11話『幸福な婚礼に、祝福の音は響かない』
お祝いの場って、もっとこう……ふんわりあったかい空気に包まれてるものだと思ってた。
私たち勇者パーティーは、道中にあいつら──モノクローム怪盗団の妨害を何故か受けながらも無事にバルナス帝国に辿り着いた。
子どもが走り回って、大人はそれを眺めてにこにこしてて、ちょっと贅沢な料理の匂いが漂って──誰かが皿をひっくり返して、笑いが起きて、っていう、あれ。幸せってやつ。
でも、王宮の中は違った。
正直、笑えないぐらいに静かだった。
神妙ってレベルじゃなくて、もはや“無”だった。
「……ねえ、これ、婚姻の儀の控え室じゃなくて葬式前の控えの間とかじゃないよね?」
小声でつぶやいた私に、ノアとダリオは完全無視を決め込んだ。
まあ、気持ちはわかる。なにせ私たちは、名誉ある“来賓”だから。勇者として、国の公式イベントに呼ばれた光栄あるゲスト。
……の、はずなんだけど。
「ねえ、ノア。これ、私たち、場違いじゃない?」
「うーん。たしかに、カーテン高いし、床ぴっかぴかだし、空気が……こう、喉に刺さる感じ?」
「それ、ほぼ“場違い”って意味じゃん……」
豪華絢爛、という言葉のフルコースが目の前に広がっていた。
金刺繍の緋のカーテンに、磨きすぎて足元が歪んで映る床、天井には見るからに“庶民の年収×50”くらいのシャンデリア。たぶんあれだけで村ひとつ買える。
ノアは、そのシャンデリアの下で「ねえこれ食べていいやつ?」と皿の前で目を輝かせていたが、ダリオに「食うな、今じゃない」と肘で止められて、しぶしぶ肩をすくめていた。
でも、それはまだよかった。
──あの瞬間までは、まだ、よかったのだ。
扉が開いた。その音が、小さな鐘の音のように響いた。
「……お招きに応じていただき、ありがとうございます」
アメリア姫は、綺麗だった。
その場にいた全員が、息を止めるくらいに。
金色の髪がゆるく揺れて、青い瞳が微笑みを湛えていた。白いドレスの裾が床を滑るたび、ほんのりと花の香りが漂った気すらした。
けれど。
「……!」
姫が一歩、こちらに近づいた瞬間。
空気が、変わった。
目に見えないものが、喉にひっかかる。皮膚の裏側を、なにか得体のしれないものが走る。
感覚が、ざらついた。
私は、ずっと人を見てきた。敵も、味方も、助けを求める誰かも。
だからこそ、この感覚には覚えがある。
これは──“違和感”だ。
勇者として受け継いだ能力。
理屈では説明できないけど、これまで一度も外れたことがない。
私の“勘”が、警鐘を鳴らしていた。
アメリア姫は、笑っていた。優しく、静かに。
それは完璧な微笑だった。だが、同時に完璧すぎた。
「ご多忙の中、ご足労いただき感謝します。……皆様に、お会いできて光栄です」
言葉も、態度も、完璧だった。
でもそれは、“舞台の上”のそれだ。
目線が合わない。目の奥が笑っていない。
「姫様……お加減など、悪くはないでしょうか?」
形式上の質問を投げかけてみる。
アメリア姫は、まったく動じなかった。
「ええ。問題はありません。皆様のご無事も確認できて、安心しております」
その声に、違和感が混ざっていた。
あまりに平坦で、抑揚がなかった。
まるで感情を“切り落として”いるような。
そして私は、見てしまった。
彼女の手──ドレスの袖の奥に、一瞬だけ揺れて見えたもの。
手首の内側。
そこには、うっすらと赤く擦れた痕があった。
これは──誰かに、何かに、縛られていた痕だ。
口の中に、鉄の味が広がった気がした。
心臓が、ひとつ重く打った。
「……あの、姫様。ご婚礼について、少しだけお伺いしても?」
「はい。もちろんです」
「姫様にとって……このご結婚は、どのような……お気持ち、なのでしょう?」
