第6話:研究所の扉と金木犀の記憶
『にゃ?』「こら、ダメですよ、邪魔したら」『にゃ』「どうしたんです?あなたが気になるなんて」『ゴロゴロ』
温かな日差しが天窓から降り注ぐ。小さな教室の黒板の図を見ながら、私はエーテルと蒸気機関のようなギアの組み合わせに笑顔が抑えきれない。
つらつらと黒板に書かれるリリーの文字は、独特であり、正直に読みづらい。自動翻訳の首輪を外してみれば、みみずにしか見えなかった。この偉大なギアをもっても翻訳できないことがあると、ひとつ知った。
だが、さすが異世界。黒板の文字を注視すれば、キラキラな線が引かれ、宙に浮かぶ板に補足説明が自動で筆記される。
その宙に浮かぶ文字に触ろうとすれど、捉えられない、このエーテル技術は私のいた世界では考えられないものだったが、今しがたのリリーの説明でその仕組みの一端が見えてきた。
-…そう、それは、私が初めてエーテル技術に触れた日だったといえる…-
翌日、私はリリーに導かれてクロックタウンの研究所へと足を踏み入れた。今日のリリーはパンツスタイルで、その青い瞳と同じ色のジャケット姿だった。
「今日のお加減は如何ですか?」「ええ、おかげさまで元気ですよ。昨日のパンケーキ、美味しかったですね。夕飯のときにご一緒した方、さっきの子に自慢してしまいましたよ」「そうでしたか。私も好きなお店なので喜んでもらえて嬉しいです。今度はあの子とも行きたいですね。」
奥へ進むごとに金属の香りが濃くなり、どこか重厚な空気が漂っている。リリーが迎えに来てくれてそのまま「ここ」に向かって歩いていた。
昨日はパンケーキを食べて、石鹸など買って病院に戻った。リリーおすすめの石鹸は木箱に入っており、なにげなく開けたら芳醇な薔薇の香りが男湯一面に広がった。
風呂場の鏡に映る少年の私の、バツの悪い顔を思い出す。華やかな薔薇香を纏ったまま、食堂で食事を取る気にもならず、部屋に持ち帰ろうと食堂に寄った。
「お兄ちゃん、いい匂いだね!」「ええ、まあ」『フン!』「うーた、ご機嫌だね」「このうさぎさんはうーたさんと言うのですか?」「うさぎの歌右衛門だよ!」「プー!!」「歌右衛門さんでしたか」「8歳なんだ!僕と同い年なの!」「長生きなうさぎさんですね」
昨夜、寝所を共にした歌右衛門さんが飼い主と夕飯中のため、なんとなく同席してしまう。こんな子どもひとりで病院なんて、と思ってしまったからだと、わかってはいる。歌右衛門さんが足の上に乗ってきたので強制的に足止めされた訳ではない。
「へー、僕もそのパンケーキ屋さん、行きたいな」「退院したらご一緒しましょう、私の友人も連れて」「えー、彼女さん?うたさん、浮気されてるよ?」『フン!!』「歌右衛門さんはメスですか?」「もちろん!見てわかるでしょ?失礼な彼氏さんだね、うーさん!」
私の膝を蹴ってきた歌右衛門さんに異世界の理不尽さを感じたが、なんとか歌右衛門さんを落とさないことに成功する。
彼は生まれつき骨の形が悪いらしく、定期的に骨を伸ばす治療をしているらしい。そんな彼から「初めてのエーテルギア「不思議」って気持ちに回答します!」という本と、何故か歌右衛門さんをお貸し出し頂く。よくわからないが、私と一緒にいたいと仰っているそうだ。
「じゃあ、また夜に!」「はい。治療頑張ってくださいね」「私も応援してますよ」
朝にリリーが迎えに来た時、私は彼から歌右衛門さんが好きなマッサージを習っているところだった。夜の約束をして、リリーと歩き出す。
「ここが研究所です。街にあるエーテルギアはここで試作と改良が重ねられています」
彼や歌右衛門さんの話で、気がついたら大きな門の前だった。通りに面した柵からは真っ白な作業着を着た技師たちが忙しそうに装置の調整や修理に勤しんでいるのが見えた。
そのまま脇の小さな通用門を通り、廊下に入る。この世界特有の、相変わらず、壁にはエーテルを通す管が張り巡らされ、時折、緑色の光が流れるように瞬いている。
「今日はエーテルの基礎ですが、お渡しした本はどこまで読みましたか?」『にゃ〜』「全て読み切りました」「え?」
少しリリーが止まる。驚かすことに成功し、少しだけだけ楽しくなりながら、我々は小さな部屋の前に辿り着く。
案内された部屋の中は黒板や小型のエーテルギアが並んでおり、実験に必要な器具が整然と置かれている。黒板の前の机にはノートと鉛筆、箱に入った小さな部品類に、片眼鏡のような何かが置いてあった。
ふと、廊下を振り返るが、どのように辿り着いたか、思い出せない。私ひとりなら遭難するだろう。『にゃ〜』「パタン」と閉まらない。
『に゛!』「あ、リリー、その子が異世界からの方ですかって、またあなたですか!一体、どこから入ってくるんです?ほら、廊下ぐらいならいいですけど、部屋の中は危ないからダメです!」「すいません、カークさん。部屋を使うので、その猫さんをお願いします」。
我々は部屋に入り、部屋に入ろうとした猫を抱きながらカークさん(?)が部屋から出ていった。
そして何事もなかったように「では最初に簡単な理論を説明します」とリリーは言うと、黒板にエーテルの流れと機械の仕組みを示す図を描き始めた。
黒板はコクピットのように半透明な側面板を展開、トピックや言葉の説明が同時かつ自動で筆記される。スカウターみたいなギアは私のエーテルや目の動きから、私の疑問を読んで展開してくれるらしい。
リリーの講義は大変、簡潔でまず、エーテルがギアにどのように影響を与えるのか、そしてエーテルコンダクターがどのようにしてエーテルを機械に送り込むのかをわかりやすく説明してくれる。
「エーテルコンダクターの目的は安定供給、出力制御です。エーテルはバッテリーに蓄積され、この緑色の輝きは、エーテルが十分に蓄積されているサインです」
「なるほど、コンダクターが整流器、ギアが増幅と作用の機構か。本には蒸気機関と組み合わせたものもありましたが?」
リリーは微笑を浮かべて頷いた。「その通りです。エーテルがあることで、単なる蒸気機関よりもはるかに高い効率が得られます。しかし、蒸気機関と組み合わせると大型になるため、主に街の設備などに使われます」
リリーがコンダクターを操作すると、ギアが緑色の輝きを放ち、小さな歯車が規則正しく動き出した。
「では、実際に試してみましょう」
リリーの指示に従い、私は装置の各部品を慎重に組み合わせていく。
未知の技術だが、リリーが優しく指導してくれるおかげか、するすると形になってきた。
「橘さんは、とても器用ですね」
リリーが感心した様子で言うと、私は少し照れくさそうに答えた。「元の世界でも技術者だったんです」
「なるほど」とリリーは微笑みながら説明を続けた。
「エーテルは、周囲の自然や生き物から生まれる力です。私たちはその力を日々の生活に活用しています。そして異世界から来られた方々がエーテルの新しい発見をすることもあるんです」
そして、今組み立てたメリーゴーランドのエーテルコンダクターを手に取った。くるくる回る緑色の輝き。そこには、この街と人々が生み出した調和の象徴のようなものが感じられた。
「橘さん、次は橘さんオリジナルのギアを作ってみますか?」




