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ポンコツ怪盗団に転生したけど、敵のフリして勇者育ててます  作者: 振り米
二章『祝福なき婚礼、誓いの怪盗』
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13話『ポンコツ怪盗団は、人の心も盗むのか』

「──たとえば、アメリア姫について、とか?」


 その名前を口にした瞬間だった。


 まるで、薄氷を踏んだような感触が足元から広がった。シスターの目がかすかに揺れ、空気が変わる。今までふんわりと穏やかだったこの空間が、何か重たいものを孕んだように、音もなく沈黙へと傾いていく。


 街は祭りの真っ只中だった。屋台の喧噪、子どもたちの歓声、遠くから響く管楽器の気の抜けたメロディー。どこもかしこも浮かれていて、空気が軽くて、いまこの瞬間にもどこかで「わっしょい」とか叫ばれていそうな陽気さだったのに。


 なのに。


 この場所だけが、ぽっかりと祭りから切り離されていた。


 シスターは、少しだけ身を引いた。

 首をかしげるでもなく、でも拒絶でもなく──ただ、心を一歩、後退させるように。


「……どうして、アメリア様の名を?」


 低く、警戒を帯びた声だった。

 獣道で罠に気づいた野ウサギみたいに、どこか逃げる準備をしているような瞳。


 さて、ここからが演技の見せ所である。


「いや、まあ、その……旅してるとですね?」


 俺は肩をすくめた。いつもの“グリ”の無責任旅人スマイル、ここに発動。


「いろんな名前が耳に入るもので。ついこの間、南の港町で聞いたんですよ。『帝国に娶られた姫が人前で笑わなくなった』って。なんでも、王子も人形みたいに無表情だとか、結婚の話が陰謀の匂いしかしないだとか……あくまで、港町のうわさ話ですけどね?」


 もちろん九割九分は俺の即興だ。でも、残りの一割。そこにだけ、ちゃんと本物の情報を織り交ぜておく。

 嘘の中に誠実を一滴。それが俺流。詐欺の基本。嘘を信じさせたいなら、真実を隣に置け。


 彼女は、俺をまっすぐに見た。


 その目が、冷たいわけでも、怒っているわけでもなかった。ただ、静かに深く、沈んでいる。

 全部を見透かされているような気がして、正直、胃がキリキリし始めている。


「……そうですか」


 それだけ言って、彼女は目を伏せた。拒絶の言葉も、追及もなかった。


 ただ──諦めに似た、寂しい吐息を吐いた。


「……本当は、誰にも話すつもりはなかったんです。話すべきじゃないって、そう思ってました。でも……こうして黙ってるのも、もう違う気がして」


 その声は震えていた。だけど、壊れそうなほどではない。ギリギリで立っている声だった。


(……脈アリだな)


 そう思った瞬間。


《──アッシュ、もしかして、また女の子を口説いてる?》


 無線越しに、シロの涼しい声が脳に刺さった。


《え? 今?? タイミング悪くない??? 大事なシーン始まるよ????》


《そういうの、ナンパっていうの。任務中だって分かってる?》


《いや違うだろ! そもそもクロが話聞いて情報引っ張ってこいって言うからわざわざ変装してだなぁ……》


《ふうん、情報ね。じゃあうまく引き出せるように──クロ、次の“花火演出”は、そっちの愛の炎ってことで、ド派手に燃え上がらせちゃう?》


《いいね、シロ! 愛って書いて“爆発”って読むやつだ!》


《クロまで乗ってくんな!!》


 俺は内心で叫びながら、手首をそっと袖に入れて魔道具の通信を切った。やれやれだ。


「……ねえ、シスターさん。この街、さすがにちょっと、人が多すぎませんか?」


 俺は静かに声をかけた。

 問いというより提案。逃げ場じゃなくて、より深く話せる場所への誘導。もちろん、強引じゃない。


 彼女はほんの一拍、戸惑ったあと、小さく頷いた。


「……そうですね。少し、静かな場所へ行きましょうか」



 ●


 祭りのざわめきが、背後に遠ざかっていく。屋台の灯りも、焼き菓子の甘い匂いも、気がつけばもう届かない場所にいた。


 ひっそりとした裏路地の奥。半分崩れかけた古井戸のそばに、時代に忘れられたような木のベンチがぽつんとひとつ。


 まるで、時間だけが取り残されたような空間だった。


 シスターは、そっと腰を下ろして手を重ねる。白く細い指先に、ぎゅっと力がこもっていた。言葉の代わりに、感情がにじむ場所なんて、そう多くはない。


 俺も隣に腰を下ろす。ほんの少しだけ距離をあけて。あくまで「旅人グリ」らしく──無害さと、好奇心と、ちょっとした芝居っ気を添えて。


「……私の名は、リシェルといいます。修道院で育ちました。アルヴィエーレ公領の山奥にある、小さな修道院で」


 淡々とした語り口には、どこか、自分の記憶をなぞるような──指でそっと触れて確かめるような、慎重さがあった。


「アメリア様とは……そこで出会いました。ほんの短い間だけ、彼女も修道院で暮らしていたんです。領主の娘として。でも、あの方は……いわゆる“お嬢様”ではありませんでした」


