おとなりのバン族さん
世の中には二種類の人間がいる。
狩る者と狩られる者……誰もがそのどちらかに与することになるとすれば僕、桃園虎太郎は、間違いなく後者に該当するだろう。
今年で十六になったが、ようやく百六十センチに届いた身長は同年代の学友たちに比べて明らかに小さく、未だに中学生に間違えられる童顔と相まって、僕は自分に自信が持てないでいた。
そんな身長もなければ、お金も社会的地位も何もない弱者の僕でも、多少なりとも誇れるものはあった。
「……よしっ」
小皿に取った出汁の味を確認した僕は、想定通りの味を出せたことに満足して頷く。
並行してささがきしたゴボウとニンジンを炒めているフライパンの中に砂糖と酒、しょうゆ、本みりんを加えて汁気がなくなるように炒めていく。
人に誇れるようなものがない僕だが、料理だけは昔から好きで、高校入学を期に親元を離れて一人暮らしをすることになった今では、生活費を浮かすのに大いに役立っている。
「ほうれん草のお浸しも作ったし、後はご飯だけだな」
炊飯器を見て残りの時間を確認した僕は、今のうちに使った食器類を洗うことにする。
冷たい水と戦いながら食器を洗っていると、玄関のチャイムが『ピンポーン』と軽快な音を立て、続いて扉が激しくノックされる音が聞こえる。
「はいはい、今行きま~す」
来客について思い当たる節がある僕は、作業をいったん中止して玄関へと向かう。
といっても一人暮らし用の1LDK(トイレ、風呂別)の狭い部屋だ。すぐに玄関に辿り着いた僕は鍵を開けて扉を開ける。
「虎太郎、お腹すいた~」
すると、盛大に音を立てる腹を押さえている見上げるほどに巨大な影がいた。
今にも泣きそうな困り顔をしている人物の登場に、僕は苦笑しながら話しかける。
「おかえり、斬子ちゃん」
「うん、ただいま。今日も疲れた」
「……みたいだね」
そう言って僕が横に退くと、優に百八十センチは超える身長の大柄な少女が、羽織っていたコートを脱ぎ、屈みながら室内に入って来る。
黒いセーラー服に同じ色のロングスカートに身を包み、腰まで伸びた緑の黒髪が眩しいこの子は鬼丸斬子《おにまるきりこ》ちゃん。僕の家の隣に住む、とある場所からの交換留学生だ。
思いっきり日本人の名前なのに、斬子ちゃんが交換留学生なのは、彼女のある特徴を見れば何となく察することができる。
「お邪魔します」
そう言って斬子ちゃんが靴を脱ぐために屈むと、彼女の頭に真っ白な牙のような形をした二本の突起物が生えていることに気付く。
「ん? どうしたの?」
「いや、相変わらず綺麗な角だなって思って」
「ヘヘッ、そう? これはあたしたちバン族の誇りだからね」
角が褒められたことが嬉しかったのか、斬子ちゃんは頭の角を愛おしそうに撫でてはにかむ。
そう……角だ。
実は斬子ちゃんは、十年前に突如として日本近海に現れた島、桃太郎の話に出てくることでお馴染みの、鬼ヶ島からやって来た本物の鬼なのだ。
実は鬼ヶ島は何百年も前にそこにあったそうだが、島を守る結界が維持できなくなったとかで表に出てくることになったという。
人とは違う、鬼という種族の登場に当時は大きな混乱が起きたそうだが、鬼の代表たちと日本政府の話し合いの末、鬼ヶ島を特別自治区として認め、一部鬼の移住を認めた。
その内の一人が、鬼の中で最強と謳われるバン族の長の娘である斬子ちゃんというわけだ。
角というわかりやすい特徴はあるが、それ以外は普通の女の子、しかもかなり美人でスタイルがいい斬子ちゃんが初めて本州に来た時は、それは大いに盛り上がったそうだ。
斬子ちゃんが転校して来た時も、色んな人が校門前に押し寄せて来て大変だったことを思い出していると、コートをハンガーにかけていた斬子ちゃんにトントンと肩を叩かれる。
「ねえ、虎太郎。シャワー貸して」
「い、いいけど着替えは?」
「大丈夫、一度家に帰って持って来たから」
そう言って斬子ちゃんは、手にしたスポーツバッグを掲げる。
家が隣なのだから、自分の家で入って来ればいいじゃないかと思わなくもないが、女の子からのお願いを断れるはずもないし、別に今日が初めてというわけじゃない。
「いいよ。タオルは中のやつ勝手に使っていいから」
「ありがとう。じゃあちょっと借りるね。返り血、洗い流してこないと」
何て恐ろしいことを言いながら、斬子ちゃんは風呂場へと向かう。
