8 情けない俺
翌日。朝、起き立て、頭痛がする。最近ずっとだな…。でも、しばらくするとおさまったから、
飯食って、電車に乗った。
そしたら、混んでて、蒸してて、暑くて、一気に気持ちが悪くなった。
「駄目だ…」
駅のトイレに駆け込む。やっぱり、吐いた。あ~~~。どうなっちゃってんの?俺の胃。ますます胃カメラのむのが憂鬱になる。
会社にどうにかこうにか、たどりつく。でも、すぐには仕事できそうもない。しばらく応接コーナーで休んでいると、瑞希が出社した。
「どうしたの?」
「う~~ん、電車混んでて、暑くて、蒸してて…」
「気持ち悪いの?」
「う~~ん、めまいも…」
瑞希の顔を、ちょっと見た。あ。やべ…。すんげえ心配してる…。
「ちょっと、ここで休めば、治るから」
「どうした?圭介」
あ、社長だ…。やべ、社長にまで心配かけちゃう…。どうにか、笑顔を作ったけど、
「木下、お前圭介のサポートできるか?」
って、社長が言った。ええ?木下さんだって、ここしばらく夜遅くまで、残業してるのに。
「はい、こっちの終われば、できます。多分午前中には終わるかと…」
「ああ、そっか。悪いけど頼むわ」
木下さんに迷惑かけちゃうじゃん。
「社長、俺、大丈夫です」
「じゃ、あまり根詰めないで、仕事にかかってくれ」
「はい」
くそ。力はいんない。でも、どうにかデスクに戻んなきゃ…。
やっとこさ、席に座り、パソコンを開くと、瑞希がすんごい心配そうに聞いてきた。
「大丈夫?」
ああ、俺、しっかりしろ!心配かけてる場合じゃないって。
「うん、大丈夫」
そう言って、必死に仕事に集中した。う、まだ、むかむかする。
午後は、さすがにへたばった。木下さんが、自分の仕事を区切りをつけて、俺の分を手伝ってくれた。 あ、ありがたい。
瑞希が、お昼をどっかでさっさと食べてきたらしく、すぐに戻ってきて、ポカリをくれた。嬉しかったけど、ポカリを飲む気にもなれなかった。
「頭いて…」
「今度は、頭痛いの?」
「うん」
ああ、なんか、瑞希には甘えたくなっちゃうんだよね、俺。でも、すぐに瑞希が、席を立とうとした。
「瑞希…」
「ん?」
瑞希が、すごい優しい声で聞いてきた。
「もう少しここにいて」
瑞希は、そっと俺の手をにぎってくれた。あったかい。優しいぬくもり。ああ、それだけで、なんだか癒される。
6時になって、社長が帰っていいぞって言ってくれた。瑞希も、
「送ってくよ」
って…。でも、
「大丈夫」
って断った。いや、本当は、ついてきて欲しかったんだけど。
「いいから、あ、でも今日は電車で帰るからね」
「遠回りじゃん」
「いいよ、金曜日だし」
ああ、そっか…。金曜か…。
「じゃ、俺んち泊まってけば?」
「無理無理、着替えもないし」
「俺のパジャマ貸すよ」
「無理だって~~」
ちぇ~~、本気だったんだけどな。そうしたら、瑞希とずっといられるのに…。
電車に乗ったら、瑞希がずっと手をにぎっててくれた。ああ、瑞希のぬくもりって安心できる。駅に着くと、瑞希が、
「タクシーに乗ろうか?」
って言ってきた。歩けそうにないし、タクシーで帰ることにした。家について、お金を払い、タクシーを降りた。
「瑞希も!」
って、強引に腕をつかんで降ろした。このタクシーで帰られたんじゃ、瑞希と一緒にいられなくなる。もしかしたら、このまま、俺んちに泊まっていくってことにも、なるかもしれないしって淡い期待を胸にいだきながら、瑞希と家に入った。
おふくろが、瑞希と帰ってきたんで驚いてた。
「夕飯食べていってね」
「いえ、もう帰ります」
え?何言ってんの!瑞希。
「遠慮はしないで。また誰かに送らせるから」
そうだ、おふくろ!瑞希を帰らせるな!
