れ、壁には「貴族の呪いにより閉鎖」の札が貼られ、床はミシミシ音を立てる。おまけに毎晩シロの魔術訓練のせいで、屋内の温度やら何やらが乱高下して頭痛が止まらない。隠れるには最適──人間としての尊厳を放棄すれば、の話だが。
「アッシュ。文句を言う暇があるなら、こっちを見て。重要な話」
と、シロが煮詰まった表情で小声を投げる。
彼女の指先には、いつもの魔術による記憶書物。そして色々な場所から入手してきた紙が机(と呼べるような代物ではない)に散らばっていた。そして、件の“姫”の肖像画。美しい金髪と、憂いを帯びた青の瞳。いかにも「物語に出てくるお姫様」なルックスだ。
「この人が──アルヴィエーレ公領のお姫様で、現在バルナス皇太子の婚約者になっているターゲット。アメリア・アルヴィエーレ」
「お姫様、って感じだな」
「ねえねえ、ちょっと私に似てない???」
「はいはい似てる似てる」
「うっわー⭐︎適当」
……ゲームの中では、姫ルートってのは物語中盤に一瞬だけ分岐する“バッドエンド分岐線”の中にあった。
アメリア・アルヴィエーレ。公領アルヴィエーレ家の姫にして──
「そんな事はどうでもいい。それより肝心なのがこのお姫様が持つ体質──『祝福の因子』。魔力増幅の特異体質」
シロが低くつぶやく。
「ああ。通常の人間の五倍、いや十倍にもなる魔力を、その身体に宿して生まれた希少個体。遺伝でも教育でもなく、ただ生まれた時点で“兵器”としての価値を持つ存在……ってのが、この国の見方だ。で、それを手っ取り早く“国家のもの”にする方法が──」
「「婚姻」」
俺とシロの声が重なった。
アメリア姫は“バルナス帝国皇太子・レオニス”の婚約者。そして、その婚姻の先に待つのは──
「生贄の儀式、ってか」
静かに、冷たい声で言ったのは、俺だった。
原作で描かれた“バッドエンド”。
姫は結婚後、皇宮の地下で“魔力供給装置”に接続され、魂を蝕まれ、戦争の道具として帝国と魔王軍に魔力を吸われ続ける。記憶を失い、人間であることすら忘れて。
「でも待って。それって……そんな非道なこと、本当に?」
クロの声が震える。けれど。
「……やってるよ。もうすでに、準備は始まってる」
俺が指差したのは、文献の横に置かれた一枚の取引記録だった。
そこには“魔族由来の鉱石”の名。調査中に、豪商の家から盗み出した証拠の一端。
「……裏貿易の証拠。まあ、これだけだとあくまで商人側の記録だし、帝国側の捺印も無い。証拠としては正直不十分だ」
俺はその紙切れをとんとんと叩く。
「本命は──帝国側の、それも捺印だったりサインだったりが残されているような契約書類や財務文書が必要だ。そっちには多分、さらにヤバいことが載ってると思う」
「うん。とってもやばい」
クロの語彙力が限界を迎えるくらいには、やばい。
──要するにこうだ。
帝国は魔王軍と裏で繋がってる。
アメリア姫は、その魔力を帝国と魔族に利用されるために、形式上“結婚”させられようとしている。
「このまま結婚の儀が進めば、姫は“生きた魔力供給炉”として死ぬ。人間の形を保ったままな」
俺はそう言って、立ち上がった。
「だから、盗む。証拠も、真実も、そして──囚われのお姫様も、全部だ」
まるで大義のように言ったが、実際にはただの“怪盗行為”である。だが──今この時だけは、その言葉にシロもクロも、まっすぐ頷いた。
というわけで、作戦の確認タイムだ。
仮アジトの内部はカビとホコリの匂いが充満しており、明らかに崩れかかっている。しかし今現在ではそんな廃屋には不釣り合いなほど、魔術結界と暗号文が飛び交い、中央にはシロの描いた立体式の立体地図。……いや、あれどっからどうやって持ってきた?