「あっ、制服はわかるところに出しておいてね。後でクリーニングに出すから」
「うん、よろしく」
「わっ、とと!」
声と共に投げられたものを慌てて受け取ると、それは彼女が来ていたセーラー服だった。
「虎太郎……」
名前を呼ばれて顔を上げると、脱衣所から首だけ出した斬子ちゃんと目が合う。
「匂いを嗅ぐぐらいなら、好きにしてもいいよ」
「――っ!? し、しないよ!」
僕が慌てて否定の言葉を口にすると、斬子ちゃんは笑いながら脱衣所へと消えて行った。
「……ふぅ」
風呂場から聞こえてくる斬子ちゃんの鼻歌と、シャワーの音に心臓がドキドキするのを自覚しながら、僕は彼女が来ていた制服の様子を確認する。
「……うわっ」
すると、セーラー服のあちこちに誰のものかわからない血の跡を見つけ、クリーニングに出す前に少しでも落としておこうと洗面所へ向かう。
血の跡を水で洗い、シミとなっている部分は中性洗剤とぬるま湯で洗っていく。
この作業もいつものことであるが、僕はセーラー服を丹念に洗いながらシャワーを浴びている斬子ちゃんに話しかける。
「斬子ちゃん、今日は何人ぐらいの人と戦ったの」
「十二、三人ぐらいかな? どいつも弱すぎて話にならなかったよ」
「怪我は?」
「するわけないよ。全員きっかり病院送りにして帰って来ただけ」
「そう……」
話の内容は物騒であったが、僕は内心でホッと一息吐く。
斬子ちゃんの制服が彼女ではない血で汚れているのは、彼女が日本に来た時のある宣言が原因だった。
「この国には婿を探しに来たの。あたしと結婚したかったら力で屈服させてみてよ」
何て宣言したものだから、斬子ちゃんと結婚したいと思う腕に覚えありの男たちが、全国から挑戦状を叩きつけに来るようになったのだった。
ただ、鬼の力は人とは一線を画すもので、斬子ちゃんとまともに勝負になった男はいない。
対戦相手が負けを認めるまで続けられる勝負は、毎度凄惨な光景になるそうで、最初こそ盛り上がった斬子ちゃんの婿探しは、徐々に風向きが変わっていったそうだ。
前述の通り、僕は間違いなく狩られる側の人間であるが、一つだけ幸運があるとすれば、斬子ちゃんが隣に引っ越してきたことだ。
今では憧れよりも畏怖で見られることが多い斬子ちゃんであるが、僕だけは他の人が知らない彼女の秘密をいくつも知っていた。
「あ~、さっぱりした」
風呂場から出てきた斬子ちゃんは、長い髪をまとめながら今の座布団にあぐらをかいて座る。
「今日のごはんは何かな~?」
テーブルの前で上半身をゆらゆら揺らしている斬子ちゃんは、トラ柄のスポーツブラとホットパンツといった彼女曰く「鬼たちの最もポピュラーな衣装」という、正直なところ非常に目のやり場の困る格好をしている。
しかも上から見ると、たわわに実った双丘の谷間が飛び込んで来るので、きっと男として見られていない僕としては、どうしたらいいか困ってしまう。
ただ、長くしなやかな手足に、綺麗に六つに割れた腹筋は見事なもので、普段は晒されることがない斬子ちゃんの素肌を見られるのは、家族以外では僕だけの特権といえた。
「ねえ、虎太郎。ご飯まだ?」
「うん、今できたからそっち持ってくよ」
斬子ちゃんの声に応えた僕は、なるべく彼女の胸の谷間を見ないようにしながら完成した料理を居間のコタツの上に置いていく。
「今日は寒いからおでんにしてみたよ」
「やった。おでん大好き!」
両手を上げて喜ぶ斬子ちゃんの大きな胸がまたしてもたゆん、と揺れるが、僕はなるべくそちらを見ないようにして鍋からおでんを取り分けて行く。
副菜のきんぴらごぼうとほうれん草のおひたし、そしてごはんと漬け物を用意したところで、僕は斬子ちゃんの正面に座る。
「それじゃあ、虎太郎」
「うん」
僕たちは互いに頷き合うと、
「「いただきます」」
二人で唱和して今日の晩御飯を食べ始める。
戦うのが大好きで、世間では乱暴者と思われるかもしれないバン族の斬子ちゃんであるが、ご飯の時は様子が一変する。
「わぁ、柔らかい」
スッ、と簡単に切れるほど煮込まれた大根を箸で掴む斬子ちゃんは、先程のあぐらか居住まいを正して正座になっている。
背筋をピンと伸ばし、美しいハの字を作った箸で大根を口元へと運ぶ斬子ちゃんは、何処かの令嬢かと見紛うほど一つ一つの所作が綺麗だ。
「……ほぅ」
さらに嚥下して口を押えてホッと息を吐く様は絵画として残したいと思うほど美しく、僕は思わず手を止めて彼女に見惚れていた。