「電車でもそんなに時間かからないですし、今日は電車で…」
ああ、もう!瑞希は何言ってんだよ!
「だから、泊まってけばいいんだよ!」
じれったくなって、つい言ってた。
「あら、いいわね。そうしなさい」
「でも、着替えないし、化粧道具も」
「私の貸すわよ。お化粧道具は合わないかしらね。ま、なんとかなるって」
ブラボー!おふくろ。俺は心の中でガッツポーズをした。おふくろなら、そう言うって思ってたんだよね。なんか、瑞希のことすげえ、気に入ってたし…。そういえば、この前瑞希がきてから、やたらと、
「また、連れてらっしゃいよ」
って言ってたっけ。
瑞希は家に電話をしてた。それも、途中でおふくろが「貸して」って言って、瑞希のお母さんと話し出し、強引に泊まっていくことにしてたみたいだった。
おふくろのあの強引さ…。誰も勝てやしないんだ。瑞希のお母さんも、負けたみたいだ。
かくして、瑞希は今日、俺んちに泊まっていくことになった!やり~~!
リビングのソファに寝転がっていると、どんどん体調がよくなっていった。いや、瑞希がいてくれたからかな?
瑞希が電話を切った。
「OKだった?」
っていうのは、電話のやりとりで、なんとなくわかってたけど。
「もちろんよねえ。さてご飯作るわね。あ、そうだ。瑞希さん、お風呂入る?まだお湯入れてなかったわ」
おふくろはそう言うと、バスルームに向かった。
「お風呂…」
瑞希が、少し呆けていた。
「パンツ、俺のはく?」
冗談で言ってみた。
「い、いいよ!」
あ、パンツと言えば…。
「瑞希、この前俺のパンツ見たでしょ?」
「え?」
「この前、送ってくれたとき」
「見てないよ」
「うっそ。俺が着替えてたとき、部屋にいたじゃん、エッチ、すけべ」
「な、何言ってんの?見るわけないじゃん。後ろを向いてました!」
え~~?なんか、すげえ動揺してない?瑞希。可愛い。
「冗談だよ。そんなにむきになるなよ」
ああ、なんか、ほんと、可愛いよな~~。
部屋に戻って、着替えをした。ベッドにゴロンって横になった。
さて、瑞希が今日は家にいる。どうしようか…。きっと、下の客間に泊まるはず。そっと、夜中にしのびこむ…。ああ、和室の隣が親の寝室っていうのが、難点だ。
あ、そうだ。風呂…。瑞希風呂入るって…。
そうだ!今度は俺が、髪を乾かしてあげるってのは、どうかな~~。この前の髪を乾かしてもらったのは、すっかり記憶が飛んじゃってるけど…。今度は、俺のほうが…さ。
って、早速、瑞希の髪を乾かしているところを、妄想する。また、すっぴんの瑞希が見れる。すっぴん、可愛いんだよね。って、化粧濃くないから、あんまり変わらないけどさ。
そんなこんなを妄想してて、下におりるのが遅くなった。ああ、部屋で妄想して何してんの、俺。せっかく瑞希本人がいるってのに…。
一階におりていくと、瑞希がおふくろとキッチンにいた。
「あれ?何してんの?」
「お料理を手伝ってもらってるの。瑞希さん、お料理好きだって言うから」
「へえ、そうなの?意外」
瑞希、何やってもとろそうだし、料理もあまりしないのかと思ってた。そっか、料理好きなのか~。
「なんで?」
「え?なんか、何やっても、とろそうじゃん、瑞希って」
「ひどいわね、圭介!それにあなた、さっきから呼び捨てはないんじゃないの?年上の女性に向かって、失礼よ」
「あ、そっか。ま、いいじゃん、会社じゃないし」
ってか、おふくろ、少し鈍いんじゃないの?俺らが付き合ってるの、わかるでしょ、普通…。
ご飯の用意ができて、兄貴もちょうど2階からおりてきて、夕飯を食べ始めた。
「圭介、もう大丈夫なのか?」
兄貴が心配そうに聞いてきた。
「ああ、おなか減ってるし、元気になったみたい」
まじで、今日会社であんなに、気持ち悪かったとは思えないほど、回復してる。瑞希マジックか?