空気が止まった。
ノアが「うわ……言った……」という顔で私を見ていた。
ダリオは静かに頭を抱えていた。
姫の返答が来るまでに、数秒の“間”があった。
そして──その間に。
レオニス皇太子が、隣から静かに姫へ視線を送った。
その目は、冷たい刃のようだった。
「私にとって……この婚姻は、誇りです。国の未来のために、私は最善を尽くす覚悟があります」
その声音は、完璧だった。
でも、違う。これは“台本”だ。
自分の言葉じゃない。誰かに言わされている──そんな声。
私は反射的に一歩、前に出ようとした。
「フィリア殿」
その声が、私の動きを止めた。
冷たい。ぴたりと、体の芯に届く冷気。
レオニス皇太子の声だった。
「姫の健康に関して、あまり詮索なさらぬよう。……我らが未来の女王は、あくまで清らかで、誇り高いまま、祭典を迎えるのですから」
丁寧な言葉の奥に、はっきりと“警告”が込められていた。
私はその圧に、ほんのわずか、半歩下がった。
「……失礼、いたしました」
負けたつもりはない。けれど、今ここで強く出れば──
きっと壊れてしまうのは、私ではなく、あの姫だと、そう思った。
アメリア姫は、その間ずっと、笑っていた。
完璧な、誰にも崩せない微笑みのまま。
ただ、最後まで一度も──私と目を合わせることはなかった。
そして、短すぎる接見は、終わった。
「いや、おかしいって……!」
控室を出た直後、私はそう呟いた。
言ってから、ちょっとだけ声が大きすぎたことに気づいて、慌てて口を押さえる。通りすがりの宮廷兵にじろっと見られたけど、見なかったことにしてほしい。今ちょっとセンシティブな気分なんだ。
ノアとダリオは後ろから歩いてきていて、どちらも表情に困惑を浮かべている。
でも、なんというか、あの二人は基本的に「変なことが起きてもだいたい世界がなんとかしてくれる派」なので、私のように“確信”してる顔はしていなかった。
「……フィリア?」
「ノア、さっきの姫様、なんか変じゃなかった?」
「うーん……まあ、ちょっと硬かった気はするけど。結婚式前だから、緊張してるだけじゃない?」
その言葉に、私は小さく首を振った。
“あれ”は、緊張なんかじゃない。そもそも、緊張してる人って、あんなに完璧に笑える? 機械仕掛けの時計かってくらい、全部が正確すぎた。
「……違う。あれは、心が“閉じてる”目だった。誰かと話してるのに、話してないみたいな。あの笑顔も……感情が見えなかった」
「……」
ノアが何か言いかけて、やめた。
ノアって、意外とこういうとき慎重になる。バカみたいな冗談ばっか言ってるくせに、本当に大事なときは、言葉を選ぶ。そういうとこ、ちょっとずるい。
代わりに、ダリオが低い声でぼそっとつぶやいた。
「まあ、お前の勘は、たいてい当たるからな」
その言葉が少しだけ背中を押した気がした。
……なら、動くしかない。見過ごすなんて、私にはできない。
●
式典の準備は、日を追うごとに異様さを増していった。
飾り付けは秒単位で整い、宴の演目、料理の順番、王族の入場のタイミングまで、すべてが過剰に“整っていた”。
誰もが機械のように動き、誰一人として“疑問”を持っていない。
まるで──王宮全体が、見えない糸で“操られて”いるかのようだった。
そして今、私は王宮の執務室の前にいた。
心臓の鼓動が、いつになくうるさい。
でも引き下がるわけにはいかない。もし、私の“勘”が正しいなら──この沈黙の奥に、きっと“声にならない声”があるはずだから。
扉を叩く。無駄に立派な音が響いた。
手のひらに、冷たい汗が滲んでいる。扉の奥で誰かが動く気配。ほんの一瞬、時間が止まったように感じた。
やがて扉が開く。私は一歩、部屋の中へ足を踏み入れる。