呆けたように佇む僕に、斬子ちゃんは見惚れるような優し気な微笑を浮かべる。
「虎太郎、とってもおいしいよ」
「そ、そう、よかった……ハハハ」
見惚れていたことを指摘されなくてよかったと思いながら、僕も大根をひと口大に切って口に放る。
「うん、おいしい」
仲間でしっかり出汁が染み込んでいることに満足しながら、他のおかずへと手を伸ばしていく。
すると、
「あっ、何これ」
「ん?」
斬子ちゃんの驚いた声が聞こえ、僕は何かあっただろうかと思いながら彼女に尋ねる。
「どうしたの? 何か食べられないものでもあった?」
「ううん、そうじゃないけどこれ……」
そう言って斬子ちゃんは、おでんの中から灰色の塊を取り出す。
「おでんの中に里芋が入ってる」
「うん、そうだね」
それがどうしたの? という風に首を傾げると、斬子ちゃんから思わぬ一言を告げられる。
「おでんに里芋って珍しくない?」
「えっ、そうなの? 僕の家では子供の時から入ってたけど……」
おでんも家庭によって味付けや入っている具材が変わることは多いと思う。
共通していることといえば、味付けをした出し汁に練り物を入れて味に深みを出すことぐらいで、後はタコが入っていたり、鶏肉や牛串、餅入りの巾着が入っていたりと具材に関しては正に千差万別だろう。
「おでんの主役は大根であることに異論はないけど、僕としては大根の次に里芋が好きだったりするよ」
「へぇ、そうなんだ。面白い」
僕から里芋の魅力を聞いた斬子ちゃんは、一度出汁に浸してから里芋を口へと運ぶ。
「うん、ホクホクでおいしい。あたしこれ、かなり気に入ったかも」
「でしょ?」
自分が好きなものが認められたことが嬉しくて、僕はおでんの魅力について斬子ちゃんに話していく。
好きな料理の話で思わず饒舌になっちゃったけど、僕の話を斬子ちゃんは飽きもせず、適度に相槌を打ちながら付き合ってくれる。
その顔は戦っている時はもちろん、学校で友達といる時も見せないようなリラックスした優しい笑顔で、この笑顔を独占できるだけで僕はちょっとした優越感に浸れる。
いつか斬子ちゃんのお眼鏡にかなうような人が現れ、彼女がその人と結婚するその時が来るまで、一日でも長くこの笑顔を見ていたいと思った。
程なくして楽しい夕餉に時間は終わり「ごちそうさま」をして片付けが終わったら、後は斬子ちゃんを見送るだけだ。
「それじゃあ、虎太郎。また明日ね」
「うん、また明日」
挨拶を返しながら、僕は斬子ちゃんに明日の献立を尋ねる。
「明日は何か食べたいものがある?」
「何でもいいよ。虎太郎が作るご飯はどれもおいしいから、毎日楽しみにしてる」
明日の朝食のサラダとサンドイッチへ視線を落とした斬子ちゃんは、聞こえるか聞こえないくらいの小さな声で呟く。
「虎太郎の料理なら、これからもずっと食べていたいな」
「えっ?」
「ううん、何でもない。おやすみ」
顔を真っ赤にした斬子ちゃんは、慌てたように手を振って逃げるように去っていった。
「……おやすみ」
閉じた扉に向かって手を振りながら、僕はさっきの斬子ちゃんの言葉と表情を思い返していた。
耳まで真っ赤にして、慌てふためく斬子ちゃんはまるで……、
「いやいや、まさかね」
僕は思わず浮かんだ淡い期待を振り払うようにかぶりを振ると、さっさと風呂に入って寝てしまうことにした。
狩られる側でしかない弱者の僕であったが、少し……ほんの少しだけ今の立場を脱して斬子ちゃん側に立って見たい。
そんなことを思った何でもない日の夜だった。
本作をよんでいただきありがとうございます。柏木サトシです。
今作はふと思い立って短編を書いてみようと思ったみたのですが、いかがでしたでしょうか?
いつも異世界ものばかり書いていますので、たまには現代作品をと思ってちょっと非日常な一場面と淡い恋心を書いてみました。
面白かった。続きを読んでみたいかも?と思っていただけましたら下記の☆で評価やいいねをしていただけると嬉しいです。
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現在週一連載の『チートスキル……』の方も来週あたりからぼちぼちペースを戻していきたいと思いますので、そちらの方も併せてよろしくお願いいたします。
改めまして、ここまで読んでいただきありがとうございました。