表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

8/8

8

 

『シュシュリア、シュシュリア』


 ヴォルフラムの声が聞こえてくる。わたくしは眠いので放っておいてほしい。頬をぺちぺちするのはやめてちょうだい。いつまでもそんな悲劇のヒーローみたいな体制でわたくしを抱きかかえていないで、さっさと医務室にでも運んでほしいものだわ。


『起きてください。意識があるのはわかっているんですよ』


 わたくしの視界はまっくらだ。目を閉じているから。とにかく眠い。わたくしがヴォルフラムの言う事なんて素直に聞くはずがないのだわ、今起きると面倒な事になりそうだし。


『仕方ありませんね』


 よしよし、そのままわたくしを運んで、事後処理が終わったころに起こすのよ。


『失礼します』


 唇にやわらかいものが触れて、じんわりとした心地よさがわたくしを包み込む。このまま眠ってもいいのだけれど、何かしら、これ……?


「……!」


 ──唇を、唇でふさがれているっ!


 そう認識した瞬間に、全身に魔力がめぐって、わたくしは覚醒した。目を開いたと同時にヴォルフラムにビンタをかまそうとしたけれど、あえなく手首をつかまれてしまう。


「あ……あなたねえ、公衆の面前で、未婚の令嬢に、なんという破廉恥なことをするのよっ!」


 婚約は破棄したからどうでもいいけれど、それにしたってもう少し、人気の無いところで「口づけしてよろしいでしょうか」「ええ」ぐらいのやりとりはあってしかるべきなのだわ。


「魔力を使い果たして気絶する寸前と見えたので、手っ取り早く魔力を供給いたしました」

「ああそう、それもそうね……って、別の方法がいくらでもあるでしょうに!」


「役得です」


 しれっと悪びれもしないヴォルフラムには構うだけ無駄なのだとわたくしは知っている。ああ、怒りすぎたのか、この部屋、暑いわ。


「あなたの辞書には謝罪の言葉が欠落しているようね」

「申し訳ありません、これは好機と思ったのは事実です。意思確認を怠っておりました。では改めて……」

「あのねぇ……」


「公衆の面前で乳繰り合うな! お前たち、この状況を説明しろ! ステラが……いや、俺の、体がっ!!」


 ラドリアーノが半狂乱になるのも無理はない。何しろ、彼の指先は、砂の様に崩れ始めているのだから。


「ラドリアーノ様。あなたはすでに、死んでいるのですよ」


 わたくしはゆっくりと、今までのわたくしの任務について語り始める。


「わたくしはリベルタス公爵令嬢として、不慮の事故で亡くなられたあなた様の蘇生を、国王陛下直々に依頼されました」


 不慮の事故で死んでしまった王太子に対し、わたくしは蘇生魔法を使った。しかし、人間の蘇生魔法は神の使う万能の奇跡ではない。常にラドリアーノの側にいて、彼の動向に気を配り、魔力の供給が途絶えないようにしなくてはいけなかった。


 かつてのステラとラドリアーノもそうだったのだろう。彼は魔王の手先であるステラの傀儡として操られていたのだ。そして情報を流し、最前線にいるわたくしたちへの物資を滞らせ、破滅させ、守護者のいなくなった国を乗っ取るための駒にされた。


 ヴォルフラムは戦いの途中でそのことに気が付いたけれど、既に遅かった。だからわたくしに『時渡り』を使い、未来を託した。


 ──わたくしが、今度は正しい道を選ぶと信じて。


「俺を弄んでいたのか!?」


「わたくしはもちろん、反対いたしました。殿下がお亡くなりになられたのは皆の忠告を無視して鷹狩りに行かれた時の出来事でしたし、わたくしが禁呪である蘇生魔法を習得している事はリベルタスの一族の機密事項でもありました。……何より、陛下は第二王子を世継ぎにすると決めていたのですから」


 ずっと昔から見限られていたのだと告げられて、ラドリアーノは膝から崩れ落ちた。


「国を保つためと言われて……わたくしは出来る限りの事をいたしました。けれど高度な術を維持するにはそれ相応の代償と、そして、しっかりとした『制約』が必要です


「制約……?」

「代償は、わたくしの行動と魔力が制限されること。制約──それは「王太子ラドリアーノが術関係なく、わたくしを必要とするかどうか」。愛さなくともよいのです。わたくしがこの国にもたらしている利益についてあなたが正しく理解し、尊重してくだされば、わたくしは協力を続けたでしょう、怠惰な無能の汚名を着せられてもね」


 ラドリアーノが手を伸ばして、わたくしは一歩後ろに下がった。彼に歩み寄るつもりは毛頭ない。


 おそらくこの世界線のステラは、ラドリアーノを殺し、傀儡として復活させ、操るつもりだった。けれどわたくしが現れたことでその計画が崩れた。能力が信頼されていないラドリアーノの寵愛をただ受けるだけでは、国政になんの影響ももたらすことはできない。