空気が重かった。足首から冷たさが這い上がってくる。
視線が、すべてこちらに集まった。
びびっちゃダメだ。びびったら負けだ。私は勇者、勇者です、たぶん。
「もう一度──もう一度だけ、お姫様とお話しさせてもらえないでしょうか」
その言葉を口にした瞬間、周囲の空気が、ぱちんと弾けるように変わった。
話していた王宮の執務官がぴたりと動きを止め、視線が私を鋭く刺した。
「……フィリア殿。お姫様は現在、ご静養中でして」
「知っています。でも、どうしても、お話ししたい事があるんです、お取次ぎだけでも。お願いです」
執務官はしばらく黙っていた。
まるで、答える事ができないかのように。
あるいは、“答えてはいけない”事情を抱えているように。
そして──代わりに、私の問いに答えたのは。
「……ようこそ、勇者殿」
レオニス皇太子だった。
執務室の奥の椅子に、皇太子自らが腰をかけていた。
その存在が、まるでこの部屋の空気そのものを支配しているかのように思えた。
窓には厚いカーテンがかかり、外の光を遮っている。まるで、世界から隔離された“舞台装置”の中にいるようだった。
皮の椅子が、沈んで見えた。いや、実際に沈んでいたのかもしれない。
光の届かない空間で、威圧感だけが積もっていた。
「姫とのご面会を希望されているようですが、理由をお聞かせ願えますか?」
その目は、笑っていなかった。
表情は微笑なのに、声には温度がなかった。
ひんやりとした水面のように、透明で、底が見えない。
「……私は、貴方ではなくアメリア姫とお会いしたいと、今そうお伝えしたつもりです」
「ええ、確かに、今そう聞きました」
「貴方に理由を話したくありません」
「おや、手厳しい。勇者様に嫌われてしまうのは避けたい事です──しかし姫は今、体調を崩しておりまして……。改めて尋ねますが、一体どのようなご用件で?」
「……姫のご様子に懸念を抱きました。婚姻が、姫の意思に反するものではないかと」
言い終えた瞬間──空気が、びしっと凍った。
この部屋のすべての温度が、突然一段階下がったような感覚。
皇太子は、ゆっくりと立ち上がった。
その動きは優雅で、だが、そこに籠もった圧は、まるで刃のように鋭かった。
「……姫が、婚姻を望んでいないと?」
「私は、“望んでいるように見えなかった”と申しているだけです」
言葉を選ぶつもりだった。でも、口から出てきたのは、感情のほうだった。
皇太子は、静かに私の前に立つ。
その距離は、ほんの数歩。けれど、それは“越えられない”距離でもあった。
「──貴女の勘は、時として真実に至るのでしょう。勇者とはそういう存在ですから。だが……真実が、必ずしも世界にとって幸福であるとは限らない」
「それは、“誰の幸福”ですか?」
私は問い返す。
声は、自然に出た。けれど、内心では、冷や汗が背中を伝っていた。
心が震えるほどの恐怖が、足元を掬おうとしていた。でも、目だけは逸らさなかった。
レオニス皇太子は、ほんの一瞬だけ沈黙し、そして──微笑んだ。
その微笑には、情がなかった。
ただただ、“よくできた仮面”のように、美しく冷たかった。
「……この話は、これでおしまいにしましょう。姫は大丈夫です。彼女は、自らこの道を選び、誇りを持って立っている。……それ以上のことを知る必要はありません」
「でも、私は……!」
「──以上です」
静かで、だが、明確な拒絶だった。
それは、“壁”だった。王国の中心にある、“権力”という名の絶対的な壁。
声をかけても、叩いても、跳ね返される。ここでは、勇者の言葉すら意味を持たない。
私はその前に、ただ立ち尽くすしかなかった。
けれど──それでも、思った。
(私の勘は、間違ってない。間違っててほしいけど……でも、間違ってない)