親父は、接待でいなくって、順平はバイトだった。俺は、瑞希が一緒なのが嬉しくて、なんかおふくろの話にものって、笑いながら話してた。兄貴も、それを聞きながら笑ってたし、瑞希も、嬉しそうだった。
食事が終わって、おふくろが、瑞希にお風呂どうぞって着替えを渡してた。
「あ!」
瑞希が入る前に、バスルームに飛んで行き、急いでドライヤーを持ち出した。それを隠して、リビングでテレビを観ながら、瑞希が出てくるのを待った。
瑞希は意外と、早くに風呂から出てきた。う…。髪、洗ってないとか?
瑞希が、ドアを開けて、リビングの方に来た。振り返ってみると、髪が濡れていた。
「あ、髪も洗ったんだ」
良かった…。
「はい」
って、ドライヤーを渡すと、瑞希は、
「あ…」
って言って、ドライヤーを受け取った。何か言いかけてたけど、早く俺の部屋に行って、乾かしたくて、
「俺の部屋で乾かしたら?」
と、瑞希の言葉をさえぎって、言った。
「うん」
瑞希は、俺のあとをついて、2階に来た。部屋に入り、
「そこ座って」
と、ベッドを指さして、ドライヤーをもらい、コンセントにつないだ。わくわく、ドキドキ。
「今日は俺の番ね」
そう言うと、瑞希が、きょとんとした顔をした。ま、いいや。
瑞希の髪を、乾かし始めた。ああ、瑞希の髪、今日は違う匂いだ。あ、そっか。うちにあるシャンプーだもんね。
「髪、綺麗だよね」
瑞希の黒いサラサラの髪が、俺、好きなんだよね…。
「圭介の方が、黒くってサラサラだよ」
え?俺~~?
「う~~ん。あんまり嬉しくないかな、髪ほめられても」
なんか、座ったまま、俺に全部まかせっきりの瑞希…。ああ、やばい。ドキドキしてるよ、俺。瑞希のうなじとか、見えちゃってすげえ色っぽいし…。
「具合は?大丈夫?」
黙ってた瑞希が、口を開いた。ああ、このまんま黙ってられたら、俺、やばかったかも…。
「あのさ、すげえ、気持ち悪かったのに、瑞希がそばにいると、俺治っちゃうみたい」
瑞希が、また黙った。
「もしかして、魔法かけてない?」
「魔法?」
「そう、俺が元気になる魔法。瑞希がいると安心するんだ。なんかこう、ほわってあったかくなって、すげえ優しい空気に包まれてるようになる」
「それ、私もだよ」
「え?」
瑞希も…?思わず、ドライヤーを止めてた。
「圭介といると、あったかいの。圭介のほうこそ、魔法かけてない?」
「うん、かけてる」
「え?どんな?」
「う~~ん、どんなって」
口に出して言うのが、恥ずかしかった。でも、ドライヤーの音で、ごまかせるかな?ドライヤーをかけて、わざと、音がなるよう動かして、
「やっぱ、愛の魔法でしょ」
って言ってみた。あ、自分で言ってて、照れた。でも、瑞希も顔が赤くなってた。いや、俺の顔も熱いって…。
「もう、下に行くね。圭介の部屋に入り込んでたら、なんか、変に思われちゃう」
「ええ?うちの息子がおそわれてないかしらって?」
「違うよ。何言ってるの?」
って、言う瑞希の顔が、また赤くなった。
危ない。おそわれるどころか、俺のほうが危なかった。ギリギリのところで、どうにか、理性を保ってたようなもんだ。
瑞希は、下におりて行った。俺は、しばらく部屋で呆けてた。さっきまで、瑞希が座ってたベッドに横になる。なんか、あったかい。
「グワ~~~~~ッ!」
今頃になって、キスのチャンスだったんじゃね~のって気づいた。
「俺、どうしてこういうチャンスを、逃すのかな…」
髪の毛乾かすので、精一杯だったよ。いや、でも、待てよ。さっきの状況でキスしたら、絶対、やばいか…。
でも、今日は、瑞希いるんだよ、ずっと。そうだよ。キスのチャンスは、まだあるんじゃね?