士族のデートは大小を差して
1~3枚目の挿絵の画像を作成する際には、「Ainova AI」を使用させて頂きました。
そして4枚目の挿絵の画像を作成する際には、ももいろね様の「もっとももいろね式女美少女メーカー」を使用させて頂きました。
明治四年に公布された散髪脱刀令で定められたのは、あくまでも帯刀の自由化であり禁止ではない。
それ故に、士族の家系に生まれた者は二十一世紀の今日においても、当人の判断で腰に大小を二本差しする自由を持ち合わせているの。
私こと岩屋茉穂も士族の娘である以上、武士の魂である業物はキチンと帯刀するよう心掛けているんだ。
とはいえ正式に帯刀出来るのは中学を卒業する満十五歳になってからだし、高校生になっても進学先の校則次第で二本差し出来るか否かは大きく変わってくるのだけれどね。
運の悪い事に、私の進学した女子高は堺県内でも特に厳格な進学校なので、たとえ士族であっても本差の帯刀は校則で禁じられていたの。
自家用車やバイクを用いた通学、それに過度な化粧と同様にね。
校則の自由な共学校へ進学した従姉がブレザーの腰に二本差ししているのを見る度に、地味なセーラー服に躾刀の脇差だけを帯びた自分が、何とも惨めで情けなく感じられたの。
だからこそ、受験戦争を勝ち抜いて畿内大学への合格を果たした時には、「これで大っぴらに二本差しが出来る」って喜んだんだ。
ファッション誌を参考にした春物コーデのキャンパスルックに、両親からプレゼントされた太刀と脇差を二本差ししたサム・ブラウン・ベルト。
そんな士族階級に属する女子大生の模範例みたいな出で立ちで大学デビューを果たした私だけど、早々に出鼻を挫かれる羽目になってしまったの。
何せキャンパス内で帯刀している学生を、私を除いて殆ど見かけなかったのだからね。
あまりにも少な過ぎるので、最初は「畿内大学における士族はマイノリティで、私以外に殆ど在籍していない」とも思ってしまったの。
だけど士族会の会合でSNSアカウントを交換し合った子達と顔を合わせた事で、それは間違いだと分かったんだ。
「どうして帯刀しないかって?そう言う岩屋さんこそ、どうして帯刀なんてしているの?しかも御丁寧に二本差しなんて…」
私に質問をぶつけられた士族の子達は、まるで狐に摘まれたような顔で問い返してきたの。
「太刀と脇差を両方とも帯刀していたら、重くて嵩張っちゃうでしょ。岩屋さんみたいに帯剣ベルトを使ったとしても、コーディネートに支障が出ちゃうし。」
「そもそも私達が帯刀しなくたって、お巡りさんみたいな公安系の人達が守ってくれるから大丈夫じゃない。」
彼女達の主張は、昨今の士族の間で話題になっている「若者の帯刀離れ」の極地と言えた。
確かに真剣は護身に役立つけれど、高い殺傷能力を有するが故に何かと規制がかけられているんだ。
往来で無闇矢鱈と抜刀すれば警察沙汰だし、我が身を守る為に相手を切り捨てても正当防衛を立証するには手間が掛かってしまう。
降りかかる火の粉を払う代わりに踵を返そう物なら、「武士でありながら敵に背を向けるとは何事だ?」と後ろ指を差される始末。
そんな面倒な事に巻き込まれる心配をしてまで、重くて嵩張る二本差しなんて持ち運びたくない。
彼女達の言い分は、私にも理解出来る物だったの。
しかし家禄を始めとする様々な特権を失った二十一世紀の士族にとって、腰間に帯びた大小の二本差しは武士の誇りを再認識させてくれる数少ない縁でもある。
その誇りの象徴を軽んじるなど、私には思いもよらぬ事だったんだ。
他の士族の子達が脱刀する自由を行使するのなら、私は大小を二本差しする自由を行使しよう。
そうして帯刀スタイルでの通学を始めた私だけれど、キャンパス内で時折向けられる物珍しそうな視線には閉口させられたよ。
恐らく周囲の学生達からは、愚直で古臭いアナクロニストとでも思われていたのだろうね。
そんな具合に出鼻を挫かれた私のキャンパスライフが俄に好転したのは、ある講義の受講がキッカケだったんだ。
全学共通の基礎科目という事もあり、大教室には様々な学部の一回生達が集まっていたの。
中でも前列の講義机の左端にかけた男子学生は、特に異彩を放っていたんだ。
凛々しく整った意思の強そうな面持ちと、洋服の上からでも確認出来る靭やかに鍛えられた体躯。
そして何より、私と同様に腰に帯刀した大小の二本差し。
そこまで高価な拵ではなさそうだけど、太刀も脇差も手入れが行き届いていて綺麗な物だったよ。
少なくとも、この男子学生が士族としての誇りを重んじる人種だという事だけは間違いないね。
「あの、すみません…もしかしたら、貴方も…?」
「御覧の通り、君と同じ人種だよ。士分を持つ一回生同士、御互いに懇意にさせて頂きたい所だね。」
終業のチャイムに弾かれるように飛んできた私に、その男子学生は意思の強そうな視線をピッタリ向けて応じたんだ。
目配りも身のこなしも、寸毫微塵の隙も無い。
子供の頃から武芸に勤しんできたという事は、私にも一目瞭然だったの。
「文学部古文書学科一回生の淡路養宜。淡路一刀流の跡目を継ぐ以上、古武術に纏わる古書を原文で読めた方が良いと思ってね。ところで、君は?」
「総合社会学部一回生の岩屋茉穂です。私は淡路さんとは違って、剣術は新陰流を人並みに齧った程度でして…」