「──潜入目標は三つ」
シロが魔術で空中に投影した地図を指しながら、要点をまとめる。
「一、帝国城の構造と大広場の教会の警備網の確認。二、財務文書と裏貿易の証拠の確保。三、姫の本心の確認。どれも高リスク、でも必要なミッション。あくまでも姫への怪盗は精霊石が出てくる結婚式の同タイミングで行うぞ」
「姫の本心って、どうやって確認すんの? ほら、ヒロインって基本、口に出さないじゃん」
「姫も、口を開けばフランクフルト食ってるお前に言われたくないだろうな」
「そんないつも食べてるわけじゃ無いから!! ほら! 今も何も食べてないし」
相変わらずリアクションの大きい娘だ。クロちゃんかわいいね。
……だが確かに、姫が今どんな気持ちで婚姻に臨もうとしてるのか、それは確認しなきゃならない。
「場所は?」
「帝国城・最上階。東の塔。窓は無し、扉は魔術式、常時監視の兵士付き」
「さすがに、ラブレターだけ置いてくる作戦は無理そうだな」
「そういうときだけロマンチストになるの、やめてくれない?」
シロが呆れて肩をすくめた。隣でクロが「でもアッシュのラブレターってきっと相当キザなこと書いてあるよね。ポエムもありそう」とか失礼なことを言ってる。
●
夜。
帝国の空には、重く低く雲が垂れ込めていた。
風は冷たく、喉にひんやりと刺さる湿気を含み、木々の枝葉はぎしぎしと軋む。
おまけに月は顔を隠し、星すら申し訳程度の点灯モード。これはもう、絶好の侵入日和だと断言していい。
ええ、我々モノクローム怪盗団的には。
そう、今夜こそが、やるならここしかない“侵入フェスティバル”。
名誉も金も関係ない。狙うは、帝国の闇と、婚姻の真実と、あとちょっとのロマン。
──さて、改めて作戦を再確認しておこう。
メンバー三名、それぞれの役割は以下の通り。
一:クロ=侵入、破壊工作、気合担当。
主に警備兵を“あくまで隠密行動の範囲内で”陽動し、あとは魔道警報の破壊。できれば音なしで。できれば。
二:シロ=構造把握と結界・罠解除、および毒舌監視。
建物のルート解析や魔術的監視網の無力化、そしてたまに鋭すぎるツッコミで仲間の精神も削る。
三:俺=証拠の奪取と姫との接触、あと全体進行と突っ込み。できれば美味しいところを持っていきたいが、大抵は周りのボケで腹筋がやられる。責任重大。
「アッシュ。成功したら、何食べたい?」
静寂の夜に似合わぬほど、クロの声は楽しげだった。
盗賊団がよじ登るにはやや高すぎる石壁を登りながら、
この子はまるでピクニックに向かうかのように軽やかだった。
「無事に帰れたら、クロが作るプリンでいいよ」
俺は息を切らさないよう返しつつ、軽口を叩く。
「えへへ、じゃあバケツサイズで作るね!」
「胃を殺す気か。俺はデザートで人生終えたくねぇ」
そして横から、今度は別種の殺気が飛んでくる。
警備兵? いや違う。もっと質が悪い。
味方からの敵意だ。
「……私の焼いたパンじゃないの……?」
低く、静かに、しかし確実に刺すような声が俺の耳を掠めた。
魔道符の術式準備中のシロが、目も合わせずにぼそり。
「え、いやそれは──」
「まさか“プリン>パン”の序列だったなんて、今初めて知ったわ。参考にする」
「なんで2人とも俺の胃袋を壊す気なんだよ!!」
完全にボケとツッコミの黄金比。
この空気のせいで、かえって緊張が薄れていくのが不思議だった。
いや、たぶん薄れてちゃダメなんだけど。命懸かってるし。
「私の方で魔術妨害が完了し次第、作戦開始」
シロが魔道符をかざしつつ言う。その声には冷静さと、うっすら殺意が混ざっていた。
「私とクロで建物の構造とルートの把握、それと例の文書探し。アッシュは、それらの裏を取りつつ、姫に接触して」
「ああ。任せろ」
俺は小さく頷き、深呼吸を一つ。
その吐息は、今の気温のせいか白くはならなかったが、
胸の奥では確かに熱い。
深夜、零時。
5分を過ぎた。
帝国城の城壁上で俺は小声で呟いた。
「怪盗団らしくなってきたな、俺たち……」
ゴシックな石造りの外壁。窓枠の彫刻。夜風に翻る軍旗。
緊迫のはずのこの侵入が、妙に肌に馴染んでいるのが不思議だ。
……人は、何度も同じ過ちを繰り返すと順応するのだ。
──が、その余韻は、すぐにぶち壊された。
「……ちなみにまたキザにお姫様ナンパしたら、私が帝国の警備呼ぶから」
「しねーよ!! ていうかナンパじゃねえ!!」
「じゃあ色仕掛けか……? アッシュ、やはりそっち方面の才能が……」
「違えって言ってんだろお前ら黙れ!!」
はい、全員揃ってテンションぶっ壊れました。
でも、それでいい。
この空気感こそ、俺たち“モノクローム怪盗団”の強みなんだ。
笑いながら、喧嘩しながら、そして確かに前に進む。
今夜、盗むのは“ただの財宝”じゃない。
帝国の闇と、魔王軍の繋がり。
そして──
ひとりの少女の未来の一端、だ。