 じりじりと追い詰められていったステラは、邪魔なわたくしをラドリアーノから引き離そうと考えて、ヴォルフラムのかけた罠にひっかかった。ステラが回復魔法をあやつる真実の聖女で、わたくしの術によってラドリアーノの命が保たれている事がわかるならば、愛があればそれを解除させようなんて思わないだろうし、わたくしの代わりにその任務を引き受けようとするだろう。


 誰からも愛されていなかったのは同情に値するけれど、もうわたくしには関係の無いことだ。彼は何度でもわたくしを死地に送り込もうとする男なのだから。


「シュシュリア、助けて……助けてくれ!」


「もう、あなたはわたくしの助けなど必要ないのでしょう? さようならです。あなたは間違えた。何度もね」


 返事は無かった。王太子ラドリアーノは砂となって消えた。すでに無かった命、約束を違えた相手とはいえ良い気分ではない。


 ……何よりも、これでわたくしはすがる王太子を冷たく突き放した氷の令嬢。もう近寄ってくる男性なんていないでしょうね。別にいいけれど。


 大広間はしんと静まり返っている。


「それでは皆様、ごきげんよう。わたくし、疲れたので本日はこれにてお暇させていただきますわ」


「お送りしますよ」


 王太子の椅子に背を向け、身を翻したわたくしにヴォルフラムが声をかけた。


「結構よ。自分の仕事があるでしょう。ヴォルフラム、あなたはこの国の致命的な欠陥を見付け、それを解決してみせた。英雄様には護衛の仕事なんてしている暇はないわ」


「この作戦は、あなたが居てこそです、シュシュリア・リベルタス公爵令嬢」

「作戦ねえ。作戦なら、先に教えておいてほしいものだわ。あんなに熱烈な偽恋文まで用意して。わたくしが本気にしたらどうするつもりだったのよ」


「本気にしてください」


「はぁ?」

「あの手紙に書いてある事は本当です」


 ……先ほどから思っていたのだけれど、この部屋、ものすごく暑い。涼むために魔法を使っても暑い。それはわたくしの氷魔法を打ち消すほどに、ヴォルフラムの感情と魔力が混ざり合って、だだ漏れだから。


 つまり彼は今、魔力の制御を少しだけ忘れるほどに、何かに集中しているのだ。何かって、つまりわたくし。わたくしに語りかけることに、ヴォルフラムは全力を傾けているのだ。そんな状況でわざわざ嘘や冗談を言う理由がない。つまりあの粘着質な恋文は全て本心ということ。


 ……ヴォルフラムが……あのヴォルフラムが、わたくしの事、を好き??????


「あなたが使命から解放されて自由の身になった。今度は自分があなたの伴侶に立候補したいのです」


 一歩にじり寄ったヴォルフラムから、一歩うしろに下がって距離を取る。けれど、彼はあっと言う間に距離を詰めてくる。


「……恩返しは不要よ」

「恩返しではありません。自分のためです」


 ヴォルフラムがわたくしの手を握った。


「ずっとあなたの事だけが好きでした。自分でもいつからなのか、わからないぐらい」


 ヴォルフラムはいつもまっすぐにわたくしを見ている。今も、きっと、昔も。彼は本気だ、いつだって。やるといったらやるし、やらないと言ったらやらないのだ。


「シュシュリア・リベルタス公爵令嬢を我が妻にいたしたく、日々研鑽を重ねてまいりました、剣を修め、魔王を倒しました。後は何をすればよろしいでしょうか?」


 どんな無理難題を押しつけられたところで、ヴォルフラムを止める事はできないし、目的のためならば世の理だって捻じ曲げてしまう男であることを、わたくしが一番知っている。


「んん……そうねえ、別に、何もしなくていいわ。必要になったら呼ぶから」


 わたくしは負けはしない。彼がわたくしより強いからと言って臆することはない。ここで主導権を握られてたまるものですか。


 わたくしは高嶺の花。そう簡単には手折られる訳にはいかない。国家筆頭魔導士だろうが、聖騎士だろうが、国中の乙女から恋慕のまなざしを受けているとしてもこいつはヴォルフラムで、わたくしはシュシュリア。そう簡単にデレては、リベルタスの名がすたると言うもの。


「では、何の任務もなく、ただお側で好きにしてよいと?」


 すすす、とヴォルフラムがわたくしの右後ろの位置を取った。難易度が高いほど燃える性格だと完全に失念していたわね。まあ、わたくしより前に出ないと言うのならいいでしょう。


 かつてヴォルフラムと過ごした日々は最低だったけれど、悪くはなかった。ただ一つ、ヴォルフラムがわたくしより先に死んでしまった事を除けば。


「別に……あなたの好きにすればいいんじゃないかしら」

「ありがたき幸せ」

「……強いて言うなら、死なないでね。回復魔法は役立つけれど、大変だから」

「心得ております」


 眼鏡がない顔で、ヴォルフラムはにっこりと笑った。こういうのも、悪くない。

お読みいただきありがとうございました。下の☆☆☆☆☆で評価していただけると、励みになります。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