やはりと言うべきか、予想以上と言うべきか。
この男子学生は幼少時から剣に慣れ親しんでいるばかりでなく、剣術指南所の跡取りでもあるらしい。
士族としての心構えは、私なんかより格段に役者が上だった。
正直言って、軽々しく話し掛けてしまって申し訳無い限りだったの。
だけど…
「成る程、道理で…帯刀しての立ち振る舞いが美しいと思っていたら、剣術の心得があったんだね。刀を握った事もない士族が増えている中、岩屋さんみたいに武士道の素地が出来ている人は心強い限りだよ。」
どうやら私は、この男子学生に気に入って貰えたらしい。
私としても、彼の武士道を重んじる心意気には大いに共感出来たんだ。
こうして連絡先を交換し合った私は、男子学生の勧めで彼の実家の剣術指南所に通い稽古を始める事になったんだ。
子供の頃に習っていた新陰流で下地が出来ていたのが幸いして、新たに習い始めた淡路一刀流の習得具合は順調だったの。
館主や師範代は高い指導力を持ち合わせた立派な好人物だし、兄弟子や姉弟子も良い人ばかり。
彼等彼女等と良好な関係性を作れた事も相まって、私は指南所に通うのがどんどん楽しくなっていったの。
そんな指南所での充実した時間は、畿内大学でのキャンパスライフにも良い影響をもたらしてくれたんだ。
二本差しを帯刀して通学する私に向けられる物珍しそうな視線が、入学当初と比較して明らかに緩和されていったの。
他の学生達が私の二本差し姿を見慣れてきたのもあるかも知れないけど、あの男子学生との交流や剣術指南所での通い稽古を通じて、私が士族としての自信を高める事が出来たからだと思うんだよね。
そしてそれは、淡路君の方も同様だったんだ。
「二本差しをしているのが学科の中で自分だけだったのもあってか、入学したばかりの頃は妙に気を張る事が多くてね。だけどこの頃は、前より自然体で通学出来るようになった気がする。岩屋さんがキャンパス内で帯刀していなかったら、そうは思えなかったかも知れないね。」
そろそろ試験期間に入ろうかという七月の某日。
通い稽古へ訪れた私に、淡路君は照れ臭そうに打ち明けてくれたの。
まだまだ至らない所の多い私だけど、そんな私の帯刀が彼の自信に繋がったのなら喜ばしい限りだよ。
そういう訳だから、彼から地元の天満宮での流鏑馬祭りへ誘われた時には一も二も無く承諾したんだ。
何しろ欽明天皇によって行われた神事を起源とする流鏑馬は、武家に生まれた者の嗜みだからね。
そんな流鏑馬祭りへ誘って貰えるのだから、彼にとっての私は「武士の誇りをわきまえた士族」として評価すべき存在なのだろうな。
お誘い頂いた彼の好意と評価に報いるためにも、身だしなみには充分に気を遣わせて頂いたよ。
だから太刀と脇差の手入れは普段以上に念入りに行ったし、それを帯刀する私自身だって、今の時期の正装としても使える絽の夏着物に袖を通したんだから。
堺天満宮の流鏑馬祭りは七月に開催されるから、夏祭りの一種と解釈して気楽な浴衣姿で訪れる子達も少なくないけど、士族の私はそうもいかないよ。
とはいえ、私なりの御洒落心として涼しい水色の着物を選ばせて頂いたけど。
それにしても、大小を二本差しするには和装が一番しっくり来るよね。
サム・ブラウン・ベルトみたいな帯剣ベルトを使えば洋装でも二本差し出来るけど、和服の方が一層に気が引き締まるんだよ。
それは淡路君も同じだったらしく、キチンとした夏着物に涼し気な絽の羽織を合わせた出で立ちで境内に現れたんだ。
「あっ、やっぱり淡路君も和服で来たんだね。」
「勿論だ、茉穂君。それにしても…和装で帯刀した茉穂君が、これ程までに様になるとはなぁ…」
感嘆符混じりの一言に覚えた違和感の正体が何なのか、この時の私にはまだ分からなかったの。
だけど、その違和感は決して居心地の悪い物ではなかったんだ。
「しかしながら、茉穂君が士族の誇りを重んじる人で良かったよ。茉穂君のような人がもっと大勢いたなら、士族の未来も明るいのだけどね。」
「そんな…おだてないでよ、養宜君。幾ら何でも、剣術指南所の跡取り息子である養宜君には敵わないって…あっ!?」
口元を袖で隠しながら笑った次の瞬間、私はあの心地良い違和感の正体に思い至ったの。
そう言えば私、ほんの少し前までは苗字で呼び合っていたよね。
だけど、今は…
「君の方も名前で呼んでくれたんだね、茉穂君。もう他人行儀な真似は、止そうじゃないか。」
「う、うん…そうだね、養宜君…」
そして私が心地良さを感じていたのは、同じ士族である男子学生に好感を抱いており、今よりも距離を縮めたいと無意識下で望んでいたからなんだ。
それに気付いてしまった瞬間、養宜君に対する敬意と親愛の念が一層に深まった気がしたの。
「ねえ、養宜君?私、薙刀も本格的に習ってみたいんだけど…」
「それは良い心掛けだよ、茉穂君。君は筋が良いから、鍛錬次第では免許皆伝も夢ではないはずだよ。」
流鏑馬会場への道すがらで雑談に興ずる私は、ファーストネームで呼び合う事の心地良さを改めて実感したの。
周囲の人から愚直と捉えられても続けた二本差しが、私と養宜君の二人を引き合わせてくれた。
そう考えると、士族の家系に生まれた事が改めて喜ばしく感じられたんだ。
私や養宜君の次の世代が、士族である事に誇りと喜びを感じられるよう、しっかりと生きていきたい所だよ。