 リシェルの目が、ふっと細められる。思い出の奥にある、あたたかな光を拾い上げるように。


「太陽みたいな子でした。誰にでも笑って、誰とでも仲良くて。いたずらっ子で、よくシスターに叱られてましたけど……空を見て笑うのが、本当に似合っていて」


 その声は、まるで風鈴の音。かすかで、壊れそうで、それでいて──耳に残る。


「私……内気で、人付き合いも苦手で、友達なんてほとんどいませんでした。でも、彼女だけは気にせず声をかけてくれて……『リシェル、こっちおいでよ』『今度のおやつ、交換しよっか?』って。くだらないことで笑って、楽しんでくれて」


 俺は黙って聞く。こういうとき、男が喋る番じゃないのは、たぶん異世界どころか全世界共通だ。


「でも──あの日、帝国の使者が来て、全てが変わりました」


 その言葉に、少しだけ空気の温度が下がった気がした。遠くで祭りの音がまだ鳴っているのに、ここだけ別の世界のように静かで。


「バルナス帝国の皇太子が、“妃候補”を求めていると。アメリア様がそのお相手に選ばれたと聞いて……皆、驚いて、そして……言葉を失いました」


 彼女は、ふっと視線を落とす。


「でも、アメリア様は……何も言わなかったんです。ただ、笑わなくなった」


「……無理をしているような、とか?」


「はい。……あるいは、笑う理由を、どこかに置き忘れてしまったような、とか」


 その言葉に、俺は心の中で頷く。あの目だ、と。前世のゲームで最初に見た、城のバルコニーでの彼女の表情。作られた笑み。形だけの微笑み。演じられた仮面。


「最後に彼女を見たのは、帝国へ旅立つ朝でした。私は、修道院の裏手の丘から、こっそりと馬車を見送りました。……どうしても、直接は会いに行けなくて」


 リシェルの声が、ほんのわずかに震えた。


「窓越しに見えた彼女の目が……まるで、“誰かに大事な何かを奪われた人の瞳”だったんです」


 きっとそれは、今も彼女の胸に残っている棘だ。抜けなくて、でも忘れられない痛み。そういうのは、時間では消えない。


「……後悔しています。私がもっと勇気を出していたらって。『行かないで』って、あのとき、言えていたら──何か、少しは変わっていたのかなって」


「それでも」


 俺はゆっくりと、言葉を選びながら言った。


「──それでも、その記憶はあなたの中に、ちゃんと残ってる」


 リシェルが、少し驚いたように目を見開いた。そして──ほんの少し、微笑んだ。


「アメリア姫の中にも、きっと残ってますよ。ちゃんと、あなたと過ごした日々も」


「そうだといいですね。……ほんとに」


 その笑みは、かすかに滲んで、でも確かにあたたかかった。


「……だから、私はここへ来たんです。もう一度、アメリア様と話がしたくて。どうして笑わなくなったのか……理由が知りたくて」


 リシェルは、静かに拳を握った。その手にはもう、迷いの影はなかった。


「でも、無理ですよね……無謀ですよね。私は一介のしがない聖職者で、彼女はお姫様なのですから」


 だからこそ、俺は口を開く。


「じゃあ、その想い──俺が届けてきます」


 リシェルが、はっとしたように顔を上げる。


「え……?」


「言葉にできなかった気持ちも、届けられなかった手も。俺が代わりに持っていきます。今は、それが俺の仕事なんで」


「あなた──いったい何者なんですか?」


 問いかけに、俺は肩をすくめてみせる。


「裏稼業の配達屋みたいなもんです。盗んで、届けて、たまに世界をちょっとだけマシにする……そんな仕事ですよ」


「……本当に、不思議な人ですね」


「よく言われます。あと『怪しい』とか『信用できない』とかも、セットでよく言われます」


 俺は立ち上がった。風が、ふたたび吹き抜けていく。どこか遠くで、花火がひとつ、ぱっと開いた音が聞こえた。


 その瞬間──


 カチッ、と耳元で微かな音が鳴り、次の瞬間、無線からノイズ混じりの声が割り込んできた。


《グリ、グリ、こちらクロ。感動話の裏で盗聴大成功! ついでに演出班、花火打ち上げも大成功!》


《おいシロ、クロ連れてとっとと寝ろ。今すぐ》


《さっきの「俺が届けますよ」ってとこ、ちょっとカッコよかったよ。ね、クロ?》


《ひゅー! グリがその気なら姫様もシスターさんも抱きしめて、まとめていただいちゃえ~!》


《……お前らまじで覚えとけよ》


 口元を手で覆い、小声で毒づく。せっかく感動的なシーンだったのに、こいつらのせいで湿っぽさが全部吹っ飛ぶ。

 ……でもまあ、これが俺たちなんだろうな。どこか間抜けで、だけど大真面目で。


「リシェルさん。あなたの気持ちは、確かに受け取りました。必ず、届けますから」


 踵を返して歩き出す。視線を一度だけ後ろに戻すと──

 リシェルは、静かに目を伏せ、そっと唇を結んでいた。

 その横顔が、今度こそ、少しだけ救われたように見えた。


 そして俺は、無線に向けて小さく呟く。


《……今回、盗むのは精霊石だけじゃない》


《うん!》


《……そうだね》


 シロとクロさその言葉に間髪入れずに反応した。


《“お姫様の心”も、ぜんぶいただく》


 誰にも気づかれずに。

 誰よりも、深く。


《いいね……! なんかほんとに小説に出てくる怪盗団みたいだね!》


《クロ……私たちそもそも本当に怪盗団だから》


 ……相変わらず締まりは悪いが──


 ──モノクローム怪盗団、出動だ。

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